最終話 再会
マリアナ号は海陸風によって吸い込まれるようにドルジアの港に入港し、錨を降ろした。桟橋との間に無数のロープが行き来して、マリアナ号はドルジアの港に係留される。
それを確認すると、俺は船乗りたちがお待ちかねの給金の支払いをすることになった。マルセロ船長の遺産を使わせてもらうことにして、船乗りたちに銀貨3枚ずつを支払っていき契約を満了させていく。それから彼らに船を売り払うつもりであることを告げる。
すると不思議なことに彼らは一様に残念がった。船乗りは最悪な仕事で、今回の航海でもひどい目にあったはずだ。それよりもこのドルジアで新しい仕事でも探したほうがよほどいいに違いない。
「船長の下で働けて光栄でした」
「そう言ってくれてありがとう。皆の働きのおかげだ」
彼らは皆、額に指を当てる敬礼を俺に向けた。
「魔術士様ならいい船長になれるのに残念でさ」
「まだ船乗りとして教えることが沢山あるんですがね」
「ムチャ言っちゃいけねぇ。魔術士様は元々ドルジアまでの予定だったんだ」
「気が変わったらまた雇ってくださいよ」
と、彼らは口々に言いながら船を降りていく。それと入れ替わるようにドルジア側から一組の男女が乗船してきた。
「ドルジア港湾局の者です。船長はどちらでしょう?」
彼らは船上をキョロキョロと見回す。その様子から、どうやらマルセロ船長を探しているのだと見当がついた。
「マルセロ船長なら航海の途中で海賊に襲われて命を落とされました。生き延びた航海士は俺だけでしたので、俺が今の船長です」
「それは――、お悔やみ申し上げます。それでは、マルク船長、今回はどんな積み荷を売って頂けるんでしょう?」
「それなんですが、俺には航海を続ける意思はないので、船ごと買い取っていただけるとありがたいのです。それから奴隷にした海賊たちも」
そう言うと男女は目を丸くして、見るからに落ち着かない様子になった。
「さ、さすがに船を買い取るという話は私の一存ではできかねます。とりあえず積み荷のお話をしたいのですが」
「分かりました。目録を持ってこさせます。ケント、船長室に積み荷の目録があるから取ってきてくれ」
「アイアイサー」
傍で控えていたケントが船長室に向かって駆け出していく。
「それで船を売るには誰に話を持っていけばいいですか?」
「いえ、私で結構です。ただ上に話を通さなければなりませんから、すぐにお返事ができかねます。財務大臣、あるいは国王陛下の采配を仰がなければならないかもしれません」
「なるほど。分かりました。奴隷についてはどうでしょう?」
「奴隷は喜んで買い取らせていただきます。ただ、盗賊スキル持ちが多いですね」
「まあ、海賊ですからね」
「盗賊スキル持ちが値が下がることはご存知だとは思いますが、それでもよろしければ査定させていただきましょう」
「どうぞ、俺には必要のない奴隷たちですから」
元海賊の奴隷たちは係留の作業が終わって甲板に整列させてある。ドルジア港湾局の男女は値踏みするように、いや、まさしく値踏みするために彼らを注意深く見つめていき、手元の羊皮紙にその値段を書き付けていく。
そこにケントが積み荷の目録を持って戻ってきた。
俺たちは奴隷の値付けが終わるのを待ってから、続いて積み荷を検品していく。海水を被って駄目になった物もあるが、おおよそは無事なようだった。
「こんなところでどうでしょう?」
提示されたのは金貨で350枚だった。さて、困ったことに俺はこの積み荷をマルセロ船長がいくらで仕入れたのかを知らない。だからこの提示額で利益が上がっているのかどうかを知りようがない。だが経験則上、提示されたのはドルジア側にとって有利な金額であるに違いない。
「その金額ではマルセロ船長なら納得しなかったでしょう」
「そうかも知れません。しかしマルク船長、あなたは船を売却されるおつもりでしょう? 積み荷が売れなくては困るのでは?」
思わず返事に詰まる。確かにどんな金額を提示されようが俺はそれを受け入れることしかできない。船を売却する話をするのが早すぎたのだ。この調子では船も相当買い叩かれるだろう。
だが考えてみればどれだけ安く買い叩かれようと俺が困るということはない。別に大金を欲しているわけではないし、船と積み荷にしろ、マルセロ船長たちが死んだために俺の手に転がり込んできたものだ。金に換わるだけありがたいと思わなくてはいけない。
「分かりました。その条件を受け入れます。その代わりに船の売却の件、よろしくお願いします」
「確かに承りました。ではお支払いをさせていただきますので、こちらへ。運搬人を船に上げさせますがよろしいですね?」
「分かりました。ケント、運搬人に指示を頼む」
「アイアイサー」
そして俺はマリアナ号にケントを残してドルジアの土を踏んだ。
最初に感じたのは揺れていないはずの地面がまるで揺れているかのような錯覚だ。いつの間にか揺れる船に合わせて重心を移動させる癖がついていたらしい。ふらつく足元を誤魔化しながら港湾局の2人についていく。
港湾局の建物は港にある石造りの建物だった。いつものごとくその応接室に通される。調度品などもない質素な感じの室内で、用意された土の味のするお茶を飲む。そうしてしばらく待っていると、さっきの男性が麻袋を両手に抱えて入ってきた。
「お売りいただいた積み荷の代金です。どうぞお確かめください」
テーブルに置かれた麻袋の中を確認すると、大量の金貨が詰まっていた。手伝ってくれる気配はないので仕方なく自分でテーブルの上に金貨を並べて数えていく。金貨は確かに350枚あった。
「確かに受け取りました」
金貨を麻袋に詰めなおして受け取る。
「それでは私は船の買い取りについて上に判断を仰がなくてはなりませんので」
「はい。よろしくお願いします」
ずっしりした重みのある金貨の詰まった麻袋を手に港湾局を後にする。とりあえずこれはマルセロ船長の遺産と一緒にすることにしよう。そう決めて船に戻ることにする。
桟橋では運搬人が忙しくマリアナ号から積み荷を運び出している最中で、その人の列の隣に俺は懐かしい顔を見つけて思わず駈け出した。
「カタリナ!」
俺に名前を呼ばれて振り返ったのは、ウサ耳を頭の上にぴょこんと立てた兎人の少女だった。言うまでもない、ユーリアだ。それにアレリア先生やシャーリエ、テオドールの姿もある。
ユーリアは俺の姿を認めると、たたっと駆け寄ってきて、俺たちは勢い良くぶつかるように抱きしめ合った。久しぶりに感じるユーリアの体の柔らかさに、俺はつい抱きしめる腕に力を込めてしまう。
『く、苦しい、です』
『ごめん』
そう言いながらも俺はユーリアを抱きしめる腕をほどこうとはしなかった。なにせ1期以上も離れ離れだったのだ。地球の日時に換算すれば二ヶ月、いや、三ヶ月に近い日数だ。
寂しいと感じる間も無い日々だったが、こうして再会すると離れていた時間の分だけユーリアのことが愛おしく思えてくる。
「みんなも無事でなにより」
「なんだかついでみたいだが、まあいい。テオから逐一近況は聞いていたが、ご主人様のほうこそよく無事で」
「立ち話もなんだし、船に上がろう。船長室なら椅子もテーブルもあるから」
4人を連れてマリアナ号に上がり、船長室に案内する。
「しかし魔術航海士のはずが今や船長か。よほど悪運の強い奴だな。お前は」
「悪運か、まさにそういうしか無いよな」
「それでマルク様はこの船をどうされるおつもりなんですか?」
「船を自分で持っていても仕方ないし、売るつもりだよ」
「ということはまた財産が増えるのか」
アレリア先生が呆れたような顔で言う。
「君はつくづく金と縁があるな。船長の私財も君のものなのだろう?」
「船に乗っている分は、そういうことになるらしいな」
「今後のことを考えれば金はあるに越したことはないさ。しばらくは稼げる予定もないからな」
ひらひらと両手を遊ばせるような仕草をしてテオドールがぼやくように言う。そのことを俺は意外に思った。てっきり安全と仕事の両面からこのドルジアという国を選んだものだと思っていたからだ。
「ドルジアには仕事が無いのか?」
「いや、冒険者の仕事はある。だが俺たちは冒険者ギルドの仕事は受けない」
「どういうことだ?」
と、そう聞くと、テオドールは意地の悪い笑みを見せる。
「なぜオレが行き先にこのドルジアを選んだか分かるか?」
「てっきり天球教会から離れられるからだと思ってたよ」
「それもある。だが最大の理由は魔大陸には手付かずの先代文明の遺跡が多くあるからだ。特にこのドルジアには近くに大きな遺跡が存在しているんだ」
「先代文明の……」
俺やテオドールをこの世界に召喚した装置を作ったという先代文明、その遺跡、それも手付かずのものが沢山あるということは。
「地球に戻る手立てが見つかるかもしれない、ということか」
「あくまで可能性の話ではあるがな。だが先代文明の遺跡探索は金にはならんからな。そういうわけでお前の財産が増えるに越したことはない。しばらくは探索に集中していられるということだからな」
「実は君が到着するまでにも一度探索には行っているんだ。あくまで様子見ということであまり深入りはしなかったが、確かに先代文明の遺跡だったよ」
「あの、それよりもルーさんたちはどうなったんでしょう? テオドールさんから聞いたのは全て終わったということだけで、詳しい話を聞きたいです」
「私も、マルク様の、話を聞きたい、です……」
確かにルーのことの顛末は簡潔にテオドールに報告しただけで詳しい話はしていない。彼女たちには随分心配をかけたようだから、まずはその報告から始めよう。
そういうわけで俺は魔界で何があったかを皆に話し始めた。
「魔族はスキルポイントを貯めこんでいる、だって?」
「そりゃオレも初耳だぜ」
見事に話の筋道を横にずらしたのは年長組の2人だった。
「そこはそんなに重要じゃないだろ」
「しかしそれは完全に新説、というよりスキルポイント制自体が世の中では一説に過ぎないわけだが、これまでの常識を一変させる情報だぞ」
「それにお前がしたように魔族を奴隷にすれば、あっという間に強力な軍隊を作り上げられる。それこそ番号付きのような強力な軍勢だ」
「まあ、ひとまずその話は後にしておいてくれ。次に言うことのほうがよっぽど重要だから」
「まだ何かあるのか!?」
「これは俺とテオドールにしか関係しない話だけど、テオドール、お前は魔界の食料を口にしたことはないだろ?」
「そりゃ当たり前だろ。誰が好き好んで嘔吐しようなんて思うんだ」
「嘔吐しない」
「は?」
「俺たちは、つまり地球人は魔界の食料も何の問題もなく食べられる。それだけじゃない。魔界の食べ物を食べることで吸魔のスキルを習得できるようになるんだ」
「冗談、じゃねぇよなあ。お前は冗談言わない奴だもんな」
「俺のステータスを確認してくれ」
俺はスマホを取り出して吸魔のステータス偽装を解く。
俺をじっと見つめていた4人の目がぎょっと見開かれた。それを確認して俺はすぐに吸魔を再び偽装して消した。
「言うまでもなく、その後も普通に人族の食料を口にできた。俺は魔族になったわけじゃない。ただどちらの食料も口にできる、そういう生き物だってことだ」
「なんてことだ」
アレリア先生が椅子の背もたれに体を預けて天井を仰いだ。
「カタリナ、君が気にしていた件はこれが原因かもしれない」
「そう、ですか……」
「カタリナ? カタリナが何を気にしていたんだ?」
「君との子どもを授からないことについてだよ。人族と魔族の間に子どもができないことはよく知られている。戦争などでの痛ましい様々な出来事によって、な。それと同じことが君とカタリナの間にもあるのかもしれない」
「なんてこった」
今度は俺がその言葉をつぶやく番だった。
別に急いでユーリアとの間に子どもが欲しいわけではなかったが、そういう関係である以上、いずれはそうなるものだと思っていた。それが可能性から否定されるとは思ってもみなかった。
「だけど子どもができないとまだ決まったわけじゃ」
「……いや、その可能性は高いと思うぜ」
「テオドール?」
「実は俺は以前結婚していたことがある。詳しいことは省くが、彼女との間に子どもを授かることはついになかった。その時は俺か彼女のどちらかに原因があるのだろうとばかり思っていたが、なるほどそういうことならどちらのせいでもなかったことになるな」
「そう、なのか……」
船長室は重苦しい沈黙に覆われた。
「わりぃ、だが可能性が高いってだけだ。俺か彼女に原因があったのかもしれんし、お前とカタリナにしてもたまたままだ当たってないだけかもしれん。お前らはまだ若いんだし、可能性はあるさ」
「……そう、だよな。話を続けよう」
それから魔界であった一部始終を話し終わり、話は航海での出来事に移った。ちょうど嵐の話をしているときに船長室のドアがノックされて、ケントが入ってくる。
「船長、積み荷の運び出しは完了しました。……お邪魔だったでしょうか?」
「構わない。皆、彼はこの船の見習い航海士のケントだ。ケント、彼らは俺の冒険者仲間だ」
「船長にはお世話になりました。こうして生きてドルジアに到着できたのも船長のお陰です」
「そういえば俺がこの船を売ってしまったら、ケントはどうするんだ」
「そのことでお願いがあります。船長に紹介状を書いていただきたいのです。次の船主にも雇ってもらえるように」
「分かった。お安いご用だ。君は優秀だ。すぐに航海士スキルだって習得できるさ」
「ありがとうございます。船が売れるまでは船に残っていていいでしょうか。その手持ちが心もとなくて」
「構わない。グレンとアマンシオにもそう伝えてくれ。彼らが望めば彼らの分の紹介状も書こう」
「喜ぶと思います。では失礼します!」
敬礼してケントは船長室を退出した。それを見送った俺を年長組2人がニヤニヤと見つめている。
「なんだよ」
「いや、すっかり船長してるなと思ったのさ。船を手放すのが惜しくなるんじゃないか?」
「もう船旅はこりごりだよ」
正直に言うと、皆笑った。
こうして俺の長かった一人旅と航海は終わり、仲間たちと再会した俺は遺跡探索に向けて準備を進めることになる。そこで待ち受けるものがなんなのかまだ何も知らずに。




