第七話 海賊
「魔術士だ、殺せ!」
その声が耳朶を打った瞬間、文字通り俺は飛び起きた。今まさに俺の首があった場所に刃が叩きつけられ、ベッドのシーツが裂け寝藁が飛び散った。
状況判断!
など、できるわけもない。
襲撃者は俺が最初の一撃を回避したことに驚いたようだったが、再び刃を振りかざし、俺を目掛けて振り下ろしてくる。
ただ自分の命を守るためだけに、襲撃者を目掛けて体当りする。狭い船室の中で俺と襲撃者はもんどり打つ。杖を探す間も惜しく、俺は襲撃者を殴り倒す。暗闇の中でも暗視スキルのお陰でそれが見知った顔でないことに気づく。そのことの意味を考える間もなく、船内を包む喧騒が耳に届く。それと血の匂いだ。それは戦場の空気だった。
敵襲?
敵?
こんな大洋の上でか!?
そんなことを考える暇さえなく次の襲撃者が躍りかかってくる。振るわれる短剣を躱し、船室の扉の向こうへと蹴り飛ばす。
室内にぶっ倒れている男はコンラド、知らない顔だ。船乗りスキル3はともかく盗賊スキルが2というのに目が行った。室外に蹴り飛ばした男を見ると、そちらにも盗賊スキルがある。
海にいる盗賊、ということは、こいつらは海賊だろうか。
この船は海賊に襲われているのか!
ようやく危機感がせり上がってきて、杖を手にした俺は部屋を飛び出した。
俺に割り当てられている航海士用の部屋は、船員たちの船室よりも一段下の区画にある。ここまで海賊がやってきているということは、船室の状況はかなり悪いに違いない。探知スキルを頼りに状況を探ろうとするが、人の気配が入り乱れていてよく分からない。
俺は息を吐いて、慎重さを忘れることにした。一分一秒、一滴の時間が惜しい。船内を駆け抜け、船室へと繋がる階段に足を掛ける。船室に躍り出ると、無数のぎょっとした目がこちらを見つめてきた。そこには知った顔もあれば知らない顔もある。彼らは頼りないランタンの明かりの下でそれぞれに武器を手に戦っており、あちこちに怪我人が打ち倒されている。
「魔術士様!」
「魔術士だと!?」
「守れ!」
「殺せ!」
彼らは一斉に喚きながら俺に向かって殺到してくる。
俺は見知った顔を間違えて攻撃しないように注意しながら、襲撃者に体術で対応する。この程度の相手であれば、相手が武器を持っていようが関係ない。余裕を持って攻撃を避け、身体強化された一撃で意識を刈り取る。
「こいつらは海賊か!?」
「そうでさあ!」
ならば手加減は無用だ。相手の骨が砕けようが、命を落とそうが、俺の知ったことではない。
俺の加勢で船室での戦いはあっという間に方がついた。元々侵入してきた賊はそれほど多くなかった。それでも船乗りたちが苦戦していたのは暗闇の中の急な襲撃だったからだ。ランタンに明かりを灯す頃には数の優位も無くなってしまっていたそうだ。
「状況は?」
「甲板は奴らに制圧されちまいました。それ以外は分かりません」
「船長たちは?」
「それも分かりません」
「マルクさん!」
そこには片腕を半ばまで切り落とされたケントの姿があった。彼は船室に横たわり、俺に目で救いを求めている。
そうだ、負傷者の治療が先だ。
俺はまずケントの傷を癒してやり、それから見知った顔の怪我人を治癒していった。残念なことに何人かはすでに事切れていた。
「魔術士様、これからどうしましょう」
「戦える奴はついてこい。甲板を取り戻す。負傷していた者は、そこらの海賊どもを縛り上げておけ。ケント、戦えるか?」
「戦えます」
額に脂汗を滲ませながら、ケントは強がった。
「何人か連れて船内に敵が残ってないか捜索してくれ。それから船長たちの無事を確認するんだ」
「アイアイサー。しかし船長はもう」
「なんで分かる?」
「契約が切れているからです」
慌てて俺も自分自身が船長と交わした契約を確認すると、すでに存在しなくなっている。契約は満了していない以上、船長の命が絶たれたと見る以外にない。なんということだ。唇を噛む。だが感情を露わにしている時ではない。
「分かった。他の航海士の無事を確認してくれ」
「アイアイサー!」
海賊どもを縛り上げ、俺たちは甲板への突入準備を終えた。しかし先陣を切ろうとした船乗りが階段のところで足止めを食らう。
「駄目です。扉が開きゃしません」
「向こうから楔を打ち込まれたに違いないでさ」
「分かった。そこを退け」
船乗りたちを下がらせて、風の砲弾で扉を蝶番ごと吹き飛ばす。ついでに辺りの木材も吹き飛んだがこの際だ、構うまい。甲板に出るための大きな穴が空いた。
「行くぞ!」
率先して階段を駆け上がる。
目の前にいた二、三人を殴り飛ばし、苦悶の声を上げさせる。俺の後を追って船乗りたちが甲板に上がってくる。
甲板上は霧がかかっていて見通しが悪かった。それでも星明かりの下、数十人が何かをしているのはなんとなく分かる。そしてマリアナ号の隣に似たような形のもう一隻の帆船がいて、両者を無数のロープが繋ぎ止め、木の板が橋代わりにかけられているのも見えた。
俺は迷わず人影の集団に向かって風の砲弾を打ち込んだ。彼らが次々と甲板になぎ倒されるのが見える。
「かかれ!」
俺の号令で船乗りたちが海賊に向かって襲いかかっていく。数の有利はあちらにあったが、今や勢いは完全にこちらのものだ。何かの作業をしようとしていた海賊たちは慌てて武器を取り応戦しようとするが、こちらの船乗りに次々と打ち倒されていく。
「魔術士様、敵の増援が!」
船乗りが指差す先を見ると、海賊船から数十人がこちらに渡ってこようとしているところだった。俺はそれを風の壁で海賊船に目掛けて押し戻す。強風に海賊船の帆がバタバタとはためいた。
「ロープを切れ! 連中の船を切り離すんだ!」
俺の命令に船乗りたちは船の縁にかかったロープに刃物を叩きつけ、それを切断していく。半ばほど終わったところで俺は杖の先に炎の塊を生み出した。近くに居た船乗りがぎょっとしたのが見える。
「切り離しを急げ!」
俺の考えていることが伝わったのだろう。船乗りたちは慌ててロープを切り離していく。それが終わるか終わらないかというところで、俺は海賊船の甲板を目掛けて炎弾を打ち込んだ。炎の塊はそこら中に無造作に置いてある索具に燃え移り、あっという間に海賊船の甲板を炎で舐め尽くしていく。
俺は強く風を吹かせ、海賊船の炎を煽る一方で、海賊船の帆に風を当ててマリアナ号から遠ざけていく。
炎に煽られて海賊たちが次々と海に飛び込んでいくのが見える。
海賊船をマリアナ号から充分に遠ざけたところで、俺はマリアナ号に意識を戻した。
「海賊どもは?」
「降伏しました。今は武器を取り上げて船首側にまとめてあります」
「こっちの損害は?」
「何人か死にました。魔術士様にすぐに診てもらえば助かるのが何人かいます」
「分かった。診よう」
すぐに負傷者の治療に向かい、彼らの傷を癒やす。それが終わる頃にケントが甲板に上がってきた。
「ケント、どうだった?」
「船内にもう賊はいません。ですが、航海士は皆殺されました。ダリルも、です」
「みんな、か……」
「やつらの手口でさ。航海士スキル持ちを皆殺しにして、後は船を乗っ取っちまうんだ」
なるほど、航海士スキル持ちが皆殺しにされれば、船乗りは航海士スキルを持った海賊の言いなりになるしかない。にしても手際のいいことだ。船長も、航海士たちも、航海士スキルを得たばかりのダリルさえも殺されてしまった。
「ということは捕虜にした海賊の中に航海士スキル持ちがいるはずだな。それから船乗りだ。こっちは何人生き残って、何人捕虜を取った?」
「すぐ調べます。サー!」
ケントがそう行って駆け出していく。
調べはすぐについた。
こちらの生き残りが俺とケントを含めて船乗り総勢20名。
捕虜にした海賊が18名。海賊たちは治療を受けていないのでそのままにしておけば数は更に減るだろう。航海士スキル持ちは見当たらなかった。おそらく死んだ奴の中にいたんだろう。
「足りないな。ボートを降ろせ。海賊船から飛び降りた海賊どもを救助する」
もはや海賊船は少し離れた篝火と言った様相を呈している。甲板を舐め尽くした炎はマストを這い上がり、帆に着火して盛大に燃え上がっている。霧でよくは見えないが、その下では無数の海賊が必死にもがいているのだろう。
俺はケントを船に残し、2人の船乗りと共にボートで海面に降り立った。2人がオールを持ち、海賊船の方へボートを進める。俺たちが近づくと海賊たちはこちらに向かって救いを求めてくる。幸運な最初の1人を助け、航海士スキル持ちを探させる。俺も自分の目で航海士スキルを持った者を探したが見つからなかった。
「なんで航海士スキル持ちが1人もいない!?」
「分かりません!」
泣き出しそうな声で海賊が喚く。
「お前らの船長はどうした? 契約は? 結んでいないのか?」
「いや、オレたちは船長と、あ、ってことは」
どうやら海賊船の船長も死んだらしい。
「くそ、分からんが、ボートに乗せられるだけは乗せていく」
無差別に近くにいた海賊を船に乗せてやり、一杯になったところで手早く撤収する。待ってくれという叫び声がいくつも後ろから響いたが、俺は振り返らなかった。ボートには海賊を8人乗せてマリアナ号に戻ってきた。
ケントたちに船の上に引き上げてもらい、海賊たちは拘束する。それからようやく負傷した海賊の治療に取り掛かる。俺が8人救いに行っている間に3人が死んだそうだが、数は増えているので問題はない。
俺はさらに海賊を拾ってくるように指示を出して船に戻った。
とにかく海賊をいつでも海につき落とせるよう船首部分に集めて、それからようやく俺たちは落ち着いて今後のことを考える時間を持てた。
「航海士スキル持ちが1人も居なくなった以上、ここにいる俺たちでできるだけのことをやるしかない」
「差し当たっては船長を決める必要があります。マルク魔術航海士殿」
やけに改まった口調でケントが言う。
「本来なら最先任の航海士が船長を継ぐことになります。しかし1人も航海士がいない以上、三等航海士扱いであったマルク魔術航海士殿が新たな船長になるべきだと思います」
ケントの言葉に俺はぎょっとする。
「ちょっと待った。それなら見習いとは言え航海士のケントのほうが適任だ。俺には船のことはほとんど分からないんだ」
「しかし先の戦闘では見事な指揮でした。皆あなたに続いて戦いました。船乗りたちは今後もあなたの命令なら快く聞くでしょう。船長には船の知識も大事ですが、船乗りたちから尊敬されることも大事です」
「だが……」
「お願いです。マルクさん。僕らにはもう頼れる人があなたしかいないんです」
周りを見回すと、生き残った船乗りたちもケントと同じ目で俺のことを見ていた。期待と畏れの混じった瞳だ。皆、先の戦いで魔術の凄まじさに目を奪われてしまったのだ。だから船乗りの経験も無い俺に船長なんて役割を押し付けようとしている。
しかしそれは誰かが負わなくてはいけない責任だ。そして俺が逃げたらどうしてもその役割はケントのところに行くだろう。さっきはああ言ったものの、ケントはまだ幼い少年としか言いようが無く、しかも航海士スキルすら持っていない。船長という大役に耐えられるとはとても思えない。
もちろん俺が耐えられるとも言えないのだが……。
「分かった。これから俺がマリアナ号の船長だ。だが船長をやるからには厳しく行くからな。そこのところは覚悟しとけ」
「アイアイサー!」
「「アイアイサー!」」
ケントと船乗りたちが唱和した。
暗視スキルなどについてご指摘を頂いたので、本文を修正しました。
内容やストーリーに影響を与えるものではありません。




