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第四話 出港

 船の上で最初に覚えた言葉はシュラウドだった。

 帆船というやつは船体の上にマストという棒が立っていて、そこに帆を張って風を受けて走る。そのマストを支えるロープの中で、船体の横側に向かって何本も張り巡らされているものがシュラウドだ。

 そこにラットラインと呼ばれる横紐が何本も張られて網目状になっている。

 アスレチックなんかで網目のロープが用意されていたりするが、結果的にはそんな感じの見た目になる。

 見習い航海士のダリルとケントがタールを塗っていたロープがまさしくこのシュラウドとラットラインで、マストに登る時にも利用される。

 シュラウドは檣楼しょうろうに接続されていて、そこからまたマストの上部に向けてシュラウドとラットラインが伸びている。

 マストから帆を張るためにある梁のような横棒がヤードだ。今は帆はヤードにロープで括りつけられている。このロープにも名前があるのだが、なんだったか、ば、ば、バンドラインだったっけ。

 帆船に関わるロープはあまりにも多くて一度に全てを覚えきるのはとても無理だ。俺は魔術航海士で主な仕事は水を作ることだから、船の全てを把握する必要はない。だが船員の仕事を手伝うと言った手前、何も覚えないというわけにもいかない。

 とは言え、替えのきかない役割ということもあり、高所に登るような仕事はさせてもらえなかった。

 一度だけ無理を言って檣楼に登らせてもらったが、下から見るとそれほど高所に思えなかった檣楼でも、そこから船を見下ろすとゾッとするほどの高さだった。しかも港の中に係留されていてほとんど揺れていないはずなのに、檣楼まで登るとはっきりと揺れるのだ。

 船乗りたちはここからまだ一段二段上にあるヤードにも登り、ロープだけを足場にして帆を広げたり畳んだりする作業をするのだと思うと、その勇気に畏怖さえ感じる。しかもそれを遥かに波の高い外洋でやるのだ。

 なるほど、ニクラスが船乗りが最悪の仕事だと言っていたのも頷ける。

 その船乗りにも知己がたくさんできた。言うまでもなくマリアナ号の船員たちだ。シャーリエと変わらないほど幼い者から、老人まで様々な船員たちがマリアナ号には乗り込んでいた。そのほとんどが他に仕事が無いという理由で船乗りになった者たちだ。

 出港を明日に控えると船員たちはがやがやとマリアナ号に戻ってきた。中にはニクラスの言っていたように戻ってこない者もおり、航海士たちはほうぼうを駈けずり回って足りない船乗りを集めようとしていた。

 一方、俺は船長とともに小型の手漕ぎボートに乗り、船の様子を海面から眺めていた。


「もうちょい左舷、船尾よりだ!」


 船長が声を張り上げると、船上の船乗りが復唱して船内に伝えられていく。

 何をしているのかというと、船の傾き具合を見ているのだという。帆船は帆に風を受けて進むから、船の傾き方ひとつで帆走能力が大きく変わるのだそうだ。そのために船長が自ら船の傾きを確認して、積み荷の位置を移動させ、適正な角度に修正していくというわけだ。

 俺の目にはどこが変わったのか分からないほどの小さな違いだが、長い航海ではこのような小さなことが積み重なって大きな違いになってくるのだろう。


「よおし、こんなもんだろう。いいぞ、解散させろ!」


 しばらくゆったりと揺れる船体を眺めていた船長は満足気に頷き、そう指示をだした。その命令は復唱され船の中に伝わっていく。


「どうだ、マルク。船は面白いだろう」

「ええ、興味深いです。ですが、こういう作業には見習いを同行させなくてよかったんですか?」

「あいつらにはまだ早い。それに船には個性がある。あいつらが正式な航海士になった時にこの船に航海士の空きがあるとは限らないからな。自分の船を持ってから覚えていけばいいことだ」

「俺を同行させた理由は?」

「航海士やら船乗りやらにひっついて色々仕事を覚えているそうじゃないか。なら船長の仕事も覚えてみるといい。というのは冗談で暇そうだったから誘っただけだ」

「そういうことならちゃんと覚えますよ。マリアナ号の最適な角度を」


 俺は黒くタールの塗られた船体のバランスを目に焼き付ける。船長はボートをもう一度船の周りをぐるりと回らせてから、ボートの引き上げを船員たちに命じた。

 船からロープが落とされて、ボートの前後に結わえ付けられ、ボートがマリアナ号の上に引き上げられていく。俺たちが甲板に降り立つと、ボートは甲板の中央部、メインマストの前に据え付けられた。

 そこで船長とは別れ、ダリルとケントを探しに行くと彼らはベテランの船員からロープの結び方を学んでいる最中だった。ちょうどいいので俺も混ぜてもらう。

 舫い結びに始まり、巻結び、一重繋ぎ、二重繋ぎ、ジブシート結び等々、帆船で使うロープワークは多岐に渡る。ベテランの船員があっという間につくり上げる結び目だが、教えてもらいながらでも最初は歪な形のものしかできあがらない。


「まずは覚えてくだせぇ。後は反復練習しかねぇでさ」

「スキルが手に入ったら少しは楽になるのかな?」

「そりゃもう。けどもスキルを得るための反復練習でさ」

「なるほど」


 スキルを振るのは簡単だが、今は覚えることに集中しよう。できればこれくらいのことはスキルを振らずにできるようになりたい。ついでにこれらの経験でレベルが上ってくれたら万々歳だ。

 俺はダリルとケントと共にロープと悪戦苦闘を繰り広げるのだった。


 その日の夕食は船長室で振る舞われた。

 船長室に集まったのはまず船長であるマルセロ、一等航海士のアレン、二等航海士のジャック、三等航海士のカルロス、それから見習い航海士の二人も席についた。

 なるほど、船長室が広いのにはこうやって人を招いて食事を行ったりするためなのだろう。今回は航海士だけだが、寄港先で客人を招いたりする場合もあるのかもしれない。

 ケイシーの料理は前菜から始まり、サラダ、スープ、肉料理と続いた。飲み物には当然のようにワインが出てくる。これまでほとんど酒を口にしたことはなかったが、ここからは避けられそうにない。

 だがそれ以上に困ったのが皆が俺に話をさせようとすることだ。どうやらこの食事の場は俺が新入りとして加わったことでの親睦会のようなもので、とりあえず俺がどんな人間か話をさせて確かめようというようだった。

 とりあえず以前に使っていた嘘、アルゼキアの田舎で育ち、魔術の才能に恵まれ、冒険者となり、活躍の場を求めてオーテルロー公国、そしてブラムストンブルクへと渡ったという話をする。土龍退治やオーテルロー公国での活躍などはすべてアイン名義での出来事なので話をすることはできない。そのため俺の旅の話は実に地味な治癒術士の旅物語になった。

 しかしお酒の力とは恐ろしい物で、話がモルサスに入ると、街は疫病で大変なことになっていたことになり、教会の力でもなんともできないところに、颯爽と俺が霊薬と聖別された器を持って現れたことになり、街の人々を俺が救ったことになった。

 船長らがそれらを是非見たいと言うので俺は自分の部屋に一度戻り、チェストから銅のカップと塩の入った小袋を持って船長室に戻った。


「俺にはただの銅のカップにしか見えん。こっちもまるで塩のようだ」

「そうです! そうなんです!」


 俺はケラケラ笑いながら船長の慧眼に感服した。


「これはただの銅のカップですよ。こっちも正真正銘ただの塩です」

「だがモルサスの人々は病から回復したのだろう」

「それはですね、びょうーー」


 病魔治癒スキルと言いかけてハッとする。危うく口が滑りかけるところだった。


「病気、つまり病は気からと言うように、逆に患者が治ったと信じれば治ってしまうものなんですよ。俺がしたのは患者に自分は治るんだと信じさせたことくらいですよ」

「大したペテン師だ。それでその時はどれくらい儲けたんだ?」

「ボランティアですよ。ボランティア。教会に恩が売れれば安いもんです」

「お前さんはあまり金銭欲が無いようだな。俺なら街中からありったけ謝礼をもらって回るがね」

「実際のところ謝礼を貰う間もなかったですよ。エルデナントに急いでましたしね」

「なるほど。確かにかなきゃ事を仕損じることもあるからな」

「上手いこといいますね。そうです。俺は急いでるんです。早くドルジアに行って仲間と再会するんですよ」

「そうは言ってもドルジアまでは俺たちが仲間だ。仲良くやろうぜ」

「仲良くやりましょう!」


 すっかりワインに飲まれた俺は、その後も航海士たちとどんちゃん騒ぎを続け、ついには自分の部屋に帰るのに船乗りの肩を借りなければならなかった。自分のベッドに倒れ込み、意識がゆらゆら揺れているのはワインのせいなのか、船の揺れなのかはっきりしない。

 どうやら俺は酒を飲むと陽気になって、ついでにあまり酒に強い方ではないらしい。だが気持よく酔える性質ではあるようだ。


「未成年の飲酒だなぁ」


 クックッと喉の奥で笑う。

 誰がそんなことを気にするというのか。シャーリエだって酒を飲むときはあったし、今日だってダリルやケントもワインを飲んでいた。この世界では未成年が酒を飲むことに寛容だ。まあ、成人どうのを言うのならレベルが30になればもう成人扱いなのではあるが。

 俺はスマホに指を滑らせて、自分のステータス画面を開く。レベル表示は点滅していて上げられることを示していたが、今は上げずに置いておく。酔っている状態でレベルやスキルを上げると、後で後悔しそうだ。

 それでもレベルは61だ。

 俺の見る限り、俺と同年代でここまでレベルが高い人はそれほどいない。街などで見かける限り、俺くらいの年齢でようやくレベルが30に達するかどうかというところだ。例えば見習い航海士のダリルはレベル23で、ケントは24。それでも彼らの年齢からすれば高いほうなのは、航海を経験している分レベルが上がっているのだろう。

 そう言えばテオドールもレベルを偽装していた。俺もそろそろレベルを偽装するべきなのだろう。今の61は仕方ないにしても、ここからレベルを上げても61のままに偽装しておくほうがいい。高すぎるレベルは人目を引くだろう。

 それから俺はテオドール宛に船に乗ったこと、明日出港することをメッセージで送り、そのまま吸い込まれるように眠りに落ちた。


 カンカーンカンカーンカンカーン……。


 鳴り響く鐘の音で目が覚める。

 船の上では一時間に一度鐘が鳴らされるので、ちゃんと聞いていれば今の時刻が分かる。

 だが今の鐘の音が何回だったかは聞き逃してしまった。

 ちなみに時間を測るのに船上では滴儀は使わない。というのも揺れる船上では滴儀は当然役に立たないからで、その代わりに使われるのが砂時計だ。これがおおよそ一時間で砂が落ちきるので、落ちきったらひっくり返して鐘を鳴らす。

 太陽が顔を出した時刻を起点に一時間後に1回、二時間後に2回と鐘を鳴らして行って、10回鐘がなったら当直の交代の時間で、鐘の回数もリセットされるという仕組みだ。

 とは言っても魔術航海士の俺に当直は回ってこない。というか、素人の俺が当直に立っても何の役にも立たないだろう。適材適所というやつである。

 まあ、俺は適当に水の樽に水を補充すればお仕事完了なのである。後の時間は何をしててもいいとお墨付きを頂いている。

 そういうわけで調理場と甲板下と甲板の3つの樽の水量を確認して、溢れない程度に水を足してやると、ちょうど船長がコーターデッキ、つまり後部甲板に姿を見せる。


「よう、マルク、よく眠れたか?」

「はい、船長」

「陸からいい風の吹くおあつらえ向きの出港日和だ。アレン、総員起こせ! 展帆用意!」

「総員起こせ! 展帆用意!」


 アレンが船員居住区に向けて怒鳴るように復唱すると、鐘がガランガランと鳴らされて、続々と船乗りたちが甲板に上がってくる。そして彼らはそれぞれ自分の役割が与えられたヤードに上がるためにシュラウドに飛びついてよじ登っていく。


「もやい解け!」

「もやい解け!」


 港にポートサイド、つまり左舷を繋ぎ止めていたロープが解かれる。


「錨上げ!」

「錨上げ!」


 船乗りたちがキャプスタン、つまり錨のロープを巻き取るための装置に飛びつく。分かりやすく言うと奴隷なんかが棒をぐるぐる回して何かの動力にしている絵なんかを見たことがあるとは思うが、まさしくそれだ。そうやって錨を引き上げると、ついに船を繋ぎ止めるものは何もなくなる。


「ジブスル展帆!」

「ジブスル展帆!」


 船首部分から斜めに伸びたマストであるバウスプリットと(フォア)マストの間に大きな三角帆(ジブスル)が展帆される。ジブスルは陸からの風を受けて大きくはらむと、船首を海の方に向ける。


「トプスル展帆!」

「トプスル展帆!」


 トプスル、つまり下から2番目の帆が一斉に広げられ、風を受けてはらむ。


「面舵いっぱい!」

「面舵いっぱい!」


 舵を右に切って、船は陸からゆっくりと離れていく。


「コースル展帆!」

「コースル展帆!」


 一番下の帆が広がり、より風を受けられるようになった船ははっきりと増速する。


「トガンスル展帆!」

「トガンスル展帆!」


 三番目の帆が広がる。船乗りたちが続々とマストからシュラウドを伝って降りてくる。


「ようそろ!」

「ようそろ!」


 船長の命令を受けて舵がまっすぐに戻される。今やマリアナ号は陸からの力強い風を受けて港から真っ直ぐ海に向かって走りだした。

 こうして俺の初めての航海が始まったのだった。

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異世界転移ものの新作を始めました。
ゲーム化した現代日本と、別のゲーム世界とを行き来できるようになった主人公が女の子とイチャイチャしたり、お仕事したり、冒険したり、イチャイチャする話です。
1話1000~2000文字の気軽に読める異世界ファンタジー作品となっております。
どうぞよろしくお願いいたします。

GAMELIZATION -ゲーマライゼーション- NPCの生存戦略
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