第三話 魔術航海士
魔術航海士というのは船では重用されるようだ。というのは、ほとんどの船乗りが部屋を与えられない中、俺には個室が与えられたからだ。
実際に3つの樽に水を満たす魔術を実演した後、船長とドルジアまでの契約を結んだ俺はチェストを買うことを勧められた。水に沈まないように造られたチェストはいざという時に荷物を沈めずに済むし、浮き輪の代わりにもなる。船が沈むこと前提の話でなんとも肝が冷えるが、備えあれば憂いなしというやつだ。言われる通りに街に出て小ぶりのチェストを買って船に運んでもらうことにした。
ついでにドルジア移民局の例のお姉さんのところに寄って、マリアナ号に雇われてドルジアに向かうことになったことを告げる。
「そのまま雇われっぱなしにならないで、ちゃんとドルジアで降りてくださいね」
しつこいくらいに念を押されるが、仲間が先にドルジアに向かっていて、必ず船を降りることを約束するとあからさまに安心された。
「そんなにドルジアに行く人って少ないんですか?」
「ソンナコトナイデスヨ。歴史こそありませんが、ドルジアはこれから発展していく新興国として多岐に渡る人材を募集していて、常に人手が足りないのです。ですから決してドルジアが不人気なわけではナインデスヨー」
そう言いつつその目が泳いでいることからして、ドルジアに向かうのはよほどの物好きだけなのに違いない。テオドールが逃亡先としてドルジアを選んだのにもそう言った事情が関係しているのかもしれない。
それから俺はドルジア移民局を後にし、新たな職場であるマリアナ号に戻ってきた。
マリアナ号では次々と水の入った樽が降ろされて、代わりの木箱が積み込まれていっている。俺が乗組員の飲水を生み出すことで、船はどれくらいの利益を上詰みすることになるのだろうか? 少なくとも俺に約束された銀貨20枚よりは多いのだろう。
俺は船に上がり船内を見て回ることにした。
甲板には無数のロープと滑車が所狭しと置いてあり、同様にマストに向けても伸びている。帆は今は当然ながら畳まれていて、船の上部は骨組みのようだ。マストは一人では腕を回せないほどに太い。遥か高くまで伸びたマストと横に伸びた梁と帆を支えるのだから頑丈なのは当然だ。
改めて木組みの船がこうして水上に浮かんでいることに感嘆する。俺の知っている地球の船と言えば鋼鉄製なのが当然で、これから木組みのような湿ったり、隙間から水が漏ってきそうな構造物で海を渡るのだと考えるとゾッとするのも仕方ないというものだ。
甲板から一段下に降りると急に狭さを感じる。天井が低いためだ。屈まなければならないほどではないが、ついつい首をすくめたくなるくらいには低い。そこは荷物があちこちに吊り下げられた広い空間になっている。ここは船乗りたちの居住区ということになるのだろう。今は床板の一部が取り外され、船倉へと次々荷物が運ばれているところだ。
「船は珍しいですか?」
声をかけられて振り返ると、一人の青年がニコニコと笑みを浮かべていた。青年とは言ったが俺よりはかなり年上だろう。赤髪の笑顔が印象的な好青年だ。
「二等航海士のジャックです。よろしければ船内を案内しますよ」
「どうも、魔術航海士として乗り込むことになったマルクです。お忙しくなければよろしくお願いします」
「喜んで。このマリアナ号は最新のキャラック船です。この船を選ばれたのは正解ですよ。船の全長は17丈、積載量は600石、乗員は50名ほどを予定しています」
「なるほど」
乗員数を除いてどれくらいなのかまったく分からなかったが、分かったような顔をしておく。言語が日本語なのはありがたいが尺貫法を採用しているのは本当に勘弁してもらいたい。
とりあえず最新式の大型船ということになるらしい。
「四本マストのキャラック船も建造されているそうですが、今のところこのマリアナ号が最大級の船だと言って差し支えないでしょう」
嬉々として語る様子からジャックがこの船を愛しているのだということが伝わってくる。それだけでも少なくとも悪い船ではなさそうだ。
それからジャックに案内されて船の中をひと通り回る。その場その場でジャックは色々な説明をしてくれるのだが、船のことに疎い俺にはさっぱりなことがほとんどだった。
とりあえず言えることは決して広いとは言いがたいこの船内で、最低でも55日間は50名を超える船員たちと過ごすことになるということだ。
「お、ケイシー、新しい乗員を紹介しておくよ。こちら魔術航海士のマルクさん。マルクさん、こいつはこの船のコックでケイシーです。この船で一番偉い人ですよ」
甲板に出たところで一人の船員を捕まえたジャックはそう言ってニヤリと笑う。
なるほど、長期間の航海で食を握るコックという職は確かに船長よりも影響力があるに違いない。
「ケイシーさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、ジャックの言ってることは冗談ですからね」
俺たちは握手を交わす。
ケイシーは黒髪の中年男性で、生真面目そうな表情でジャックの言葉を訂正する。
「ケイシーはちゃんとした店のコックだったんです。だからこの船での食事の味は保証しますよ」
「そうなんですか。それからどうしてこの船のコックに?」
「とんでもない。私は自分の店を潰してしまいまして、行き場を失っていたところをこの船の船長に拾ってもらったんです」
「まあ、他の船はちょっと料理のできる船員がコックを兼ねてるところがほとんどですからね。ちゃんとした専任のコックがいる船はそんなに多くないんですよ」
「それじゃ食事を楽しみにしておきます」
「船の食事ですからね。あんまり期待しないでください」
謙遜するもののケイシーの料理スキルは5もある。味は保証されていると言って間違いないだろう。
ケイシーと別れた後、甲板でロープに何かを塗りつけている少年2人を見習い航海士だと紹介された。二人ともまだ幼さを十分に残した顔立ちで、シャーリエくらいの年齢に見える。ただ航海士スキルは持っていないので、これから、ということなのだろう。
「こいつらは見習い航海士のダリルとケントです。何かあったらこきつかってやってください。二人とも、こちらは魔術航海士のマルクさんだ。この人に何かあったら俺たちは海上で干からびることになる。しっかり面倒を見て差し上げろ」
「「アイアイサー」」
網の目状のロープに黒い何かを塗りつけているのがダリル。その下で甲板に落ちた黒い液体を水で流しているのがケントだ。
「彼らは何をしてるんですか?」
「二人とも、答えてみろ」
「ロープにタールを塗っているところであります!」
「ロープにタールを塗るんですか? どうして?」
「どうしてって」
「えっと」
少年らは顔を見合わせる。ロープにはタールを塗るのが当然で、なぜそれを質問されたのかが分からないような様子だ。そしてそれに怒りを爆発させたのがジャックだった。
「ばっかやろうども! 自分らが何をやってるのかもちゃんと分かってないのか! タールを塗らなきゃ船なんざ潮風であっという間に駄目になっちまうんだ。ちゃんと覚えとけ!」
「「アイアイサー!」」
「自分らがしてることを当たり前と思わず、マルクさんみたいに疑問を持って人に聞く。自分から聞いてきたんなら怒らずにちゃんと教える。分かったな!」
「「アイアイサー!」」
そこまで怒鳴らなくとも、と思わないでも無かったが、帆船にとってロープはまさに命綱のようなものだろう。その耐久性の話なのだからジャックが怒るのは当然だと言えた。
言われてからよく考えてみれば船というのはあちこちが真っ黒だ。どれもこれも耐久性を高めるためにタールを塗りこんであるのだろう。
「マルクさんのお陰で勉強になったな。ちゃんとお礼を言え」
「「アイアイサー! マルクさん、ありがとうございます、サー!」」
「俺も勉強になりました。ところで今気付いたんですが、俺もジャックさんにサーをつけて話をしなければならないのでは?」
魔術航海士は三等航海士扱いという話だった。ジャックは二等航海士なのだから、俺にしてみれば上司に当たるはずだ。船の上下関係が厳しいものであることは、今のやりとりでよく分かったのだが、ジャックが俺に敬語で話しかけてきてることが腑に落ちない。
「序列をつけるとしたらそうなりますし、厳しい船ならちゃんとするんでしょうけどね。実際のところ、船の生命線である水の供給をお願いするわけで、それこそ沖に出たら誰もマルクさんには逆らえないのが本当のところですよ」
「コックに逆らえないように?」
「ええ、コックに逆らえないように」
ジャックはさっきまでの怒りっぷりがウソのように茶目っ気のある笑顔を見せる。
「沖に出たら真水を得る機会は雨くらいしかないですからね。いざって時は予備の帆を使って水を集めるわけなんですけど、それこそもう必死になって。ところが魔術士さんがいれば何もないところからパパッと水を生み出してくれるわけですから、これはもうありがたいなんて話じゃないんですよ」
「その割にはこの船に専任の魔術航海士っていないんですね」
「まあ、難しいんですよ。マルクさんは全乗員の飲水を賄うのに充分な魔力をお持ちですけど、そういう方がまず中々いらっしゃらない。でもって水魔術士さんは大抵治癒スキルもお持ちでしょう? そうしたら魔術航海士より陸で治癒魔術士やってるほうが稼げるんですよね。どうです? 報酬少ないと思いませんでした?」
「確かに。運賃を払うことを考えてましたから少ないとは感じませんでしたけど、一期もあれば他の仕事をしてたほうがよっぽど稼げますね」
「でしょう? マルクさんはドルジアまででしたよね。きっと船長から倍額でもいいから続けてくれないかってオファーが来ますよ」
「残念ながらドルジアで仲間が待ってますからね。そういうわけにはいかないですよ」
「残念だなあ。魔術航海士のいる船ってだけで酒場の話題になるんですけどねえ」
そんな話をしている内に船の見学は終わり、ジャックは積み荷の検分に向かい、俺は甲板に取り残された。
さて出港してからも水を作り出す以外に特にすることはなさそうだ。そうなると部屋に篭って魔術の訓練をするべきだろうか。しかし寝台と足の置き場くらいしかない狭い部屋にずっと篭っていても精神衛生上よろしくなさそうだ。せっかく船に乗るのだから船員たちの仕事を手伝ってレベル上げに勤しむのも悪くないかもしれない。
とりあえず俺は見習い航海士のダリルとケントの下に向かった。
「やぁ、仕事はどんな感じだい?」
「順調です!」
「あ、こら手を止めるなよ。ダリル。こちらも順調です!」
二人は相変わらず真っ黒な粘り気のある液体をロープに塗りつけていっている。
「何か手伝えることはないかな? 下で落ちたタールを流すくらいなら俺にもできそうだけど」
「大変ありがたい申し出なのですけど、魔術航海士様をそんな用事に使ったと船長に知れたら僕らがムチ打ちにされかねません」
ケントの表情からしてそれは冗談ではなさそうだ。
俺はジャックの案内では扉の手前までしか案内されなかった船尾にある船長室に向かった。
「マルクです。船長にお話があります」
「いいぞ、入れ」
許可が出たので船長室に入る。船尾楼の1フロアを丸々使っている船長室は、俺の部屋とは比べ物にならないくらい広い。華美とまでは言えないが装飾品もしっかり置かれていて、足元が揺れていなければ船の中とは信じられないくらいだ。
「実は船員の仕事を色々と手伝ってみたいのですが、その許可を頂きに来ました」
「魔術士が船乗りの真似事をするってのか? 航海士や船乗りスキルがついても俺は知らねーぞ」
「構いません。どちらかというとレベルを上げたいので色々経験しておきたいんです」
「ほーう、漫遊王の真似事でもしてるのか。まあ手伝うなら好きにするといい。ただし給金が割増になるこたねーぞ」
「ええ、もちろんです」
こうして船長の許可を得て、俺は船乗りの仕事も手伝うことになったのだった。