第二話 港町エルデナント
翌日も朝から観光という気にもなれずに、宿屋を出ると荷物を先に駅馬車の停留所に預けてしまって、余った時間は街の外に出かけて魔術の訓練に費やすことにした。
これまでは魔力の限界が修行を続けられる限界だったが、吸魔スキルを得た今となってはその限界は取り払われた。続けようと思えばいくらでも魔術の訓練を続けていられるのだ。もちろん俺の集中力が続くかを別として、だが。
結局は時折体を動かして体術の訓練も挟みながら、魔術の精度を上げる訓練を中心に行う。レオノーラ戦で仲間が切られていく中、俺が何もできなかったのは、仲間への巻き添えを恐れて魔術の行使を躊躇ったからだ。切迫した状態でも落ち着いて精度の高い魔術を使えるようになるためには、やはり日頃の訓練しかあるまい。
石を放り投げて、それに雷魔術を当てる、クレー射撃のような練習をしてみる。投げられるような小さな石に魔術を命中させるのは意外でもなんでもないが難しく、俺は幾度も中空に紫電を走らせた。さらには土魔術で地面に文様を描く。じわじわとやるのではなく、一度に、だ。複数のポイントに同時に魔術を発動させて、かつそれをコントロールしなくてはいけない。子どもの落書きのような模様ができては、地面を平面に均すことを繰り返した。
分かったことはいくらスキルがあってもそれを使う腕が無くては何もならないということだ。これまでの戦いは力任せで生き残ってきたが、レオノーラほどの才能を持った敵がスキルを持っていたらと考えると肝が冷える。日々の鍛錬を欠かすわけにはいかない。
ほどほどに時間を潰した俺は、水魔術で体を洗い、衣類を乾燥させると、自分の疲労を治癒魔術で癒し、仕上げに失った魔力を吸魔で回復した。
駅馬車の停留所に向かうことにする。
停留所ではすでに馬車がやってきていて、俺の荷物もそこに積み込まれていた。
「あんたがお客のマルクさん? 俺が御者のニクラスだ。よろしくな」
馬車の側でパイプを燻らせながら馬の毛並みを整えていた男性が、服の裾で拭った手を差し出してくる。
「マルクです。よろしくお願いします」
その手を握り返して挨拶する。
「まあ、出発まではもうしばらくあるから時間でも潰してきなよ」
「いえ、まあ、時間を潰してきたとこなんですけどね」
「なんだ、それなら馬の手入れでも手伝うか? 駄賃は出ないがな」
差し出されたブラシを受け取って、見よう見まねで馬の毛を整えてみる。
「受け取るとはね、おどろいた。あんた変わった魔術士だな」
「それはよく言われるんです。ニクラスさんはどのくらいこの仕事を?」
「そうだな。5年かそこらか」
答えながらニクラスももう一頭の馬の毛並みを整え始める。
「それ以前は冒険者を?」
「まあね。駅馬車の御者には冒険者上がりが多いんだぜ。護衛を兼ねられるからな」
「なるほど、確かにそうですね」
道理で御者という仕事の割りにニクラスは戦士スキルやらが伸びているわけだ。確かに御者が護衛を兼ねられればそれに越したことはない。もちろん馬車が襲われないのが一番いいにこしたことはないが、そうならなかった時のことを考えると御者が元冒険者だというのは心強いだろう。
まあ、1人で何ができるんだって話ではあるが。
いや、襲う側にしてみれば御者の戦闘系スキルが高いというのは、襲いにくいに違いない。スキルの見た目による抑止効果があるんだろう。
「まあ、魔術士が乗ってる馬車を襲うバカはいないから今回は気楽なもんだな」
「確かに山賊に襲われた経験は無いですね」
「あいつらは基本的に弱い相手しか狙わないからな。こう睨みを利かせときゃ寄ってこないのよ」
そのまま馬の世話をしているうちに、ぼちぼちと客が集まり始め、次々と馬車に荷物が引き上げられていく。家族連れの姿もあるが、基本的には男性の一人旅が多いようだ。
「ああいうのは仕事を探しにエルデナントに向かう手合さ」
声をひそめてニクラスが言う。
「モルサスよりエルデナントのほうが仕事があるってことですか?」
「そりゃ港町だからな。最悪でも運搬人に、あ、いや、最悪なのは船乗りだな。あいつらも半分くらいは船乗りになって、そのうち半分くらいは帰ってこないのさ」
「船乗りっていうのはそんなに危険な職業なんですか?」
「危険なのもあるが、きつい仕事なんで寄港先で逃げ出しちまうんだそうだ。知らない土地でも船乗りよりはマシだってな。エルデナントで逃げ出した異国の船乗りがモルサスに来て職を探してたりもするんだぜ」
「はー、堂々巡りじゃないですか」
「それくらい船乗りは人手不足だってこったな。まあ安心しな。魔術士のお前さんにゃ関係のないことさ」
そうしてヒソヒソ話をしていると停留所から昨日の男性が出てきて、ひふみと客の数を数えだした。
「よし、皆さんお揃いのようだ。それじゃニクラスさん。お願いします」
「あいよ。頼まれました。ほら、お前も荷台に乗りな」
促されて荷台に上がる。ニクラスが馬に鞭を入れて、二頭立ての馬車はエルデナントに向けて走り始めた。
途中で様々な町や村に立ち寄りつつ、駅馬車の旅は十日ほど続いた。馬車の中では俺は魔術の修行として拾った石を土魔術で彫刻することに専念した。最初はあまりにも勝手が分からなかったので、彫刻スキルを習得した。結局売り物にできるほどの物は最後まで完成しなかったが、土魔術の微細な調整には自信がついた気がする。
そうして馬車はついに港町エルデナントに到着した。
「ニクラスさん、ありがとうございました」
「おう、元気でな。早く仲間と合流できるといいな」
「はいっ!」
エルデナントの停留所でニクラスとは別れる。
荷物を背負い、エルデナントの街角に立つ。吹き付ける潮風が港町にやってきたのだという実感を嫌というほど感じさせてくれる。街を行く人々は人種が様々で、それもいかにも港町と言った様子だ。
俺は余計なところには立ち寄らず、一直線に港を目指した。
港には大小様々な船が係留されていた。大きな物は全て帆船で、小さな物にはオールで進むような船もある。静かに係留されているだけの船もあれば、運搬人が忙しなく荷物を積み下ろししている船がある。
とにかくドルジアに向かう船を探さなければならないが、それをどうやって探せばいいだろうか。
まあ、分からなければ人に聞けばいい。
俺は暇そうにしている船乗りと思しき男性に目をつけ声をかけた。
「すみません。ドルジアに行きたいんですが、そういう船を探すのってどうすればいいんでしょう?」
「あん、兄ちゃん、魔大陸に向かうのか。それならドルジアの移民局が出張所を設置してるから行ってみるといい。あっちの建物だ」
「ありがとうございます」
船乗りに礼を言って、言われた建物に向かう。てっきりその建物がドルジア移民局の出張所なのかと思ったら、それはエルデナントの商館のひとつで、ドルジア移民局はそこに間借りをしているだけということらしい。
ドルジア移民局と書かれたテーブルに近寄ると、受付嬢がパァと喜色を浮かべて、ガタッと席を立った。
「移民の申し込みの方ですか!?」
「いいえ、違います」
「アハハ、デスヨネー」
即答すると、彼女はしゅーんと椅子の上に崩れ落ちた。
その様子からするとドルジアに移民しようという者はよほど少ないに違いない。
「ですが、ドルジアには行くつもりです。それでドルジアに寄港する船を探しているんですけど」
「旅行者さん、いえ、冒険者さんですね!」
彼女は俄然と元気を取り戻し、ぐわっと身を乗り出してくる。
「そういうことなら大歓迎です。ドルジア行きの船ですね。これからですと、商船マリアナ号が三日後の出港を予定しています。それで、実は、運賃に関してなんですが、補助金が無くてですね」
「相場はどれくらいなんですか?」
「銀貨で50枚からと言ったところでしょうか。なにぶん、長旅になりますし」
そこでふとエルデナントからドルジアがどれくらい離れているのか知らないことに気がついた。
「エルデナントからドルジアまで船でどれくらいかかるもんなんですか?」
「そうですね。順調に行って一期というところでしょうか」
「一期……」
つまり55日ということだ。
思っていたよりずっと長旅だった。
マリアナ号との交渉は彼女が代行できるということだったが、それよりも一刻も早く自分が乗ることになるかもしれない船を見てみたくて、マリアナ号が停泊しているという場所を聞き、俺はそこに向かうことにした。
行ってみるとマリアナ号はすぐに見つかった。船首の横にマリアナ号と書かれている。こういう時に共通語が日本語と同じというのはありがたい。
マリアナ号は全長50メートルほどだろうか、三本のマストが立った帆船だ。船首と船尾が高くなっていて、いかにも大航海時代の船という感じがする。
マリアナ号には次々と荷物が積み込まれているところだった。俺は船乗りの1人を捕まえて、この船に乗ってドルジアに向かいたいのだということを告げると、彼はすぐさま船長を連れてくると行って船の中に消えていった。
しばらくして髭面の男性が現れる。
「おめえがドルジアに行きたいって魔術士か」
「はい。運賃はいかほどになりますか?」
「いや、ちょうどいい。お前、俺の船の魔術航海士になれよ」
「魔術航海士、ですか?」
知らない単語に少し腰が引ける。
「深く考えることはねえ。水魔術は使えるんだろ。一日にどれくらいの水を生み出せる? 樽に1つか? それとも2つか?」
「5つくらいならなんとでもなりますよ」
「よおし、聞いたかお前ら! これからこのマルクはこの船の魔術航海士だ。積み荷から水を降ろせ。代わりに何を載せるかはこれから決める」
「ちょっと勝手に決めないでくださいよ」
「なぁに一日に3つも樽を水で一杯にしてくれりゃいい。それだけで給金が出て、立場は三等航海士と同列だ。悪い話じゃないだろう?」
「それはいい話なんでしょうね」
「俺たちにとってもな。水の積み荷が無くなる分他の積み荷で船倉を一杯にできるってわけだ。なあ、断る手はないと思うぜ」
「そうですね」
客として乗り込むつもりだったが、ちょっと水を生み出す程度で仕事になるというのならそれに越したことはない。ユーリアも同じように重用されているのではないだろうか。
そうして俺は魔術航海士としてマリアナ号に乗り込むことになったのだった。