第十一話 避難の日々
幸いにして晴れの日が続いている。
もしも雨の振る夜があったらどうすればいいのか考えているが、答えは出ない。恐らく森の中に避難して、木々の下で濡れないように身を縮こませて眠ることになるのだろう。それが現実のものとなっていないことだけが幸いだ。
ルーの村を出立してすでに7日が過ぎている。さらに2つの村を経由して、避難民の数は六百人を超えるまでになった。こうなるともう俺の目は細部にまでは届かない。疲れが出ている者がいるという報告を受けて、そこに赴き、治癒魔術をかけるというやり方になっている。
俺と契約をかわし、スキルを上げた者の数も百名を越えた。彼らは俺の命令を受けて避難民を囲うように周辺を警戒しながら進んでいる。しかし人数が増えた分だけその歩みは確実に遅くなっていた。
避難民たちには肉体的な疲れはともかく、精神的な疲れが溜まってきている。もう長らく屋根のあるところで寝ていない者がほとんどだ。気温が上がってきていることだけが唯一の救いだが、それでも夜は冷える。人々は寄り添い合いながら、暖を取って眠っている。
加えて言うならば避難民たちの間では不満が徐々に高まってきている。亜族の軍隊から逃げているとは説明しているものの、実際にその姿を見たのはグルッコの村で戦った30人と俺だけだ。それに加え街道を避けて進んでいるためか、戦争に関する情報が一切入ってこないのも、避難民の不満に拍車をかけている。
「もう限界だ。村に戻ろうという村人が出てきている」
その夜の会議の場でそんな発言が出てくるのも仕方がないというものだ。
「チャムオンまでは後何日くらいでしたっけ?」
「順調に進んでも十日以上かかるでしょうな」
「無理だ。村人の不満を押さえつけていられない。彼らは明日にでも村に引き返し始めるぞ」
「そもそも本当に村を捨てる必要があったのか?」
グルッコの村と、ルーの村に関しては間違いなくあった。公国軍はもうそこまで迫っていたし、一度追い返した分だけ、その後にもっと多い数であの村を攻めてきたに違いない。そしてグルッコの村とルーの村は地理的に近い。発見される恐れは十分にあった。
しかしその後の2つの村についてはどうだっただろうか? 避難民が押しかけたどさくさで彼らも避難することになってしまったが、本当に避難の必要があったのか、俺には判断がつかない。
「せめてフィンが戻るまではこのまま進むべきだ」
グルッコの村でスキルを上げた一人であるフィンには、馬で近くの砦の様子を確認してもらいに行っている。砦が無事であるようなら戦況についての情報も手に入るだろう。
今はとにかく情報が欲しい。
「その青年が出発して何日になる?」
「……4日だ」
「そろそろ戻ってもいい頃合いだ。ここはひとつ明日は足を止めてみてはどうだろうか?」
「それはいい」
「是非ともそうしよう」
いくつも賛成の声が上がる。
俺は一日でも早く彼らをチャムオンに送り届けたいと思っていたが、進むことを強要できるだけの説得材料がない。結局は押し切られる形で明日は休息を取ることになった。
「お疲れですね」
会議を終えて自分の寝床まで戻ってきた俺をルーが迎えてくれる。
俺は自分の体力値を確認したが83ある。疲れているということはない。
「そういうことではないですよ。オスカーさんは随分思いつめているみたいです」
「そりゃ、まあ、ね。中々思うようにはいかないな。もっと簡単な話だと思っていたんだ」
アンデモンド公国軍が迫っていることを村々に伝えれば彼らは当然のように避難を開始するものだと思っていた。だからルーの村にそのことを伝えたらもう俺のやることは終わり。公国軍との接触は避けてさっさとテオドールの足跡を追い、ユーリアたちと合流するはずだった。
それが彼らの反応は一様にして鈍く、俺が尻を叩かなければ避難しようとしない。それどころか村に戻りたいと言い出す者までいる始末だ。
「そこまで背負い込むことはないんじゃないですか? オスカーさんはあたしたちに危機を伝えてくれました。それどころか戦う力まで与えてくれました。もうここらで切り上げてもいいんですよ。カタリナさんに会いたいんじゃないですか?」
「そりゃ会いたいさ」
できることなら今すぐ飛んでいってユーリアを抱きしめたい。
「でもダメなんだ。俺はこの事の顛末を見届けないといけない。そうしなければいけない気がするんだ」
それは物事を途中で投げ出してはいけないという責任感から来るものだろうか。自分でもよく分からない。ただこうなった以上はチャムオンにたどり着くか、アンデモンド公国軍の脅威が去るまでは、彼らに付き合うつもりだった。
「そうですか。でも忘れないで下さいね。オスカーさんはあたしたちに対して責任を感じるような必要は何一つないんです。いつでも好きなときに出て行って構わないんですよ」
「ああ、分かったよ。ありがとう。ルー。用事は、それだけ?」
「はい。ゆっくり休んでくださいね」
そう言ってルーは去っていく。
いつでも出て行っていいのだと言われて、ほんの少し、ほんの少しだが、気が楽になった。
翌日の昼過ぎ、休息を取っている俺たちの下にフィンが戻ってきた。
早速会議が開かれることになり、俺もその場に向かったが、その途中にももう噂話は耳に飛び込んできた。あまりいいニュースは聞けそうにない。
「報告します。イェーダ砦は完全に亜族の軍隊に包囲されており、その数は数千です。砦からは火の手が上がっており、陥落するのも時間の問題かと」
村長たちや有力者が集められた会議の場でフィンから得られた情報はそれだけだった。それだけだったが、俺たちの尻に火をつけるには充分な内容だった。
「今すぐ荷物をまとめて出発しよう」
「しかしこのことを人々にはどう伝える」
「事実をありのまま伝えるしかないだろう」
「パニックになる恐れがある」
「だが言葉を濁しても同じことだ。人々は知りたがっている。教えてやるべきだ。我々がどうして逃げているのかを」
結局は事実を公表し、今からでも少しでも距離を稼ぐことになった。俺たちは慌ただしく荷物をまとめ、出発することになった。
俺は疲れきっていたフィンの馬に治癒魔術をかけてやり、彼と少し話をした。
「お疲れ様だった。砦の戦闘はどんな様子だった?」
フィンは暗い顔で首を横に振る。
「外からは砦の中の様子は何も。しかし外にあれだけの兵士を残しておけるということは……」
「砦の中でも公国軍が押している、ということか」
「そうではないかと思います」
「ところでフィン、きちんと砦からは充分な距離を取っていたんだよな」
「はい。もちろんです。気付かれるようなヘマは――」
そこでフィンも気付いたようだった。
「そんな、途中で何度も後方は確認してきたのに!」
俺たちから見て南方、フィンが戻ってきたルート上に無数の騎兵の影が見える。
「よほど追跡スキルの高いヤツがいたに違いない。戦闘準備!」
俺は頭上にありったけの大きさの炎弾を生み出して空へと打ち上げた。あらかじめ決めておいた敵襲の合図だ。失った魔力を吸魔スキルで大気から補給する。その間にも騎兵の大軍はこちらに迫ってくる。数は数百? 正面からでははっきりとは分からない。戦闘準備を終えた戦士たちが次々と集まってくる。戦闘準備とは言っても、武器代わりの農具を手にしてきただけのことにすぎない。
「いいか、落ち着いて戦え! 孤立するな。必ず仲間と協力して戦うんだ!」
声を張り上げる。“命令”は相手の耳に届いていなければ効果が無い。
すでに避難民は泡を食って逃げ出し始めている。出発の準備を始めておいて良かった。そうでなければもっと出遅れたはずだ。
俺は大きく息を吸って、吐いた。
騎兵たちとの距離はすでに百メートルを切った。その全てが長剣を装備した軽装騎兵だ。おそらくは追跡の速度を優先したのだろう。逆に言えばこいつらはアンデモンド公国軍の正規兵だと思われた。その練度は前回相手にした兵士より高いだろう。
「行くぞぉぉぉぉ!」
俺にしては珍しく声を張り上げて最初の魔術を使う。
土系統、大地を削り取る魔術、幅と深さは1メートルほど、ただし長さは百メートルにも及ぼうと言うものだ。突撃してきた騎兵たちは突如足場を失って亀裂の中に転落していく。しかしそれも最初の三列ほどのことだった。その後ろの騎兵たちは亀裂があることを知ると、軽々とそれを仲間ごと飛び越えてくる。
吸魔!
失った魔力を回復させて、今度は炎の壁を作り出す。突然現れた炎の壁に騎馬が驚き、あちこちで転倒や落馬している姿が見える。しかしそれでも半数ほどは炎の壁を超えてくる。
しかし騎兵の最大の肝である速度はほとんど残されていなかった。あちこちで農民の戦士と騎兵がぶつかり合う。俺のところにも数人の騎兵が突っ込んでくる。落ち着いて一人ずつ雷魔術で感電させる。即死だったかは分からないが、落馬したところを戦士たちが止めをさしていく。
オークによって斧が振るわれ、馬の前足が刈り取られる。嘶きと共に馬の体が倒れ、落馬したばかりの騎兵にナタを持ったゴブリンが襲い掛かる。エルフの放った矢が馬上の騎兵の頭を貫く。
あっという間に辺りは血みどろの戦場と化した。俺は立ち位置を後方へと移し、運ばれてくる負傷者に治癒魔術をかけ続ける。以前なら魔力の残りを気にしなければならなかったが、吸魔がある今は全ての負傷者に全力で治癒魔術をかけることができる。
その合間合間に飛んでくる炎弾を風魔術で撃ち落とす。
敵は後方に魔術士を配置していたらしい。負傷者も魔術によるものがほとんどだ。
こちらもお返しとばかりに炎弾を敵の後方に向けて飛ばすが、どれほど効果が上がっているのかは分からない。
数十騎の騎兵が俺たちの脇を抜けて避難民の方に向けて駆け抜けようとする。それをまとめて土魔術で穴に放り落とす。ビキ、と頭の中に痛みが走る。魔力を一度に使いすぎたのだ。構わない。今の俺には吸魔がある。何度目か分からないが、大気から魔力を充填する。再度土魔術を使って、穴を埋めてしまう。ズキリ。吸魔。飛んでくる炎弾を撃ち落とす。火傷を負った負傷者が運ばれてくる。治癒魔術。吸魔。
戦士たちはよく戦って持ちこたえてくれている。下手をすれば十倍にも及ぼうかという数の敵を相手に、未だに戦線は崩壊していない。急場しのぎの軍隊としては出来過ぎもいいところだ。
俺は合間を見てスマホを取り出し、戦士たちのレベルを順次上昇させていく。これまで戦闘を経験していない彼らのレベルは急激に上昇している。もとより上げてあるスキルを更に上げ、場合によっては魔術抵抗スキルにポイントを割り振った。
じわじわと膠着状態だった戦況がこちらに傾き出す。
元からスキルではこちらが上だったのだ。それがさらにスキル差がついていくことによって、明らかに殲滅速度は上昇している。
このまま押しきれるかと思った時、その剣士は戦場に現れた。
体格は他の騎士よりも明らかに小柄ながら、その剣撃はオークやゴブリンの戦士たちを次々と屠っていく。一撃一撃が致命傷だ。ただでさえ数で負けているこちらが次々と数を減らされてはたまらない。
「中央、後退しろ!」
戦士たちが後退したところに、俺はその剣士目掛けて全力の雷魔術を放つ。雷光は大気を切り裂いて、その剣士に吸い込まれるように飛びかかり、そしてすんでのところで回避された。
回避、された?
雷魔術だぞ。雷の早さだぞ。人間の反射速度で回避できるものではない。
剣士の目がこちらを向いた。
ぞくりと得も知れぬものが背筋を駆け上がる。
やばい。やばい。やばい。あいつはやばい。
咄嗟に剣士を囲むように炎の壁を生み出す。しかしそれを飛び越えて、剣士はこちらに向けて一直線に走ってくる。途中で戦士たちが壁になろうと飛び込んできてくれるが、すべて一閃の下に切り伏せられた。その中にはルーの父親も混じっていたが、俺にはどうすることもできない。
剣士はあっという間に俺をその剣の届く範囲に収め、それこそ雷光の如き鋭さで剣が振るわれる。回避、は、間に合わない! 咄嗟につきだした左手の手甲が剣をなぞり、そのまま左腕が深く切り裂かれる。しかしそれと同時に俺の蹴りが剣士の腹部を捉えてもいた。
俺たちはそれぞれに地面に転がり、一瞬のうちに起き上がった。
「なんなんだ。なんなんだ。お前、ちくしょう! なんでそんなに剣が使える。スキル無しの癖に!」
「よく言われる」
地面に転がった時に剣士の兜は脱げて、その顔が露わになっていた。狼人族の俺と同じくらいの歳の少女だった。