第七話 黒煙の後で
青空に黒煙がたなびいている。
グルッコの村とカジャの村の間にあった村のある辺りから黒煙は上がっている。村が発見されれば焼き討ちされるだろうことはアレリア先生から聞いている。だからそれ自体は不思議なことでもなんでもなかった。
問題は避難が間に合ったかどうかだ。
俺は祈るような気持ちで黒煙の下へ急いだ。
アンデモンド公国軍の姿は無く、すでに引き上げた後のようだった。そもそも略奪できるようなものもないのだ。目的さえ果たせばすぐにいなくなるのは当然のことだ。
村には、村の跡地にはいくつもの遺体が転がっていた。オークのもの、ゴブリンのもの、人族と見分けのつかないようなものもあるが、その服装からこの村に住むエルフのものだと思われた。どの遺体もしっかりとトドメがさされていて、息のあるものはいない。
一方でアンデモンド公国軍のものと思しき遺体はひとつもない。誰一人として犠牲が出なかったのか、あるいは回収していったのか。
俺は燃え落ちる寸前の家屋を水魔術で消火して、中の様子を窺った。水浸しになった室内は、血しぶきが飛び散り、オークの女性と子どもの斬殺された遺体が転がっていた。
俺は生存者を求めて村の中を歩きまわったが結果は同じだった。遺体はどれもこれも手酷く損傷しており、エルフの女性は服が剥がれている場合があった。何が行われたのかは想像するまでもない。
一方的な虐殺が行われたのだ。
ひと通り村の中を歩きまわった俺は、ついに耐え切れなくなって膝を突いて吐いた。胃の中のものをすべてぶちまけて、それでもまだ足りなくて胃液を吐いた。ぼろぼろと涙がこぼれた。
俺はまた失敗したのだ。
思えばこの村の村長は初めから猜疑的だった。カジャの村に早馬を送るとは言っていたが、それが出発するところを確かめたわけでもない。初めから軍隊が攻めてくるわけがないと高をくくっていたのではないだろうか。
俺は胃液でひりひりする口元を服の袖で拭って、それでも立ち上がった。
こうなった以上、カジャの村がどうなったのかを確かめるのは無意味だ。その間にも軍隊は進軍し、グルッコの村が、続いてルーの村が襲われるかもしれない。
俺は馬に乗りグルッコの村に急いだ。
俺はグルッコの村が無人になっていることを期待していたが、それは見当違いもいいところだった。数日ぶりに訪れたグルッコの村は、男たちが斧や鎌を手に村の周りを巡回し、物々しい雰囲気に包まれていた。
俺のことを見とがめた若いオークが荒々しい声をあげる。
「なにもんだ!」
「旅の者だ! 隣村が焼かれていたのでそのことを知らせに来た!」
「そんことなら知ってる! 余所もんはさっさと出て行け!」
「避難しないのか!?」
「こん村はおらたちで守るンだ! 余所もんには関係ねぇ!」
若いオークは気炎を吐くが、彼の戦士スキルは1しかない。手にしている斧については3あるが、これは木こりスキルからの枝で上がっているだけだろう。まともに戦いができるとは思えない。
「村長さんに会いたいんだが、そこを通してもらえないか?」
「ダメだ。さっさと立ち去れと言ってるだろ!」
若いオークはますます憤って、こちらに斧を向けてくる。その構え方からして戦いには向いていない。ここはこの若いオークに現実というものを思い知らせてやる方がいいかもしれない。
俺は馬から降りて彼に歩み寄っていった。
「話を聞いてんのかおめぇ!」
「聞いてるよ。だから無理やり押し通る」
いつの間にか騒ぎを聞きつけて何人かの村人がそれぞれに武器を持って集まりつつあったが、遠巻きに俺たちのやりとりを眺めているだけだ。武器も持たない俺がこの若いオークに勝てるわけがないと思っているのがありありと分かる。
一瞬で距離を詰めて叩きのめしてやってもいいが、それではかえって実力差が分からないかもしれない。なので俺はそのまま若いオークの下に歩いて距離を詰めていく。
「おめぇ、この斧が見えねえのか!? おめぇみたいなひょろっちぃエルフなんざ、真っ二つだぞ!」
「それよりそんなへっぴり腰で本当に攻撃が当たると思ってるのか?」
俺が挑発すると、野次馬から声が上がる。
「ゴーダ、やっちまえ!」
「そうだ! やっちまえ!」
声援に後押しされて若いオークは覚悟を決めたようで、斧を振りかぶると俺に向かって振り下ろしてきた。しかしそれは膂力のあるオークとは思えない緩慢な動きで、明らかに人を傷つけることにためらいのある動きだった。
思った通りこのオークは人を傷つけることに慣れていないばかりか、そんな訓練すら受けていないに違いない。
俺は簡単に斧の一撃を避けて、カウンター気味に若いオークの腹部に拳をお見舞いする。もちろん身体強化は無しの一撃だ。それでもいいところに入ったらしく、若いオークはうめき声を上げて、斧を取り落とし二三歩後退する。
「ぐっ、このっ!」
斧を取り落として素手になったことで遠慮が無くなったのか、斧の一撃よりよほど鋭い拳が飛んでくる。しかしそれでも素人にしては、という前置きをつけての話だ。避けてもいいが、身体強化を発動して手のひらで受け止める。オークの腕力と言えど、身体強化された俺の力には及ぶべくもない。逆に受け止めた拳を押し返してやると、若いオークはバランスを崩して尻もちをついた。
「なにやってんだ!」
「早く起きろ!」
野次が飛んで、若いオークは慌てて起き上がる。俺はあえて追撃はせずに彼が起き上がるのを待っていた。それからもその若いオークは頑張って俺に拳を当てようとしたが、俺は避けたり受け止めたりして、その代わりに何度も彼の体に軽く拳を当てた。やがて彼が肩で息をしだした頃になると、もういいだろうと、俺は強めに彼の脇腹をぶん殴る。
「ぐはっ」
若いオークは悶絶して、その場にうずくまるようにして崩れ落ちる。
それと同時に周りを取り巻いていた野次馬たちが一斉に輪を詰めようとするが、若いオークが手を出してその動きを止めた。
「う、ぐ、つ、強いな、おめぇ」
「それほどでもないさ。まだまだだ。じっとしてろ。今治癒魔術をかける」
俺は杖を出して若いオークに治癒魔術をかけてやる。怪我をするほどのことはしていないが、失った体力は元に戻る。若いオークは立ち上がり、俺に握手を求めてきた。
「呪い師だったのか。あんたみたいな強いやつなら大歓迎だ。おらはゴーダ。村長のとこにならおらが案内するだ」
「俺はオスカーだ。それじゃよろしく頼むよ」
村長宅なら知っていたが、案内してくれるという彼の好意を無碍にすることもないだろう。俺はゴーダに案内されて、ほんの数日前にも訪れたことのある村長の家にやってきた。
村長は俺の姿を認めると、気まずそうに目線を逸らした。
「村長、すげぇ助っ人だ。呪い師で喧嘩でもおらにも負けねぇンだ」
「いや、俺は助っ人に来たわけじゃないから。村長、前に約束しましたよね。村人を避難させる、と。これはどうなっているんですか?」
「それがな、男衆を中心に徹底抗戦する、と言って聞かないのだ。隣村から逃げ延びてきた者の話を聞いてさらにいきり立っておる。女子どもは森の中に避難させはしたが、残っておる者も少なくない」
「今、この村に戦える者はどれくらいいるんですか?」
「戦うつもりの男たちは30名ほどだ」
「それじゃ話にならない」
さっき集まってきていた男たちでほとんどということだ。手にした武器は農具で、戦闘系のスキルもろくにない。戦士スキルがそこそこある兵士が一人でもいれば、その一人相手にだって全滅しかねない。
「それじゃあんたはおらたちに村を捨てて逃げろッて言うのか」
「そうしなきゃ皆殺しだ」
「あんたが助けてくれりゃなんとかなるんじゃないのか?」
「なるわけないだろ。相手は軍隊でこっちはろくに戦えもしない30人ぽっちだぞ。俺一人が加勢したところでたかが知れている。村長、なんとか皆を説得できないのか?」
「言葉は尽くしたが、彼らの決意は固いのだ」
「ああ、クソッ」
俺はガリガリと頭を掻きむしる。
いっそ俺が全員叩きのめして現実を見せつけてやろうか。
しかしそんなことを考えている間に凶報はもたらされる。
「村長、亜族の軍隊だ。もうすぐそこまで迫ってる!」
俺たちが慌てて村長宅を飛び出すと、馬に乗ったエルフの青年が青ざめた表情でそこにいた。
「数は!?」
「いっぱいだ!」
「もっと具体的に!」
「え、えっと百人は超えてる、と、思う」
「どれくらいで来る?」
「一時間か二時間かそこらだと思う」
まったく要領を得ない返答ばかりだが、プロの斥候でもない青年にそれを求めても仕方がない。
どうする?
この村を見捨てて一人で逃げることならできるだろう。しかしそれでは何のために仲間を置いてここまで来たのか分からない。まだ村に残っている女子どももいるというのだ。彼ら彼女らがどんな目に合うのかは隣村で嫌というほど目に焼き付けてきた。それを繰り返させるわけにはいかないという思いだけは確かにある。
ではそのために何ができるだろうか。
「ゴーダ、逃げるなら最後のチャンスだぞ」
「ダメだ。足を悪くしたおっ母が村に残っているンだ。おらは一人でも残って戦うぞ」
「……分かった。なあ、あんた、戦うつもりのあるヤツを村の広場に集めてくれ」
俺は馬に乗った青年に声をかける。すると彼は頷いて馬で駆けていった。
お前は一線を越えようとしているぞ、と、心のなかで声がする。
しかしそんなものは百も承知だ。自分がこれからすることが恐ろしい結果を生むだろうということも分かっている。
「どうするンだ?」
「まずは確認だ。ゴーダ。お前は母親を守るために戦うと言ってるんだよな?」
「そうだ」
「そのためならなんでもできるか?」
「ああ、もちろんだ!」
「ならお前に呪いをかける。両手を出すんだ」
差し出されたゴーダの両手を俺は取った。
「復唱するんだ。宣言する。ゴーダはオスカーにあらゆる権限を与える」
奴隷契約からは随分端折った契約だが、目的にはこれで事足りるはずだ。
「宣言する。ゴーダはオスカーにあらゆる権限を与える」
「承諾する」
彼の無知につけ込んだ形だが契約は成立し、俺がスマホを取り出すと彼のステータスを操作できるようになっていた。そしてそこに表示された数値を見て、俺はルーの一件が単なる何かの間違いではなかったことを知る。
ゴーダのスキルポイントは141余っていた。