第七話 王都アルゼキア
それからの十日間を楽な旅だったと言うことはできない。
魔物の群れと遭遇しかかって遠回りをしたことは一度や二度では済まない。しかしその度にフィリップさんの適切な指示によって俺たちは魔物との戦闘を回避し続けた。森を越え、山を越え、川を渡り、もう限界だと思うことは何度もあったが、その度にユーリアに治癒魔術をかけてもらったり、仲間に助けてもらったりしながら俺は苦難を乗り越えた。
そう、もう彼らは仲間だ。
もしアレリア先生との契約が無くて、彼らが一緒に来ていいと言ったなら、俺は付いて行ってもいいと思っているほどだ。彼らにとっては迷惑千万に違いないだろうけれど。
でも、もし冒険者稼業をやることになったら、ぜひとも彼らと一緒に冒険がしたいと心からそう思っている。
しかしそんな旅にも終わりがやってきた。
魔界はとうに抜け、俺たちは人類の領域に戻ってきていた。先日は村で宿を借りることすらできたほどだ。
そして街道沿いに馬を進め、ある丘を越えるとそれが見えた。
城塞に覆われた巨大な町。いや、都市と言うべきだろう。
これまでに抜けた村とは明らかに規模の違う城塞都市がそこにあった。
「あれがアルゼキア王国の首都アルゼキアだ。どうだ、なかなかのものだろう」
誇らしげにアレリア先生が言う。
言われるまでもなく、それはなかなかなんてものじゃなく、言葉では言い表せないような光景だった。
空に浮かぶ天球に、大きく広がる平野。川に沿って耕作された農地が広がり、放牧されている羊も見える。その先に城塞に覆われた都市があった。城塞の高さは分からないが、この距離から見ても相当な高さであることが分かる。丘の上から見下ろしている関係で中の建物を窺えるが、近くに行けば城塞を見上げることしかできないだろう。その中には色とりどりの建物がところ狭しと乱立している。さらにその一角には城塞を超える高さを持つ城が見えた。言うまでもなく西洋様式の城だ。
それはまるで一枚の絵画を見ているような景色だった。
俺は尻の痛みも忘れて、身を乗り出してその景色を目に焼き付けた。
「すごい……」
それしか言葉は出てこない。
美しいというのは城塞都市はあまりにも雑然として見える。だがこの遠景は間違いなく素晴らしい。俺は年甲斐もなくはしゃいだ気持ちになった。
「行きましょう!」
「そう焦ることはない。まだ7時間はかかる道のりだ」
アレリア先生がたしなめるように言ったが、その声も少し浮かれているようだった。他の面々もあからさまにほっとした顔をしている。
この世界の時間の感覚にも慣れてきた。今から7時間というからには日が沈む前には到着できるということだ。多少疲れは溜まっていたが、休憩無しでも辿り着けるだろう。
そしてそれはその通りになった。
天球の輝きが衰えだす頃には俺たちは馬屋に馬を預け、アルゼキアの城塞の門の前に立っていた。
ここまで来ると予想したとおり城塞しか見えない。高さは20メートルほどもあるのではないだろうか。クレーン車など存在するわけもないこの世界で、これほどの城塞を築き上げるのにはどれほどの労力が必要だったのだろうか。
門の側には槍を手にした衛兵が立っていて、出入りしている人々の見分をしている。しかし列ができているほどではない。殆どの場合は顔パスだった。
俺たちが近づくと、衛兵たちはアレリア先生に敬礼をして、冒険者たちには笑みを見せた。どうやら顔なじみであるようだ。しかし俺のことに気づくと途端に訝しげな顔になった。
こんな視線を向けられるのにも慣れてきた。行く先々の村でも俺のことを見た村人から散々同じような視線を向けられてきたからだ。
「アートマン先生、そのワンという青年は?」
「道中で拾った不幸な青年だ。レベルが上がらない奇病に冒されていてな。しばらく私が預かることになった。仮の身分証を発行してやってくれ」
予めアレリア先生の発案で、そういうことになっていた。俺の素性を説明するのが面倒だからだ。服装も前に立ち寄った村で古着を買い受けて、この世界相応なものに変わっている。
「聞いたこともない難儀な病気ですね。おい、お前、気を落とすなよ。アートマン先生ならきっとなんとかしてくださるさ。天球の導きがあらんことを」
そう言って衛兵は俺に木版を渡してくれた。どうやらこれが仮の身分証ということになるようだ。というか、仮身分証って漢字と平仮名で書いてあった。下に署名する欄があって、俺は渡された黒炭の棒を使って、カタカナでワンと書き入れた。
門での見分はそれで終わり、荷物を検められることもなかった。この辺はアレリア先生の顔ということなのだろう。
そして俺たちはアルゼキアに足を踏み入れた。
まず最初に驚いたのは石畳が敷き詰められていたことだ。
ここまで街道を通ってきたが、土を撒いて踏み固められただけの道で、あちこちがでこぼこになっていた。一里塚のような目印がなければ獣道かと思うような場所もあった。しかし城塞の内側は多少でこぼこしているとは言え、きっちり石畳で舗装されている。
それから水路だ。
都市のそばを流れる川から引いてきているのであろう水路が街中に張り巡らされている。水は決して綺麗とは言いがたかったが、水道なんて存在しないだろうこの世界で、町中にこれだけの水路があることの利点は山のようにあるだろう。
建築物は想像していたよりよほどしっかりしていた。
これまで立ち寄った村の家などが木造の平屋がほとんどだったから、てっきり高い建築物などはないのかと思っていたが、城塞の内部は3階建てや4階建ての建物も珍しくないように見える。それに外壁には色とりどりのモルタルが使われていて、丘から見下ろしたようにカラフルだった。
なるほど、これはアレリア先生が自慢もしたくなるわけだ。
外から見た景色も素晴らしかったが、中に入ってみてもまるで中世ヨーロッパの街を訪れたかのような感慨にとらわれる。
「ほら、なにをぼけーっとしている。冒険者ギルドにいくぞ。ワン君」
冒険者ギルドは街の門からすぐ側の建物だった。
入り口から入ると中は大きく吹き抜けの構造になっていて、コの字型のカウンターがある。よくある物語のように冒険者たちがたむろしているということはなく、むしろ職員のほうがずっと数が多い。これはなんというか、あれだ。お役所のカウンターみたいな雰囲気だ。カウンターの奥で机に向かっている職員の数が多いのだ。
一方で冒険者はというと壁に貼られた依頼書らしきものを見ているのが数人いるだけで、意外と閑散としている。
フィリップさんたちは向かって左側のカウンターに向かうと、そこの受付嬢に声をかけた。
「護衛の依頼の完了だ。アレリア・アートマン女史を無事連れて帰ってきた」
「お疲れ様です。では契約を満了させますのでこちらの書類にご記入の上、しばらくお待ち下さい」
フィリップさんが渡された紙に何やら書きつけると、受付嬢はそれを受け取りカウンターの奥のデスクに持っていった。
「一時間は待つことになるぞ」
アレリア先生がそう言って苦笑した。
マジかよ。この世界の一時間とは言っても、元の日本の感覚で数十分だぞ。日本のお役所も真っ青なお役所仕事だな。
なんとなくギルド内が閑散としている理由に思い当たる。長々と待たされる場所でわざわざたむろして寛いだりはしたくないだろう。それとカウンターの奥で仕事している職員が見えているせいで、とても寛いでなんて居られない。まともな神経をしているなら針の筵だ。
「冒険者ギルドについて聞いてもいいですか?」
「なんだ、冒険者に興味があるのか? 君はあんまりそういうタイプには見えないが」
そう言ってアレリア先生は俺の体を眺めるようにした。先生が言っているのはおそらく体格なんかのことだろう。ユーリアは魔術士だから例外として、フィリップさんも、エリックさんも、ゴードンさんも、ジェイドさんも、俺と比べたら遥かに体格がいい。簡単に例えるなら彼らはアメフト選手のようながっしりした体つきだ。タックルを食らって気絶で済めば御の字と言った按配である。
「興味本位ですよ。俺のいた世界には冒険者ギルドなんてありませんでしたし」
「ふむ、そうだな。冒険者ギルドについて話す前にまず冒険者とはどう言った存在か説明しておいたほうがいいな。簡単に言ってしまえば冒険者というのは何でも屋の傭兵だ。依頼があれば何でもやるし、状況次第ではギルドから強制徴用されることもある」
「エリックさんから魔族との戦争で強制徴用された時のことは聞きました」
「そうか。まあ戦争なんて滅多に無いから、主な仕事は魔物退治や、今回のような護衛。賞金稼ぎから、迷子探しに、水路の掃除、屋根の修理なんかも依頼されたりする。その国の法に触れなくて、ギルドが認めたならば文字通りなんでもありだ。自分たちの能力で解決できることならなんでもやるのが冒険者だな」
「掃除や屋根の修理なんかは専門の人がいるんでは?」
「冒険者のほうが安くつくからな。専門職を雇うということはそれなりに金が必要だ。安い依頼料で冒険者ギルドに依頼を出しておけば、暇な冒険者が小金稼ぎにやってくれる、こともある。そんなわけで色んな依頼が冒険者に持ち込まれるんだが、その間を取り持つのが冒険者ギルドだ」
うん。イメージとしては創作物で出てくる冒険者ギルドとほぼ一緒と考えていいみたいだ。ただこんなお役所みたいな場所とは思わなかったが。
「ある程度の規模の街なら冒険者ギルドを置いている。便利だし、何より緊急の際に傭兵として使えるからな。常備兵を置くより金がかからない。さてそんな冒険者ギルドの仕事を今回の依頼を例にしてみよう。まず私は魔物の異常発生について調査するためにその護衛をできる冒険者をギルドに依頼した。そこで依頼料をギルドに先払いし、ギルドと契約を結ぶ。依頼が達成されたらこのお金はギルドのものになり、そうでなければ返金というふうに」
「え、契約ってギルドと結べるものなんですか?」
「正確にはギルド長とだな。より正確を期すならば、その代理人足る権限を持つ人物と、だ。カウンターに居る受付嬢たちは依頼人や冒険者とギルド長が結ぶ契約についてその代理人としての権限を契約によって与えられている。だから彼女らがギルド長の代理人であることを宣言して行う契約行為はギルド長の元に帰属するわけだ。分かるかい?」
「ええと、契約する行為は受付の方とするけれど、その効力はギルド長と結んだことになる、ということですか?」
「その通りだ。代理人としての権限についてはステータスを見れば一目瞭然なのだが、君の場合はひとまずそういうものだと思っておいてくれ。だからどういう依頼を受け付けているかはギルド長のステータスを見れば分かるのだが、実際にそうするわけにもいかないのは分かるだろう? だから実際には書類を使って処理をする。私はこういう依頼をして依頼料いくらを払いましたという書類を書いて、ギルドがそれを受け付けるわけだ。そしてギルドは依頼の内容を吟味して掲示板に貼り出すか、あるいは特定の冒険者に依頼を持ち込むか判断する。今回は前者だった。私の護衛依頼はギルド内の掲示板、ほらあそこだ。あそこに貼られ、この依頼を受けたいと思った冒険者がいたら、今度は冒険者が受付嬢に書類を提出して契約を結ぶ。これこれこういう依頼を受けて、達成時にはいくらの報酬を受け取ります、というようにな。そうしたら今回は護衛任務だから彼らが直接私の元を訪ねてくる。私は彼らのステータスを見て、護衛依頼を受けた冒険者だと理解する。そして私達は魔界に赴き、私の目的であった魔物の異常発生の原因と思しき事態が解消されたと思われたので帰還した。その辺は冒険者ギルドは噛んでないので省くぞ。そして今こうして冒険者は依頼を達成しギルドに戻ってきた。今回の場合は護衛対象である私が一緒なので、達成されていることは明らかだな。だが書類の処理を後回しにはできないから、まず書類を探しまわることになる。そして依頼主に依頼の達成の確認を取る。で、私が確かに依頼が達成されたことを認め、ギルドとの契約を満了させる。かくして私の払った依頼料は無事ギルドの元に収められる。それから冒険者との契約の満了だ。冒険者は報酬を受け取り契約を満了させる。これで一件落着だ。これが依頼主と冒険者から見えるギルドの仕事だな」
「なにか予想していたより遥かに面倒な手続きが必要なのは分かりました」
「もちろんギルドを介さないで直接冒険者と契約を結ぶこともできる。だがその場合、揉め事があったときに厄介だからな。そういう中間折衝をやってくれているのが冒険者ギルドというわけだ。では冒険者ギルドの成り立ちについて説明しよう」
結局、アレリア先生が契約満了のために受付嬢から呼ばれるまで講義は続き、俺は多分、この世界の一般的な人より冒険者ギルドに詳しくなったのではないかと思う。
フィリップさんたちも契約を満了させ、報酬を受け取ると俺たちは連れ立って冒険者ギルドを後にした。というのも、俺の護衛分の追加報酬を支払うためだ。そのためにフィリップさんたちもアレリア先生の家まで一緒に行くことになったのだ。
ユーリアと別れる時間が先延ばしにされて、ちょっと俺はほっとする。
「ユーリアたちはこれからどうするの?」
「何日かは、休みます。……それから受けられる仕事があれば受けます」
「それは他の町に行ったりするの?」
「分かりません。ここしばらくはアルゼキアにいました」
「心配しなくとももうしばらくはアルゼキアから離れるつもりはないよ」
俺たちの会話を聞きつけてフィリップさんが言ってくれる。
「今回のことで収まってくれればいいんだけど、しばらくは魔物の脅威は消えないはずだからね。冒険者に取っては稼ぎどきだよ。とは言っても今回のは結構疲れたから数日は休養を挟むつもりだ。なんなら町の案内でもユーリアに依頼すればいい。お安くしておくよ」
「お金は取るんですね」
「依頼ならね。休日にユーリアがどう過ごすかは干渉しないさ」
そう言ってウインク。くっそ、似合うから腹立つな。
しかしユーリアの父親かもしれない人からの許可は得たわけだ。
「じゃあ、ユーリア、町の案内をお願いしてもいいかな? その、嫌じゃなければ」
「いや、じゃない、です」
どんな顔で答えてくれたかはフードに隠れて見えなかったが、笑顔だったと信じたい。
次回は10月8日0時更新です。