第五話 一度の別れ
ルーを実家に送り届けたことでこの旅の最初の目的は達成された。次の目的はと言えば、天球教会からの追手から身を潜めるために南に向かうことだ。それに加え、ユーリアを連れて元の世界に戻る方法を探さなくてはいけないことになった。そしてこういうことを聞くなら一先ずテオドールということになるだろう。
そういうわけでユーリアと入れ替わるように部屋に戻ってきたテオドールに真っ先にその質問をぶつけた。
「ああ、うん、元の世界に戻る方法か」
テオドールは腕を組み、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「一つだけ心当たりが無いわけじゃない」
「本当か!?」
「番号付きどもの殺し文句だからな。奴らが最初に接触してきた時に聞いてきたことがそれだ。つまり、元の世界に戻りたくはないか、とな」
「つまり天球教会は俺たちを元の世界に戻す方法を知っているということか」
「まあ、そういうことになるんだろうな」
つまりはそれが俺たちのような召喚された者たちが天球教会に協力している理由ということになるのだろう。
しかし俺たちはすでに天球教会に敵対してしまった。今更天球教会に元の世界に戻る方法を教えて下さいというわけにはいかないだろう。
「だけど、手段があるということではあるのか」
であれば天球教会の力を借りずとも自分たちでそれを発見することも不可能ではないはずだ。
「元の世界に戻りたくなったのか」
「実を言えば俺はそれほどでも。だけどユーリアが、俺も家族と再会するべきだって言うからな。元々目的のある旅でも無いし、考えてみるのも悪くないって思ったのさ」
「家族、か。俺にとっては随分遠いものになっちまったな」
「そう言えばテオドールは元の世界に戻りたくないかと聞かれてどうだったんだ?」
「その頃はまだ若かったからな。元の世界に戻る希望もまだ抱いていた。だが天球教会の目的を聞いて、こりゃ駄目だとなったのさ」
「そう言えばそれについても詳しい話を聞いてなかったな。天球教会は最終的に何をしたいんだ?」
「そうだったか。まあ、端的に言えば神人による世界征服というところだな。全ての亜族を支配し、全ての魔族を討滅する。連中の言葉を借りて言えば神の楽園をこの世に顕現させるということになるかな」
「気の遠くなるような話だな」
例えそれができたとして、一体どれくらいの時間が必要になるのか想像もつかない。それに亜族の支配にしろ、魔族の討滅にしろ、俺には賛成できるものではない。
「あまり夢は見ないことだ。まずはこの世界で生きていくことのほうが大事だし、実際それで手一杯になっちまうのさ」
「それはなんだか分かる気がするよ」
この世界に来てからすでに季節は半周を越えたが、正直なところ日々の暮らしをなんとかするので手一杯だ。金銭的には余裕もあるが、浪費すればあっという間に底をつくだろう。天球教会から逃げていることを考えれば余裕はない。
「まあ、ゆっくり休めるうちに休んどけ。明日からは南に向かうんだからな」
「ああ、そうするよ」
そして翌日になり、俺たちはルーの家族を伴って農村の村長へと会いに行った。年老いたオークが出てきた時はぎょっとしたが、彼は至って紳士的な態度で俺たちを迎えてくれ、娘を連れて帰ってきたお礼として、ルーの家にある全ての現金の六分の一を受け取るという話にも納得を示してくれた。
これで何の懸念もなく出発できるというものだ。
ルーの父親から十数枚の銀貨を受け取り、俺たちは出発の準備を終えた。
「オスカー様、本当に、本当にお世話になりました!」
ルーの家族からも口々にお礼を言われつつ、俺たちは出発した。
まずは来た道を戻り、最初に訪れた村に立ち寄った。ルーを無事送り届けたことを村長に報告する。オークの農夫のグルッコにも挨拶をしにいった。彼は相変わらず咳のように笑いながら、ルーが無事実家に帰ったことを自分のことのように喜んだ。
それから村を後にして、山ではなく、さらに南に向かう。このまま山沿いに南に向かえば、やがて魔界を抜け、人界へと辿り着く。ブラムストンブルクを構成する公国のひとつ、アンデモンド公国の領域だ。ハシュゼットとは隣り合っているようで、その間には広大な森が広がっており、実質的には隔絶されているということだ。
なんにせよ混生地帯だという森にさえ入れば、馬の飼料の問題も解決するし、俺たちの食料も狩りをすることで解決できる。手持ちの食料が無くなる前に森に入らなければならない。
とは言っても手持ちの食料の残りはまだ二十日分ほど残っている。問題は馬の飼料のほうで、こちらは節約して十日分というところだ。それでも森までは五日もかからないという話だから、十分な余裕があると言って差し支えないだろう。
それからさらに2つほど魔族の村を見かけたが、立ち寄ることはせずに大回りに迂回して、俺たちは一路南に向かって進んだ。やがて街道も無くなり、俺たちは草原をただひたすらに馬を走らせた。
ルーの実家のある村を出立して四日目。俺たちは森に入った。
「ちょっと待った」
異変に気付いたのは森に入って何時間も過ぎていない頃だった。
俺の静止の声に一同は足を止める。
「どうした、オスカー」
「人の気配だ。それも数が多い」
「狩人たちじゃないのか?」
「数十人、いや百人を超えるような数でか?」
俺の返答にテオドールは押し黙る。
「ハシュゼットの国境警備隊かな? いや、森の中にいるというのは妙だな」
アレリア先生も事の不自然さが気になるようだ。
「こちらに気付いているのでしょうか?」
声をひそめてシャーリエが問う。
「まだ気付かれていないと思う。このまま迂回して接触を避けるのが吉かな」
全員の賛同を得て、俺たちは多数の人の気配を避けるようにルートを変えて森の中を進みだした。
しかし――、
「こっちにもいるぞ」
感知した人数はすでに数百人に達しようとしている。感知範囲外にも人はいるだろうから、下手をすれば千人規模の集団だ。明らかに異様な状況だった。何か嫌な予感がする。
「一体何なのか様子を見てくる」
「それならば私も同行します」
シャーリエがそう言ってくれるが、偵察に赴くのは俺一人のほうがかえって安全だろう。
「気持ちは嬉しいけど潜入スキルもある俺一人のほうがいいと思う。皆はここで待っていてくれ。大丈夫、無茶はしないよ」
そう言って俺は馬を降り、単身森の中を身を潜めながら人の気配に向けて近寄っていった。距離が近づくにつれ、集団の大きさが手に取るように分かってくる。一番近くにいる集団だけで数百人規模だ。ゆっくりではあるが森の中を北に向けて進んでいる。
やがてその姿が窺えるほど近寄ると、俺の杞憂は現実であると分かった。
その集団は武装しており、明らかに統率されている。はっきり言ってしまうと軍隊だ。彼らのステータスには吸魔のスキルは無い。人族の軍隊だ。装備が統一されているところを見るに、どこかの正規軍だろう。
これ以上近寄るのは危険だろう。俺は気取られる前にその場を離れて仲間の下に戻る。
「どうだった?」
真っ先に聞いてきたのはテオドールだった。
「人族の、つまり魔族じゃない軍隊だ。全体の規模は分からないが数百人単位でまとまって移動してる。なあ、これってつまり――」
「アンデモンド公国軍だろうな。こりゃあ噂はマジモンだったかな」
「噂ってなんだ?」
「ブラムストンブルクの王様が病に伏せっていてもう長くないかも知れないという噂さ」
「それがどうしてアンデモンド公国が戦争するって話になるんだ?」
「それは第一王子が狐人族で、孤人の国であるアンデモンド公国に影響力があるからだろうな。王様が亡くなる前に大きな戦功を立てて跡取りの名前を書き換えさせようって寸法だ」
「跡取り争いで戦争しようってのか」
「内戦するよか現実的さ」
「それでどうなるんだ?」
「そんなことまでオレが知るかよ。だが攻めこむからにはそれなりに勝算があるんだろうさ。まさかハシュゼットを攻め滅ぼせるほどとは思わないが、王様が遺書を書き換えたくなるくらいには勝つつもりだろうな」
「途中にある村はどうなる?」
「それはな……」
テオドールは少し言いよどんだ。代わりに言葉を継いだのはアレリア先生だった。
「一般的に魔族との戦争ではどちらが攻め込んだとしても、途中にある村などは焼き討ちに遭うものだ。非戦闘員だろうとお構いなしに見かけたものは皆殺しにされる。お互いに生かしておく意味がないからな」
胃のあたりがぎゅっと締め付けられる。脳裏に浮かんだのは言うまでもなく、数日前に故郷に送り返したばかりの魔族の少女のことだ。
「ルーは、その家族はどうなる?」
「彼らの侵攻ルートから外れていることを祈るしかない」
「祈るしかないって、そんな馬鹿なこと!」
俺は仲間を見回したが、皆沈痛な表情を浮かべるだけで何も言おうとはしない。
「戻ろう。戻って軍隊が近づいていることを村々に知らせるんだ」
「待て、オスカー。それは、つまり、お前は魔族に味方するということか?」
「魔族にじゃない。戦う力の無い普通の人々に避難を呼びかけるだけだ」
「だがそれは魔族に人間の軍隊が近づいていることをわざわざ教えに行くということだ。人族の敵になるってことだぞ」
「そんなの……、テオドール、お前だって見ただろ。魔族とは言っても村に住んでいる人々は戦う力の無い普通の人々だった」
「だが魔族だ。そして俺たちは人族だ」
「テオドール!」
しかしテオドールは首を横に振るだけだった。
テオドールの助力は得られそうにない。元々彼の旅にこちらが便乗している形だ。彼に対してあまり無茶を言うこともできない。
「みんなはどうなんだ?」
「付いて来いと言われれば行くしかないが、私は反対だと言っておく。あまりにリスクが大きすぎる。オスカー君の言いたいことは分かるし、心情も理解できるが、やはり我々の手に余る」
「オスカー様の仰ることも分かりますが、これは私たちがどうこうできる問題ではないかと思います」
「私は……」
ユーリアは一度言葉を詰まらせて、それから兎人語に切り替えた。
『私はオスカー様とどこまでも一緒に行きます』
ユーリアがそう言ってくれたことだけが救いだった。
しかし同時にアレリア先生やシャーリエが反対したことで、俺は俺のやろうとしていることがどれだけ無謀なことなのかも分かった。相手は魔族を攻め滅ぼしに来た軍隊で、俺たちはたった数人だ。何かの後ろ盾があるわけでもない。もし捕らえられて魔族を逃がそうとしていたことを知られたらまず間違いなく縛り首だ。
分かったのだ。
分かってはいるのだ。
「テオドール、この三人をどこか安全な国まで送り届けてくれないか。お金ならアルマとソフィーに任せてあるから、報酬はそっちから受け取ってくれ」
『オスカー様!』
「オスカー君」
「オスカー様」
「これは命令だ。だから悪いけどまだ俺の奴隷のままでいてもらう」
テオドールに奴隷の主人としての権限を渡すことも考えた。だが三人の女性の全権を任せていいのかというと、彼のことをそこまで信用しているわけじゃない。頼る身で、実に身勝手だと思うが、それが俺の本音だ。
「みんなどこか安全な国までテオドールに付いて行くんだ。テオドール、彼女らのステータスを変更する必要があったら連絡をくれ。それはこっちでやる」
「まあ、報酬がもらえるならオレは構わねーぜ。必要経費抜きで金貨20枚ってとこだな」
「金額に文句は言わないさ。その代わり必ず無事に届けてくれ。頼む」
「おう、頼まれた」
テオドールは気軽な感じで引き受けてくれた。頼んでいることを思えば、引き受けてくれるだけありがたい。
「オスカー君、君は無茶をやろうとしているぞ。前にも言ったが君は人族だ。それを忘れてはいけない」
「分かってる。でもここで戻らないなんてことはできないんだ。あの人たちを見捨てるような真似は俺にはできない」
「避難を呼びかけるだけだ。それ以上は深入りはするんじゃないぞ」
「分かった」
「くれぐれも無理はするな」
アレリア先生は手を出して俺に握手を促す。その手を握り返すと力強く握りしめられた。それからぱっと手を離して一歩引く。
「オスカー様、どうかご無事で」
シャーリエは驚いたことに体ごと俺にぶつかってきて、その言葉を口にした。
「ありがとう。ソフィー。もしかして背伸びた?」
「当たり前です。成長期ですから」
出会った頃からシャーリエと俺の身長差はそれほど変わっていないが、以前よりもその頭の位置が上がったようだ。俺の身長もまだ伸びているからシャーリエの成長は俺より早いことになる。こうやって抱きつかれるまでそのことに気づかなかった。
「お二方は私が守りますから、どうかご心配なさらないでください」
「ああ、ソフィーが守ってくれるなら安心だ」
それからシャーリエの体が離れ、ユーリアが俺の前に立った。
『どうして私も連れて行ってくれないんですか』
俺は返答に詰まる。ユーリアは他の二人とは違う。俺に付いてきたいと言ってくれた。しかしだからこそ俺はユーリアを危険な目に遭わせたくない。そう、さっきまで俺は危険だという認識すら無かったのだ。だが改めて考えてみれば、どうしたってこれは危険な行為だ。今まさに軍隊が侵略に向かう先に行って避難を呼びかけるのだから。
『危険だからだよ。君を危ない目に遭わせたくない』
結局言葉が見つからなくて、俺は思ったままを口にした。
『ならばなおのこと、私やソフィー、アルマも同行させるべきです』
俺は頭をガリガリと掻いた。ユーリアをうまく説得できる気がしない。だが結局は説得する必要なんてないということに気がついた。
『カタリナ、君はテオドールに同行して彼が安全だと言うところまで行くんだ。これは命令だ』
そう命じた途端、ユーリアが頭を抑えてその場にしゃがみこんだ。その表情は苦痛に歪み、額には脂汗が浮かんでいる。
『いや、です……』
慌ててアレリア先生がユーリアに駆け寄る。
「カタリナ、無理に命令に逆らおうとするな。これはオスカー君の意思だ。仕方ないんだ」
一方で俺は俺の“命令”が起こした異変に驚き立ちすくんでいた。主人の命令が奴隷に対して強制力を持っていることは知っていた。しかしそれがこのように苦痛を与える形で現れるとは知らなかったのだ。
『う、ひどいです』
ユーリアの苦痛を取り除いてやりたかったが、俺は唇を噛んで自制した。
『なんと言われてもそうする。ここで一旦お別れだ。でも必ず迎えに行く。約束するから』
『そんな約束いりません!』
ユーリアは未だ苦痛に歪んだ表情で、俺から顔を背けた。その体を抱きしめたい衝動に駆られるが、そんなことをすれば名残惜しくなるだけだ。
こんな別れ方をしたいわけじゃなかった。しかし現実にはアンデモンド公国軍と思しき軍隊が今にもハシュゼット領に侵攻しようとしている。時間は限られていて、ユーリアを説得したり、納得させたりするだけの時間も惜しい。
「馬を一頭、食料は多目にもらっていく。天幕や他の荷物は置いていく。テオドール、後のことは頼んだ」
「おう、頼まれた。まあ、やれるだけやってみな」
「それじゃみんな、一旦お別れだ」
俺は一頭の馬から余計な荷物を降ろし、跨って手綱を握った。