第四話 お礼の風習
ルーの実家は、俺たちがブラムストンブルクで過ごした家とそう大差ない造りだった。切妻屋根の木造住宅で、積雪対策なのか玄関がやや高くなっている。玄関をくぐるとリビングとしか呼びようの無い共用スペースがあり、その真ん中では薪が焚かれていて温かい。まだ肌寒さの残るこの季節にはありがたかった。
「どうぞ、お寛ぎください」
と、ルーの母親は言い、俺たちは奥にあったテーブルにそれぞれ腰掛けた。長旅というほどでもなかったが、何時間も馬の背に乗っていた後なのでほっとする。椅子の数は六つなのでルーとその母親は立ったままだ。
「あたし、お茶を用意しますね!」
そう言ってルーは玄関から出て行く。馬に積んだ荷物から茶葉を取りに行ったのだろう。
「亜族の方は私たちのお茶も受け付けないのですか?」
「ええ、そうです」
答えたのはアレリア先生だ。
「そうですか」
しょんぼりと頭を垂れたルーの母親は、しばらく何かを考えていたようだが、やがて顔を上げた。
「もしよろしければあの子に何があったか教えていただけませんか?」
「……それはお嬢さんから直接聞いてください」
人族、つまり彼らの言うところの亜族に捕まり奴隷にされていた。それくらいのことを言うのは構わないだろう。だがその結果として彼女が負った傷については俺たちの口から話していいものか分からない。結局のところ何を話して、何を話さないかはルーに任せたほうがいい。
ルーはすぐに茶葉を持って戻ってきて、焚き火の上で沸いていた湯を使ってお茶を用意してくれる。
「良かったら色々話を聞かせてもらってもいいですか?」
お茶を口にしてから、そう提案したのはアレリア先生だった。
「はい。お答えできることであればなんでも」
「では遠慮無く、ご主人のお仕事は?」
「農夫です。今も畑に出ています」
「大変なお仕事ですね。何を栽培されているのですか?」
そんな質問を皮切りにアレリア先生はルーの母親にこの村での生活についてのことを色々と聞き出した。農業のこと。天候のこと。村の規模について。種族の割り合い。村の風習について。
どうやらアレリア先生の学者としてのスイッチが入ってしまったようだ。
そんなやりとりをしているうちに家の扉が開かれ、一人の女性が現れた。
「ただいま、母さん。……ルー!?」
「お姉ちゃん!」
両者は駆け寄り合い、そしてひしと抱き合った。
「ああ、良かった。ルー。無事だったのね」
「うん、……うん」
「本当に心配したんだからね」
「うん、ごめんなさい」
そんなやりとりを経て、ルーの姉は俺たちの存在に気がついたようだ。
「そちらの方々は?」
訝しげな視線を向けられる。
「あたしを助けてここまで連れてきてくれた人たちだよ」
「そうでしたか。失礼しました。妹を助けてくださってありがとうございます。ルーの姉のイェンです。何かお礼を差し上げなければならないのですが……」
「その話ならお母様としましたから」
またお礼の話ですったもんだするのは困るので早めに釘を刺しておく。
「そうだ。母さん、父さんには?」
「それはまだ、お客様のお相手をしなくてはならないし」
「じゃあ私が呼んでくる。ジンとヤーグにも、あの子たちどこにいるのかしら。一旦失礼します」
そう言い残すとルーの姉は慌ただしく家を出て行ってしまう。
「イェンさんはお父さん似ですか?」
ルーとその母親はよく似ているのに、姉にはあまりその面影がないのでつい聞いてしまう。ルーとその母親はどちらかと言うとおっとりとした見た目をしているが、ルーの姉は精悍な顔立ちをしている。凛とした雰囲気があって、剣でも持たせたら似合いそうだ。
「そうですね。よく言われます」
しばらくすると勢い良く扉が開かれ、息せき切って走ってきたと思われる男性が玄関から現れた。ルーの姉を見ていたから、この人がルーの父親だと分かる。やはり精悍な顔立ちの、農具よりも武器を持つのが似合っているような男性だ。戦士スキルが4に長剣スキルがあるところを見るに、農夫になる前はどこかの騎士団に所属していたのかもしれない。斧スキルのほうは木を切り倒したりしているうちに身についたのかもしれないが。
「ルー!」
「お父ちゃん!」
三度感動の再会があって、ルーの父親は土まみれにも関わらず、その太い両腕でルーの体を抱きしめた。
うわ、ちょっとダメージが入りそうだ。なんて考えてしまう。案の定、ルーも苦しそうにもがいている。
「ううー、ぷはっ、お父ちゃん、死んじゃうよー」
「だって、だってなあ」
言葉が見つからないのか、一度ルーの体を解放した父親だったが、再びルーの体をぎゅっと抱きしめる。
「良かった。本当に良かったぁ」
「お父ちゃんん~」
しばらくそうして抱擁なのか、絞め落とそうとしているのか分からないような状況が続いて、ようやく父親がルーを解放した頃になると、ルーの体力は60台まで落ち込んでいた。
ルーも肩で息をしているし、ちょっと治癒魔術でも使ったほうがいいんじゃないかという感じだ。
そんなことを考えていると、ルーの父親がこちらに向き直り、深々と頭を下げた。
「イェンから話を聞きました。ルーをここまで連れてきていただき、本当にありがとうございます」
「いいえ、旅のついでですから」
あまり感謝されるとその分だけ彼らのお礼の必要性も高まってきてしまうだろう。元々恩を着せるつもりはないし、感謝されるだけ後のことを考えて心苦しくなる。
「何かお礼をしなくては」
「それなら一晩宿を貸してもらうことになっていますから」
「それだけでは我が家の沽券に関わります」
やっぱりそうなるのか。
「やはり家と畑を売って」
「いやいやいや、そんなことさせられませんよ」
さらっととんでもない発言が出てきて、俺のほうが慌ててしまう。
「しかし我が家には財産と言えるものはそれくらいしかないのです」
「ふむ、この家にはどれくらいの現金がありますか?」
横から口を出してきたのはアレリア先生だ。
「現金、ですか。それが銀貨が数十枚ありますが、お礼にはとても足りません」
「ご主人様、元々お金の問題では無いのでしょう?」
アレリア先生が確認を取ってくるので頷く。ルーの身柄を買い受けるのにお金を使ったが、それを取り戻そうというつもりは毛頭ない。
「確かこの家は六人家族だと聞いています。ですので、この家のすべての現金の六分の一を頂ければ帳尻が合うのでは?」
「屁理屈だけどいい考えだ。どうでしょう?」
「とんでもない。お金でよろしければ全て差し上げます」
「それではあなた達も生活に困るでしょう」
「この村流に言いますと、我々がお嬢さんを助けたことでこの家の全財産を巻き上げたと思われたくはないのです。我々亜族の評判に関わる問題だと考えてください」
アレリア先生のフォローが入る。ルーの母親と話していたのは伊達ではないということだ。
「それはもちろん助かりますが、村の者は信じないでしょう。申し訳ないのですが、村長にも今の話をしていただけますか? ご本人がそう言っていたと村長が確認すれば村の者も何も言いますまい」
「もちろん構いませんとも」
面倒事が増えたが、大したことではない。ルーとその家族の今後の生活を考えればこれくらいのことはしてもいい。
「どうして私たちのためにそこまでして頂けるのでしょう?」
「実のところあなた達のために、というわけではないんです」
同じようなことはブラムストンブルクでヨーゼフ王子にも言われた。
「俺は俺が後悔したくないだけなんです」
だから答えも同じだ。
俺は俺のできる何かをしなかったことで後悔はしたくない。もちろん何かをした結果として後悔するようなことはあるだろう。何かをし損ねるような失敗もするに違いない。だけど目の前にあってできると分かっていることを、やらずにいるようなことだけはしたくない。
どれだけ強情だと言われてもこれだけは曲げるつもりはない。
「そうですか。貴方のような人に助けられてルーは本当に幸いでした。そして私たち家族も」
「それほどでもありませんよ」
その後、ルーの弟たちを連れたイェンが帰ってきて四度目の感動の再会が繰り広げられ、そろそろリビングも窮屈になってきた。
そこで俺たちはルーの家族の部屋をそれぞれ借りることになり、彼女ら家族はリビングで一夜を過ごすことに決まった。久しぶりに家族が揃ったのだし、そういうのもいいのかもしれない。
俺たちとルーの家族はそれぞれに夕食を終え、夫妻の部屋には俺とユーリアがいた。部屋の割り当てとしては俺とテオドールなのだが、ユーリアが訪ねてきて、テオドールが気を使って席を外した形だ。
『オスカー様は、家族と会いたいとは思わないのですか?』
『そう言われても記憶が無いからなあ』
『それでもオスカー様にも待っている家族がいるはずです』
今日の出来事がユーリアの何かを刺激したのか、今夜のユーリアはいやに押しが強い。
『オスカー様は私の母の墓参りを許して下さいました。ルーは家族と再会できました。だから次はオスカー様が家族と再会する番だと思います』
『そう言われてもどうすれば元の世界に戻れるのかまったく分からないんだよ』
『それを探しましょう。きっと、いえ、必ず手段があるはずです』
『分かった。考えてみるよ』
俺はユーリアの頭をポンポンと撫でる。
『だけどユーリアも連れて行くからな。まったくの異世界だぞ。今度困惑するのはユーリアの番だな』
『はい。楽しみにしていますね』
笑顔で言われては仕方ない。
俺はユーリアを連れて元の世界に戻らなければならないようだ。