最終話 ハシュゼットへ
ハンザ本部から取って返した王城の応接室で、俺は手に入れたばかりの指輪を手の中で弄っていた。指輪、とはいえ、フリーサイズとでも言えばいいのか、その輪は人の指にはめるには少々大きい。実際に指にはめて使う装飾品ではないのでこれでいいのかもしれないが、ならば何故指輪である必要があるのか分からない。棒状の印鑑でいいじゃないかと思ってしまう。
まあ、王族が下賜するものなので宝飾品の体を成しているというだけなのかも知れない。
そんなことを考えていると、いつにない早さでヨーゼフ王子が現れた。
「首尾はどうであった?」
「この通りです」
やはり結果が気になっていたのだろう。前置きもなしに切り出すヨーゼフ王子に俺は指輪を差し出す。それを受け取った王子はすぐに側近にそれを渡した。
「直ちに誰の指輪か確認するように」
「はっ」
指輪を受け取った側近はそそくさと部屋を出て行った。
ヨーゼフ王子は緊張の糸が切れたかのように体を弛緩させるとため息を吐いて、それからハッと佇まいを直した。
「ごほん、そなたには本当に助けられてばかりだな」
「いいえ、自分のしたいと思ったことをしているだけです」
「それに助けられていると言っているのだ。礼くらい言わせてくれ」
「ありがたく」
「何か金銭以外にも褒美を与えられればいいのだが、私の一存でできることは少なくてな」
「いいえ、金銭だけで十分です」
「そなたは本当に欲が無いな」
いや、金銭は貰うんだから十分に欲まみれではないかと思う。正直、この報酬があればルーの生活費のことを考えなくても良くなるのだ。
それから王子に如何にして指輪を手に入れてきたのかを尋ねられたが、冒険者の秘密ですと言って誤魔化しておく。王子は随分気にしているようだったが、掏摸スキルのことを説明するわけにも行かない。
そんなことを話している間に側近が応接室に戻ってきた。予想していたより遥かに早い。そんなに分かりやすい印があったのだろうか? 指輪は結構観察していたつもりだったが、印のようなものはついていなかったように思う。
側近が王子に耳打ちすると、王子の眉が顰められた。
「どうだったんですか?」
「いや、意外な名前が出てきたのでな。ひょっとしたらヘルムート兄上ではないのかもしれん」
「そうですか」
具体的な名前を口にしないということは俺に聞かせる気はないということだろう。言われてもブラムストンブルクに詳しくない俺では誰のことだか分からないだろうが。
「とにかくこれで指輪の出元は分かった。そしてハンザにはそなたの指輪があるということだな。この状況を利用してハンザの連中に一泡吹かせてやろう」
「どうされるのですか?」
「それは秘密だ。悪いが、王族の秘密というやつだ」
「承知しました」
こちらが冒険者の秘密を使ったのだから、王子にそう返されては突っ込んで話を聞くわけにもいかない。
とにかくこれで俺が関われる範囲は一段落したというわけだ。後はヨーゼフ王子とその側近でうまくやってもらうことにしよう。
「ではそなたには報酬と新しい指輪を」
「よろしいのですか? 私は強盗に指輪を奪われたということになっていますが」
「私が改めて指輪を贈ったということにしておくとよい。実際には流出した指輪はない、というか、無くなったのだから何も問題は無い」
「ではありがたく賜ります」
「うむ。今度は用が無くとも訪ねてくると良い。また仕事の話を聞かせてくれ」
「はい。そうさせていただきます」
こうして俺は白金貨と新しい指輪を受け取って王城を後にした。
それから毎度の如く路地裏に入り、アインは姿を消す。そのまま路地裏を抜け、別の通りに出てくるのはオスカーだ。
アインでいる間はできるだけ人に接触しないようにしている。王城関係者などアインで出会った人々の前にはオスカーで出現しないように気をつけなければならないだろう。
そう考えるとこの白金貨は貰ったものの使いづらいことこの上ない。どこで手に入れたか邪推されると厄介だ。いっそ金貨で貰ったほうが良かったかも知れない。
まあ、お金のことはアレリア先生とシャーリエの主従コンビに任せておけば問題ないだろう。アルゼキア貨幣からブラムストンブルク貨幣への両替なんかもうまく交渉してやってくれていたし、白金貨も預けてしまえばいい。
これだけ稼いでくればルーの食費に対する愚痴も消えてなくなるだろう。いや、どれほどの価値なのか知らないんだけど。
家に帰るとルーが鼻歌混じりに掃除をしていた。他の面々はまだ帰ってきていないようだ。
俺の姿を認めると、ルーは鼻歌を止め、深々と一礼をした。
「おかえりなさいませ。ご主人様」
「ただいま」
「掃除しながらですみません」
「構わないよ。いつもありがとう」
「こんなことくらいしかできませんから」
ルーはそう言ってにっこりと笑う。
不思議なもので、あれだけの目に合わされたというのに彼女は努めて明るく振る舞う。ここでも良い境遇を与えられてるとはとても言えない。自分の部屋は無いし、家から外に出ることも叶わない。この六人が暮らすには手狭な家の中に閉じ込められて、家事をやらされているだけの日々だ。
それでも最悪の時と比べれば随分とマシなのだと言って彼女は笑う。
「ルーは家に帰りたいかい?」
彼女の境遇を考えて、ついそんなことを聞いてしまう。
「そりゃ帰りたいですよぅ。でも奴隷になったあたしを見たらみんな悲しむだろうな。なので帰らないほうがいいんじゃないかなぁって」
「ステータスが見られないから奴隷だって分からないんじゃないのか?」
「でもあたしがご主人様に逆らえないのは事実じゃないですか。それに人族が他人を契約の魔術で縛って奴隷にすることくらいはあたしらだって知ってますよ。それにウチにはあたしを買い戻せるような貯蓄もありませんし」
「そうか……」
本音を言えば彼女のことは対価を受け取らずに解放し家に帰すことも考えている。アレリア先生のように帰る場所を失ったわけではなく、シャーリエのようにアレリア先生に望んで付いてきたわけでもなく、ユーリアのように俺からの恋慕に囚われているわけでもない。
彼女に対してあったのは同情と憐憫と、魔族に対する興味だ。
魔族が人類と差異こそあれ、変わらない生き物であると分かった今、彼女を縛り付けておく理由もない。
だがまだそのことを彼女に伝えるつもりはない。冬の間は身動きできないし、その間に何がどうなるかは分からない。変に期待を持たせるようなことはしたくない。
しかしそんな心配とは別に日々は何事も無く進み、冬下を経て春上に入ると一時は人の身長ほどにもなった積雪も踝を埋める程度まで減ってきた。
俺たちはその間も変わらずに鍛錬と仕事の日々を過ごし、例の強盗団は縛り首になったと伝え聞いた。ヨーゼフ王子とハンザの間にどんなやりとりがあったかは聞いていない。ただヨーゼフ王子の醜聞などは聞こえてこないので、指輪の件は上手く処理されたのだろう。
このまま何事もなく雪が溶けたらハシュゼットに立ち寄り、ルーを生家に返して南へと旅をするつもりだ。ハシュゼットの位置については冒険者ギルドで知ることができた。幸いブラムストンブルクからは南西にある魔族の領域にある国らしく、南に向かう予定の俺たちにとってはそれほど遠回りになる道のりではない。
問題はまだその予定を誰にも話していないことだ。
反対されることが容易に想像できたので二の足を踏んでいたわけだが、それももう限界だろう。
夕食時に旅の予定について話題に上がった時に俺はついにそのことを切り出すことにした。
「――というわけで、俺はルーを実家に返してやろうと思う。そのためにまずはハシュゼットのルーの居た農村を探すことになるんだけど……、どうかな?」
「お前は慈善活動家か、って言いたいところだが、魔族を連れて旅を続けることを考えたら、返しちまったほうが面倒くさくはねーわな。いいんじゃね?」
「ルー、君の故郷では共通語を使うんだったな。共通語の通じる魔族の村というのは興味深いな。無駄に奴隷を買ったことについては言いたいこともあるが、結果的に考えれば私も賛成だ」
「私も、いいこと、だと、思います……」
「いいんじゃないでしょうか?」
おう、思ったより好反応だ。こんなことならもっと早く切り出せば良かった。
そんなことを考えていると、後ろに控えていたルーがおずおずと声を出した。
「あの、あたし、家に帰れるんですか?」
「ああ、そうだよ」
「あの、あの、あたし、なんとお礼を言ったらいいか」
「その気持ちだけで充分だよ」
「父ちゃんも母ちゃんも喜ぶと思います。ご馳走一杯作っておもてなしさせてもらうと思います」
「いや、それ、俺たち食べられないから」
「あっ、そうでした」
どっと笑いが起きて和やかなムードの中で夕食は終わった。
翌日からはそうと決まったからには準備は早いほうがいいということで、俺たちは仕事を引き受けることを止めて旅の支度を始めた。
魔族の領域に入るということで、ルーの食材だけではなく、俺たちの食材も多目に持っていかなければならない。ルーの生家をすぐに見つけられるとは限らないのだから。
またハシュゼットまでの道のりに山越えもあることを考えると、雪が残っていることも考えて準備をしなければならないだろう。過酷な道のりになることは間違いない。
十日も過ぎると雪も一部を残してほとんど溶け、俺たちの準備も整った。
返却する家はルーが毎日掃除しているお陰で改めて大掃除する必要もない。
俺たちは荷物を乗せた馬に跨って、ブラムストンブルクの門を抜ける。
こうして俺たちは魔族の国ハシュゼットへと向かうことになった。
そこで待ち受けることになることを、まだ何も知らずに。