第九話 指輪
ルーが新たに加わった俺たちの生活は、とりあえずのところ順調に回っている。彼女の食費のことを考えなければ、だが。ルーは家事に関するスキルを多く持っていたので、家の中のことは彼女に一任することに決めた。シャーリエはやや不満そうだったが、彼女には仕事についてきてもらうことにした。
貯えはまだ十分にあるが、雪かきの仕事だけを引き受けていたのでは日々の生活が赤字になってしまう。そこで俺とシャーリエは狩りに出ることにした。
とは言っても魔物狩りではなく、普通の野生動物の狩りだ。
ブラムストンブルクの周辺にも魔界は存在しているが、わざわざそこまで出向いて狩りをするには雪が積もりすぎている。そこでさらに近隣の人界の野山に入って動物を狩ってくることにしたのである。
雪の積もった山に入り、探知スキルを駆使しながら鹿や猪の位置を探り、そっと近づいて雷魔術で昏倒させる。それから土魔術で創りだした槍で心臓を一突きにする。……まあ、実際に心臓を上手く狙えなくて何突きかしなければならなかったが。
生き物の命を奪うことにも慣れてきた。少なくとも初めて鶏を絞めた時のような抵抗感はもう無い。
仕留めた獲物はその場で解体する。そのままでは運ぶのも一苦労だからだ。そうやって肉と毛皮を持てるだけ持って山を降りて売る。一日に何往復かすればルーの食費を出しても黒字になる計算だ。
そんな風にして日々を過ごし、何日か過ぎた頃、俺は再びノルベルト氏の店に顔を出した。ルーの食材が心もとなくなってきたからだ。
応接室に通された俺は再びノルベルト氏の奴隷営業をのらりくらりと聞き流して、食材の買い付けを行ったのだが、ふとノルベルト氏がこんな話を始めた。
「ところでご存知ですか? 例の強盗団。なんだかややこしいことになっているらしいですよ」
「ややこしいこと?」
俺が聞き返すと、ノルベルト氏は周囲をキョロキョロと見回して誰もいないことを確認すると、やけに小声になってこう言った。
「これはここだけの話にしてくださいよ。なんでも強盗団の首魁がヨーゼフ王子の印章の入った指輪を持っていたとかで、ハンザの中でどうするか揉めているとか」
「なんだって!?」
ヨーゼフ王子の指輪と言えば、俺もオーテルロー公国の戦争の際に王子からもらった。王子への面会を許された証のはずだ。そんなものを強盗団の首魁が持っていた、だって。
「どこかで盗まれたものでは?」
「もちろんそうでしょう。しかし強盗にあった商人の中に指輪を所持していたという者はいないのです。しかも首魁の男は指輪は自分が王子に直接賜ったものだと主張しているとか」
「それで王子はなんと?」
「ハンザが王子に使者を送ったそうですが、そのような者に指輪を与えてはいないという返事だったそうで」
「まあ、そうだよな」
「しかし指輪があるのは事実ですから、ハンザとしては指輪の出元を突き止めるまでは強盗団を処刑するわけにもいかなくなったわけです。場合によっては正式に王子に質問状を送ることになるかと」
「それでも返ってくる答えは同じじゃないのか?」
「事を公にすれば王子が否定しようと印象はついて回ります。ひょっとしたら本当に王子が強盗団の首魁になるような男に指輪を贈ったのではないか、と思われる。王子にすればせっかくオーテルロー公国の戦争で大きな功績を上げたのに、それが帳消しになるかもしれない。そんなスキャンダルなのですよ」
そう言えばそうだった。
ブラムストンブルクの後継者争いは、事実上、王様に対する印象がどれだけいいかで決まるようなものだ。オーテルロー公国の戦争で地竜2匹を仕留めたという功績によって、ひょっとしたら遺言状に後継者として指名されているかもしれないヨーゼフ王子の名前が、今回のことで消えてしまうかもしれないのだ。
「ひょっとして、とは思うが、ハンザはヨーゼフ王子といい関係を結べていないのか?」
「まさか、とんでもない。ハンザは政治的野心とは無縁の存在ですよ。常に中立であるのがハンザです。そうでなければブラムストンブルクの商人たちをまとめあげてなんていられないでしょう?」
「そういうものか」
「そうですとも」
それからノルベルト氏からいくつか別の話題の話を聞いている間に、ルーの食材の準備ができたというので、いくらか余計に代金を支払って家まで運んでもらうことにした。
ノルベルト氏の店を後にした俺は、その足を王城に向ける。どうしてもヨーゼフ王子側からの話も聞いておきたかったからだ。
王城にほど近い適当な路地裏で人目が無いことを確認してから、名前とスキルをアインのものに変更する。
王城の正門の衛兵のところに行き、指輪を見せてヨーゼフ王子への面会を申し出た。最初は疑わしげな目で見られたが、衛兵が持ってきた羊皮紙にハンコの要領で印章を押してしばらく待つと、血相を変えた衛兵が戻ってきた。
「失礼致しました。どうぞ、ご案内致します。ただ申し訳ありませんが武器と杖はこちらで預からせて頂きます」
「もちろんです」
衛兵に短剣と杖を預け、王城への門をくぐる。
ブラムストンブルクの王城は西洋風の城そのもので、石造りの重厚な建物だ。様々な調度品が並ぶ中を衛兵に案内されて進む。やがて通された応接室はこれまで見てきた応接室の中では飛び抜けて豪奢だった。
腰が沈みそうなソファに腰掛けるよう案内されると、すぐにメイドがやってきて飲み物を薦めてくるので、温かいお茶を頼む。案内してきた衛兵はそのまま室内に留まって、入り口の傍で直立不動の姿勢になった。
やがてメイドがポットに入ったお茶を持ってきて、一杯目を注いで立ち去った。一口すすると紅茶の味が口の中に広がる。そう言えばこちらの世界に来てから紅茶を飲むのは初めてだ。こちらでお茶というと緑茶のような味わいのものがほとんどだった。
ひょっとしたら紅茶は高級品なのかもしれない。今度シャーリエにでも聞いてみよう。
それからどれくらい待っただろうか。ポットが空になり、様子を見に来たメイドにお代わりは要らないことを伝え、アポを取らなかったことを後悔し始めた頃になってようやくヨーゼフ王子が現れた。
俺は立ち上がって頭を下げる。それから膝を突いたりするべきだっただろうかと焦ったが、特に誰からも叱責されなかったので問題は無かったんだろう。
「頭を上げてくれ。息災でなによりだ。よく訪ねてきてくれた」
「お気遣いいただきありがとうございます。まずは突然の訪問をお許し下さい」
「許すも何もあるまい。そなたはいつでも訪ねてきて良いのだ」
「もったいないお言葉です」
それから王子と俺は向い合って腰を掛けた。王子はメイドに温めた葡萄酒を、俺は再びお茶を注文する。
「して、ブラムストンブルクに来たのは最近か?」
「はい。仕事で一度はクラムノール公国に。その後こちらに参りました」
「ふむ。ところでオーテルロー公国で起きた殺人事件のことは知っているか?」
「いいえ、そのようなことが?」
この質問が来ることはあらかじめ予想出来ていたので、何くわぬ顔で返事できたはずだ。
「そなたと同じアインという名の男がオーテルロー公国のとある宿を襲撃してな。亜人の男が殺された。珍しい名前なので、私の部下が聞きつけてきたのだが、見てくれもスキルもまったく噛み合わないので、そなたではないと信じていたよ」
「それはご心配をおかけいたしました。と、言うことは犯人は捕まっていないのですね」
「私がオーテルロー公国にいる間に捕まったという話は聞かなかったな。一刻も早く捕まってくれるといいのだが」
「そう逃げ切れるものでもないでしょう。すぐに捕まるのではないかと」
「そうであって欲しいものだ」
それから王子から今はどんな仕事をしているのかを聞かれたので、この冬の間は仕事はせずにのんびり過ごすつもりだと伝えた。アインとしてはブラムストンブルクでは何の活動もしていないので、そういうことにしておかないと辻褄が合わないからだ。
それからこれまでの冒険者生活について色々質問されたので、アルゼキアからの旅のことを話して聞かせる。
「私の聞きたい話にばかり付き合わせてしまったな。私に何か用事があったのではないか?」
話が一段落したところでヨーゼフ王子が思い出したように言う。
ようやく本題に入れそうだ。
「実は小耳に挟んだのですが――」
あくまで人から聞いた話として、最近ブラムストンブルクを騒がせていた強盗団が捕まったこと、その首魁がヨーゼフ王子に繋がる指輪を持っていたらしいということを伝える。
話を聴き終わったヨーゼフ王子は眉をひそめていた。
「ハンザめ、内密にと言っておきながらもう冒険者にも知れ渡っているではないか」
「では単なる噂というわけではなく、本当のことなのですね」
「ああ、そうだ。だがフランツとかいう男に指輪を渡したようなことはない。今は指輪の本来の持ち主を探しているところだ」
「それは難しいのでしょうか?」
「すべての持ち主はリストにしてある。そなたが来てくれたお陰でまたひとつ疑いが晴れた。だが指輪の持ち主は百名を超えるし、地方領主や、公国貴族なども含まれていて、すぐに全員の指輪の所在を確認するのは難しいのだ」
「私のような冒険者ともなると所在すら明らかにならない可能性も高いでしょうしね」
「いや、冒険者で指輪を持っているのはそなただけだ。だから今日は来てくれて感謝している。私の臣下にはそなたを疑う者も多かったのだ」
「それは私にとっても幸いでした」
とにかくこうやって訪問したお陰で、アインの指輪が悪用された疑いは晴れたわけだ。
「ではやはりこの件は殿下の評判を落とすための陰謀なのですね」
「そう考えるのが自然だろう」
「そうなると誰かが裏で糸を引いているということになりますね」
「うむ、疑わしいのはヘルムート兄上であろうな」
聞けば第二王子のヘルムート殿下は商売っけが強く、ハンザとの繋がりも深いという。ハンザは中立であるというノルベルト氏の言葉が早速覆された形だ。
「ヘルムート兄上は度々商人にかける税金を下げるよう父上に進言しているしな。その方がブラムストンブルクに集まる商人が増えて、結果的に税収も上がるということらしい」
「しかしそのようなことをすれば、各国で税金の下げ合いが始まってしまうのでは?」
「そうなのか? どうも私は商売には疎くていけないとは思っているのだが」
「私も専門家というわけではありませんが」
とにかくハンザが関わっている以上、ヘルムート王子が黒幕である可能性は高そうだということだ。
「せめて指輪の現物があれば誰に贈ったものか分かるかもしれないのだが」
「そうなのですか?」
俺が聞き返すと、ヨーゼフ王子はしまったというように顔を引き攣らせた。
「いや、それはだな……、指輪にはちょっとした仕掛けがしてあるのだ」
「それはどのような?」
「悪いが、そなたにでも教えるわけにはいかない。疑っているわけではないのだが、すまぬ」
「いいえ、分かりました。とにかくハンザが持っている指輪の現物があれば、誰に贈ったものか、殿下には分かるというわけですね」
「ああ、だがハンザも指輪を見せようとはしない。印影だけを寄越してくるのでな」
つまり指輪を手に入れられれば、指輪の持ち主が判明するというわけだ。持ち主が指輪を逸失していることが判明すれば、それでヨーゼフ王子とフランツに繋がりがあったということは否定できる。
「そなたが私のことを心配してこうして顔を見せてくれたことは嬉しく思う。お陰でそなたの疑いも晴れた。後は私の問題だ。そなたが心配せずともなんとかしてみせよう」
「ご健闘をお祈り申し上げます」
そうして俺はヨーゼフ王子との対談を済ませ、王城を後にしたのだった。




