第二話 一夜
囲炉裏で薪が爆ぜるパチパチという音だけが屋内に響いている。
今、この家の中にいるのは俺とユーリアだけだ。
それは俺とユーリアが関係を持つために、テオドールが気を利かせてアレリア先生とシャーリエを連れて行ったからだ。彼らは今日は宿を取って一晩を過ごすという。だから今夜はこの家でユーリアと二人きりで過ごすことになる。
シャーリエはきちんと食事の後片付けまで済ませていったので、俺たちにはすることがない。
それで俺たちは囲炉裏を囲むように置かれた椅子にそれぞれ座って、炎を見つめているというわけだ。
ユーリアの頬が赤く染まっているのは炎の照り返しのせいというわけではないだろう。俺だってそうだ。頬が熱い。
『ユーリア……』
『駄目ですよ。オスカー様。どんな時も偽名で呼び合うことにしたではないですか』
『だけど、今は本当の名前で呼び合いたいんだ』
『では、その、ワン様がそう仰るのでしたら。でもワン様の名前は――』
『自分でも変だと思うけれど、そう呼ばれるほうが自分らしい感じがするよ』
ワンと言う名前は本名じゃない。だが今の自分を形作る最初の名前はやはりワンだ。記憶を取り戻す手段が分からない以上、どんな偽名を名乗っていても、俺はワンなのだ。
『私も、ユーリアと呼ばれるほうが嬉しいです』
オーテルロー公国を出るまでユーリアは偽名を名乗っていなかったから、偽名で呼ばれることに慣れていないのだろう。
今後のことを考えればどんな時でも偽名で呼び合うというテオドールの方針は正しいと思う。だけど今、この時くらいは我が侭が許されてもいいはずだ。
『ユーリア、隣に行ってもいいかい?』
『許可なんていらないです』
そう言ってユーリアは可笑しそうに笑ったが、俺が椅子を寄せると少し身を強張らせた。
肩がぎりぎり触れ合わないくらいの距離を置いて、並んで座る。
しばらくそうしていると、ユーリアが少し体を寄せてきて、肩と肩が触れ合った。それだけで心臓が跳ねる。
『なんだか緊張しますね』
俺の心を見透かしたようにユーリアは言う。
『ユーリアも緊張してる?』
『はい。もちろん。その、こういうことは経験が無いので』
『俺も』
『ワン様は記憶を失う以前は分からないじゃないですか』
『正直に言うと、経験があるとはとても思えないよ』
『そのほうが私も嬉しいです』
『うまくできるか分からないよ。今だってどうすればいいのか全然分からない』
『じゃあ、手を握ってください』
差し出されたユーリアの手を取ると、彼女の手は少し汗ばんでいた。多分、俺の手も同じだろう。
ユーリアの手は小さく、指は細く、そして柔らかい。鍛錬の結果、以前にも増してごつごつとした俺の手とはまるで違う。そんな俺の手で、指で、ユーリアの可憐な手に触れていること自体がいけないことをしているような気がする。
それでも触れていたくて、俺はユーリアの手の感触を確かめるように指で触れる。
『なんだかくすぐったいです』
ユーリアは体を震わせて笑う。
『いや?』
『嫌じゃないです』
その証拠とでも言うようにユーリアは俺に体を寄せてくる。俺の肩に頭が当てられて、ユーリアの兎の耳が俺の耳をくすぐる。俺が身を捩ったのが面白かったのか、ユーリアは肩に当てた頭を揺らし、その耳で俺の耳をさらにくすぐった。
『ちょっと、ユーリア』
『いやですか?』
『嫌じゃないけど』
『けど、なんですか?』
『耳、触ってもいい?』
『……もちろん、です』
ユーリアが手を引っ込めて、佇まいを直す。その様子が何か可笑しい。
俺は手を伸ばして、そっとユーリアの耳に触れた。
『んっ』
耳に触れた途端、ユーリアが艶かしい声を上げて、ドキッとする。
短い毛に覆われたユーリアの耳は、毛の向きに合わせてなぞるように指を動かすと、ピクピクと反応を返してくる。摘むように触れると、意外と熱を持っていることが分かる。
少し固い不思議な手触りに、俺が夢中になって撫で擦っていると、ユーリアの手がぎゅっと俺の服の裾を掴んできた。
『ユーリア?』
その顔を覗き込むと、ユーリアは目の端に涙を浮かべて唇を震わせていた。
『耳ばっかり触って、いじわる』
『ご、ごめんっ』
『いえ、違うんです。私、すごくドキドキしてる……』
ユーリアはそう言って身を俺に寄せてくる。自然とその体に手を回して、俺はユーリアを抱きしめる。俺の胸に顔を埋めるようにしてユーリアは吐息を漏らす。
『前にも抱きしめられたことがあります』
『うん』
俺が初めてユーリアに告白して、ユーリアが俺と一緒にいたいと言った時、感極まった俺がユーリアを抱きしめたことがあった。だけどその言葉は嘘で、俺とユーリアの距離は一度大きく離れることになる。
『あの時、すごくびっくりしました』
『だろうね』
『いえ、違うんです。私は、私を抱きしめてくれる人がいることにびっくりしたんです。あなたは神人で、私は亜族だから……』
『そんなのは全然関係ない』
『知っています。今は』
俺の腕の中でユーリアが俺を見る。その瞳に吸い込まれるように俺は顔を寄せて、ユーリアの唇に自分の唇を重ねた。触れるだけの軽いキス。ただじっと何滴かの間そうして俺は唇を離した。
『俺は君が好きだよ』
『キスする前に言ってください』
ユーリアの腕が俺の首に回されて、引き寄せられるようにもう一度キスをした。今度はもっと長い時間そうしていた。息が苦しくなるほど唇を触れ合わせて、離す。
『こうするのいやじゃない?』
そう聞くと、ユーリアは非難がましい目で俺の顔を見つめ、返事の代わりに唇を合わせてきて、その舌で俺の唇をなぞる。ゾクリと背筋が震えて、俺は舌を出してそれに応えた。舌と舌が触れ合って、絡みあう。
吐息を吸うようにユーリアの唇を唇で食んで、軽く歯を立てる。舌でユーリアの歯をなぞり、そんな俺の舌をユーリアの舌が撫でる。夢中でユーリアの口の中を舌で探索して、唇を、舌を吸い上げる。
言葉を交わすのも億劫で、俺たちはただお互いの唇を貪りあった。
最初はその感触に夢中で、他のことは何も考えられなかったが、少し意識に余裕ができて、ユーリアの背中に回した手を撫でるように動かした。するとただ背中を撫でただけなのに、ユーリアの体がぴくんと跳ねて、唇を合わせたままユーリアの目が俺のことを熱っぽく見つめた。その唇を吸いながら、ユーリアの背中を何度も撫で、その手はだんだんと下の方に降りて行って、ユーリアの腰を撫で、その臀部との境目辺りに達する。
その辺りを指先で撫でていると、ユーリアの手が俺の手を掴んで、ぐいとその胸元に引っ張って行かれる。俺の体に押し当てられて潰されていたその胸部に俺の手を挟みこむようにすると、懇願するような瞳でユーリアは俺を見上げた。
『背中ばかりじゃなくて、その……』
続きの言葉を言わせずに唇を重ねる。そして俺はユーリアのその豊かな双丘を撫で擦る。その先端が硬くなっているのは、俺でユーリアが感じてくれている証で、俺は息が止まるほど嬉しくなる。
ユーリアは合わせたままの唇を何度も震わせる。
俺はユーリアの声が聞きたくなって、唇を離して、その喉にキスをした。
『ふあっ、ああっ』
耳に届く嬌声を心地よく聞きながら、俺はユーリアの首を吸い、両手で双丘を弄ぶ。円を描くように揉み、先端を軽く摘み、指先で転がして、ユーリアの反応を楽しむ。
ユーリアの手が俺の胸を擦り、同じように俺を愛撫する。その度に俺たちは体を震わせて、お互いの体に没頭していく。
『ワン様、その……』
もじもじと体を揺すって、ユーリアはその手を止める。俺も夢中になっていた手を止めて、ユーリアの言葉の続きを促す。
『お湯を用意してくれませんか? 体を拭きたいんです』
息を切らせながらユーリアはそう言う。
言われてみればユーリアは今日は雪かきの仕事で外に出ていたのだ。この家には風呂は無いので、汗を流すには濡らした布で体を拭くしか無い。
『俺はそのままでもいいよ』
『私が気にするんですっ』
胸をぐっと手で押されて距離を取られる。
ユーリアが気にするというのなら仕方ない。一旦行為を中断して、手桶を用意し、ユーリアが浮かせた水を火魔術で温める。それを手にユーリアは俺の寝室へと入っていった。それを見送って、俺も自分の体を拭くことにする。
ユーリアは離れたが、その熱はそのまま俺の体に残っていた。まだフワフワする頭のままで、俺は自分の体を丹念に拭いて、なんとも言えない気持ちでユーリアの許可を待った。
完全にお預けを食らった犬のようだ。
そんなことを思っていると、
『いい、ですよ』
寝室からそんな声が聞こえてくる。
俺は心臓がバクバク言うのを聞きながら、その扉を開いた。
囲炉裏の炎のある居間とは違って寝室の中は暗い。居間からの光でわずかに中の様子が見て取れるくらいだ。扉を閉じるとそのまま真っ暗になってしまうに違いない。俺は扉を開けたままで、寝室に足を踏み入れた。
薄暗がりの中にユーリアの姿が浮かび上がる。彼女はベッドに腰掛け、脱いだ衣服を抱くようにして、体の前を隠していた。
『ワン様も脱いでください』
少し拗ねたような声。いや、全裸で飛び込んでくると思ってたんですかね。しかし彼女にばかり恥をかかせるわけにはいかない。俺は服を脱いでその全身をユーリアに晒した。
そしてユーリアに歩み寄ると、邪魔な衣類を掴んでそっとどかせた。
あらわになるユーリアの裸体に俺は息を飲む。
『綺麗だ』
自然とそんな言葉が漏れた。
不思議なことにユーリアの裸体は美を感じさせた。それは触れてはいけないもののようで、その一方で今からそれを汚すのだということを考えると、俺は体の奥底から興奮が沸き上がってくるのを感じた。
『嬉しいです。ワン様。あなたの子どもが欲しい、です』
下腹部に手を当ててそんなことを言うユーリアがたまらなくて、俺は彼女をベッドに押し倒した。




