第一話 レベル上げ
鶏がいる。
シャーリエが街の市場で買ってきた生きている鶏だ。
品種は知らない。名前もない。
卵を産ませるのが目的に買ってきたわけじゃない。
こいつは雄鶏だ。
普通は店で絞めてもらうものを、わざわざ生きたまま買ってきてもらった。
竹を編んだ籠に入れられたそいつと、もう小一時間ほど見つめ合っている。
時折シャーリエがやってきては心配そうに俺の様子を見ては、また屋内に戻っていく。
ここはブラムストンブルクの居住区の一角で、都合の良い空き家を借りた俺たちは、ここを冬の間の拠点にすることにした。
もちろん名前やスキルはこれまでとはまったく違うものになっている。
俺はオスカーと名を改めた。
できるだけありふれた名前をつけたつもりだ。
スキルも魔術士の4が最大で、使える系統も水と土だけということにしてある。優秀とは言えないまでも平均よりは上ということになるようだ。
これで俺たちをアルゼキアからオーテルロー公国まで旅してきたアイン一行と同一視する人はいないはずだ。だがテオドールはそれでもまだ不満らしい。というのも俺のステータス偽装のスキル値が相変わらず9しかないからだ。
このままでは鑑定が10ある相手に出会った時、俺や俺の奴隷である三人の本来のスキル値が見抜かれてしまう。それはそのレベルの戦いでは圧倒的に不利な条件なのだそうだ。
それは確かにそうなのだろうと思う。かつてエリックが言っていたが、スキルを見れば相手が最低限どれくらいの強さなのか分かる。スキル値よりも弱いということはまずあり得ないからだ。
しかしステータス偽装が前提の戦いとなるとそういうわけにはいかなくなる。見えているスキルを相手が本当に習得しているのか? 偽装で見えなくなっているが実際に習得しているスキルはなんなのか? それらが分からない状態での戦いとなる。言わば、鑑定が無いのと同じ状態に引き戻されるというわけだ。
ところが現在の俺ではその土俵に立つことすらできない。
鑑定10を持つ相手の前では全てのスキルは丸裸にされてしまうからだ。
というわけでブラムストンブルクについた俺の最初の課題が、とにかくレベルを上げて盗賊とステータス偽装のスキルを10にあげてしまうことだった。
そのために用意されたもののひとつが、この鶏ということになる。
テオドール曰く、
「まともに生き物を殺したこともないのがおかしい。肉食ってんだろ。肉」
ということで食事に使うために鶏を絞める役割を頂戴したわけだ。
やり方についてはシャーリエから教えてもらった。彼女にしてみれば普段から行っている日常の一部なのだろう。教え方に淀みは無かった。
それを思い出しながら、俺は覚悟を決めて、竹籠から鶏を引っ張りだす。手の中で羽を広げてバタバタと暴れる鶏を左手で押さえつけて、右手で棍棒代わりの薪を取った。
薪を振り上げ、振り下ろす途中で手が止まる。
無力な相手を殴るのは難しい。心でブレーキがかかる。
それでもやらなければならない。
別にレベルを上げるため、とかではなく、普段食べている肉も誰かの手によって同じ工程を経ているのだと考えると、なんとかやらなくてはいけないのだという気になった。
ごめん!
鶏の頭部目掛けて薪を振り下ろす。力加減が足りなかったのか、鶏はさらに激しく暴れだした。俺は慌ててもう一度薪を振り下ろす。それで鶏は意識を失ったのかぐったりとした。
俺もすでにぐったりしかかっていたが、まだ工程は最初の段階を経たに過ぎない。なんとか気力を振り絞って、時折ビクビクと痙攣している鶏を作業台の上に寝かせ、ナタを手に取る。
息を止めて一気に振り下ろした。
ダンッと音を立てて、鶏の首が跳ねた。体の方もビクビクと跳ねている。
そうだ。血抜きをしなくては。
虚脱感が凄かったが、手を止めるわけにはいかない。
鶏の足を縄で縛って作業台に吊るす。バタバタと羽が動いているのが気味悪い。
薪の束に腰掛けてしばらく血が垂れる様をじっと見つめていると、シャーリエがまた顔を覗かせた。鶏が吊るされているのを見てほっと息を吐く。
「オスカー様、レベルはどうですか?」
言われて思い出してスマホを見ると、レベル表示が点滅していた。
「上がったみたいだ」
「良かった。後は私が処理しますね」
「いや、最後までやらせてくれないか」
「しかしお顔が優れませんし、少し休まれたほうがよろしいのでは?」
「いいんだ。最後までやらせてくれ」
「そう仰るのでしたら……」
シャーリエは気遣わしげな表情で家の中に戻っていった。
それを見送って俺はレベルを上げる。
これで盗賊スキルはレベルが10になった。ステータス偽装を10に上げるにはもうひとつレベルを上げることが必要だ。そのための経験はなんでも積んでおいたほうがいいに違いない。
血抜きが終わったのを確認して、あらかじめ沸かせてあった鍋の中に鶏を放り込む。少し茹でてから、縄を使って引き上げてしばらく蒸らす。その後作業台に戻して、手で羽毛を毟っていく。
驚くほどの羽毛が取れて、後にはピンク色の地肌を見せた鶏の肉が残った。
少しほっとしたのは、鶏という生き物が、ようやく肉に見えたからかもしれない。
解体にはシャーリエを呼んで手伝ってもらう。とは言っても彼女の指示通りに肉を切り分けていく作業だ。
「初めてにしてはお上手ですよ」
「ありがとう」
お世辞に礼を言うくらいの余裕はできた。
終わってみればこんなくらいのことだと思えるようになった。
多分、次からはもっと手際よくやれるだろう。
羽毛を麻袋に入れて、作業台を水魔術で洗う。
それからシャーリエと一緒に家の中に入った。
「おう、無事レベル上がったみたいじゃないか」
家の中にはいつの間に帰ってきていたのかテオドールが待っていた。
「ギルドの仕事に行ってたんじゃないのか?」
「雪かきだからな。力を合わせりゃあっという間よ」
どうやらテオドールたちは冒険者ギルドで雪かきの仕事を受けてきたらしい。聞けばテオドールが手作業で雪を集め、アレリア先生の火魔術で溶かし、ユーリアが水を蒸発させてきたそうだ。
「あんまり派手に魔術を使ってないだろうな?」
「あたぼうよ。ちゃんと手加減してきたさ。なあ?」
「はい」
「加減をするのが難しかったがな」
まあ、そういうことなら大丈夫だろう。
しばらく今日の出来事を聞いている間に、シャーリエが調理を終え、揃って夕食を取る。
「ところでオスカー、お前、童貞だろ」
食事の最中にそんなことを言われて、俺は思わず口に入れていた麦粥を吹いた。
「い、いきなり何を」
口元を袖で拭う。いきなり何を言い出してるんだ、こいつは。
「おうよ。その反応で分かるってもんだ」
ニヤニヤと口元にいやらしい笑みを浮かべながら、テオドールは俺の反応を笑っている。
ユーリアとシャーリエは頬を赤く染め、アレリア先生はあっと口を開けて呆けていた。
「き、記憶を失ってるからわかんねーよ」
ひょっとしたらそれ以前に経験があったかもしれない。いや、そんな可能性などこれまで露ほどにも考えたことはなかったけれど。
「その反応が童貞臭いんだよなあ。まあその辺は置いといて、少なくともこちらに来てから経験はしてないな」
「ま、まあ、そうだけど……」
「そいつは都合がいい。手っ取り早くレベルを上げる方法その2だ。一発経験してこい」
「は、はぁ?」
「その方法は確かだよ。オスカー君。私もうっかりしていたな」
テオドールへの援護は意外な方向からやってきた。
「初めての性交渉でレベルが上がりやすいことはよく知られている。というより上がりすぎるんで、迂闊にできないというのが若者の間での常識だ」
「上がりすぎるって」
「まあ、レベル20台や30台だと一気に2つか3つ上がるんで、周りにバレて大変なことになる、こともある」
「なんか俺とシャーリエが、っと、ソフィーとそういう目で見られやすい理由が分かった気がするよ」
ソフィーというのはシャーリエの新しい名前だ。
シャーリエはこれまで一気に2つレベル上がることも珍しくなかった。それはそれぞれの激戦を乗り越えた経験によるものだが、端から見ればそういう経験を持ったと思われてもおかしくないというわけだ。
「そういう若者たちのために祭りがあるわけだ。祭りの夜に羽目を外して皆一斉に経験を持てば、誰と誰がというところまでは分からないだろう? そういうことについては大人も黙認することになっている。もちろんレベルが30を超えていることは大前提だが」
「まあ、そんなのはともかく、一発ヤレばレベルが上がる。今のお前のレベルでも1つくらいなら上がるだろうさ。簡単な話だろ」
「いや、簡単じゃねーよ!」
「だが真面目な話、今、一番早くレベルを上げられる方法はそれだ。考えてみろ」
思わず視線が彷徨い、ユーリアを見てしまう。視線があって、お互いに逸らしてしまう。顔が熱い。
『私は覚悟はできてます』
思わずユーリアの顔に視線を戻すと、ユーリアは頬を赤らめたまま、じっと前を向いていた。
『覚悟、って違うだろ。それにレベルを上げるためにだなんて、そんなのは』
『じゃあ、私を好きだという証をください。そのために私を抱いてくれませんか?』
『カタリナは、それでいいのか?』
俺はまだカタリナ、つまりユーリアから俺のことを好きだという言葉を聞いていない。好きになるための時間をくれと言われただけだ。それなのに、その前にそんな行為をしていいのか?
『オスカー様が他の女性を抱くのは嫌です。だから――』
ユーリアが視線を上げて俺の方を見た。
『選ぶなら私を選んでください』
口の中はカラカラで、言葉が出てこない。
いいのか? 本当にこれでいいのか?
どれだけ考えても答えは出ない。
「あんまり女に恥をかかせるもんじゃねーぞ」
「!?」
『オレ、兎人の言葉、少し、分かる』
「聞いてんじゃねーよ!」
「聞こえるもんは仕方ねーだろ。そういうわけだ。そうだな。俺たちが宿を取るほうがいいか。それでいいよな。アルマ、ソフィー」
「えっ?」
「気を利かせてやってんだよ。それくらい分かれよ。今晩は俺たちは外で宿を取るから、お前らはしっかりレベルを上げるんだぞ」
それから夕食が終わると、テオドールは本当にアレリア先生とシャーリエを連れて出て行ってしまった。後には俺とユーリアだけが残された。




