最終話 逃走
雪は踝を埋めるほどに積もり、まだ止む気配を見せていない。薄暗がりな空からは結晶が見えるほどの雪がしんしんと降り続けている。
雪降る夕方のブライゼンは人通りが少なく、傘を差して行く人は皆足元に注意を払って歩いているようだ。
おかげで誰にも気取られることなく、俺はじっと身を潜めていられる。腕の中ではシャーリエが息を潜めてじっとしている。寒さのためか頬は赤く染まり、吐き出す息は白い。
武具の重量を足してなお彼女の体は軽く、華奢だ。この体で彼女は常に自分より大きい大人を相手に戦ってきた。身体強化スキルのおかげもあるだろうが、それ以上に彼女の勇気に敬意を払いたくなる。
これまでも彼女がいなければ切り抜けられなかった場面はあったし、これからもあるだろう。それは今もそうだ。腕の中のこの少女がいなければ、こんな無茶は考えなかった。
天球教会の番号付き、53番の使徒ミハエル。
その男は俺とシャーリエを探すアレリア先生とユーリアの前に現れて、その行方を知っていると言って裏路地に連れ込んだかと思うと、抵抗のきっかけすら与えずにアレリア先生に組み付き、その首筋に短剣を押し当てたそうだ。
そしてその素性を言い当てた上で、ユーリアに伝言を託したのだという。
ユーリアが見た男のスキルは戦士7に魔術士8。十分に脅威と言える値だが、ユーリアの鑑定スキルは4で、ステータスの偽装のことを考えると実際の強さは想像ができない。この値ですら実際より低く見せている可能性があるのだ。
テオドールとの戦闘のことを考えると、俺の魔術が番号付きに通用すると考えるのは浅はかだ。それゆえにシャーリエを連れてくるという選択を取らざるを得なかった。
ミハエルが俺を呼び出すのに指定したのはリンドクスという名前の宿で、ブライゼンでは高級な方に属する宿だ。新やすらぎ亭より二回りほど値段が高いそうだ。ログハウスの多いブライゼンでは珍しい煉瓦建ての平屋で、部屋数は12。宿の主人にアインの名前で取り次ぎしてもらえるという話だ。
宿屋に呼び出す辺り、テオドールの言っていたようにとりあえずは仲間に引き込めないか説得をするつもりなのだろう。
そして交渉のテーブルにはアレリア先生の命が乗っている。
もちろんミハエルはアルゼキアでの出来事を知っている。俺が危険な橋を渡ってアレリア先生を救い出したことも把握しているに違いない。そうなれば俺がアレリア先生を見捨てるはずがないと考えるのは当然のことだ。
当たり前だが、アレリア先生を見捨てるという選択肢はない。ミハエルという使徒がどれほど過激な思想の持ち主なのかは知らないが、天球教会によって一度異端に認定されたアレリア先生の命が非常に軽いものであることは想像がつく。俺が現れなければ、ミハエルは簡単にアレリア先生の命を奪うだろう。いつ、どこで、までは分からない。アルゼキアに連れて帰り公開処刑ということもありえるし、首だけ持って帰ればいいと考えているかもしれない。
そして俺がそう考えるだろうこともミハエルは見通しているはずだ。だからアレリア先生を人質に取ったのだろう。
気にかかるのは、いつ、どの時点で、ミハエルに発見されたのか、だ。
何日も前、ということはないだろう。それならば接触の機会はいくらでもあった。俺たちはいつでも一緒に行動しているわけではないし、アレリア先生を攫う機会だってあっただろう。
伝言役にユーリアを使わなければならない理由もない。アレリア先生が帰ってこなくて、誰かがそのことを伝えてくれば、俺たちは否応なしに交渉のテーブルにつかされる。
問題はテオドールとの接触を見られたどうか、だ。さらに言えば、テオドールが召喚された日本人で、天球教会の番号付きについての情報を知っているというところまで気づかれたかどうかだ。
その前後では俺の対応はまるで違ってくる。もしテオドールより先にミハエルが接触してきたら、俺は警戒しながらもシャーリエとユーリアを連れて交渉に向かっただろう。
今はそうではない。
こうして身を潜めつつ、アレリア先生の気配を探している。
探知スキルの前では壁の一枚くらいどうということはない。その向こう側のどこで誰が何をしているか、ある程度まで把握できる。もちろん潜入スキルなどを使って身を潜められれば、その把握は困難だろうが、そこまでの潜入スキルの持ち主などそうはいないだろう。そうであって欲しい。
やがて俺はアレリア先生の気配を見つけた。
確かにリンドクスの一室で、他にももう一人室内にいる。そちらがミハエルだろう。二人は何をするでもなく、椅子にこしかけているようだ。それ以上のことは分からない。
幸いなことに表通りに面した部屋ではなかった。裏通り側で、俺たちの姿が見とがめられる可能性は低い。
俺はハンドサインでシャーリエにアレリア先生を見つけたことを告げる。彼女はぎゅっと体に力を込めて、頷いた。
後はタイミングを待つだけだ。
やがて誰かが宿に入ってきて、その主人に案内されてアレリア先生のいる部屋の前に向かって歩いてきた。
足元のミハエルの気配が動く。立ち上がる。
その瞬間、俺はありったけの魔力で裏路地から地面の土をもぎ取って、巨大なハンマーを形成した。圧縮し、硬化したそれを魔力で振り上げる。
不思議な話だが、魔力を通して操作する物体の重さは感じない。しかしその質量は現実に存在する。
それを俺は足元の屋根に叩き付けた。屋根の上から直接ミハエルを狙った一撃だ。
雪の積もった屋根は一撃で粉砕され、ハンマーは室内へと叩きつけられる。
衝撃で屋根の雪がドサドサと地面に落ちた。
間髪入れず俺の腕から飛び出したシャーリエが、屋根に開いた大穴に飛び込んでいく。俺もすぐに後を追った。
高級宿というだけであって室内の装飾はしっかりしていた。かつてのアレリア邸を思い出す。その中央辺りに土塊と化したハンマーが鎮座していなければ、だが。
シャーリエは迷わず室内にいたミハエルという名前の男に向かって突進していった。男の体は土塗れになっていたが、負傷している様子はない。やはり魔術による攻撃は軽減されてしまうようだ。
突然のことだったにも関わらず、男はシャーリエの攻撃を鞘から抜いた長剣で受け止める。俺はそちらをシャーリエに任せ、アレリア先生を椅子に縛り付けていた縄を短剣で切りにかかる。
乱暴に扉が開く音がして室内に男が乱入してくる。
彼はすでに抜き払っていた長剣で、シャーリエと打ち合うミハエルを背後から突き刺した。胸の中央を貫かれて、ミハエルの動きが止まる。
多くの負傷者を見てきたから分かる。
あれは致命傷だ。
テオドールは何の躊躇も無く、使徒ミハエルの心臓を背後から一撃で貫いていた。
その手にぐっと力が込められ、刃が捻じられる。広がった傷口からどっと血が溢れてくる。
俺は解放したアレリア先生に予備の杖を渡すと、土塊と化していた元ハンマーにもう一度魔力を注ぎ込み、ハンマーに変えると部屋の壁をぶちぬいて裏路地への大穴を開けた。
「行くぞ!」
振り返るとテオドールはミハエルの体から引き抜いた剣を、彼の首に向けてもう一度振るい、その首を刎ねる。胴体から切り離された首がごとりと床に転がった。
うっとこみ上げる吐き気をこらえ、アレリア先生を急かして宿から撤退する。
「予想以上にうまく行ったな」
そう言うテオドールの先導で裏路地を走る。
「殺すとは聞いてない!」
「喚くな。殺す以外に無い」
アレリア先生の足の早さに合わせているので言い争いをするくらいの余裕はある。
計画はテオドールの言うとおりに予想以上に上手く行った。
アレリア先生が捕らわれたことを知った俺はすぐにテオドールに連絡を取った。スマホには当然のことながら通話機能があって、登録した相手に電話をかけることができる。それ以外にもSNSのようなアプリで連絡を取り合うこともできる。
そして潜入スキルの高い俺が屋根の上に潜み、テオドールがアインに名前を変えて正面から宿を訪れることにした。
俺が来たとミハエルが思ったところに天井から強襲を仕掛けるという作戦だ。
相手が交渉を希望しているところへの一方的な不意打ちだが、向こうだってアレリア先生を攫うような真似をしたのだ。そこはお互い様だ。
しかし――。
「番号付きを倒し、仲間を救出する。すべて上手く行った」
「あんな簡単に殺せるくらいなら、殺さなくたって勝てただろ!」
「オレの存在を知られ、お前はスキルのすべてを見られたんだぞ。その情報が天球教会に行けば、今度はそれなりの戦力で追ってくる。殺すしか無い」
「でも……」
俺は言葉に詰まる。
テオドールがやったのは殺人だ。この世界は当たり前のように殺し合いがあるのかもしれないが、俺はまだその価値観を認められずにいる。そして当然のようにテオドールも俺と同じだろうと思い込んでいたのだ。
「とにかく名前を修正しとけ」
そうだった。
この作戦のためにテオドールはアインに名前を変えていたし、俺とシャーリエも適当な名前に変更していた。それをそれぞれ元の、つまりアインとリンダに変更する。
俺たちは足跡を誤魔化すために大通りに入り、あたかも普通の市民のようにゆっくりと歩いた。今のところ近くに騒がしい気配は感じない。
リンドクスの周辺は大事になっているだろう。宿が襲撃され、一人が殺されたのだ。しかも襲撃者の一人はアインという名前だと知られている。その知らせが行き届く前に街を出るしかない。
テオドールとは一旦ここで別れた。彼はブラムストンブルクで顔が知られているので名前を変えるわけにはいかないのだそうだ。そこで俺たちとは別ルートで街を出て、その後で合流する手筈になっていた。
再び裏路地に入り、俺たちは西門に向けて走る。
そして西門が見えてくる辺りで、足を緩め、通りに出る。
西門のところでは旅支度を整えたユーリアが、門番と談笑しながら待っていた。
『ユーリア、待たせたね』
動揺を隠しながら、何食わぬ顔で話しかける。
『アイン様、大丈夫です。この方々と楽しくお話させていただいていましたから』
『それは良かった。仕事中にお相手いただきありがとうございます』
『こちらこそ、楽しかったですよ』
ニコニコ顔の門番にブラムストンブルク共通の身分証を見せて、門を出る。
『こんな時間に出発して大丈夫ですか?』
『急ぎの用事ができてしまいましたので。本格的に雪が積もる前に出発したいんです』
『そうですか。旅のご無事を』
『ありがとう』
門番とそんな会話をして、俺たちは馬に乗った。
急いでいる振りをしながら――心中はそれ以上に大慌てだったが――馬を走らせる。実際の目的地はブラムストンブルクだが、北のクラムノール公国行きの街道に向かう。ユーリアにも門番との話で目的地をクラムノールだと漏らすように指示してある。果たしてこの嘘がどれほど通用するかは分からないが、少なくともブラムストンブルクに向かうことをそのまま教えるよりはずっといいはずだ。
門から十分に離れた辺りで、森の中を突っ切ってブラムストンブルクに向かう街道に移動する。
その後はただただ馬を走らせることに集中した。
そうしなければ叫びだしてしまいそうだった。
俺たちは人を殺した。
戦争で救えなかった命というわけではない。明確に殺意を向けられていたわけでもない。その隙も与えなかった。話し合いを求めていた相手を一方的に不意をついて殺したのだ。
俺に殺すつもりはなかった。
しかしそんなことが何の救いになるというのだろうか?
それどころか、俺の考えのほうが間違っているらしいのだ。
殺すべきだったというテオドールに、俺は感情論以外での反論ができなかった。だがそれを認めてしまえば、俺は自分が何か違うものになってしまうようで怖かった。
様々な葛藤を残して俺はオーテルロー公国を後にした。
今は雪の中を西へ逃げる。
殺人の罪から、天球教会から、そして言い知れない何かから、俺たちは逃げる。
これにて第三章は終わりです。
次回からはブラムストンブルクを舞台に第四章が始まります。
ここまで割りと勢いで書いてきたんですが、書き方を改めて試行錯誤中です。
第四章は年末年始を挟んで一挙更新できたらと思っています。
しばらくお待ち下さい。よろしくお願い致します。




