第十一話 涙の後で
涙が止まっても俺はしばらくアレリア先生の温もりから離れなかった。離れがたかったこともあるし、泣いた顔を見られたくなかったこともある。
もう少しこうしてアレリア先生の暖かさに浸っていたかった。
「君は背が伸びたな」
しばらくしてアレリア先生がそんなことを言った。
アレリア先生の体が離れ、俺は泣き顔を誤魔化すように服の袖でゴシゴシと涙を拭った。
「そう、ですか?」
「ああ、立ってみたまえ」
言われるがままにその場に立つと、アレリア先生も立ち上がった。
「覚えているかい? 出会った頃は目線の高さが変わらなかったろう」
「そうでしたね」
今では俺の目線の高さはアレリア先生の額の辺りだ。ほんのわずかな違いだが、確かな成長の証と言えるだろう。
「体もずいぶん鍛えられた。まあ、そっちはステータスを見れば一目瞭然だが」
「鍛錬していますからね」
アルゼキアを後にして以来、ほとんど鍛錬を欠かしたことはない。贅肉は削ぎ落とされ、代わりに筋肉がついた。体力もずいぶん持つようになった。ちょっとくらいの運動なら息切れすることもない。
「君はまだ成長途中なんだ。色々とつまずくこともあるかもしれない。いや、あるだろう。だがそれを恐れることはない。それらを糧として、より成長したまえ。それが後悔を振り払える唯一の道だよ」
「ありがとうございます」
「うむ、礼は受け取った。もう大丈夫みたいだな。なら私は部屋に戻るとするか」
そう言ってアレリア先生は部屋を出て行った。
後に残された俺は何気なく自分のステータスを眺めていて気づく。
年齢の項目が17歳になっている。まったく気づいていなかったが、いつの間にか誕生日を迎えていたらしい。いや、この世界では誕生日という考え方はないみたいだが、それでも俺にとってはひとつの節目だ。
成長するということと同時に、この世界で時間を重ねてきたのだということを感じる。夏に召喚されて、今はもう冬だ。きっとこれからもこうして時間を重ねていくのだろう、という確信があった。
ユーリアは夕刻になって戻ってきた。夕食にはまだ早い時間だったこともあって、早速彼女を部屋に呼ぶことにする。
少し疲れた様子の彼女をベッドに座らせ、俺も少し距離を置いて座る。
『今日はどうだった?』
『色んな人と会いました。みんなに色々と心配されちゃいましたけれど、ちゃんと説明したので大丈夫です』
『それは良かった。それで、これからのことなんだけど』
『はい』
ユーリアが佇まいを直す。
『ユーリアは本当のお父さんを探したいと思う?』
『えっ?』
ユーリアはぎょっとした様子で俺の顔を覗きこんだ。
『それはどういうことでしょうか? ワン様』
『どういうこともなにも、そのままの意味だよ。ユーリアが本当のお父さんを探したいと言うなら、俺はそうするつもりだ』
『それは――』
何かを言いかけてユーリアはその言葉を飲み込んだ。
しばらく考えて、それから言葉を見つけたようだ。
『それはワン様の好意でおっしゃっていることですね。私のためを思って』
『そのつもりだよ』
『では、お止めください』
『どうしてか聞いてもいい?』
『会いたくないからです。きっとその人もそうだと思います』
『そうか……』
ではやはり俺のユーリアの本当の父親を探すべきだという思いは、俺の独り善がりだったということだ。
『そんなことより、ワン様。朝のことをどうお考えなのですか?』
『朝のって、つまり俺がユーリアのことをずっと好きでいるって約束のこと?』
『そうです』
それからユーリアはため息を吐いた。
えっ、ため息? なんか俺はため息を吐かれるようなことをしただろうか?
『はっきり言わないと伝わらないようなので、ちゃんと言っておきます。私は何もワン様だけに約束をさせたつもりではありません。あれは私の意思表示のつもりでした。つまりどういうことかというと、あなたの傍にいることはもう嫌ではありません。私をあなたの傍に置いてください。決して捨てないでください。あなたを好きになるための時間をください。だから――、私を不安にさせないでください』
『え、えっと、あの、俺は、君を不安にさせるつもりは……』
いきなりあまりに多くのことをぶつけられて、俺はしどろもどろになってしまう。
『私の本当の父親を探すというのは、その人に私を預けるためではないのですか?』
『もしそれが君にとっての幸せに繋がるようなら、そうするつもりだった』
『それは責任放棄です。もしその人が本当に悪い人で、その片鱗をこれっぽっちも見せずに私たちを騙したとしたらどうです?』
『それは――』
『ワン様が私を幸せにするために、私の全てを奪ったというのなら、最後までその責任を取ってください。それが私のお願いです。そういうつもりだったんです』
『……分かった』
どうやら俺には覚悟が足りていなかったようだ。
自分勝手にユーリアを幸せにすると決めたのなら、最後までそれを貫き通す覚悟が必要だった。
『俺はユーリアが好きだ。だから君のことは手放さないし、絶対に幸せにしてみせる』
『はい。嬉しいです。これからもよろしくお願いします』
そう言ってユーリアはにっこりと笑った。朝に見た儚げな微笑ではなく、花が咲いたような笑顔に俺は改めて心を撃ち抜かれたのだった。
だからと言ってユーリアとの仲が何か急激に進展するということもなく、五日ほどが過ぎた。ブライゼンの街はすっかり雪化粧に覆われ、シャーリエとの鍛錬もこれまでにないほど泥まみれになってやっている。
街には兵役の終わった人々が続々と戻ってきて、以前より活気が出てきたように思える。一方で、帰ってこない家族を探して戻ってきた兵士に安否を聞いて回る人の姿も見受けられる。
俺たちのところにはユエル氏から呼び出しがかかり、四人揃って指定の時間に新兵募集所に顔を出すことになった。
応接間に通されてしばらく待つとニコニコ顔のユエル氏が現れる。
「やあ、待たせたね。君たちの報酬の算定が終わったよ」
「いやに機嫌がいいですね」
「君たちの働きは私の査定にもなるからね。どうやら治癒術士として素晴らしい働きをしてくれたようだ。治癒魔術だけでなく、負傷者の搬送法や、茹でた包帯とかね」
「効果がありましたか」
「治療院では首を捻っていたようだ。病気にかかる負傷者の数がぐっと減ったらしい。どういう理屈か問い合わせが来ている」
「そんなに難しいことではないんですよ。病気の元になる、まあなんというか、悪いものを熱で殺してしまうんです」
小難しい理屈までは俺も分からないので、適当にそれっぽい説明をしておく。
俺の拙い説明をユエル氏は紙にまとめている。後で治療院に提出されるのだろう。
「消毒、か。なるほどね。これは他のことにも使えるのだろうか?」
「例えば患者の治療をするときに、消毒した衣類や手袋をすることでも病気のリスクを減らせると思います」
「なんとも手間のかかる話だが、治療院には伝えておこう」
ユエル氏は羊皮紙を丸めて、紐で止めた。
「それでは君たちの報酬についてだが、治癒術士としての働きに金貨10枚。負傷者の搬送法や、消毒の知識に対して金貨6枚、夜襲の際の特別手当として金貨4枚。合わせて金貨20枚だ」
おおう、思っていたより高額な報酬が飛び出してきたな。
そんな俺の表情を見破ったのか、ユエル氏は苦笑する。
「君たちの治癒術士としての活躍は確かなものだよ。なにしろそちらのユーリア女史は癒しの聖女とまで呼ばれたのだ。中途半端な報酬では公国の評判が落ちる」
「そういうことでしたら遠慮なく」
革袋の中に収められた金貨の数を確認して受け取る。
「契約も無事満了したようだ。それで君たちはこれからどうするつもりだい?」
「まだはっきりとは決めていないのですが、冬の間はブライゼンに滞在しようかと」
「確かにこれからは旅をするにも厳くなるだろう。なにかあったら訪ねてくるといい。なにか口利きできることがあればしよう」
「ありがとうございます。でも今のところ大丈夫です」
ユエル氏に礼を言って新兵募集所を後にする。
ずいぶんと懐も温まったし、少なくとも一冬を何もせずに過ごすことだってできる。ユーリアの故郷ということもあるし、しばらくブライゼンに滞在するつもりでいた。
「しかしそうなると宿屋住まいというのはお金がかかりすぎますね」
「そうかな。家でも借りたほうがいいかな?」
「金額しだいですが」
「しまったな。ユエルさんにその辺の話を聞けばよかった。戻ってみるか」
道端で歩きながらそんなことを話していると、通りの向こうからやってきた男が俺の顔を見てぎょっとした顔になった。
一瞬遅れて、その意味に気付いて俺もぎょっとする。
男は急に踵を返すと傘を捨てて走りだした。
思わず俺もその後を追う。
「ご主人様!?」
男の足は速い。俺も傘を捨て身体強化を発動してなんとか追いすがっていける速さだ。必然的に付いてこれるのはシャーリエだけになる。
道行く人を避けながら森の街路を全力で走り続ける。ジグザグに俺たちを振り切ろうとする男の背中になんとか追いすがる。やがて人通りの多かった通りから、人のまばらな、というよりはまったくいない裏道を走っていることに気づく。
「ワン様、一体何が?」
「あの顔、あの男の顔、あれは日本人の顔だ!」
「ニホンというと、ワン様の故郷という?」
「そうだ! でもなんで逃げるんだ!?」
「先に行きます!」
シャーリエがさらに加速して男との距離を縮めていく。
やがてシャーリエが追いつきそうになると、男は急に足を止めて急に振り返り、腰の短剣を抜いて振りぬいた。
「危ない!」
だが心配するまでもなく、シャーリエは男の斬撃を背中から引っ張りだした盾で受け流し、そのまま男の向こう側に駆け抜けて足を止めた。ちょうど俺とシャーリエで男を挟み込んだ格好だ。
「待ってくれ、いきなりなんなんだ! 俺はただ――」
「黙れ! こんなところまで追ってきたか、番号付き!」
男は短剣を構えたまま、そう叫んだ。
次回は12月6日(土)更新です。
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