第九話 墓参り
しんしんと雪が降り続く中を、俺とユーリアはそれぞれに傘を差して歩いていた。
ブライゼンの墓地へと続く道には早朝にも関わらず、花屋が開いており、ユーリアはそこで花を買う許可を求めてきたので、俺の分も合わせて買う。
森と共存するような都市づくりが行われているブライゼンでは、墓地もやはり森の中にあった。いや、森そのものが墓地だったと言ったほうがいいかもしれない。墓石はそれぞれ樹木に寄り添うように置かれており、一本の木がひとつのお墓なのだと気付かされる。
ルシアさんの墓は墓地に入ってからかなり歩いたところにあった。
『母はブライゼンゆかりの人ではなかったので、新しいお墓を用意したんです』
墓石には兎人語でルシアとだけ書かれている。
これまで見てきたお墓にはおそらく一族の名前が併記されていたから、家族が亡くなった時には同じ墓に入れて名前を書き足すのだろう。
『ただいま、お母さん』
そう言ってユーリアは墓石の前にそっと花を置いた。
そうして墓の前にしゃがんだままで、ユーリアはポツポツと語り出す。
『お母さん、あのね、私、お母さんの言っていたお父さんを見つけたよ』
それは言うまでもなくフィリップのことだ。
『でも、娘じゃないってはっきり言われちゃった。最初はね、なんでそんなこと言うんだろう。私のことが嫌いなのかな。って思ってた。でもね、その後も色んなことがあってね。きっとこの人の言っていることは本当のことなんだって思うようになったんだ』
ユーリアとフィリップの間にどんなやりとりや出来事があったのか、俺は知らない。だがアルゼキアの宿で見た彼女の扱いから察することはできる。エリックも言っていた。娘としては扱っていなかった、と。
それはまだ少女と言って差し支えない彼女にとってどれほど辛いことだったのだろう?
『昔どんなことがあったのか、フィリップさんやエリックさんから聞いたよ。今でも信じられないけど、やっぱりそれも嘘をついてるようには思えなかったんだ。でもそしたらね、私はどこにいけばいいのか分からなくなっちゃってすごく怖くなった。だから必死にお母さんの言葉を信じる振りを続けてきたよ。でもね――』
ユーリアはそのまま俺の方に振り向いた。その瞳がじっと俺のことを見据える。
『それすらこの人に奪われちゃった』
『ユーリア、俺は……』
今更ながらに俺は自分のしたことに気付いて震える。
彼女の唯一の拠り所から強制的に連れ去った。その時はそれが一番いいと思ったのだ。彼女のためになると思ったのだ。
自分の願望があったとはいえ、彼女の身の置き方はあまりに歪に見えたから、それを俺がさらに歪めてしまうことにわずかの躊躇しか感じなかったのだ。
『ワン様、今だけあなたの奴隷であることを忘れてもいいですか?』
『ああ、もちろん、構わないよ』
ユーリアは立ち上がり俺と向き合った。
『ワン……、あの時とは何もかもが変わってしまいました。それでもまだ私を好きでいてくれてますか?』
あの時、というのはつまり俺がユーリアに告白した時。まだ彼女が俺に嘘の好意を示していてくれていた時のことだろう。その後、俺は彼女に裏切られ、その彼女を打ち倒し、奴隷にして強制的に連れ回している。
その間、彼女は努めて俺に無関心を貫いているように見えた。俺の方も彼女を奴隷にした負い目があって、積極的に関わることをしなかった。
それでも日々のちょっとした合間に彼女を視線で追ってしまったり、じっと見つめているということも少なくなかった。
それは自然とそうなってしまうという類のものだ。俺はユーリアのことが気にかかって仕方がない。それはやはり言葉にすれば好きだという感情なのだろう。
『俺は君のことが好きだよ』
『……ならずっと好きでいてくれますか? つまりこの先も、何があっても、私を好きでいてくれますか? もし記憶を取り戻しても、あなたが私を好きのままでいると約束できますか?』
『それは……』
予想していなかった問いかけに俺は言葉を失う。
記憶を取り戻したらどうなるのか、そんなことが俺に分かるわけがない。家族がいただろう。友人がいただろう。好きな人がいたかもしれない。記憶を取り戻した時、今、ここにいる俺という存在がどうなるのかすら確かではない。
それでも、例え、そうでも。
『“俺”はずっと君のことを好きであり続けると約束するよ』
『私がワンの気持ちに応えられなくても、ですか』
その言葉は胸の奥にずしりと刺さる。
分かっている。分かっていた言葉だ。だが改めて聞くと辛いことに変わりはない。
『それでもユーリアを好きな気持ちに変わりはないよ。だって、これは俺の気持ちだ。どうしようもない』
『ワンはお母さんと同じですね』
ユーリアがわずかに微笑んで、そう言った。
『えっ、いや、でも、あれ、そうなのか?』
久しぶりに見たユーリアの微笑と、ルシアさんと同じだと言われたことで、頭がこんがらがって、俺は思わずその場で挙動不審に陥ってしまう。
ルシアさんはフィリップのことが好きだった。でもフィリップは天球教会の信徒で、亜族であるルシアさんのことをそういう風に見ることはとてもできなかった。ユーリアにそうしたように単に優秀な魔術士である冒険者の仲間として扱っていただけだっただろう。
それでもルシアさんの気持ちは変わらなかった。
そして何かの破綻が起きたのだ。
『お母さんがおかしくなったとか、嘘をついていたとか、中々信じられませんでしたが、ワンを見ていると分かるような気がします』
『俺、そんなにおかしいか』
『殺されかかった相手を好きだっていうのは十分おかしいと思います』
『そっか……』
そしていずれ俺の気持ちも何か決定的な破綻を迎えてしまうのだろうか?
どうしてもユーリアを振り向かせたくなって、あるいはどうしても繋ぎ止めたくなって……。
俺は口の端が釣り上がるのを感じた。
好きな相手を奴隷にして連れ回している俺が何を言ってるんだ。
『ワン、お願いがあります』
『なに?』
『私のことをずっと好きでいてください。あなたのことを好きになれるかは分からないけれど、あなたが私の居場所になってください。とても都合のいいお願いをしているのは自分でも分かっています。でもお願いです。私を裏切らないで』
『俺は誓って君を裏切ったりしないよ』
『約束してくれますか?』
『約束するよ』
ああ、本当になんて都合のいいお願いなんだろうか。
俺を騙し裏切った彼女が、俺に裏切らないように頼むだなんて皮肉に過ぎる。
俺はユーリアの隣に行くと、しゃがみこんでルシアさんの墓に花を供えた。
『ルシアさん、あなたにも約束します。俺はユーリアをずっと好きでいます。彼女の居場所であり続けます。決して裏切ったりしません』
当たり前だが返事は無かった。
ただ墓地には雪が降り続き、静謐さが辺りを満たしているだけだ。
『ありがとう。ワン』
こうしてルシアさんの墓参りを終えた俺たちは連れ立って街に戻ってきた。
ユーリアは挨拶に行きたいところがいくつもあるというので、そこで別れる。俺が付いて行っては話がややこしくなるところもあるそうだ。まあ、どういうことかは大体想像がつく。
別れ際に頭を下げる彼女に、小さく手を振ると、ユーリアは少し迷ってから小さく手を振り返してくれた。
一人になった俺はしばらくブライゼンの街を目的も無くぶらつきながら、今後のことを考えていた。
ルシアさんの足跡を追って、ユーリアの本当の父親を探そうとしていたのは、彼女のフィリップへの執着を断ち切るのが目的だった。そしてその父親がユーリアのことを娘と認め、ちゃんと娘として扱うのであれば、それからのことはユーリアの自由意志に任せようと思ってもいた。
だけどユーリアは俺が彼女の居場所であることを願ってくれた。ならばもう無理に父親を探す必要は無いのでは?
俺は首を横に振る。
また自分に都合の良いように考えようとしている。
ユーリアの幸せを願って、彼女を奴隷にしたならば、最大限それを得られるように努力する義務が俺にはあるはずだ。
俺はとりあえず冒険者ギルドを訪ねてみることにした。冒険者であったルシアさんなら、この街の冒険者ギルドにも登録していただろうし、彼女のことを知っている人も沢山いるはずだ。
ブライゼンの冒険者ギルドは閑散としていた。
それもそうだろう。この街に滞在していた冒険者は戦争に駆り出されてまだ戻ってきていない。
『魔術士のおにーさん、せっかく来てくれたけど、ごめんなさいね。志願兵の間は冒険者登録はできないんです』
俺の姿を見つけた受付嬢がわざわざカウンターから出てきて話かけてきてくれる。
『いえ、今日は登録ではなく、ちょっとお話を伺いたくて』
『ええ、どんなお話です? ちなみに私は彼氏います』
『違いますよ。その、以前こちらに所属していたと思うんですけど、水魔術士のルシアさんという方について』
そう言うと、受付嬢はじーっと俺のことを見て、ああ、と頷いた。
『あなたがユーリアの、へぇ、ふーん、カロンから話は聞いてますよ』
どうやらユーリアの友人だったという兎人の青年はちゃんと色々根回ししてくれていたようだ。
『ルシアさんなら確かにウチに所属していました。優秀な水魔術士でしたよ。最後は残念でしたけれど。そうですね。彼女のことを聞きたいならミラーノさんのところに行くのがいいんじゃないですかね? 多分、ルシアさんと一番付き合いのあった方です。ルシアさんが従軍している間なんかは、ユーリアはミラーノさんのところに預けられていましたし』
『どんな方なんですか?』
『お年を召した薬師の女性ですよ。旦那さんは戦争で亡くなって、お子さんもとっくに独立されて、ユーリアのことを孫のように可愛がっていましたね。きっとユーリアが奴隷になったなんて聞いたら卒倒するんじゃないですかね?』
俺がぎょっとしたのを見て、受付嬢はクスクスと笑う。
『冗談、冗談ですよ。芯の強い方ですから、ユーリアが顔を出したらこってり怒られていると思います。そもそもこの街から出ることだって反対されていましたからね。いえ、皆、反対したんですよ。ユーリアが生まれてこの方一度も顔を見せていない父親なんて探しに行かなくていいって、皆思ってましたからね』
『あなたもユーリアが街を出るのには反対だったんですか?』
『もちろん。私だってルシアさんには世話になりましたからね。その一人娘が無茶なことをしようとしてるのを止めないわけがないですよ。それに冒険者ギルドとしても、彼女ほど才能のある水魔術士を引き止めないわけがありません。まあ、止めれば止めるほど意固地みたいになっちゃって、結局出て行っちゃったんですけどね』
そう言って今度は苦笑いを浮かべる。
『ユーリアはどうしています?』
『とりあえず今朝墓参りに行ってきました。それからお世話になったところを回ってくるそうですので、そのうちここにも顔を出すんじゃないですかね?』
『へぇ、あなたも一緒に?』
『ええ? それが?』
『それじゃ本当にユーリアはいい人に拾ってもらったってことですね。兎人族は墓参りには家族でしかいかないものなんですよ。まあ兎人族に限った話じゃないでしょうけど』
『まあ、確かにそうかも知れませんね』
そういう温かみのある話ではなかったが、ユーリアにとっては居てもいい場所の再確認という意味合いがあったのだろうと思う。
俺はユーリアの居場所でありたいと願ったが、果たしてそれに相応しいだけの存在でいられるだろうか?
それからミラーノさんの家を聞いて俺は冒険者ギルドを後にした。
次回は11月22日(土)更新です。




