第八話 戦争の後で
魔族の夜襲を辛くも乗り越えた公国軍だったが、まだ戦争が終わったと確定したわけではない。翌朝も軍勢は出発したし、俺たち治癒術士は多数の負傷者が出たことでずっと大忙しだった。
死者の数は聞いていない。まだはっきり分からないだけかもしれない。だが俺は少なくとも一人の死者を知っている。こうして負傷者を治療している衛生兵の中にレックスの姿はない。
誰にも話していないが、あの時も俺は判断を間違えたのだと思う。ユーリアを守ることを優先するのではなく、風の魔術で火矢を打ち払っていればレックスは死なずに済んだはずだ。
咄嗟のことだったとはいえ、俺は救えるはずだった命をまた拾い損ねた。
後悔が澱のように心の奥底に溜まっていく。
そのことをできるだけ考えないように、今は負傷者の治療に全力を尽くすだけだ。
雪はその日一日中降り続けた。
積もりはしなかったが、近いうちにこの辺りも雪化粧に包まれることになるだろうとのことだ。
夕刻になって戻ってきた公国軍によると、魔族の姿は発見できなかったそうだ。もうしばらくは斥候を出して様子を見るそうだが、例年のことから考えても魔族軍は撤退したと考えて良さそうとのことだった。
一方、ヨーゼフ王子の暗殺を企んだ兎人の兵士への取り調べはあまり順調ではないようだった。聴取――とは言っても言葉から想像されるようなものではないだろう――の結果、金で暗殺の依頼を引き受けた流れの冒険者だったそうだが、依頼主も、本人も身元がはっきりしない。志願兵を大いに取り入れるオーテルロー公国軍の慣例が悪く働いたと言えるだろう。横の繋がりも無かったようで、魔族の襲撃との関連性も分からないままだ。
ちなみにこの話はヨーゼフ王子からの報酬を持ってきた彼の従者である犬人の少年から聞いた。よくもまあ戦場にこれだけの大金をよく持ってきていたものだと思うが、俺のような報酬を支払う場合を考えてのことだそうだ。別に俺の例が特別だったというわけでもないらしい。
従者からは重ねてヨーゼフ王子から感謝の言葉を伝えられる。
それから紋章の入った指輪を渡された。これは王子が懇意にしている相手に渡すものだそうで、これをブラムストンブルクの王宮で見せれば、ヨーゼフ王子に取り次いでもらえるらしい。
なんというか破格の待遇だが、それだけ王子にとって昨夜の出来事は印象的だったのだろう。一方で、ブラムストンブルク王国の後継者争いに完全に巻き込まれてしまったことを感じる。
あの王子にそのつもりがあるかどうかは分からないが、これで俺は完全にヨーゼフ王子の関係者という立ち位置になったということだ。このことが今後どう影響してくるかは分からないが、ブラムストンブルクにはあまり近寄らないほうが良さそうだ。
そうだ。レベルアップの話をしておこう。
俺はひとつレベルが上がり、治癒を7まで上げた。表示されるステータス上でも5まで上げてある。
ユーリアも治癒を上げ、治癒スキルは8になった。こちらは偽装せずに素のステータスを表示させてある。砦の兵士からは癒しの聖女だとかなんだとか言われていて、本人もまんざらではなさそうだ。
シャーリエはまたしてもふたつレベルが上った。これは彼女のレベルがまだ低いことが大きな要因だろう。それに見合うだけの働きを彼女はしている。当然のように戦士スキルと盾スキルを上げ、どちらも8になった。
今の彼女であればジャクリーンにも負けないに違いない。グラント氏にも勝てるかもしれない。いや、どうだろうか。グラント氏の強さはスキルからは分からない、戦闘の経験によるものが大きかったようにも思える。そういう意味ではまだまだシャーリエは駆け出しだ。
そんな考えもあって、シャーリエのスキルは6で偽装したままだ。それでも彼女のレベルからすると破格のスキル値になるようだが。
それからさらに五日が過ぎると、斥候が魔族の野営地跡を発見し、負傷者の後送もおおよそ終わり、終戦というムードが漂ってきた。
負傷者が出ないことで治癒術士と衛生兵たちはすっかり暇を持て余し、雑談などに興じる内にすっかり顔なじみになってしまった。名前を一人一人あげていてはキリがないので、ここでは割愛するが、他の治癒術士たちの経歴は聞いていて興味深いものだった。
半数くらいは冒険者で、彼らは競うように自分たちが如何に運が悪く、間が悪く、頭が悪くて、強制徴募されたのかを面白おかしく語ってみせた。もちろん他のお前らも同じくらい阿呆なんだぞ、という皮肉も感じられる。
残りの半分の半分が街や村で治癒術士として働いていた者たちで、彼らは残してきた患者のことを心配そうに話した。一方で、ウチにはこれだけ不遇な患者がいるんだぞという不遇な患者自慢のような謎の競い合いが発生もしていたが。
そして残りの四分の一が聖職者だった。もちろん天球教会ではない。ブラムストンブルクでは先祖の霊を崇める僧教という宗教が一般的で、彼らは主に僧教に所属する治癒術士だった。一方でオーテルロー公国では自然崇拝が主流であるようだ。だが彼らの教義は真っ向からぶつかるものではないので、穏やかに共存しているのだそうだ。
そういうことを話し終えると、雑談は自然とどうでもいい話へと移り変わり、戦場につきものの怪談話や、あるいは恋愛話などに花が咲いた。
合間を見て俺は自分たちの荷物からバイオリンを持ってきて、こちらに来てから聞いた曲を何曲か再現して弾いてみせたりした。他にも楽器を持ち込んでいる人がいて、皆で即興曲を楽しみ、王道だという曲を何曲か教えてもらう。
そんな風に音楽を楽しんでいると、いつの間にか治癒術士と衛生兵だけではなく、砦に残っている兵士たちも集まってきて、皆で一緒に合唱をしたりして、この平和な時間を楽しんだ。
演奏スキルを取っておいて本当に良かったと思う。
戦いには必要の無いスキルだが、音楽は心を癒してくれる。こうしている間はあの戦争の記憶を少しの間だけ忘れていられる。
このスキルを取ったポイントがあれば治癒スキルがもっと早く、もうひとつ上げられたのだとしても――。
俺は音を外し、慌てて修正した。皆、気にはしていないようだ。それがありがたくもあり、何故か寂しくもあった。
それから二日経っても魔族の姿を発見できなかったことを受けて、オーテルロー公国軍は正式に終戦を宣言した。
兵士たちは翌日から荷馬車で順次ブライゼンに向けて移動を開始するそうだ。
俺たちは自分の馬があるので、自由にブライゼンに戻っていいことになった。ただし報酬の査定があるので一定の期間ブライゼンに留まらなければならないようだ。
ブライゼンへの滞在はもとよりそのつもりだったので、何の問題もない。
俺たちはその日の内に知己となった人たちに挨拶を済ませ、翌朝にはエルゲン砦を後にした。
例によって治癒魔術を活かした早馬で俺たちはその日の内にブライゼンまで戻ってきた。
新兵募集所に顔を出すには遅い時間だったので、新安らぎ亭という、最近改築されたばかりだという宿屋で部屋を借りた。
いつも通りに俺の部屋がひとつ、ユーリアたちの部屋がひとつという配分だ。
またこの宿には風呂があるというのも大きかった。エルゲン砦にいる間は濡らした布で体を拭く程度のことしかできていなかったので、風呂があるのはありがたい。
その分値段も張ったが、今の俺たちの懐具合なら、少々の出費など痛くも痒くもない。
久しぶりにたっぷりの湯で体を洗い、首まで湯に浸かると、体中の疲れが流れだしていくようだった。
翌日になり新兵募集所に顔を出すと、驚いたことにユエル氏が出迎えてくれた。イルスンの町で俺たちを強制徴募した部隊の責任者だ。
「驚いた。もう戻ってきていたのか。こちらには戦争終結の早馬が昨晩到着したところだよ」
「治癒魔術で馬の疲労も癒せますからね」
「そうか、魔術士というのはつくづく便利だな」
「ユエルさんはいつこちらに?」
「強制徴募の必要が無くなったからね。先日戻ってきたところだよ。君たちの無事を知れて嬉しいよ。なんでも大規模な夜襲を受けて大変だったそうじゃないか」
「ええ、まあ、なんとか切り抜けました」
「うん。今年も無事に終戦を迎えられて良かった。ところで悪いのだが、君たちの働きの査定についてはまだ詳細が届いていないんだ。だから追加の報酬についてはまだ後ほどということになる。それまで一応は志願兵という立場のままなのでブライゼンに滞在していて欲しい」
「分かりました」
それからユエル氏に滞在先の宿を伝えて新兵募集所を後にする。
「一応はこれで一段落、というところか」
「そうですね。寄り道になりましたけれど、得られた報酬は大きかったです」
「ほとんどが王子様からの報酬だけどな」
「そのことですが、あまりブラムストンブルクに関わるのはよろしくないかと」
アレリア先生が小声でそっと助言をくれる。
「俺もそう思ってるけど、アリューシャがそう思う理由は?」
「やはり政争に巻き込まれる恐れが大きいからです。それに王子の前で雷魔術を使ってしまいました。誤魔化しはしましたが、独自に魔術を編み出したというだけで、普通の魔術士だとは思われません」
「やっぱりマズかったか」
風魔術で吹き飛ばしても良かったのだが、それでは周囲にも被害が及ぶと思ってつい雷魔術をつかってしまったのだ。
「王子自身はさして気にしていない様子でしたが、どこからか話は伝わるでしょう。硬直という新魔術が使える魔術士がいるとなれば、その秘密を探ろうとするのは当然のことです」
「最悪の場合、変えるしかないかな」
もちろん名前やスキル構成のことだ。
ブライゼンに滞在している間は仕方がないが、ここを出た後にこそっと変更してしまうのはありだ。例えば俺の魔術士スキルを完全に隠してしまえばいい。杖も隠せば、体術使いの前衛にしか見えないだろう。
「あまりそれに頼りすぎるのもどうかと思います。もっとも隠し通さなければならないものですから」
アレリア先生の言うことももっともだ。オーテルロー公国では多くの顔見知りができた。名前やスキルを偽装できても、顔まで変えられるわけではない。安易に名前やスキル構成を変えても、顔から素性が明らかになる可能性は否定出来ない。
「まあ、ブラムストンブルクに行く予定は今のところ無いよ。ひとまずの目的地はここだ」
「そうでしたね」
オーテルロー公国ブライゼン、ユーリアが生まれ育ったという街。
俺はここでユーリアの母親であるルシアさんの足跡を追い、できればユーリアの本当の父親を探し出したいと思っている。せめてその手がかりだけでも。
『そういえばユーリアはお母さんの墓参りに行きたいんだったよな。いつでも行ってきていいんだよ』
『お墓参りは朝に行くのがいいとされているので、良かったら明日の朝に行こうと思うのですが』
『うん。そんな習慣があるんだ。いいよ。行っておいで』
『それでなんですが』
ユーリアが俺のことをじっと見据えた。
『アイン様も一緒に来ませんか?』
ユーリアはそう言ったのだった。
次回は11月15日(土)投稿の予定です。




