第三話 気付き
「もう顔が真っ白ですよ。お休みください」
そう声をかけてきたのは俺をこの部屋に案内してくれた衛生兵だった。
俺は足を骨折した兵士の治療をしているところで、もうしばらく時間をかければ、彼は歩けるようになるはずだった。
「もう少し続けさせてくれ。せめて彼だけでも治したい」
「そこまでですよ。約束ですからね」
衛生兵はそう言って、患部の固定の手伝いを続けてくれる。
治癒魔術は万能の魔術ではない。骨が折れた状態のまま治癒魔術を施せば、骨が曲がった状態で治癒してしまい、患部が曲がってしまうなんていうことも発生するようだ。だからこういう重傷者の治療には、治癒術士と看護師の協力が不可欠だ。
布を噛んで痛みを堪える兵士の足を、衛生兵は力任せに真っ直ぐに固定する。そこに治癒魔術をかけ、骨の再生を促す。しばらくの時間を必要としたが、彼の足の骨は修復された。
それと同時に俺は崩れ落ちそうになって、その衛生兵に抱えられる。
「無理をされるからです。魔力を使いきればかえって回復に時間がかかるんですよ」
丁寧な口調でだが窘められる。
そういえば以前、地竜を退治したときに魔力を使い果たした時は三日も寝込んでしまった。ここで同じような愚を犯すわけにはいかない。
彼に肩を借りながら、ユーリアたちのところへ案内してもらう。優秀な治癒術士であるユーリアを、奴隷とはいえ冷遇するようなことはするまいと思っていたが、どうやら俺も含めて四人セットで一部屋が与えられたらしい。これはかなりの好待遇だそうだ。
「君はどんなところで寝ているんだ?」
「自分は藁の寝床です。この時間だと寝るスペースを開けるのに、誰かを蹴飛ばさなきゃなりません」
「それは大変だ」
ユーリアたちと同じスペースで寝るのは別に初めてのことではない。旅の途中で同じ天幕で休むことは何度でもあった。だから与えられた部屋という優遇を手放すつもりはない。
「ご主人様、お疲れ様です」
部屋で出迎えてくれたのはアレリア先生とシャーリエだった。魔力を使いすぎたユーリアはすでに横になっている。
「先に寝ててくれても良かったんだよ」
「そういうわけにも参りません」
アレリア先生の丁寧口調がどうにもこそばゆかったので、衛生兵の彼には礼を言って退出してもらう。彼には彼の、寝床を確保するという戦いが残っている。うまく行くことを祈るばかりだ。
「やっぱり相当無理をしたようだな」
彼が部屋を出て行った途端、ため息混じりにアレリア先生が言う。
「ちょっと魔力を使いすぎただけだよ。一晩眠れば回復する」
「じゃあ、そうしたまえ」
アレリア先生に促されてそのままベッドに飛び込もうとして、ふと気がついた。
この部屋にはベッドがふたつしか無いのだ。
今はそのひとつをユーリアが占拠している。彼女の疲れを考えればそうするのは当然の配慮だ。だが俺がこのベッドを使ったらアレリア先生とシャーリエはどこで眠るのだ?
そこで部屋の隅に藁の束が用意されていることに気がついた。
「それで起きて待っていたのか」
俺が帰ってきた時に二人がベッドを空けて藁で寝ていたとしたら、素直にそのままベッドに飛び込むなんてことはできなかっただろう。二人をベッドに寝かせて自分は藁で寝るくらいは考える。アレリア先生はそのことに気付いて、あえて先に俺をベッドで寝かせてしまおうと考えていたのだろう。
「目ざといな。だがこういう時は気づかない振りをするものだ。明らかに君のほうが休息を必要としていて、そのためにはベッドで眠るのは君のほうがいい。ここで君が安易な善意から自分は藁で眠ったとしよう。そのために翌日に疲労が残り、魔術を万全に使用できなかったら犠牲になるのはここの負傷者だぞ。いいから、今は余計なことを考えないで、主人らしくベッドを使えばいいんだ。いいね」
実際のところ、難しく物事を考える心の余裕は無かった。初めて人の死を目の当たりにしたばかりだということもある。その俺に、犠牲になるのは負傷者だと言われれば、反論などできるはずもない。
俺はアレリア先生とシャーリエに力づくでベッドに押し倒された。
「何も考えず、よく眠るんだ。いいね。ずっと頭の中であーと声を出し続けるといい。眠くなるまでずっとだ。他のことは考えないようにするんだ」
「おやすみなさい。ワン様。私にはこれくらいしかできませんが……」
シャーリエの声がして体が少し暖かくなる。ああ、これは治癒魔術だ。きっと俺の杖を使って、俺にかけてくれているのだろう。
俺はアレリア先生の助言に従って、ずっと頭の中であーと声を出し続けた。息を吐いても吸ってもあーあー言い続けられるのはなんだか変な感じだったが、やがてすぅと眠りに落ち――
治癒スキルを上昇させていないことに気がついた。
眠気は吹き飛び、俺は飛び起きた。
驚いたことに部屋の中は真っ暗で、俺はどれくらいの時間かは分からないが眠っていたようだ。それで良かった。この気付きは誰にも知られたくない。仄暗い感情が心の奥底から溢れ出す。
スマホを起動させてスキルポイントを確認すると、10残っていた。治癒スキルを現状の3から5まで習得できる数字だ。
スキルは3あればそれを職業とできるレベルで、5あれば職業人の中でもかなり優秀なほうだとして捉えられる。実際にその効果のほどは、気軽にスキルを上昇させてきた俺自身がよく分かっている。
最初に治癒スキルを上昇させていれば、7人の内、何人かは死ななくてすんだのではないだろうか?
いや、きっと、多分、間違いなく、そうだ。
胃の奥からこみ上げる嘔吐感をこらえながら、震える手で治癒スキルを5まで上昇させる。
それからステータス偽装で3に偽装しなおした。
だから俺のスキル上昇には誰も気づけないはずだ。
ユーリアやアレリア先生たちだって、俺がどのタイミングで治癒スキルを上げたかまでは分からないだろう。
治癒スキルの伸びしろを残したまま、人を死なせてしまっていたなんて、誰にも気づかれたくない。気づかれてはいけないものだ。
俺は感知スキルを使い、部屋の中の様子を探るが、皆は静かに寝息を立てている。誰も俺の目覚めに気がついていない。
そっとスマホをポケットにしまい、暗闇の中に意識を落とそうとした。
どれだけ“あー”と叫び続けても、一向に眠気は訪れなかった。
最悪なのはこの世界の夜が長いことだ。
どれだけ寝返りを繰り返しただろう。
意識すまいとすればするほど、死んでいった兵士たちを思い出す。
苦しみに歪んだ表情や、あるいは泣きじゃくる声や、傷口から見える肉や骨、臓物の色、血と汗の匂いと言った諸々だ。
なぜ気づかなかったのだろう。
なぜ思い当たらなかったのだろう。
苦い微睡みと、半覚醒を繰り返しながら、やがて空が明るくなってきた。吐き気の残る最悪の朝だった。俺はよろよろとベッドから転がり落ちるように起き上がると、歯をくいしばって部屋を出た。
その辺の兵士を捕まえて顔色を心配されながらも水場を教えてもらい、水瓶から冷たい水を啜り、顔を洗った。いつもなら魔術で済ませてしまうことだが、魔力を無駄遣いできるような気分ではない。
そうだ。治療をしなくては。
ふらつきながら俺は負傷者が運ばれている部屋に足を向けた。
『ちょっと、あなた、大丈夫!?』
部屋に入った途端、目が合った中年女性の衛生兵が俺のところにすっ飛んでくる。
『大丈夫。治癒魔術を必要としてる人はいない?』
『ええ、目の前にいるわ。酷い顔。熱もあるんじゃない?』
衛生兵の手が額に当てられる。冷たくて気持ちいい。
引っ張られて空いているベッドに無理やり座らされる。
『落ち着いて、まず自分に治癒魔術を使いなさい』
『でも――』
『言い訳はしない!』
貫禄のある物言いに俺は言われるがままに自分に治癒魔術をかける。熱があるようだったから、病魔治癒スキルも使う。すると少しだけだが気分がマシになった。
『見ない顔だね。昨日来たって新入りかい?』
『ええ、はい』
『戦争は初めてかい?』
『はい』
『それじゃ仕方ないね。慣れるまでは誰でもそうさ』
そう言って衛生兵の女性は俺の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
『まだこんな時間じゃないか。まだ休んでていいよ。独りで戻れるかい?』
『ここで休んでいてもいいですか?』
今はまだ皆と顔を合わせるのが辛い。普通の顔でいられる自信が無い。何かに気づかれるかもしれない。
それは考えるだけで恐ろしいことだった。
俺の様子が尋常ではなかったのか、衛生兵の女性はため息をついた。
『構わないけれど、負傷者が来たら真っ先に蹴っ飛ばすよ』
『ありがとうございます。それと寝る前にこれだけは――』
俺は部屋の中に範囲治癒魔術を発動させる。体力を回復させるくらいの効果しかないが、目の前の女性も気丈に振る舞ってはいたが体力は45しか無かった。少しは楽になるはずだ。
それにこれくらいの魔力ならすぐに回復する。
最近になってようやく俺は自分の魔力量の推移を感じ取れるようになってきていた。それと同時に魔術に込める魔力の効率も上がってきた。地竜戦でぶっ倒れたのは、相当に無駄に魔力を使いまくったせいだ。今ならもっと効率的に倒せる自信がある。
『ありがとう。それとおやすみなさい』
看護兵の声を聞きながら、俺は横になって目を閉じる。
俺は前線に出るべきなのかもしれない。
スキル構成は治癒に特化してるとはいえ、俺には火も風も土も、そして雷という切り札もある。シャーリエとの練習でもそう簡単に追い込まれるわけではない。魔術を使えるなら数十の敵を捌くことにだって、自信がある。
多くの敵を倒せば、それだけ味方の負傷者が減る。
しかしそのためにはユーリアたちを前線に連れて行くか、あるいは奴隷契約を解くしかない。奴隷契約がある限り、奴隷は主人の命を守ろうとしなければならないからだ。俺は彼女らを出来る限りは危険から遠ざけていたい。
しかし奴隷契約の解除をすればアレリア先生とシャーリエの名前は元に戻るだろうし、スキルの偽装も明らかになる。それに対する有効な言い訳は未だ見つけられないでいる。場合によっては俺の身柄を押さえろということにもなりかねない。それでは本末転倒だ。
結局のところ治癒術士としてここで負傷者の治療にあたっているのが一番なのだろう。余所者としてあまり深く入れ込むべきじゃないとも思う。
そうだ。どうせ戦争には勝っているのだ。それほど気にすることじゃない――
今度こそ俺は深い眠りの中に落ちていった。




