第八話 シャーリエの成長
「じゃあ、行くぞ」
「はい。いつでもどうぞ」
翌朝、日課となっているシャーリエとの組手を始める。シャーリエは小型盾と木剣、俺は素手では危なくなったので手甲を装備している。
立ち会いの距離は5メートルほど。もちろん俺は魔術抜きだ。
シャーリエが防御を優先に動くのは分かっているので、俺は真っ直ぐにダッシュして拳を振るう。それをシャーリエは受け流すのではなく、真正面から受け止めた。
ガツンと金属のぶつかる音がして、俺の拳が弾き返される。以前はシャーリエがたたらを踏んでいたものだが、すでに魔力による身体強化済みなのだろう。シャーリエの体はびくともしない。鋭く突き出された木剣を俺はバックステップして回避。昨日までは余裕綽々で躱せた攻撃も、今は危うく食らうところだった。刺突の速さも段違いになっている。
こうなると俺のほうが迂闊に踏み込めない。
その逡巡を読み取ったのか、シャーリエは盾を前に抱えたままこちらに距離を詰めてくる。
速い!
もともとシャーリエは俊敏な動きのできる少女だったが、身体強化によってその速度は俺のバックステップに軽々と追い付いてくる。シャーリエの刺突を考慮して、俺は右に動くことで避けようとするが、その俺に向けてシャーリエは盾を振るってきた。
シールドバッシュ!?
回避は間に合わず、手甲でそれを受ける。
バガンと小気味良い音を立てて、俺の右手が弾き飛ばされる。少女の体から打ち込まれたとは思えない威力で、右手がジンジンと痺れる。さらにシャーリエは盾を振るった勢いのまま、右手の木剣で切り込んでくる。
いや、今のシャーリエの力だと木剣でも相当ヤバイ!
俺は上半身を捻って斬撃を避けざまに、シャーリエの左足を払う。しかし重心が乗っていると思われたその足はひょいと持ち上げられ、俺の足は空を切った。ドン、と今度こそシャーリエは左足を踏みしめて、風切音を立てて振り下ろされた木剣が俺の眼前で止まった。
「参った。完敗だよ」
「いえ、アイン様。フェイントがたまたまうまく行っただけです。あれがフェイントで無ければ、立場は逆になっていたでしょう」
「まあ、それも含めて俺の負けだよ。やっぱり俺も身体強化取ろうかな」
「いいえ、それでは私の立場が無くなってしまいます。どうぞ、アイン様には私の後ろで存分に魔術をお使いください」
「リンダがそう言うなら」
シャーリエの手を借りて起き上がる。お互いに余所行きの口調なのは、ここがブリッグの街のすぐ外で、竜殺しが訓練してると街の人々が見学に来ているせいだ。まあ、しばらくこの地で足止めを食らって娯楽に飢えているのだろう。少しくらい彼らの目を楽しませても構わない。
俺は自分とシャーリエに治癒魔術をかけて体力を回復させる。
「それじゃもう一本!」
「はいっ!」
結局、魔術による身体強化を手に入れたシャーリエの戦闘能力の向上は凄まじく、俺は十本に一本程度しか勝ちを拾えなくなった。それまでは五分五分だったのが嘘のようだ。それだけ身体強化スキルの効果が大きいということだろう。問題はシャーリエの魔力量で、十回程度の立ち会いで彼女は自らギブアップを宣言した。どうやら彼女は俺と違い、魔力の切れかかった感覚を掴んでいるようだ。
「実戦では使いっぱなしというわけにはいかないでしょうね。要所要所で身体強化を使うことになりそうです」
「というか、今まで全開で使ってたのか……」
「ええ、ですから落ち込むことはありませんよ」
「お、落ち込んでなんてねーし」
11歳の女の子に殴り合いで負けて慰められてるとか悲しすぎる。だが実際に今のシャーリエは並みの冒険者と同等に立ち会えるだけの力を手に入れたと見ていいだろう。それはフィリップたちと一度戦った俺が言うのだから間違いない。一対一なら彼らの誰とでも互角の戦いができるだろう。
ま、負け惜しみじゃないんだからね。
水魔術で汗を流し、衣服も乾燥させる。
水系統の魔術士が長旅で重宝されるのがよく分かるだろう? それでもこれだけ流暢にこなせるのはスキルレベルが高いおかげだ。
汗を流すためと言え、頭から水を被るのが苦手なシャーリエは耳をぴくぴくとさせている。
「やはりアイン様の魔力量は桁が違いますね」
「そうなのか?」
実は地竜戦でぶっ倒れたばかりなので自分の魔力量には自信がない。そもそも魔力量はステータスに表示されないというのだから不親切極まりない。MPはどうした。MPは、と言いたい。まあ、HPも無いんだけどね。
「普通の魔術士では治癒魔法に、水を生んで、その後乾燥魔術など使ったら、それで昏倒してしまいます」
「ユーリアなら余裕そうだけど」
「ユーリア様も規格外でいらっしゃいますから」
「だよねえ」
そんなことを話しながら宿に戻ると、ようやくアレリア先生が起きだしてきたところだった。学者らしく?夜型の先生はとにかく朝に弱い。シャーリエ抜きで起きて来ただけ今日はマシなほうだ。
「ああ、もう、お部屋にお戻りください。御髪を整えますから」
シャーリエがグイグイとアレリア先生を押して部屋に戻っていく。
ああ、なんだか今日は平和に済みそうだという予感がある。大丈夫だよ。フラグじゃないよ。
アレリア先生の髪が整い、朝食を終える頃には出立の準備は終わっていた。アレリア先生の準備はというと、当然のようにシャーリエがやっていた。かつての主従関係は未だに根強い。まあ、そこのところをどうこう言う気もない。
馬を連れ、検問所で通行許可証を見せて橋を渡る。
スレトン側の検問所はフリーパスだ。検問は渡る手前の街で行うという取り決めは今のところ有効なようだ。2つの街の関係がどうなっているのかは分からないが、俺たちにとっては楽でいいことだ。
スレトンの街の雰囲気はブリッグとは多少異なる。
アレリア先生のありがたいお話によると、それは街の成り立ちによるものであるらしい。アルゼキア王国の領土として開発されたブリッグに対し、スレトンは商人たちが勝手に宿場町を形成していってできた街であるそうだ。だから神人以外の人々の割合がブリッグに比べてさらに多い。建築様式もそれに伴い、アルゼキア方式ではない。石造りの建物が多く見受けられる。さらに通りなどが整備されていたブリッグに対し、スレトンは街路が入り組んでいる感じだ。
ブリッグから渡ってくる旅人は珍しいのであろう。最初は視線を集めたが、それも少しの間のことだった。
こちらもスレトンに長居するつもりはない。
ブリッグの越橋税がどういった経緯であのようなことになっていて、それがスレトンの街にどういう影響を与えているのか。アレリア先生は興味があるようだったが、余計なことに関わるつもりはなく、俺たちは足早にスレトンの街を後にした。
ブリッグの街で予想以上の足止めを食らったので、乗合馬車を使うことは諦めた。何かトラブルが合った際にオーテルロー公国に辿り着く前に足が止まる可能性があったからだ。簡易式の天幕と、その他の必要品はブリッグの街で買い込んで馬に乗せてある。
俺たちは馬を走らせて西に進む。
本来なら馬旅で、馬を走らせるようなことはあまりしない。馬が潰れてしまうからだ。だが俺たちの場合は治癒魔術がある。俺たち自身の体力も、馬の体力も適時回復できる。魔力の続く限り無茶が利くということだ。そして治癒魔術士が二人いる俺たちならば、日中は馬を走らせ続けることができるという寸法だ。
当然乗合馬車よりもずっと速く移動ができる。
雪が降り始める前には目的地に辿り着ける公算だった。
旅の間も朝と夕方のシャーリエとの組手は欠かさない。
以前よりも体力がついたことが実感できるし、体もよく動くようになってきた。しかしそれ以上にシャーリエの戦闘技術の向上が凄まじく、俺が勝てる割合は増えるどころか減る一方だ。というより、今は一方的に叩きのめされていると言ったほうが正しい。
今ではシャーリエは身体強化をほとんど使わなくなっていた。攻撃の瞬間、防御の瞬間、あるいはフェイントをかけた後のラッシュに入る瞬間、一瞬だけ身体強化を使うことで、それまでとは格段に違う身体能力にこちらはリズムを完全に崩されてしまう。消費する魔力を節約しつつ、より効果的な戦い方を身につけつつある。さらにスキルを取っていないにも関わらず、俺の体術を見よう見まねで使うようになって、もう手がつけられないというのが本音だ。
案外、こういうスキルを取ってないのに使える技術というのは、対人戦において重要な要素になってくるのかもしれない。スキルが無いからできないだろうと思っていたら足元を掬われる。かつてエリックが夜番の際に言っていたことは、つまりこういうことなのだろう。
強さはスキルに現れるのではなく、結局は本人の鍛錬次第なのだ。
そういう意味ではシャーリエには本物の才能があるのだろう。本人の向上心はすさまじいし、努力を怠らず、それに見合うだけの技術の向上がある。
「シャーリエは本当に頑張るね。どうしてこんなに頑張れるんだい?」
手合わせの後でお互いに柔軟体操を手伝い合っている時に聞いてみた。
つい先日まで戦いとは無縁だったメイドの少女が、何故にここまで戦いにのめり込めるのか興味があったからだ。
「正直に言いますと、私はあまり出来のよい召使ではありませんでした。それこそ才能が無かったのでしょう。割った皿は数知れず、洗濯物を持って転び、掃除の際に壷を割る。お館様のお屋敷にあまり高価な調度品が無かったのは、私が壊してしまうので、その前に処分してしまわれたからです」
今明かされる衝撃の真実だった。
そう言えばアレリア先生からシャーリエはそそっかしいところがあるとかなんとか聞いたような記憶があるが、実際にそういうところを目にしたことがなかったので忘れていた。俺にとってシャーリエはアレリア先生の面倒を甲斐甲斐しく見る出来のいいメイドさんというものだ。
「言われてみれば掃除に関するスキルが無いんだね」
「そうなんです! それが習得できればと、どれだけ願ったことか!」
「スキルポイントなら1余ってるけどなあ」
「うう、いえ、今は前衛としての能力が不足していますから……」
「今でも十分強いと思うんだけど」
実際のところ今のシャーリエはエリックより手強いんではないだろうか? もちろん俺が魔術を使えば完封できるだろうが、並みの冒険者に引けを取るとは思えない。
「いいえ、地竜との戦いを私は見ているしかできませんでした」
「いや、あれは流石にどんな前衛でもどうしようもなかったよ」
「そうでしょうか? 今の私がもう少し強く、もう少し速くなれば、あの地竜が相手でも、囮になり、翻弄し、その間にワン様とユーリア様で悠々と倒すことができたのではないでしょうか? であれば、ワン様にあれほど無理をさせることもなかったのです」
3つの驚きがあった。
1つはシャーリエが地竜と戦うことを想定して強くなろうとしていたこと。普通の人間であれば初めから諦めて当然のその行為を、彼女はさも当然のように、そうしなければならないと考えている。
1つはあと少しでその強さに届くと考えているということ。それは無謀だと諌めるべきか俺は迷う。もし万が一また地竜と遭遇するようなことがあれば、シャーリエはそれを前衛を務めるために飛び出して行ってしまうだろう。前回は不可能だったそれを、今なら多少は果たせると思っているからだ。
最後はシャーリエが俺の身を案じてくれているということだった。奴隷の契約は魂に刻み込まれるが、その心まで歪めてしまうわけではない。俺の奴隷となったユーリアとのこのしばらくの微妙な距離感を見ていれば分かるように、奴隷になったからといって主人を愛し、敬うようになるというわけではない。だから俺の身を案じてくれるシャーリエの言葉は、真実彼女の心によって生まれたものだ。
「ワン様?」
黙り込んだ俺に振り返る少女に、どんな言葉をかけてやればいいのか、俺は少し迷う。かつてこの少女は、アレリア先生の理不尽な命令によって俺を誘惑しなければならないと思い込んだ可哀想な女の子で、守るべき対象だった。
それが今は皆を守るだけの力を手に入れつつあり、それをさらに研鑽しようとしている。なら言えることなんてひとつしか無いじゃないか。
「頼りにしているよ。今でも、これからも」
「はいっ!」




