第六話 竜種との戦い
巨大な地竜が迫り来る。その恐ろしい光景を目の当たりにして、俺の心はどこかが壊れてしまったようだ。すべてがゆっくりとして見える。地竜の一歩一歩が大地を揺らし、シャーリエが恐慌状態になりながらも、奴隷としての制約に強制されて俺の身を守ろうとして前に出ようとする。アレリア先生とユーリアが杖を構える。そのすべてを俺は知覚していた。地竜の呼吸音、心音までが聞こえる気がする。
俺は全力で雷を打った。
杖の先からほとばしる雷光が一直線に伸びて地竜を打つ。地竜の体力が68から66まで減少。だがそれ以上の効果はない。地竜の勢いは止まらない。彼我の距離は300メートルほど。数十秒で地竜は俺たちを蹴散らすだろう。
ユーリアがかつてないほどの量の水を集めている。25メートルプールを満たせるほどの水量だが、それを制御するのはユーリアにとっても限界のようだ。地竜を窒息させるにしても、接近してその足を止めなければならない。
アレリア先生の放った炎弾を地竜は正面から受け止め突破した。体力は65に減少。雀の涙とはこのことだ。
「ユーリア、そのままぶち当てろ!」
言いながら俺の魔力も水の塊に流し込み、一緒になって水の塊を持ち上げ、地竜に向かって投じる。100メートルほど先で水の塊は地竜にぶち当たるがそれだけだ。その肌を濡らしたに過ぎない。
「もう一度水を!」
叫びながら俺は全力の雷を再び放つ。濡れた地竜は激しく感電して、痛みに咆哮を上げる。体力は60まで減った。突進の勢いがわずかに削がれる。
あと50メートルほど!
もう一発雷を放つよりも、俺は土魔術を発動させることを選んだ。土の壁を作り出す、のではなく、地竜の足元を陥没させる。ヤツを丸ごと落とすほどの穴は作れないが、足を取るには十分な大きさだ。踏みしめる大地を失った地竜はバランスを崩して前のめりにつんのめる。
「ユーリア!」
さらに土、土、土!
陥没した地面をさらに陥没させ、範囲を広げる。地竜の前足は両足とも陥没した地面に取られ、突進が完全に止まる。地竜の突進を受ける形になった地面がめくれ上がる。そこに向かってユーリアの水が投じられた。水が穴を浸したのを見て、俺はめくれ上がった地面を土魔術で地竜の上に覆いかぶせる。そのまま硬化させる。
頼む、動くな。
そのまま窒息しろ。
地竜の後ろ足がガリガリと地面を削る。尻尾が地面を叩き、俺たちの体が一瞬宙に浮く。
全員が息を飲んで事の成り行きを見守っている。
俺は周囲の地面から土を集め、地竜の上にどんどんと覆い被せていく。他にできることが思いつかない。
地竜の頭の上に乗せた土の量は数トンにも及ぶはずだ。
「32,31,30……」
アレリア先生が数字を数えている。それが何かを考えもせずに俺はただただ地竜が動かないように土を集めてくるだけだ。
あの巨体がひと揺るぎすれば、こんな土の塊など簡単に振り払われてしまうに違いない。それでも続けるしか無い。ただ集め、乗せ、固める。
「……さま、ワン様!」
気がつけばシャーリエが俺の腕にしがみついていた。
「もう結構です。もう終わりました」
そう言われて地竜を見ると、すでにその足はぐったりと力を失っており、ステータスを見ようとしても何も見えなくなっていた。死ねばステータスは消える。だから地竜は死んでいる。
「素晴らしいご活躍でした。だからもう大丈夫です」
シャーリエがそう言いながら俺の震える手から杖を取り上げる。見れば、アレリア先生も、ユーリアも心配そうにこちらを見ていた。地竜は倒したのに、どうしてそんな心配そうな顔をしているんだ。
「って、え、あれ……」
体に力が入らない。というか、立っているのかすら分からない。ぐらりと視界は暗転して、俺は意識を失った。
まあ、何が起きたのかと言えば俺は魔力切れを起こしたのだった。皆が心配そうに俺を見ていたのは、俺の顔色が真っ青だったからだ。残念ながら魔力切れはステータスからは見分けがつかず、治癒魔法も使えないので、人によっては魔力を使いすぎて死んでしまうこともあるらしい。そういうことはできれば先に話しておいて欲しいものだ。まあ、知っていたとしても同じことをやっただろうけれど。
俺が倒れた後のことは全部伝聞なのでかいつまんで話しておく。
シャーリエを押し倒すようにして意識を失った俺だったが――アレリア先生め、本当に余計な情報だ――、その後普通に眠っているようだったので、とりあえず念の為にユーリアを残してアレリア先生とシャーリエでキャンプ地に救援を呼びに行ったそうだ。
地竜を倒したという話に半信半疑ながらもワース氏は人を集めてここまでやってきて、半分地面に体を埋めて死んでいる地竜を見て腰を抜かしたそうだ。どうやら本当に地竜が生息していることを知らなかったらしい。
そして俺は地竜の金になる部位と一緒に馬車に乗せられてキャンプ地まで戻ってきて、自分たちに割り当てられた天幕で寝かされたそうだ。
まあ、人から聞けばこれだけのことだが、実際には地竜の死体の処理なんかが大変だったらしい。その責任の多くは地竜の頭の上に土を積み上げた俺にあるようだったが、そうする以外なかったので許して欲しい。
何にせよ、俺たちは有名人になっていた。
たった四人で地竜を倒した冒険者。
実質二人でやったようなもので、ついでにスキルレベルは偽装してあるから、この戦いの真実の部分を他の冒険者が知る由もなかったが、彼らの目には窮地を知恵と力で凌いだ凄腕の冒険者という風に映ったようだ。
それはもう物凄いお祭り騒ぎだったそうだ。
アレリア先生が話をするのに疲れたと零したくらいだから、相当なものだろう。シャーリエやユーリアも話をせがまれて大変だったようだ。その辺は寝ていて楽をさせてもらった部分だろう。
さて、その後で問題となったのが地竜退治の報酬と、取れた素材をどうするかだった。ワース氏の反応からも分かるように想定外の事態だったので、キャンプ地では処理できずブリッグの冒険者ギルドに判断を預けることになった。
そのために荷馬車隊が結成され、地竜の素材と共にまだ眠ったままだった俺もブリッグに向けて移送されることになったのだ。
「というのが、大体の事のあらましだ」
と、荷台の中で目覚めた俺にアレリア先生が説明してくれた。
どうやら俺は丸三日間眠りっぱなしであったらしい。どうりで体の節々が痛いわけだ。ついでにものすごく腹が減っている。
「今出てくる食べ物はこれくらいだな」
差し出された携帯糧食に俺はため息を吐いた。
ブリッグの街に入ったのは天球が暗くなり始めた頃だった。相変わらず立ち往生している商隊の天幕が立ち並んでいる。彼らは俺たちが通りかかると、荷台に乗った地竜の部位を一目見ようと列を作り、背を伸ばした。きっと娯楽に飢えているのだろう。そして地竜退治の話はすでにブリッグの街に広まっているということでもあった。
荷馬車隊は冒険者ギルドの前に停まり、部位の見分が始まるようだった。俺たちはワース氏に案内されてギルド長と面会することになった。正直なところ面倒だと思ったが、報酬を受け取らなければならないし、断るわけにも行かないだろう。
冒険者ギルドの二階にある応接室に俺たちは通された。
調度品はアレリア先生宅以上、ビクトリアス氏以下というところだろうか。派手ではないが金はかかっている印象だ。
「どうぞ、アイン様」
ギルドの受付嬢に椅子に座るように促される。
「俺だけ?」
「え? しかし――」
受付嬢は三人に視線を彷徨わせる。おそらく彼女らの奴隷であるという契約を確認しているのだろう。
「俺は彼女たちと一緒に座りたい。いいね」
「はい。もちろん構いません」
多少強めに出てもいいだろう。こちらは死にそうな思いをして地竜を倒しているのだ。それなりの報酬と敬意はもらってもいいはずだ。
とは言え受付嬢にしても奴隷に対して普通の対応をしただけだろう。普通の主人であれば、奴隷と同じ扱いを受けることを嫌がるに違いない。まあ、だからこれは受付嬢が悪いという問題ではない。
「もっと奴隷らしく扱ってもいいのですよ」
そう言いながらアレリア先生はちゃっかり俺の隣に腰を下ろす。
ユーリアも少し迷ったようだがアレリア先生とは反対側の俺の隣に腰を下ろした。
「ほら、リンダも」
「しかし、私は」
「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ」
シャーリエはおずおずと下座の席に腰を下ろす。もともと奴隷だった彼女は、主人と同じように扱われるということに慣れていないのだろう。しかし俺の奴隷である限りはこういうやり方に付き合ってもらうつもりだ。
「待たせて悪いね。あ、座ったままでいいよいいよ。ニナちゃん、お茶まだー?」
部屋に通されてすぐ、案外軽いノリで入ってきたのが、ブリッグの街の冒険者ギルド長だった。ステータスによると名前はディクニス・オブライエン。レベルは79。年齢は50歳となっている。前髪の少し薄くなった神人の男性だ。
「神人なのが意外かい? 意外そうだね。まあブリッグも元はアルゼキア領土だからね。今は神人以外の人が多いけれど、要職には意外と残っているものなのさ。これでもアルゼキア貴族の血を引いていてね。親戚にはアルゼキアの人も多いんだよ。アイン君。君は生まれはどこだい?」
彼は俺の対面に座るとそんな雑談を始める。
「アルゼキアの南の名もない農村です」
「魔界に隣接した辺りかい?」
「ええ、まあ、はい」
以前にアルゼキアに入国した時にアレリア先生と決めていた設定をなぞりながら、なんとか話を合わせる。
「はぁー、やっぱりそういう経験って実戦でも影響するもんなのかなあ? 地元の方にも竜が出たりはしたのかな?」
「いえ、さすがに地竜は今回初めてでしたよ」
「それにしては大したもんだ。ちょっと前までレベル1だったとは思えない」
「え? は?」
ざわりと背筋を冷たいものが滑り落ちる。
オブライエン氏はニコニコとした笑みを崩さないまま、その顔をアレリア先生に向けた。
「大きくなってお母様に似てきたんじゃないかい? アレリア・アートマンさん」




