第四話 魔物狩り
独立都市ブリッグは西部の魔界開拓事業を行っている。これはつまり魔界を切り開いて人類の領域、人界へと作り変える作業のことだそうだ。具体的には魔物を追い払い、魔界の植物を焼き払い、その後人界の植物を植え替える、というよりは農場にする。そういった一連の作業のことであるらしい。
「不思議な話ではあるのだが、魔界と人界では食物連鎖が植物の段階から完全に分化している。それぞれの植物は同じ土と水で育つにも関わらず、それぞれの生物しか摂取することができない。魔界の植物を食んで育つ生き物は我々が口にすることはできないし、その逆もまたしかりだ。それゆえに人界に魔界の植物が生えてきたらすぐに処分しなければならない。一方で魔界では魔族が同様のことをしていると思われる。だが人の手の入らない地帯では面白いことが起きる。植物自体は混生できるから、人界と魔界が入り乱れたような混生地帯が発生したり、動物が植物を食い尽くした結果、魔界の植物だけが残り、混生地帯が魔界に変わったりする。その逆が起きることもあって、現在の人界と魔界の入り乱れた勢力図が完成したわけだ。その中で人類と魔族はお互いに領土を巡って戦争を繰り広げている。農地に適した土地というのは案外少ないからな」
「ということは今回も戦争になる可能性があるのか?」
「いいや、グリッジの周辺で魔族が見かけられたことはないからな。魔族の領域はこの魔界の中でもさらに西のほうなのだろう。こちら側はまだ手付かずと見える。我々が対処しなければならないのは、魔物の、それも凶暴なやつだけさ」
「凶暴ではあるのか」
そんなことを話しながら農道を馬で進み、夕刻に差し掛かる前にはその最西端である小さな集落に辿り着いた。どうやらここが開拓事業の最前線であるらしい。出迎えがあって、俺たちが依頼を受けた冒険者であることを知らせると、新しい天幕を用意するとのことだった。
その間に責任者であるというワースという中年の男性と面会することになった。
「魔術士様が三人もいらっしゃるとは心強いですな」
小太りのその男性は俺たちに自分で沸かした茶を勧めつつ、頬を綻ばせた。
「他にも冒険者の方はいらっしゃるのですが、魔物の数が思っていたよりも多く、苦労しているところなのです」
「どんな魔物が出るんですか?」
「一番多いのは大鼠ですな。まあ、こいつらは火を放てば逃げていくのですが、後で大挙して戻ってくるわけで」
結局は地道に駆除していくしかないというわけであるようだ。
ちなみにこの大鼠という魔物は、大きいものだと人間の子どもほどの大きさにもなるそうだ。それ以外にも大鼠を食っている肉食獣もいるらしい。こちらは人間が近づくと、火を持っていてもお構いなしらしく、とりあえず植物を焼き払うというのがうまくいっていないらしい。
「基本的には魔物の尻尾が討伐証明部位となりますので、こちらにお持ちいただければ報酬と交換いたします。魔物を狩りに出かけていただけている限り、ここでの滞在費は必要ありません。食事もこちらで用意させていただきます」
「ずいぶんとサービスがよろしいのですね」
外行きの口調で言ったのはアレリア先生だ。
「今年は南部の魔界から魔物が大量発生しましたでしょう? アルゼキアなどは穀倉地帯がかなり被害を受けたとかで、この冬は穀物をアルゼキアに頼るのは難しいということで、今年はともかく来年以降に備えてブリッグでも自給自足できるように農地を広げたいわけです」
「スレトンの農地は無事だったんですか?」
「いやぁ、その話は聞いておりませんなあ」
その後もしばらく雑談をして、天幕の用意ができたというので俺たちは用意された天幕に腰を落ち着けることにした。とりあえず魔物退治をするにしても明日からだ。
「ひょっとしたらスレトンを困窮させるのがブリッグの狙いかもしれんな」
「どういうことだ?」
一息ついたと思ったらアレリア先生がそんなことを言い出した。
「魔物の大量発生で農地を手放したのは何もアルゼキアだけではないということだ。スレトンも南に穀倉地帯を持っていた。そこが大打撃を受けたと仮定すると、スレトンは食料を輸入に頼らなくてはならなくなるだろう? そこでブリッグから食料がやってこなくなれば、スレトンとしてはブリッグに頭を下げてでも越橋税を元に戻してもらわなくてはならなくなる」
「アルゼキアも大変なんでは?」
「アルゼキアは大きい。南の農地がやられたくらいで困窮はせんよ。備蓄もある。こういう時に困ったことになるのはスレトンのような小さな独立都市だ。まあ、単なる想像だがね」
「川を挟んだ権力闘争か。まあ俺たちには手出しのできない話だな」
「そうだな。我々は冒険者らしく日銭を稼いでみようじゃないか」
そんなわけで翌日から俺たちは魔界に足を踏み入れることになった。
と言っても荒廃し赤茶けた大地が広がっていたり、鬱蒼と生い茂る森ではない。見た目は人界とさほど代わり映えのしない風景をしており、ただその植物や動物を人間が食えるかどうかの違いでしか無いのだ。だから魔界に入った時も、俺はこれっぽっちも気づかなかった。アレリア先生から指摘されてようやく気付いたくらいだ。
「よく見給え。植生が変わっている。このへんの草はもう魔界特有のものだ」
「じゃあ、この辺の生き物はもう全部魔物ってことだな」
「全部とは言わないが、大体はそうだろうな」
「いきなり魔物に襲われるとか想像していたけど、そんなこともないんだな」
「肉食獣のテリトリーを侵したりしない限りは向こうから襲ってくることはないだろう」
「うーん、とりあえずは大鼠とやらと一戦してみたいところなんだけど」
「まずは、巣を、探しましょう」
「うむ、大鼠は平地の土の中に巣を作る習性がある。入口は塚のようになっているから、見かけたらすぐに分かるはずだ」
「探知スキルの出番か」
俺は意識を集中させて、周辺の気配を探る。特に土の下の気配に対してだ。そうしてしばらく歩き回っていると、土の下をもぞもぞと何かが動き回っているのが感じられた。
「この辺の下にいるみたいだな」
その辺を中心に探しまわってみると、すぐに土の塚が見つかった。大きな横穴が開いていて、何かの巣穴だとすぐに分かる。
「で、これからどうしたらいい?」
「私が追い出します」
ユーリアがそう言って杖を構えた。見る間に空中に水の塊が生まれて大きくなっていく。俺はユーリアの意図を察して身構えた。シャーリエとアレリア先生もそれぞれ獲物を構えて臨戦態勢だ。
そしてバスタブいっぱいくらいの水を生み出したユーリアが、それを巣穴に流し込んだ。一瞬遅れて、足元の気配がざあっと動き出す。
「出てくるぞ!」
言った途端、巣穴から巨大な鼠が無数に飛び出してきたかと思うと、三々五々に散っていく。一匹もこちらに向かってはこない。俺たちがあっけに取られている内に、やがて巣穴から出てくる鼠は一匹もいなくなり、辺りは静けさに包まれた。
「あ、えーっと」
「逃げられました」
「うん」
てっきり襲い掛かってくるものだと思っていたから拍子抜けだ。
ゲームだとすぐに逃げ出す敵と言えば、経験値かお金が美味しいと相場が決まっているが、大鼠は倒しても大した報酬が得られる敵というわけでもない。何匹かのステータスを確認したが、レベルも高くて10前後と言ったところだ。
「そうか、これは現実だもんなあ」
今更そんなことを理解する。
ゲームではないのだから弱い敵がわざわざこちらに襲いかかってくるわけがない。弱い生き物は基本的には外敵を察知したら逃げるものだ。そんな当たり前のことを失念していた。
「いやぁ、失敗だったな。私も咄嗟のことで何もできなかった。次からはこうしよう。巣穴の周りを炎の壁で包んでおいて、それからユーリア嬢の水攻めだ」
アレリア先生の提案はうまく行った。次に見つけた巣穴では、出てきた大鼠は炎の壁を前にして逃げ惑い、しかし次から次から巣穴から出てくる大鼠に押されるようにして炎の壁に追いやられ、焼け死んでいく。
それはまさしく戦いというよりは駆除だった。
「出番がありません」
「まあ、楽でいいじゃないか」
シャーリエの愚痴を聞き流して、焼け死んだ大鼠の尻尾を切り取っては麻袋に詰め込んでいく。鼻の曲がるような酷い臭いがするが、なんとか我慢する。ひとつの巣穴から数百匹は現れるだろうか。数えるのも面倒なので、もう諦めて淡々と大鼠の死体を処理していく。
それからさらに3つほどの巣穴を潰し、そろそろ大鼠の尻尾が麻袋に入りきらなくなったころだった。探知スキルがこちらに接近する複数の気配を捉えた。数は11、大きさは人間くらいだが、その速度は人間のそれではない。
「あっちからなにか来るぞ」
警告を発すると、皆は大鼠の尻尾切り取り作業を中断してそれぞれの獲物を構えた。気配は疾走する馬ほどの速さで接近してくると、10メートルほどの距離を置いて、俺たちの周りをぐるりと取り囲んだ。
「狼の群れか。大鼠の焼ける臭いに誘われてきたな」
「毛皮が、売れます」
「ならば私は控えておこう。シャーリエ、出番だ」
「は、はいっ」
シャーリエが盾と短剣を構えるのと、一匹目が突っ込んでくるのが同時だった。ユーリアはすでに水の塊を生み出していつでも撃ち出せる態勢だったが、俺はそれを手で止めた。これはシャーリエの最初の試練だ。いつまでも実戦を経験しないわけにもいかないのだから、皆でサポートできる状態で実戦を迎えたほうがいい。
それに、
「ユーリアは後ろから来る狼を頼む」
「はい」
探知スキルは後方からもう一匹が突っ込んでくるのを察知していた。そちらはユーリアが水の塊で受け止める。勢いを完全に殺された狼は水の中でしばらくもがいていたが、やがてぐったりと動かなくなる。
一方シャーリエは狼の突撃を盾でうまく受け流していた。自分よりも重量のある相手の体当たりのような攻撃を、盾で横殴りにするようにして捌く。横っ面を叩かれた狼は、ぎゃんと鳴き声を上げて仲間たちの輪に戻っていく。
「ナイスだ。シャーリエ」
「はいっ」
次は四匹が四方向から同時に襲いかかってきた。正面はシャーリエに任せ、後方はユーリアに、俺は右の狼を雷で打つと、返す刀で左の狼も雷で打った。雷に打たれた狼はビクリと跳ねて動かなくなる。ステータスが見えなくなった。一撃で殺した。
驚くほど命を奪ったという実感は無かった。散々大鼠の死体の処理をしたからというのもあるかもしれない。
狼たちは自分らの不利を悟ったのか、逃げようとするが、その前にアレリア先生が生み出した炎の壁が現れて邪魔をする。足の止まった狼をユーリアの水が、俺の雷が打っていく。
さして時間もかからずに俺たちは11匹の狼を全滅させた。
「やっぱり魔術士様はすごいですね」
肩を息をしながらシャーリエが言う。二回狼の突撃を受け流しただけだが、それでも彼女には初の実戦だ。
「いや、シャーリエのおかげで楽ができたよ。ありがとう」
もしシャーリエが盾スキルをとって前衛をやると言ってくれていなかったとして、魔術士三人でこの狼と対峙していたら、まあ、負けることはないにせよ、アレリア先生の炎に頼って何匹かは黒焦げにしなければならなかっただろう。
俺一人だったら襲ってくる分には避けられるだろうし、攻撃する分には一撃だが、狼たちが逃げ出した時に追撃ができなかっただろう。
つまり狼を毛皮を採れる状態で全滅に追い込めたのはシャーリエが体を張ってくれたおかげだ。
俺はシャーリエに治癒魔術をかけてやりながら、お礼の意味も込めて頭を撫でてやる。
シャーリエはくすぐったそうにしながらも、どこか誇らしげに俺の撫でる手を受け入れてくれた。
まあ、それから狼の毛皮を剥ぐのが大変な作業だったのだが、思い出したくもないので割愛させて欲しい。とにかくユーリアの指示に従って俺たちは狼たちの毛皮を剥いで、麻袋に一杯の戦利品を手にキャンプ地に戻ったのだった。




