第一話 ユーリアの本音
「ユーリアが目を覚ましたぞ」
夕刻、馬の手入れをしていた俺のところにやってきて、アレリア先生はそう言った。
この二頭の馬は不本意ながらフィリップたちから奪ってきたものだが、人懐こい性格なのか、それとも以前に一緒に旅をしたことを覚えているのか、俺の言うことをちゃんを聞いてくれる。もちろん騎乗スキルの効果もあるだろう。
ここはアルゼキア領内の農村のひとつだ。
フィリップたちの裏切りの後、オーテルロー公国に向かうことにしたのはいいものの、そのままではアルゼキアに戻るのが一番の近道になってしまうので、俺たちは一旦北に大きく街道を迂回して、この農村に辿り着いた。
宿は無かったので、村人のひとりに銀貨を握らせて一日だけ家を借りることにした。亜属を家に入れることについて嫌そうな顔をされたが、俺が腰に差した杖を見ると、それ以上はなにも言わなかった。
まったく、どうしてこんなことになっているのか。
まとめるならそれほど長くない。
異世界に召喚された俺が、不用意に保護者であるアレリア先生に進化論を教えたら、それが元で大手の宗教に異端認定されてしまい、危うく処刑されるところを助けだして逃げている真っ最中というわけだ。
幸いチート的なスキルのお陰で俺たちの名前は、指名手配されているであろうものとは違っている。ステータスが絶対のこの世界では、ステータスの偽装というのは想像もつかないことであるそうだから、直接俺たちを知っている相手に出くわさなければ安全なはずだ。
というわけで目下の悩みは誘拐してきた水魔術士ユーリアが起きたらどうしようかということだったのだが。
「ユーリアはどんな様子?」
「驚くほど大人しいな。もっと取り乱すものかと思っていたが、召喚されたばかりの君もそうだったが、最近の若者はみんなこうなのかね?」
「その言い方、年寄り臭いよ」
そう言うとアレリア先生は憮然とした表情で立ち去っていった。
だがユーリアが落ち着いているというのは朗報だ。杖を取り上げているとは言え、魔術士が完全に無力になるわけではない。特に魔力操作に優れたユーリアの場合、魔力感知の高い相手であれば、自分の魔力を無理やり流しこむことで、その相手を無力化することができるだろう。かつて俺が洗礼として受けたアレだ。
相手に直接触れないと出来ないとはいえ、杖無しで可能な魔術行為であり、俺たち三人は概ね魔力感知に長けている。だからユーリアが抵抗する場合に備えて、俺は彼女がそれを諦めるまで雷魔術で痛めつける覚悟をしてあった。
まあ、それは杞憂に終わったわけで、それだけでもホッとする。だからと言ってこれから彼女と話をしなければならないのは胃が痛い。治癒魔術でもこの痛みは消せないようだ。
借りた家に戻ると、シャーリエが夕食の支度をしていた。
今日は雨に濡れたこともあってシチューのようだ。シチューでなければ温野菜だったことだろう。農村ということもあって新鮮な野菜が手に入ったのはありがたい。これから旅をするにあたって、また堅パンと乾燥野菜のスープの日々に戻るのかと思うと億劫だ。
「疲れてるだろう。どこかでもらってきても良かったんだよ」
「いえ、こうして動いているほうが気が紛れますので」
あたかもそうしていれば以前の日常を取り戻せるかというように、シャーリエは鍋に向き合っている。そんな彼女の邪魔をする気になれずに、俺はユーリアを寝かせた寝室に向かった。
ノックをすると小さな声で返事があって、俺は扉を開けた。
薄暗い部屋の中では、ベッドに腰を掛けてユーリアが雨に煙る窓の外を眺めていた。俺は言葉を忘れて息を呑んだ。こんな時にこんな感想を抱いていいのか分からないが、その姿はとても儚くて、そして美しかった。
「……ワン」
思わず見とれて声をかけられないでいると、ユーリアが先に口を開いた。
「ああ」
「どうして、殺さなかったの?」
さも当然のことのように彼女はそう言った。
「殺すわけ無いだろ。何言って――」
「私は殺す、つもりでした」
「……ああ、そうみたいだね」
アレリア先生の名前を元に戻したら俺のことは殺してしまうつもりだった。天球教会が必要としていたのはアレリア先生の身柄だけで、なおかつ俺は死んだほうが都合が良かったのだ。フィリップたちの間でそういう結論が出ていたということは、彼らは天球教会と繋がっていたということだろう。
「お父さんは、どうなりましたか?」
「気絶させただけだよ。他の皆も。誰も殺したりしてない」
「そうですか」
ユーリアはそう言ったきり黙りこんでしまう。相変わらず視線は窓の外を見つめたままだ。その美しい横顔を見つめながら、俺は問わずにはいられない。
「まだあの人のことをお父さんだと思ってるんだ」
「本当の父でないことは、分かっています。でも、そう教えられてきたんです」
「今でもあの人のところに戻りたい?」
返事が返ってくるまでには少し時間がかかった。
「分かりません。でも、私を必要としてくれていました」
「それは君が魔術士として優秀だったからだ」
「分かっています。それでも、私には、他に、居場所がなかったんです」
そんなはずはなかった。
優秀すぎるほどに優秀なユーリアであるならば、どこでだって必要とされたはずだ。しかし彼女が言いたいのはそういうことではないのだろう。精神的な居場所、拠り所、帰るべき場所、そう言った意味のはずだ。
母親を失った彼女にとって、頼るべき場所が亡き母から語られていた父親のところしかなかったのだろう。
「俺じゃ駄目か?」
思わずそんな言葉が口をついて出た。
「俺じゃ君の居場所になれないか?」
するとユーリアは初めて俺の方に振り向いた。彼女は不思議そうな顔をしていた。
「ワンは、私に復讐するつもり、では、ないのですか?」
「えっ?」
「貴方を騙した、その私に、復讐するために、連れてきたのでは、ないのですか?」
その時ようやく彼女がなぜこんなにもおとなしくしているのか理解した。
ある種の諦観のようなものなのだろう。俺にどんな目に合わされても仕方がないことをしたという自覚があるのだろう。そして抵抗しても勝ち目がないことも理解している。だからこそ最初に何故殺さなかったのかと聞いてきたのだ。つまりは自分をどんな目に合わせるつもりなのかを聞いてきた言葉だったのだ。
「君は俺を騙したのか?」
「はい」
「全部嘘だった。召喚されたばかりの俺に優しくしたのも、一緒にいたいと言ったのも」
「全部、お父さんに言われてしたことです」
「そうか」
心のなかの何か大事なものが失われたような感じがする。
しかし不思議とユーリアを恨む気持ちは生まれなかった。
「それでも俺は君の居場所になりたいと思うよ」
「それは、きっと、無理です」
「俺のことが憎い?」
「いいえ、不思議ですけど、憎くないです。でも好きでもないです」
「一緒には居たくない?」
「はい」
即答だった。
予想していた答えだったはずなのに、直接彼女の口から聞くとやはり辛い。通じ合ったと思った気持ちが、ただの空想だったと知らされてしまった。俺のひとりよがりに過ぎなかったのだ。
「もし君を自由にしたら、それからどうするの?」
「分かりません。お父さんを探しに行くと思います」
「それはフィリップさんのことだよね」
「はい」
それはさせられない。
フィリップの元に戻れば、ユーリアには以前のような冒険者生活が待っているのかもしれない。魔術士として必要とされるが、しかし娘のようには扱われない。亜族に厳しい街では宿に入ることすら許されず、仲間はそれをなんとも思わない。それが果たして真っ当な仲間と呼べるのだろうか?
そんな日々は遠からず破綻するのは目に見えていた。彼らはユーリアが不要だと思えば即座に切り捨てるだろう。彼らが求めているのは便利に使える魔術士だ。ユーリアではない。
「俺は君を自由にするつもりはない」
「はい」
「だから契約を結ぼうと思う」
「奴隷、ですか……」
諦めたような口調でユーリアはそう言う。
そう、俺が力づくでユーリアに奴隷契約を結ばせることは可能だろう。彼女には抵抗の術はない。杖はなく、魔力操作で俺の気分を悪くさせることはできるだろうが、俺の魔術が彼女を打つほうがずっと早い。まあ、接触してる状態で雷魔術を使えば俺も一緒に感電してしまうだろうが、そんなことは彼女には分からないに違いない。
しかし俺はそんなことをするつもりはなかった。
ただ彼女に一緒に来てもらって、その代わりに彼女の本当の居場所を探す。そういう契約にするつもりだ。
「いや、」
「そうだ。ユーリア、君もワン君の奴隷になるんだ」
突如として扉を開き、俺の声を遮ったのは言うまでもなくアレリア先生だった。
「いつからいたんですか! つーか、なにを勝手に決めてんですか!」
思わず敬語になってしまう。正直、こっちのほうが素で、普段のほうが苦労してるからね。
「いや、なに、ご主人様がまた安易な契約を結ぼうとしてるので、奴隷としての責務を全うしようと思っただけだよ。どうせ一緒に来る代わりにユーリア嬢の居場所を探すとでも言うつもりだったんだろう?」
「どっから聞いてたんですか」
「最初から扉の向こうで聞いてたさ」
「まったく隠す気ないですねぇ!」
俺は頭を抱える。どこかに行ったものと思っていたが、そそくさと俺の後をつけていたというわけだ。
「その何が悪いんですか?」
「君にとって不毛な契約だからだ。ユーリア嬢がどんな不幸になると分かっていても、そこを自分の居場所だと決めた時、君はその決定を受け入れなければならなくなるぞ。やっぱりあの父親と一緒にいるのがいいとユーリア嬢が言った時、君はそれを認められるのかね?」
うっ、と、言葉に詰まる。
フィリップから遠ざけるための提案なのに、ユーリアがそれを望めば台無しだ。それは確かにアレリア先生の言う通りだ。
「耳に痛いだろうが、年長者の責務として言ってやろう。君が望んでいるのは、君にとって望ましいユーリア嬢の居場所を見つけることだ。ついでに言うなら、それは君の側にいることで、ユーリア嬢がいずれそう思ってくれると願っている」
言われてみればまったくその通りで、アレリア先生の言うとおり耳が痛かった。
俺はユーリアの幸せを望んでいるつもりで、実のところ全然そんなことはなくて、結局俺がユーリアと一緒にいたいだけだと痛烈に指摘されたわけだ。
「どうせ君はユーリア嬢を自分の思うがままにしたいだけなのだから、奴隷にしてしまえばいい。でなければ、結局、君の望みは叶わないよ。いずれ君がユーリア嬢を預けるに足ると思う場所を見つけられたら、その時彼女を解放してやればいいだけのことではないか」
「そう言われて素直にじゃあそうしますって言えるほど図太くないですよ。俺は」
「ユーリア、君はどうだ? ワン君は無理矢理にでも君を一緒に連れて行くつもりだ。だったら奴隷のほうが気が楽だろう?」
「私は、どちらでも、いいです。どんな扱いを受ける、覚悟も、できています」
「それにワン君、ユーリア嬢を君の奴隷にすれば彼女のスキルを自由に伸ばすことができることを忘れてはいけない。それは長期的に見て、彼女のためにもなる。そうではないかね?」
「それはまあ、確かにそうかもしれませんが……。ユーリア、君はもっと伸ばしたいスキルとかあるのか?」
「もっと治癒、スキルがあれば、と、思ったことはあります」
それはきっと母親を治療できなかった経験から来る言葉だろう。
「俺の奴隷になれば、それができると言ったら、君は受け入れてくれるのか?」
「私は、どんな扱いを受ける覚悟も、できています」
それは俺の望んだ回答ではなかったが、どうやら覚悟ができていなかったのは俺のほうだと納得もする。
「分かった。ユーリア。君を俺の奴隷にする。手を出して」
差し出された両手を握る。俺を見るユーリアの瞳はどこかうつろだ。そこに何らかの光を宿して上げることができるだろうか? それともそんなのは俺の思いあがりだろうか? だが今の俺にはこうすることしか思いつかない。
「宣言する。ユーリアはワンを主人とし、あらゆる権限を与え、その生命を守り、前言に反しない限りその命令を守り、またその財産を守ると誓う」
「承諾、します」
こうしてユーリアは俺の奴隷になった。
そんなことは望んでいないと思いながらも、結局はユーリアを俺の思い通りにするために、俺の独善のために、そうせざるを得なかったのだ。きっと俺は後悔することになるだろう。そうなるべきだと思う。アレリア先生や、シャーリエの時のように必要に迫られてそうしたわけではない。
俺は、俺のために、一人の少女の自由を奪ったのだから。




