第二一話 アルゼキア脱出
「人類は指が五本だ」
なぜ天球教会に楯突くような学説を出したのかアレリア先生に聞いた答えがそれだった。
「どういうことか分かるように説明してほしい」
「天球教会の聖典によれば、神人は全知全能なる創造主によって、その似姿として創られたとある」
どこかで聞いたような話だ。
「このことを前提に考えてみてくれ。人類の姿のどこが全知全能なる者の似姿と言えるものか。指が五本しかないんだぞ。両手で十本だ。そのせいで我々は十進法を使う」
人間の両手の指は十本だ。だから数を数えるときは一から十でひとつのまとまりとする十進法が発展した。
「これは先代文明でも同じことだ。ステータスで十進法が使われていることからも明らかだ」
「ああ、でも、その何が問題なんだ?」
「大問題だとも。十進法は数学的に扱いにくい。その約数が1と2と5と10しかないんだ。十二進法ならどうだね?」
「1と2と3と4と6と12だな」
「そこは10と言うべきだが、まあいいだろう。つまり桁が上がったばかりの整数に対する約数が多いということだ。そうだ。君の世界の一日は24時間だったな。その数字は非常に扱いやすかったのではないかね?」
言われてみれば、十進法の発達した世の中で、時間だけは十二進法が使われている。半日は十二時間で、一日は二四時間。一時間は六十分で、これも十二の倍数だ。
例えばこれが一日が二十時間だったらどうだろうか?
例えば工場など機械を止められない二四時間操業の世界では、三交代制として八時間労働が行われている。一日が二十時間だったら五時間毎の四交代制が発達しただろうか?
なんとも想像がつかないが、アリューシャが言ってることが言いがかりのようなものであることはなんとなく分かる。
「だからどうしたって感じだけど」
「まあ、それが普通の感じ方だろうな」
ふんっ、と鼻を鳴らしてアレリア先生は目尻を上げる。
「とにかく私は神人が絶対神の似姿などではないと確信している。私に進化論を吹き込んだのは君だぞ。ワン君」
「そのことは後悔してるんだよ」
「だが私はまさにそれだ、と思った。何より神人以外に猿が混じったような人種が存在しないことからも、我々は猿人であると考えるほうが自然だ」
「で、それを公の場でぶっちゃけちゃったんだ」
「ああ、ぶちまけてやったさ。天球教会信者の怒りっぷりと言ったら無かったな。まさかいきなり処刑という結論を出されるとは思っていなかったが」
「でも可能性はあると思ってたからシャーリエに指示を出してたんだろ?」
「万が一、というだろう。私の両親のこともあったからな」
「事件で亡くなったという?」
言ってからしまったと思った。この話は俺は知らないことになっていたのだ。
「誰から聞いた? いや、シャーリエだな」
「も、申し訳ありません。お館様」
「いや、構わないさ。こうなった以上、ワン君もシャーリエも知っておいたほうがいいな。私の両親は神人と亜族は等しく神に創られた種であると信じていた。つまり天球教会の信者ではなかった」
とは言っても何かの宗教の信者というわけではなかったそうだ。
「それどころか魔族も人類と変わらない神によって創られた種であると考えていた。全ての知性あるものは平等で、お互いに分かり合えるように創られている。ただ神は試練として、ただでは共存できない世界を作った。それが人種の違いであり、食物の違いである、と。無論、そんな考えは天球教会のみならず人類種に対する反逆だ。両親は私にもその考えは伏せていたよ。もちろん公の場でそのような発言をすることもなかった。だがある時、領地で一人の魔族を保護してしまったことから、話は暗転する。天球教会の信者だった奴隷ではない召使から密告され、私の両親は捕まり、それを止めようとしてシーリアは殺された。他にも何人もの奴隷が犠牲となった。助かったのは偶然その場に居合わせなかった奴隷だけだ。両親は処刑され、遺産の処分をしている最中に、隠し部屋にあった日記から私は両親の考えていたことを知った。それ以来だな、私が神人とは何かを追求するようになったのは」
「だからって、ご両親と同じように処刑されるところだったんですよ!」
「だが学会の議事録には残る。こればかりは天球教会も手出しはできない。学会の権威が失われてしまうからな。残念ながら両親と同じ結論には至れなかったが、私は私の結論が出てよかったと思う。それが他人から与えられた知識であっても、私はそれが正しいと思えるものに出会えた。そして私が処刑されたとしても議事録を読んだ誰かがそれを可能性として考えてくれるだろう。例えばチャールズ・ビクトリアスなんかがな」
俺は首を横に振った。
分からない。
ひとつの考え方を記録として残すためだけに命をかけるなんてやり方はどうしても納得が行かない。
「えっと、ワンさんとアリューシャさんは何の話をしているんですか?」
「この人が後先考えないバカだって話だよ」
興味津々で聞いてくるアルルに、後々のことを考えてそう答えておく。
なおセルルナと弟のハサムは雨だと言うにも関わらず粗末な朝食の後、外に遊びに行ってしまった。セリューさんも仕事に行くとのことで出て行ってしまったので、小屋に残されているのは俺たちとアルルだけだ。
俺たちがここにいることは誰にも言わないように、一方で誰かが来たらすぐに知らせてくれと言ってある。
「ふん、他者の意見を受け入れることができず、愚か者呼ばわりすることのほうがよっぽど愚かだよ」
「つまりバカって言ったほうがバカってことだな」
「うん。お母さんも言ってた」
普遍的な共通見解を得たところで、セルルナが帰ってきた。
「魔術士のねーちゃんが来たよ。仲間も連れてきてるけど、どうする?」
「衛兵は来てないんだよな」
「そうみたいだ」
「なら行こうか」
今更雨に濡れることを嫌っていても仕方ない。秋の雨は冷たいが、体力も、例え風邪を引いても、魔術でなんとかできる。
「それじゃ行くよ。アルル、元気でいるんだよ」
「はい。ワンさんもお元気で」
幼いアルルにとってはこれが今生の別れになるだろうということは理解できないのだろう。いつも通りに俺たちを見送ってくれる。
「こっちだ。兄ちゃん」
セルルナに案内されていった先に、ユーリアたちはいた。きっちり旅支度を整えて、馬も用意してくれている。
「ユーリア! それに皆も」
「本当にアレリア先生だぜ。しかも名前が変わってやがる。おい、やったな。ワン。スゲえ奴だぜ」
エリックさんに肩をバンバンと叩かれる。
一方で、フィリップさんは顎に手を当てて考え込んでいる。
「奴隷を二人連れた青年となると、金持ちの次男坊とかが余所の国の商家に婿入りするとかの設定かな。冒険者まで雇ってとなると、そんな感じで不自然さが無くなるかな。先生、現実的な話、報酬はどれほどいただけるんですか?」
「グレディウス金貨で三十枚だ」
「もうちょっとはお持ちでしょう」
「君も足元を見るね。とは言ってもこの身はワン君の奴隷でね。私としては彼の財産を少しでも守る義務がある。三二枚で手を打ってくれないか?」
「三五枚でハストレインまでお送りしますよ」
「ハストレインとは、海を渡る気になったのかい?」
「先生には必要でしょう?」
「確かに、この大陸に留まるよりは安全だ。ワン君、ウィンフィールド君の言い分は妥当だと思う。どうする?」
聞けばハストレインとはこことは違う大陸にある多人種国家であるらしい。
その大陸はそのほとんどが魔界であり、その開拓の最前線でもあるそうだ。そのため別名、冒険者の国とも呼ばれている。
世界中から金と名声を求めて人々が殺到するそうで、確かに身を潜めるには格好の国だ。
「異論はありません。治癒の力も使いどころがありそうですしね」
どうせ生計を立てるならば、治癒術士としてがいいだろう。安全で、人の役に立てる。冒険者の国であるなら引く手数多であるはずだ。
「じゃあ早速だが出発しよう。今はアルゼキアから離れるのが先決だ」
フィリップさんの言うとおりで、俺たちは慌ただしく馬に乗り込んだ。
「セルルナ、アルルやハサム、セリューさんによろしく伝えてくれ。それと元気でやるんだよ」
「兄ちゃんこそ、元気でな!」
挨拶はそれで十分だった。
俺たちは街道を避け、外周街から雨の中を東へとひた走った。道なき草原を行く。豪雨のせいで視界はそれほどなかったが、フィリップさんたちにとっては大した苦難でもないようだ。そういうスキルを習得しているのかもしれない。
何時間もそうして野原を走り、とある小高い丘の上で俺たちは小休止を取ることになった。
とは言え雨の中だ。一々天幕を張るわけにもいかず、俺が魔術で風の屋根を作り出すことにした。外周街でやったやつのもっと大きい版だ。今の風スキルではこの大きさが限度のようだった。
「すっかり魔術士だな。てーしたもんだ」
「ユーリアに基礎を習ったお陰ですよ」
「ただちょっと系統がバラけちまったみてーだな。風と水か。他に隠し球とかはねーのか?」
「魔術はこんなものですよ。先生を助けるのに適したスキルばかり取りましたから」
「感知スキルか。だが2でよくやったもんだぜ」
「いや、実はこれも」
「フィル、もういいよな」
俺がスキルについて説明しようとした時だった。エリックさんがそんなことを言った。
「いいよ。十分だ」
「そうか。じゃあ悪いな、ワン」
そう言うなりエリックさんは剣を抜いたかと思うと、俺の腹にそれを突き立てた。
避ける暇も、そんな思考が浮かぶ時間すら無く、長剣は俺の腹部に深々と刺さり、そして引きぬかれた。
は?
まずは違和感があって、それから猛烈な痛みが襲ってきた。
「ワン君!」
「ワン様!」
俺の名前を呼ぶ叫び声が聞こえたが、俺の想像よりもひとつ足りない。が、そんなことの意味を考える余裕などあるわけもなく、俺はまるで未だにザクザクと刃物を突き立てられているような腹部の痛みを両手で押さえつけて、その場に倒れこんだ。
なにが?
なんで?
分かるわけもない。
「ほれ、早く治癒しねーと死ぬぞ」
耳朶を打つよく知った声に後押しされるように、俺は杖を握りしめて、自分に治癒魔術を使う。体力を回復させるやつではなく、傷を治すやつ。
だが使ったことのないそれはうまく発動しない。するわけがない。痛い。痛い。痛くてなにも考えられない。
雨に打たれながら泥の中を蠢きまわる俺を、エリックさんはいつもと変わらぬ表情で見下ろしている。
アレリア先生とシャーリエはそれぞれゴードンさんとジェイドさんに抑えこまれていた。
治癒、治癒、治癒だ。
感覚の先にある小さな点を追い求めるように、俺は自分に治癒魔術をかける。スキルに任せるんだ。俺が訳がわからなくても、スキルがうまくやってくれる。
腹部の出血が止まるまでは行かなかったが、痛みはかなり引いた。だが立ち上がる気力は無く、俺は泥の中に身を横たえたままエリックさんを見上げることしかできない。
「これで自分の立場は分かったな。もう一度刺されなくなかったら、あの二人の名前を元に戻すんだ」
「何を言って――」
顔を蹴りつけられて言葉は途中で途切れる。
「喋っていいなんて言っちゃいねーよ。お前はただあの二人の名前を元のアレリアとシャーリエに戻せ。なんならアレリアだけでもいい。できねーとは言わせねーぞ。何か言う前にこれだけどな」
そう言ってもう一度蹴り。
俺は事ここに至って状況を理解する。理解したくなかったが、理解した。
裏切られた。
彼らは俺たちを護衛すると言っておいて、その実、始めから天球教会に引き渡すつもりだったのだ。
アレリア先生のお金と、天球教会からの報酬の両取りが目当てだろう。
「信じてたのに!」
三度蹴り付けられる。
そしてエリックさんはニヤニヤと笑って俺のことを見下ろしてきた。
くそ、さん付けなんてなんでしてやる必要があるんだ。
「俺だって今朝までは仲間だと思ってたさ。だがそれがどうしたよ? 天球教会に逆らって無事に出ていけると思ったら大間違いだぜ」
「ワン君、早くしたほうがいい。苦しみが伸びるだけだ」
「分かりましたよ!」
そう言って俺はスマホを取り出す。だがそれはエリックによって蹴り飛ばされた。
「妙な真似をするんじゃねーよ」
「違う。それがないと名前を変更できないんだ。返してくれ」
覚束ない口調で懇願すると、エリックはスマホを取り上げ、それを手の中で弄んだ。
「魔術具かなんかか。ユーリア、何か知ってるか?」
「いいえ、何も……」
「ちっ、つかえねーな」
スマホはエリックの手からユーリアの手に渡る。
「私には、使い方、分かりません」
「使い方は!?」
「俺にしか使えないんだ。本当だ」
「くそっ、返してやれ、ユーリア」
おずおずと近づいてきたユーリアが、俺の手にスマホを戻す。
「君も俺を裏切るのか」
「私は、最初から、おと、フィリップさんの言いつけ、どおりです」
「そうか」
優しくしたのも、あの笑顔も、全部俺を油断させるための演技だったのか。
絶望感が胸の中を塗りつぶす。
俺は手の中のスマホを何かに叩きつけてぶち壊してしまいたい衝動にかられるが、もう一歩のところでそれを押さえ込んだ。
「さっさとしろ!」
エリックに恫喝されて、俺はスマホに魔力を通し、指を滑らせた。
次回は10月22日0時更新です。




