第二十話 ワンの契約者ふたり
悪いとは思ったが、俺たちに頼れるところはセルルナとアルルの家以外になかった。雨さえ降っていなければ野宿でも構わなかったが、今は屋根が必要だ。
「こんな夜更けにどちらさん?」
戸をノックした俺の前に現れたのは警戒心をむき出しにした犬人の女性だった。
「セルルナとアルルの友達でワンと言います。一晩屋根をお借りしたくて」
「はあ? あんたはアインって名前じゃないかい」
言われて俺は自分の名前がアインになっていることを思い出した。
「ちょっと待ってください」
俺はスマホを操作して自分の名前をワンに戻す。
「なんてこった。それがアルルの言ってた魔術具かい。ということは本当にあんたがアルルの恩人かい。……いいよ。狭いところだが入りな」
実際に小屋の中は俺たち三人が入ると、お互いの体が触れてしまいそうなほどに狭かった。
「びしょぬれじゃないかい。この雨の中どうしたんだい? 聞いてもいいことかい?」
「天球教会の牢獄から逃げ出してきたんだ」
俺が何かを言うよりも早く、アレリア先生が簡潔に事態を説明した。すると女性は目を丸くして、それから笑い出した。
「ひどい冗談だよ。……冗談じゃないのかい?」
俺たちの雰囲気から女性は察したらしい。
「ああ、聞かなきゃ良かった。聞いちまったら協力せずにはいられないじゃないかい。とにかく着替えな。ボロ布でいいならね」
犬人の女性が差し出した衣服、本当にボロ布だったが、濡れていないそれに俺たちは着替えてようやく一息つくことができた。
女性と一緒に着替えたことについては、事態が事態なので、誰も何も言わない。
「あたしはあの子らの母親でセリューだ。アルルの病気を治してくれたことの礼が遅くなってすまないね。本当に感謝しているよ。ありがとう」
「こちらこそこんな厄介に巻き込んでしまって申し訳ありません。他に頼れるところもなくて」
「天球教会に追われているって言うなら、あたしらは仲間も同然だよ。どこの家に行っても匿ってもらえるさ」
「んぅ、お母さん?」
ボロ布の中からアルルが目をこすりながら、寝返りを打つ。
「だいじょうぶだよ。おやすみ」
そんなアルルの頭をセリューさんが撫でてあやす。
「あんたらはどうやって壁を越えてきたんだい?」
「水路の抜け道を使いました」
「セルルナから聞いたのかい?」
「いいえ、でも抜け道があるのは分かりましたので」
「このバカ。あれほど街には入るなって言ったのに。まあいいや。それならしばらくは安全だろうさ。明日の朝までゆっくり休むといい。横になるにはスペースが足りないけどね」
「雨がしのげて、腰が下ろせるなら十分ですよ」
俺は杖を出して、ここにいる全員に治癒魔術をかけて体力を回復させておく。
眠気が取れるわけではないので睡眠は必要だが、寝るためにも体力が回復しているほうが楽なのだ。
「ワン君、明日は質問攻めにするぞ」
そんなアレリア先生の恐ろしい宣告を受けて、俺は小屋の壁に背を任せて眠りについた。
翌朝になっても雨は降り続いていた。
誰よりも早く起きた俺は再び全員に治癒魔術をかけ、それから小屋の外に出た。風魔術で頭上に風の盾を作ると、雨は飛沫を上げながら辺りに散っていく。周辺に出歩いている人がいれば大惨事だが、今はそうではないのでいいだろう。
そうやって雨の中を散歩する。
今日の夕刻の鐘が鳴るまでにユーリアたちが現れなければ、俺たちは自分たちだけでこの国を離れなければならない。それに備えた準備も必要だろう。
しかしステータス偽装で名前を変えられる俺はともかく、アレリア先生やシャーリエはどうするべきなのか。
やはり馬を手に入れて逃げるべきだろうか。
歩きながらそんなことをつらつらと考えていると、起床したアレリア先生が小屋から顔を出した。
「ワン君、シャーリエからステータス偽装の話を聞いた。早急に試したいことがある」
「朝っぱらからいきなりですね」
「事は一刻を争うことは私も理解している。今はできることを確かめるべき時だ」
「俺も先生になんで無茶な学説をぶっちゃけたのか聞きたいんですけどね」
「それは後だ」
にべもない。
俺は仕方なく小屋に戻る。すると神妙な面持ちのシャーリエがなぜか正座していた。俺の姿を救いを求めるように見上げてくる。
「ワン様」
「ワン君、シャーリエを君の奴隷にしてみたまえ」
シャーリエの言葉を遮って、アレリア先生はそう言った。
「なんですか? いきなり」
「そうです。私はお館様の奴隷です」
「シャーリエ、黙るんだ。これは必要な手順だ。私の推測だが、君のステータス偽装のスキルは自分の奴隷であれば効力が及ぶ可能性がある」
「そうなんですか?」
「ああ、契約の代理人制度を思い出し給え。契約により、契約する権限は他人に与えることができる。同じように奴隷というのは“ありとあらゆる権限”を主人に委ねる契約のことだ。その行動はもとより生死にまつわるまで、奴隷というのは契約によって主人に全てを差し出す。よってステータスの変更権も主人に提供されている可能性がある。普通なら主人になっても名前などのステータスに手を加えることはできないが、君にはステータスの見た目を変更できるスキルがあるのだろう?」
「なるほど」
一気にまくしたてられて、反論の隙がない。それにやってみる価値のある話だ。それが事実ならシャーリエの名前を偽装することが可能になる。
「でも、シャーリエはそれでいいのか?」
「よくありません!」
「だよね」
「だがシャーリエ、同じことだぞ。君が私の奴隷に戻ったとして、私はその権利をワン君に譲るだけだ。手順をひとつ省いているだけで、君が私の奴隷でありたいと願う限り、君はワン君の奴隷になる」
ガーンと、まさにこの擬音がぴったりと合うような愕然とした表情で、シャーリエはアレリア先生と俺の顔を見比べた。
それからしゅんと肩を落とし、
「ワン様の奴隷になります」
敗北宣言をしたのだった。
「では契約を、ワン君、私の言葉を復唱したまえ。宣言する」
「宣言する」
シャーリエと両手をつなぎ、俺はアレリア先生の言葉を復唱する。
「シャーリエはワンを主人とし」
「シャーリエはワンを主人とし」
「あらゆる権限を与え、その生命を守り、前言に反しない限りその命令を守り、またその財産を守ると誓う」
「あらゆる権限を与え、その生命を守り、前言に反しない限りその命令を守り、またその財産を守ると誓う」
「承諾します」
契約は成った。
シャーリエのステータスを確認すると、確かに俺の奴隷になっている。
「それじゃ、ステータス偽装を試してみます」
俺はスマホを操作してステータス偽装をタップする。すると、確かに選択できる項目にシャーリエのステータスが増えていた。
「できる、みたいですね」
「ほらな。私の言ったとおりだろう」
嬉しそうにアレリア先生が無い胸を張った。
「ワンの奴隷となってるところは、とりあえずアインの奴隷にしておくとして、シャーリエ、変えてみたい名前とかあるかい?」
「そんなの考えたこともありません」
シャーリエは困ったように、額にシワを寄せる。
「とりあえずツヴァイでいいか」
いつでも変えられるのだから、今は変えてみることが優先だ。
シャーリエの名前がツヴァイに変わる。シャーリエは自分の手の甲を見て、ステータスを確認しているようだったが、何やら落ち着かない様子だった。
「君も安直だなあ」
アレリア先生にだけは言われたくなかったが、さすがに俺も今のは安直だったと認めないわけにはいかない。
「じゃあ私はドライだな」
「えっ?」
俺とシャーリエの声が重なる。
「何を呆けているんだ。当然だろう。私もワン君の奴隷になってステータスを偽装するしかあるまい。それ以外にいい手段があるとでも?」
「しかしアレリア先生はいいんですか? 奴隷というのは、つまり俺に命すら握られるということなんでしょう?」
「命がけで私を助けに来てくれた君に、どうして命を預けられないわけがあると思うんだい?」
何の躊躇もなくアレリア先生は言い切ってみせた。
「多少無理やりだったとはいえ、命を救われたのだ。その命を粗末にしないように考えた結果がこれだ。それにワン君は奴隷に酷い扱いをするなんてこと考えもできないだろう? ワン君の人格も考えた上での結論だ」
「本当にいいんですね?」
「ああ、他にも理由ならいくつかある。全部説明しようか?」
「長くなりそうなんで遠慮します」
俺が両手を差し出すと、アレリア先生がそれを握った。
「君と初めて会った時には君の奴隷になるとは思わなかったなあ」
「俺もですよ。じゃあ宣言する。アレリア・アートマンはワンを主人とし、あらゆる権限を与え、その生命を守り、前言に反しない限りその命令を守り、またその財産を守ると誓う」
「承諾する」
こうしてアレリア・アートマンはアルゼキア王国の前途ある魔術士から、身分一つ無い俺の奴隷になった。
「ところでドライは止めません?」
「私もそう思う。そうだな。アリューシャはどうだろうか?」
「家名はいいんですか?」
「奴隷に家名があるのもおかしいだろう。アートマン家は無くなったのだ。私が名乗ることを許されていただけ恵まれていたのさ」
それから俺はアレリア先生の名前をアリューシャに変え、シャーリエの名前もツヴァイから、リンダに変えた。こちらもアレリア先生の思いつきだ。特に意味はないらしい。俺の時もそういう思いつきをして欲しかったものだ。
「なんともまあ、魔術士様だと思っていたら、魔法使い様だったんだね」
一連の流れを黙って眺めていたセリューさんがそんなことを言う。
「なるほど。魔法使いね。確かにワン君は魔術士の枠には収まりそうにないな。これからは魔法使いを名乗るかい?」
「なんでわざわざ自分が異様だってことを喧伝して歩かなきゃいけないんですか?」
「ごもっとも。おっともっと奴隷らしく接するべきだな。ご主人様」
「止めてくださいよ。背筋がゾッとする。先生はいつも通りでいてください」
俺の言葉を聞いてアレリア先生はニヤッと笑った。
「それを命令と受け取ったぞ。でもまあ、状況次第ではちゃんと演技するさ。それでこれからの案はあるのかい?」
「ひとまず夕刻まではユーリアたちを待ちます。フィリップさんたちに護衛を依頼するよう伝言を頼みました。必要なだけの額は払うと言っておきました」
「まあ、持ってきた金品は全部差し出すつもりでなくてはならないだろうな。彼らが衛兵を連れてくる可能性もあるぞ」
「それは考えたくないですね。ですが、この国をもう離れるつもりでいた冒険者にとっては悪くない話だと思います」
「まあ彼らなら一緒に旅をした仲でもあるし、こちらの懐事情も想像はつくだろう。私らを突き出すよりは儲かることは確実だ」
「それに彼らがそんなことをするとは思えません。いい人達ですよ」
俺の言葉にアレリア先生はいつものように少し考え込んだ。
「どうかな。だが確かに悪人ではないな。言ってみれば冒険者というのは、悪人になるか冒険者になるかの選択をすでに済ませているとも言える。で、彼らが現れなかった時は?」
「馬を一頭買えるくらいのお金はありますよね。それでどこか天球教会の関わりの薄い国を目指そうかと。どこかは先生に助言してもらおうと思っていました」
「アリューシャと呼び給え。癖にしておかないと、ボロが出るぞ。そうだな。西に向かうべきだろう。神人の勢力が薄い地域だ。リンダを奴隷にしているとはいえ、神人である私も奴隷にしているのだ。その辺は平等な神人だと見られるだろう」
「神人であるだけで差別される国も当然あるんですよね」
「そうだな。そういう国は避けなければならないだろう。それと敬語も止めたほうがいいぞ。私なら気にしない」
「分かりました。ええと、分かった。変な感じですね、えっと、だな」
「ユーリアみたいになってるぞ」
そう言って俺とアレリア先生は笑いあった。
次回は10月21日0時更新です。




