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第十七話 平穏な日々の終わり

 太陽が南の空から上がり、夕刻になるとこの世界は一日のうちでもっとも明るく、暑い時間になる。天球と太陽の2つの光源に照らされるからだ。

 この世界の太陽は俺の知っている地球の太陽よりもやや大きく、より熱いという印象がある。実際の大きさなど知るよしも無いが、本当に大きいか、地球より太陽に近いかのどちらかだろう。なんにしても地球よりも直射日光がきついというわけだ。

 だからだろうか、太陽が顔を見せると人々は仕事を止め、どこかの軒先に入って余暇の時間を過ごすのがこの世界での流儀だ。冒険者ギルドの中もいつになく賑わっていた。というのも仕事を終えて帰還した冒険者たちがこぞって報告に押しかけてきていたからだ。


「こりゃ一筋縄じゃいかんな」


 エリックさんが呆れたような声を上げた。

 確かに冒険者ギルドのお役所仕事では一体何時間待たされるか分かった話ではない。すべての受付カウンターがフル稼働しているにも関わらず、普段はどこにいたんだと言いたくなるような数の冒険者がたむろしている。


「にじゅうさんばん~! にじゅうさんばんの方ぁ!」


 受付嬢が声を張り上げ、ひとりの冒険者がやれやれと椅子から腰を上げる。

 フィリップさんが苦笑気味に番号札を掲げてみせる。そこには43番と書かれていた。


「いつもはこんなに混んでいないんだけどね。間が悪いというか。ワン君の冒険者登録は明日にしたほうがいいね。ここは僕が並んでおくから、皆は宿に戻ってていいよ」

「そっか、助かるぜ。ワンはどうする? 一緒に飯でも食いに行くか?」


 せっかくの誘いだったが、晩飯はシャーリエが用意してくれているはずだ。それにこういうことになったことをアレリア先生に報告もしなければならない。


「いえ、今日はアレリア先生のところに帰ります。明日、宿に行けばいいですか?」

「おう、それでいいぜ。宿は知ってんな?」

「いつものところですよね」

「おうよ。別に明日出発ってわけでもねーからのんびりな。あんまり朝早く来られても困るぜ」

「ユーリアもそれでいい?」

「はい。ゆっくり、来て、ください」


 冒険者ギルドの前で別れを告げて、手を振るとジェイドさんを除いて皆で手を振り返してくれた。まあ、ジェイドさんのリアクションを求めても仕方がない。とは言え、本当は手を振れば良かったとか考えていそうだ。とにかく不器用な人なのでその辺は気にしてはいけないのだ。

 というより、正直、まったく、これっぽっちも気にならなかった。

 ユーリアに手を振って、ユーリアが手を振り返してくれた。

 それだけで俺は舞い上がってしまっていて、皆の姿が見えなくなるくらい遠くなると、人通りのある路地を思わず全力疾走してしまった。心のなかがカーっと熱くなって、思わず走らずにはいられなくなってしまったのだ。息が切れるまで全力で走って、膝に手をついてゼーゼーと息を整えながら、それでも頬がにんまりするのを止められなかった。

 まだユーリアの体の熱を感じられる気がする。その柔らかさが肌に張り付いている。抱きしめた時に鼻をくすぐる耳のもふもふとした毛のことや、旅を終えたばかりで汗の匂いのその体臭でさえ愛おしく感じられた。

 ふわふわとした足取りでアレリア邸に帰りつくと、息せき切ったシャーリエが階段を駆け下りてきた。そう言えば彼女を初めて見た時もこんな風だったなと思う。彼女は俺の姿を認めると、ほっと安堵の息をつき、それからその顔をブルブルと横に振った。


「ワン様、ちょうど良かった! 探しに行こうと思っていたところなのです!」


 かつてない剣幕でまくしたてられ、俺のほうがびっくりする。


「探しにって、いつも通りアルルのところに顔を出していただけだよ」

「それどころではないのです! たった今オブライエン様の使者が参られて、お館様が天球教会に捕らえられた、と!」


 はい?

 思考が停止するとはまさにこういうことを言うのだろう。シャーリエが何を言っているのか理解できない。

 未だユーリアの余韻を引きずっていた俺はオブライエン様って誰だろう? とか考えていた。


「――えっ、今、なんて?」

「お館様が天球教会に異端として認定され捕まった、と! 今すぐここを離れなければ私たちも捕らえられてしまいます」


 そう言いつつ、階段を降りきったシャーリエは俺の手を引いて館の出口に向けて引っ張った。


「冗談、だろ」


 あまりに急な話の展開に頭がついていかない。

 そもそも天球教会に異端と認定されて捕まるとどうなるのだろう? それになんで俺たちまで捕まらなければならない?

 疑問符ばかりが頭の中を駆け巡り、俺はシャーリエに引っ張られつつもその場に立ち呆けていた。


「オブライエン様は冗談でもそのようなことをされるお方ではありません。実は私もお館様よりいざということがあればワン様を安全な場所にお連れするように言われているのです。ですから、今は私に付いて来てください。一刻も早く!」


 まくしたてられて、ようやく俺の足は動いた。シャーリエも俺が動き出したことに安心したのか、手を放す。

 館を出ると太陽は天球の陰に入り、天球がやや輝きを失い始めた頃合いだった。もうすぐ夜がやってくる。


「安全な場所っていったいどこなの」

「今はお教えできません。いいですか、平静を装ってください。人ごみに紛れてしまいますから」


 道を行く人たちと歩調を合わせ、いかにも帰宅する途中の奴隷と主人と言った風で俺たちはアルゼキアの中を歩いた。平静を装えと言われたが、平静ってどんな感じでいればいいのか分からない。きっと俺の顔は緊張で強張っているはずだ。

 街の様子はいつもと変わりない。平和で、少し騒がしい、いつもの夕刻の時間が辺りを流れている。帰宅する人、酒場に向かう人、様々な様子の人々の中を俺はシャーリエの後について歩いた。

 この世界の基準で2時間ほども歩いただろうか。夕闇は深まりを見せ始め、人通りも途絶えてきた。シャーリエは辺りを気にするように、きょろきょろと周囲を見回すと、一軒の館の扉を叩いた。

 しばらく間があって扉が開かれた。そこにいたのは1人の初老の男性の奴隷でステータスによると名前はオルソンだった。契約によればチャールズ・ビクトリアスという人の奴隷のようだ。ということはここはそのビクトリアスという人の館なのだろう。館の作り自体はアレリア先生宅とそれほど変わらないが、内装がやや豪華であるように見える。


「アートマン家の奴隷シャーリエです。ビクトリアス様の庇護を求めて参りました。お話はお伺いでしょうか?」

「旦那様からこういう来客があるかもとは聞いていましたよ。どうぞ中へ。ゆっくりとお持て成しをできる様子では無いようですな」

「まずはどこかに匿っていただけないでしょうか? 天球教会から追われているのです」

「それでまあ、よくも当家に逃げ込もう等と考えましたな」


 オルソンさんは目を丸くして、それでも俺たちを迎え入れてくれた。


「旦那様は外出中ですがじきに戻られるでしょう。匿うというのであれば旦那様の工房がよろしいでしょうな。地下になりますが、よろしいかな?」

「魔術士様の工房に匿っていただけるならば、これほど心強いことはありません。どうかよろしくお願い致します」


 オルソンさんに案内されて、俺たちは館の地下にある工房とやらに連れて行ってもらった。

 そこは工房と言う言葉から想像される空間とはまったく違っていた。

 アレリア邸で俺に与えられた一室くらいの大きさだろうか。むき出しの地面に、デッキチェアがひとつあるだけだ。


「お二人の椅子を運び入れますので少々お待ちを」


 そう言って壁に松明を残してオルソンさんは姿を消した。

 後に残されたのはシャーリエと、未だもってまったく訳が分かっていない俺だけだ。


「シャーリエ、ここは?」

「学会の魔術士であるビクトリアス様のお屋敷です。ビクトリアス様はお館様と大変意見が合わず、学会では犬猿の仲だと聞いております。しかしお館様は身を隠すならビクトリアス様を頼れと仰っていました」

「天球教会と反目しているとか?」

「いいえ、ビクトリアス様は天球教会の信者でいらっしゃると聞いています。しかしお館様が仰るのですから何か考えがあってのことでしょう」


 程なくしてオルソンさんが簡素な木の椅子を二脚運び込んできてくれて、俺たちはようやく腰を落ち着けることができた。

 それから一時間も待つことなく、チャールズ・ビクトリアスは俺たちの前に現れた。


「やあやあ、今日は面白い客人がいると聞いて来たよ。君たちがアレリアの関係者か。なるほど。契約を見れば一目瞭然というわけだな」


 チャールズ・ビクトリアスに対する第一印象は軽薄そうな青年という感じだった。レベルは56、一応年齢を言っておくと25歳だ。土に特化した魔術士で、魔術士スキルが5、土が4、火の2もある。アレリア先生から聞いていた典型的な王宮魔術士の特徴に一致する。


「ビクトリアス様、ご迷惑を掛けて大変申し訳ございません。しかしながら私も事の詳細は聞かされておらず、ただただお館様の命に従いお訪ねした次第でございます」

「いやいや亜族の奴隷ちゃんにしては賢明な判断だったよ。今頃アレリアの家は隅々まで調べつくされていることだろうからね」

「あの、何があったのかお聞きしても?」

「いいよ。傑作だったから、僕も誰かに話したくてしょうがなかったところなんだ。事の始まりはいつものアレリアの新説発表からだったね」


 四日前のことらしい。アレリア先生はひとつの学説を学会で発表した。

 それはこの世界の人類が彼らの信じる神の手によって創られたのではなく、先代文明によって別の世界からやってきたというものだった。俺からすれば自分のことがあるので否定しきれない説だが、この世界の人々にとってはそうではなかったようだ。何故なら神人は神によって神の似姿としてこの世界に創り出されたというのが当然の認識だったからだ。

 現代の地球でもキリスト教圏ではそういう考え方が主流であり、学校でも進化論を疑わしく教える地域もあると聞いたことはある。先進国の筆頭と言えるアメリカですらそういう地域があるのだ。

 当然進化論など存在もしないであろうこの世界で、神人を自称する人々が自分たちを、彼らの信じる神がその似姿としてこの世界に創りだしたと考えるのは当然のことだろう。

 アレリア先生の説は激しい弾劾を受けたが、先生はひとつの証拠を持ってそれに対抗した。

 つまり、彼女は先代文明の遺跡で一人の神人が現れる様を目にした。彼は別の世界からこの世界に渡ってきたのだ。そしてその証拠として一枚の紙切れを提出した。現代のこの世界では作りようのない精密な文様が描かれた一枚の紙片。それは確かに先代文明か、あるいはそれに類する文明のものだと推察された。


 俺が慌てて財布を探ると千円札が一枚姿を消していた。

 いつの間に!

 相変わらず手癖の悪い人だ。


 我々の祖先である先代文明人は異世界からの来訪者であり、神による創作物などではない。アレリア先生はそう断言し、その来訪者の知識として、先生は俺の教えた進化論をぶちまけたそうだ。

 我々は猿の系統の生き物であり、尻尾の無い猿であり、言わば猿人である、と。

 学会は紛糾し、とにかくアレリア先生は退出を命じられたらしい。

 そう言えばやけに機嫌の良い日があったが、あれがその当日ということになるようだ。

 とにかくその一件は学会の範疇に収まるところではなく、教会の知るところになり、今日の学会の最中にアレリア先生は天球教会の兵士によって異端として捕らえられて行ってしまったそうだ。


「そういうわけで天球教会は血眼になって君たちを探している。特に別の世界から召喚されてきたという君を、だ。ワン少年」

「捕まれば俺はどうなりますか?」

「アレリアは異端として大々的に処刑されるだろう。今年はいろいろあって民衆の怒りの矛先が必要だ。国にとってもアレリアの犠牲で民衆の不満が抑えられるなら喜んで処刑に協力するだろう。だが君は確かに異様だ。本物の異端だと言っていい。そうなると教会は君を民衆の目に晒すのも恐ろしいということになる。彼らが何より恐れているのは、アレリアの説が正しい(・・・・・・・・・・)ことだからね。君は即座に殺され、証拠隠滅というのが僕の予想だな」

「それで何故あなたは俺たちを匿ってくれるんでしょうか?」

「おや、僕が一言でも君たちを匿うなんて言ったかい?」

「えっ」


 ぞっとするものが背中を滑り落ちる。

 しかしそんな俺の様子を見てビクトリアス氏は意地悪く笑った。


「冗談だよ。冗談。その顔が見たかっただけなんだ。許してくれ。くっくっ。俺は君たちを匿うよ。当たり前じゃないか。アレリアがそんな説をぶちまけるに至ったその理由を僕も知りたいんだよ。猿人か、猿人ね。実に苛立たしい説だが、君の存在は面白い。あの紙切れを僕も見たよ。確かに今の技術では作れないものだった。先代文明の遺産があれほどの状態で残っているはずがない。僕は君についてもっと詳しく知りたいよ」


 俺は理解する。

 この人はアレリア先生と同類なのだ。未知を味わい尽くさなければ気が済まない人種。だから彼は俺が殺されることを望まない。彼が俺を天球教会に引き渡すとすれば、俺から得られる知識がもうなくなったと判断した時だろう。少なくともその時まで俺の身の安全は保障されるというわけだ。


「心配しなくとも天球教会はここにはやってこないよ。これでも表向きは敬虔な天球教会の信徒なのでね。アレリアとの関係も教会はよく知っている。まさか君らがここに逃げこむとは塵ほどにも思っていないはずさ。君たちにはちゃんとした客室を用意しよう。それから話を聞かせてくれないか? じっくりとね」


 とにかく話は翌日以降ということになり、俺には客間が用意され、シャーリエには物置が用意されそうになったので、仕方なく俺の部屋に寝泊まりさせることで話をつけた。ビクトリアス氏は少し渋ったが、やがて肩をすくめて許可してくれた。どうやら俺とシャーリエの関係を誤解したようだが、この場合は好都合だ。


「私は物置でも良かったのですけれど」

「俺が嫌だったんだよ」


 アレリア先生のところではシャーリエにもちゃんと部屋があった。そんな生活をしていた彼女に物置は堪えるだろう。本人がいくらいいと言っても、俺が嫌なものは嫌なのだ。それにビクトリアス氏は話の分かる人間だ。と、思う。天球教会の信者であることはシャーリエに対する反応や、神人の奴隷しか雇っていないことから確かのようだが、それ以上に知識欲が優っているようだ。俺の機嫌を損ねて話を渋られるのが嫌なのだろう。だとすればそれを最大限利用するだけだ。


「問題はいつまでもここにいられないってことだな」

「私はお館様が心配です」

「もちろんそっちのほうが優先課題だね」


 ビクトリアス氏の話しぶりからするにアレリア先生の処刑はもはや規定事項であるらしい。学会や王国から救いの手が差し伸べられることも期待できそうにない。だとすればもはやできることは何もないように思う。

 それからユーリアたちだ。

 彼女らはこの知らせを知ったらどう思うだろうか。

 今日、仲間になると話をしたばかりなのに、数時間後の今は俺はお尋ね者だ。しかも見つかれば即座に殺されかねないらしい。

 俺は両手をぎゅっと握りしめる。


 あまりに現実感が無さ過ぎる。

 この世界に来てからこっち、現実感なんて言葉からはずいぶんと遠のいた気がしていたが、それなりにこの世界に適応してきたところだったのだ。それが一瞬にしてパーになった。いや、この場合はマイナスもいいところだ。


「何かできることはないか」

「分かりません。私には何も思いつきません」


 アレリア先生を見捨ててなんとか逃げ出すしかないだろうか?

 それはすごく嫌な考えだった。

 じゃあアレリア先生を助けるか? どうやって?


「でも、でも、なんとかしないと」


 顔を上げるとシャーリエがポロポロと涙をこぼしていた。

 俺より遥かにアレリア先生との付き合いの長いシャーリエが受けているダメージは計り知れない。幼いころからずっと一緒だったのだ。


 その泣き顔を見て決めた。

 決断を下すのは自分でも意外なほどに簡単だった。

 このままではどうせ手詰まりなのだ。やれるだけやってやる。

 切れる手札をすべて切って、アレリア先生を救い出し、シャーリエと共にこの国を脱出するのだ。


「シャーリエ、アレリア先生を助け出そう」

次回は10月18日0時更新です。

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異世界転移ものの新作を始めました。
ゲーム化した現代日本と、別のゲーム世界とを行き来できるようになった主人公が女の子とイチャイチャしたり、お仕事したり、冒険したり、イチャイチャする話です。
1話1000~2000文字の気軽に読める異世界ファンタジー作品となっております。
どうぞよろしくお願いいたします。

異世界現代あっちこっち
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