第十四話 本当にスマートフォン?
「今日は体調がいいみたいだね」
「はい。咳もそんなに出なくって、こほっこほっ」
1人でアルルを見舞うようになって5日目。
暦は秋上に入った。
ユーリアはフィリップさんらと共に魔物退治の依頼を受けて一時的にアルゼキアを離れている。魔物の脅威はまだ収まっていない。それとも快方に向かっているのだろうか? アレリア先生の話では、エーテルの暴走が収まった影響が出始めるにはまだ少しの時間がかかるそうだ。
アルルの体調は悪くない。治癒魔術による体力の回復と、ちゃんとした食事は、明らかに彼女を快方へと向かわせている。問題があるとすれば、俺の治癒魔術ではユーリアと比べて効率が悪すぎることくらいだろう。ユーリアは数百滴ほどの時間で彼女の体力を80以上に回復させる。だが俺だと同じくらいの時間を使っても体力は1回復するかどうかだ。そして俺の集中力は何時間も続かない。もちろん元の世界の時間でも、この世界の時間でも、だ。
結局、集中力の続く限り治癒魔術を使い、休憩を挟んでまた治癒魔術を使う。そうやって彼女への治癒魔術を使うことに半日を費やしてしまうことが続いている。
「それでどうやって離れたところにいる人とお話ができるんですか?」
「携帯電話っていうのがあってね」
休憩時間の間はこうやってアルルから話をせがまれている。外の世界のことは何も知らない彼女だから、この世界の普通の話をしてやれればいいのだけど、そういう話のネタは召喚されてからこの街まで着いたところで尽きてしまった。それ以来というもの、仕方なく地球の話を彼女に語っている。
もちろんそのためには俺が異世界から召喚されたということを説明しなければならなかったが、意外なほどあっさりと彼女はその話を信じてくれた。あるいは世間知らずな彼女だから不思議なことだとも思わなかったのかもしれない。
「これが携帯電話だよ。今は使えないけどね」
俺はポケットから充電の切れたスマートフォンを取り出した。
「まるで魔法の道具ですね」
「たしかにそうだね」
俺は苦笑する。
言われてみれば携帯電話がどのように動いているのかを気にしたことはない。電気で動いていて、電波で通話していることは知っていても、その詳しい仕組みなんかはさっぱりだ。スマートフォンともなれば出来ることが多すぎて、俺にとっても魔法の道具とでも言うしか無い。
「まだ魔術具だったら使えたかもしれないけどね」
そんな軽口を叩きながら、ふと思い立ってスマホに魔力を流してみた。魔力が電気の代わりになるなどこれっぽっちも思わなかったが、これにも魔力は通るんだろうか? という単純な好奇心だった。
効果はてきめんに表れた。
スマホの電源が入り、自動的にカメラアプリが起動したのだ。
「えっ?」
思わずスマホを取り落としそうになって、慌てて持ち直す。
魔力が通っている。しかも自動的に魔術が発動している気配がある。
「わっ、透明になりました」
アルルも驚きの声を上げる。
カメラアプリが起動して、スマホの向こう側を映し出しているので、確かに何も知らなければ、謎の板が透明に変わったように見えないこともないだろう。
「ちょっと待ってね」
俺はそう言いながら、スマホのホームボタンを押した。見慣れたホーム画面が表示される。
見慣れた?
背筋がゾクゾクとする。
俺は慌てて連絡先アプリを起動する。スマホが生きているのならば、連絡先アプリには俺に関係する人の名前がずらっと並ぶはずだ。
しかしそれは空回りな期待に終わった。俺のスマホの連絡先は空っぽだったのだ。
「なんてこった」
とんでもないぼっちだったのか、それとも初期化されてしまったのか。それから俺は色んなアプリを起動してみたが、俺自身に関わるような情報を見つけることはできなかった。それから当然ながら通信を使うようなアプリは利用できない。アンテナを見ても圏外になっている。
「これじゃ使えるのはカメラとか、計算機くらいのものか」
後はオフラインでできるゲームがいくつかインストールされている。暇つぶしくらいにはなるかもしれない。
俺はカメラアプリを起動しなおして、それをアルルに向けた。彼女の写真を撮って見せて驚かせてやろうと思ったのだ。
しかしカメラを彼女に向けた瞬間、俺はさらなる衝撃を受けることになる。
「アルル。レベル11。体力56、だって!?」
カメラアプリはAR表示でアルルのステータスを映し出していた。
「アルル、アルル、俺が今言ったこと間違ってない!?」
「ええ、はい。ワンさん。ステータスが見えるようになったんですか?」
「俺が、じゃなくて、スマホが」
俺ははっとしてカメラを自分の手に向けた。
ワン。レベル1。体力77。
その表示をタッチすると、さらに詳細なステータスが表示される。契約の項目には文字化けしたものが一件、アレリア先生と結んだもの、そしてセルルナと結んだ契約。スキルの項目は空欄。筋力とか敏捷なんかも表示されている。
そして何より目についたのが、レベルの表示が点滅していることだ。
俺は誘われるようにその表示をタッチした。
“レベルを上昇させますか?”
“はい”
“いいえ”
スマホの画面にそう表示された。
「選択式かよ!」
俺は思わず声を上げる。
俺は迷わず“はい”の表示をタッチした。レベルの表示が2の点滅に変わる。もう一度タッチ。はいを選択。3の点滅に変わる。
「アルル、俺のレベルは?」
「え、あ、はい。あっ、3になってます!」
もちろん俺のレベルが上がらないという事情を知っているアルルも驚きの声を上げた。
「そうだ。スキル。魔術士スキルだ」
レベルが上がった時に一番大事だと言われていたスキルの習得。特に魔術士スキルを得られるかどうかは俺の今後に大きな影響を与えることだろう。
スマホを操作して俺のステータスのスキルの欄を表示する。空欄だったそこには無数の点滅するスキル名が表示されていて、その一番上の欄にこう書かれていた。
“スキルポイントを割り振ってください。|(20)”
「こっちも選択できるのかよ」
聞いていた話と全然違う。
いや、俺だけが違うのだろう。スマートフォンを通さなければレベルが上がらず、その代わりスキルも自分で選択できる。
まるっきりゲームじゃないか。
俺は混乱しながらも、スキル一覧から魔術士スキルを選択し、習得した。スキルポイントは1減って19になった。魔術士スキルはまだ点滅している。さらに選択。魔術士スキルはレベル2になり、スキルポイントの残りは17になった。
どうやらレベル1にするときは1。レベル2にするときは2を消費するらしい。
さらにレベルを2つ上げてスキルポイントが20あったと言うことはレベル1つごとにスキルポイントは10得られるということでほぼ間違いないだろう。
俺は魔術士スキルの枝スキルである水を2まで上げ、さらにその枝である治癒も2まで上げた。これでスキルポイントは残りが11になったが、レベル自体もまだ上げられるようだからひとまずはこれでいい。
「アルル、俺のスキルは魔術士2の水系統2の治癒2で間違いない?」
「はい。間違いないです。すごいです。どうやったんですか?」
「どうやらこれのおかげみたいだ」
俺は立役者であるスマホをアルルに示す。
「とにかく治療の続きをやってみよう」
スキル無しと、魔術士2、水2、治癒2でどれほどの違いが生まれるのか知りたい。
エリックさんから聞いた話では枝のスキルを使うときは、根のスキルを合算していいという話だった。だから合計レベル6の治癒が今の俺にはできるはずだ。
杖に魔力を通したとき、何より驚いたのは、これまで感覚的にやっていた魔力の魔術への変換がより容易になっていたことだ。それに加えて、これまで範囲治癒魔術を使っていたのが、アルルにだけ治癒魔術を使うやり方がなんとなく分かる。体の周りを覆うのではなく、体表、肌にしみこませるように使うのだ。
左手でスマホを持って、アルルのステータスを確認しながら治癒魔術を使う。
56だったアルルの体力は目に見えるスピードで回復していく。
これまで数百滴に1しか回復していなかった――と聞いていた――のが、今は数滴に1回復する。
アルルの体力を80まで回復させて、俺は一息ついた。疲れたのではなく、回復の速度が鈍化したからだ。体力の上限は100だが、100になることはまず無いとも聞いていた。病気のアルルにしてみれば、このあたりが事実上の上限だということだろう。
「すごいです」
勢いよく言ってアルルは数度咳き込んだ。
「落ち着いて」
そう言いながら俺も落ち着かなければならなかった。
スマホでレベルアップうんぬんについて考えるのは今は全部後回しだ。そんなことよりも気になったのはスキルの治癒のさらに枝に発生した病魔治癒のスキルだ。
俺はスマホを弄り、このスキルも2まで習得する。そしてアルルに病魔治癒魔術をかける。
だめだ。手ごたえがない。
効果がないことが分かる。
俺は魔術士スキルを3に上げる。
残りスキルポイントは5。病魔治癒を3に上げようとしたができない。そうだ。枝のスキルは根のスキルレベルを超えられないのだ。
スキルポイントが足りない。
レベルを4に上げる。
水を3に、治癒を3に、そして病魔治癒を3に上げた。
残りスキルポイントは6。
まだレベルは上げらえる。アルルの病気を治せるまでこの行程を繰り返すつもりだったが、ここで手ごたえがあった。
違和感はアルルも感じたようだった。
「え、ワンさん。あの、わたし」
「大丈夫だ。確信は持てないけど、アルルの病気は治った、と、思うよ」
「うそ……」
そう言って、アルルは何故か泣き出してしまう。
「わたし、このまま、死んじゃうんだと……」
ずっと不安に思っていたのだろう。ユーリアや俺がこうやって治癒魔術をかけに訪れるようになったが、それでもユーリアは病気が治るかどうかは本人次第だと断言していた。
このボロ小屋で俺が持ってくる以外にはろくに食事も取れなくて、しかもそのことで家族にまで迷惑をかけて、このわずかレベル11で5歳の少女には現実はあまりにも過酷だったのだ。
俺は彼女の頭をゆっくりと撫でながら、何度も大丈夫だよと繰り返したのだった。
主人公がようやくチートを手に入れました。
次回は10月15日0時更新です。