第十二話 魔術士の杖
「ワンの杖を、買う、ことが、必要ですね」
そうユーリアに提案されて、俺たちはアルゼキアのマーケットに戻ってきた。
「アレリア先生からもらったお金で足りるかな?」
「ちょっと見せてください」
ユーリアに小袋を渡すと、ユーリアがその中を検めた。
「安いものなら、なんとか、買えると思います」
「分相応ってところだな」
「そうですね……」
そう言ってユーリアは少し考え込んだ。
「ソラリネさん、の、お店に行きましょう」
ユーリアに手を引かれて向かったのはマーケットの屋台ではなく、大通りから一本外れた通りにある、少々古びた感じのある木造のお店だった。年季の入った看板には流暢な書体で“ソラリネ魔術用具店”と書かれている。
ユーリアが扉を開けると鐘がガランと鳴った。
店内は意外と手狭で、カウンターの奥に雑然と色々な物が置かれている。カウンターの内側に腰掛けた老婆がユーリアの姿を見つけると、目をしばたいた。
「おやおや、兎人の大魔術士じゃないかい。杖の調子はどうだい?」
「いい感じ、です。ありがとうございます」
「今日は変わった連れを連れているじゃないか。レベル1とは、どんな契約に縛られているんだろうね。おやおや」
「なにか、分かりますか?」
「いや、このソラリネの鑑定でも分からないことはたくさんあるのさ。それにしても隠された契約とはね」
「ソラリネさんでも、見えません、か?」
「見えないね」
ソラリネさんはこの店の店主で、鑑定のスキルレベルが8もあるそうだ。ユーリアが俺をここに連れてきたのはお世話になっている店というだけでなく、俺の見えない契約について何か分からないかと思ってのことのようだ。
それからユーリアは俺が水系統の魔術を学びたいと考えていること、そのために杖を探しに来たことをソラリネさんに伝えた。
「レベル1で範囲治癒魔術ね。にわかには信じがたいが、ユーリアの杖も使ったんだって? やってみな」
ソラリネさんに言われて、俺はまた治癒魔術を使うことになった。
セルルナのところでも結構魔力を使った感じはするが、別に体内の魔力が消費されているという感じはしない。これくらいの魔術ならいくらでも使えそうだ。
「なるほど。確かに範囲魔術だ。同調型が相性がいいのかね。反発型も見てみたいね」
そう言いながらソラリネさんはゴソゴソと奥の棚を漁って、一本の木の杖を取り出してきた。長さは30センチくらいだろうか。木の枝をそのまま加工して作られた物のようだ。
「同じようにやってみな」
言われて俺はその杖を受け取ると、ユーリアの杖にやったように魔力を流し込んだ。今度は手足のように魔力が通るということはなく、押し戻されるような反発を感じる。まさしく反発型と言った感じだ。同じようにというリクエストだったので、無理やり杖に魔力をねじ込んでいく。そして体力を回復させるイメージで魔力を魔術へと変換する。
「ほう。反発型も使いこなすじゃないかい。効果も少しはマシと言ったところだね。商売人としちゃ同調型と反発型と一本ずつ持つといい」
「魔術士としてはどうなんです?」
「坊主がまっとうな魔術士になりたいなら同調型、今すぐに少しでも強い力を使いたいなら反発型だね」
急ぐ理由はある。例えばアルルの体調が急変した時にユーリアがいなければ、俺がその処置に当たることになるだろう。その時に少しでも強力な治癒魔術が使えるに越したことはない。
だが使った時の感覚で言えば、ユーリアの杖のほうが格段に使いやすかった。
「その、予算はこれくらいなんですけど、これで買える同調型の杖ってありますか?」
誤魔化さずに持ち金を全部開示して素直に聞いてしまう。別に駆け引きができるわけじゃないし、杖を必要としたのもアルルに治癒魔術を施すためだ。
「なんだ。ユーリアが連れてきたのだからもっと金持ちだと思っていたよ。それだとこの辺りだね」
ソラリネさんが出してきたのはオンボロの明らかに誰かの使い古しと分かる木の杖だった。親指ほどの太さで、長さは先程の杖と変わりない。
「無花果の木の杖だよ。中古だが、状態は悪くないよ。お望みの通り同調型さ」
「魔力を通してみてもいいですか?」
「どうぞ、壊さなきゃね」
最後の一言が気にかかったが杖を受け取って魔力を流すと、すんなりと魔力が流れる。治癒魔術を発動させて、ユーリアを包み込む。
「どうだろう?」
「うまく、扱えている、と、思います」
「ほいほいと範囲魔術をよくも使うもんだ。それでいいなら、この金は全部もらうからね」
「えっ、全部ですか」
「ユーリアの顔を立てて割り引いてそれだよ。嫌ならとっととその杖置いて出て行くんだね」
「いや、その、いただきます。この杖気に入りました」
嘘じゃない。
他の杖を使ったことがほとんど無いから比較にならないが、ユーリアの杖と比べても遜色が無いほど体に馴染む感じがする。まるで俺と出会うために用意されていたようなそんな気さえするくらいだ。
「そうかい、魔術士崩れのガキが借金の形に置いて行った品が二束三文になって、あたしも満足だよ」
俺の感慨を返せよ。おい。
それで無一文になった俺は、ユーリアのお金でデートという気分にもなれず、結局彼女から水系統の魔術を教えてもらうことになった。場所は誰かの迷惑になってもいけないのでアレリア邸だ。
「わたしの迷惑は考えていただけないんでしょうか」
猫耳娘の声が聞こえた気がするが、そこは華麗にスルーしておこう。なんだかんだ言いながら、ユーリアの注文通りに水を張った桶を用意してくれるのだから、嫌われているというほどではないはずだ。
「水系統の基本は、水を操ること、です」
「なるほど」
「まずは、魔術で、水を、かき混ぜて、ください」
治癒魔術を使った時に、魔術の基本的な感覚は掴んだ。体内の魔力はそのままでは何の役にも立たない。存在することは感じるが、ただそれだけのエネルギーだ。しかし発動具を通じることで、何らかの意味のある力に変換することができる。発動具と呼ばれているが、変換器と呼ぶほうが正しいのかもしれない。変換された魔力は魔術という形で現れる。どういう力に変換するかは自分のイメージでコントロールできる。そこは意外と曖昧な感覚でいいようだ。だから水をかき混ぜるというのなら、それこそ杖を使って水をかき混ぜるようなイメージで魔力を魔術に変換させればいい、はずだ。
果たして魔術は俺の思い通りに発動した。
桶に張った水に杖の先でちょんと触れるだけで、水はゆっくりとではあるが、確かに水流を生んでぐるぐると回り始めた。
「すばらしいです。ワン。スキルが無いとは、とても、思えません」
「そうですね。スキル無しでこれほどスムーズに魔術を扱える人はあんまりいないですよ」
「そう言えばシャーリエは魔術は使えないの?」
「スキル無しですし、ワン様ほど流暢になにかできるというわけでもありませんので」
スキル無しで扱える魔術の範囲では、自分の手でしてしまったほうがよほど効率が良いということらしい。確かに今やっていることだって、杖を直接桶に突っ込んでかき混ぜてしまったほうがよほど早いし、楽だ。
「レベル2に、挑戦、してみましょう」
ユーリアは意外とスパルタなタイプらしい。俺が簡単に水をかき混ぜられると見るや、難易度を上げてきた。
「ワンは魔力抵抗も、高かった、です。魔術に、特別な、才能があるのかも、しれません」
才能があると言われてしまってはやるしかない。何より治癒魔術と違って、魔術が発動して水が動いているのをこの目で見ることができるというのは、やはり感動だった。
「では、水を持ち上げて、ください」
「えっ」
「水を、空中に、持ち上げて、ください」
おおう、いきなり難易度が上がったな。水をかき混ぜるというのは杖を突っ込めば簡単に出来たことだからイメージしやすかったが、水を持ち上げるとなるとどうすればいいのかまったく分からない。そう言えば、以前ユーリアは空中に水を呼び出して、そのまま空中で維持していた。あれをやれということなのだろう。
しかしこれは水魔術と言うよりは、超能力の念動力のような気がするな。水が持ち上げられるなら、他の物でも持ち上げられそうな気がする。それとも俺が難しく考え過ぎなのだろうか。
だが念動力のような魔術の使い方以外に思いつかず、俺は架空の両手で水をすくい上げるようなイメージで魔術を発動させた。思い通りに、水は空中へと運ばれるが、やはりユーリアがやっていたのとは違う感じがする。具体的に言うと、あちらこちらから水がこぼれてしまっているのだ。
「ああ、絨毯が」
シャーリエの悲鳴をよそに、ユーリアが冷たく指摘した。
「ワン、それは、水系統の魔術ではない、です」
「あ、やっぱり」
自分でもなんとなくそんな気がしていた。だがやり方の教授も無く、お手本も無しにとりあえずやってみろというユーリアの教え方も悪い気がする。なんというか、ユーリアは天才型なのだろう。思うがままにやってみて、それでうまく行ってきたタイプの気がする。
「風の、浮遊の、応用、だと思います」
「ええと、水を浮かせるのはどんな感じでやればいいの?」
「水にも、魔力を、入れる、つまり浸透させて、魔力操作、です。魔力操作の、できる、ワンなら、できるはずです」
また魔力操作か。これだけ魔力操作を使う機会が多いのに、魔力操作スキルのレベルが高い人が少ないというのも意外な気がするな。それともユーリアの使い方が魔力操作を多用するやり方なんだろうか? 確かに水を持ち上げること自体にあまり意味はないような気がするもんな。
じゃあ、今度はユーリアの教えに従って、杖から桶の水に向けて浸透させるように魔力を送る。だが、魔力はうまく水に定着しない。ええと、魔力のままだと駄目なのか。水を操作する魔術に変えて送り込むとうまくいった。
というか、これだとさっきのかき混ぜも水魔術じゃなかったんじゃないかな。多分、風魔術に近い使い方だったと思う。
つまり空間というか、空気に魔力を浸透させてそれを操作するのが風魔術、水に魔力を浸透させて操作するのが水魔術ということなんだろう。
それで浸透させた時点で魔術になっているから、それで魔力操作スキルは上がらないとか、そういうことなんだろうか? この辺は考えても仕方ないな。今度アレリア先生の見解でも聞いてみよう。
余計な考えを振り払って、桶の水を持ち上げることに集中する。
全部は無理そうだったので、手のひらですくえるくらいの量にしておく。すると杖の先に追従するようにして、水の塊が宙に浮かんだ。かと思うと、すぐに桶の中に落ちてばしゃんと水しぶきを上げた。
「これ難しいな」
「難しいのは当然です。お願いですから、この先は土間でやっていただけませんか?」
シャーリエに涙目で頼まれて、俺たちは仕方なく場所を変えることにしたのだった。
次回は10月13日0時更新です。