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第十一話 貧困街のアルル

 アルゼキアは水に恵まれた都市だ。

 シュゼナ川の沿岸にあり、都市の中にも水路が張り巡らされている。驚くべきことに水路は上水道と下水道に別れており、市民はその豊富な水資源を惜しみなく利用することができる。

 市民は、だ。


 俺は今、そのアルゼキアのもう一つの側面を目の当たりにしていた。


 セルルナとは一旦別れ、彼の妹がいるというアルゼキア外周街で再度落ち合うことを約束し、俺はユーリアを連れ立ってアルゼキアの門を出た。アレリア先生宅を出るときにシャーリエがくれぐれもユーリアから離れないように忠告をしてくれたことからも、現地の治安の悪さは想像がついた。

 しかし想像がつくということと、現実にそれを目の当たりにするということはまったく違うことだった。


 アルゼキアには豊富な水資源があり、上水道と下水道が完備されている。飲水は簡易的なものとはいえ浄水施設を経たものを口にできるし、汚水は下水道から排出される。ではその汚水はどこに行くのか?

 日本であれば下水道は汚水浄化施設などに繋がっていて、処理を受けた上で水は排水し、残った汚物はゴミかあるいは廃棄物として適切に処分されるのだろう。

 だがこのアルゼキアでは汚水はそのままシュゼナ川に流される。もちろん上水道もそこで汚水と同じになって流される。それらの水は一纏めになってシュゼナ川の源流と混じりあい、そして外周街の人々の生活用水になる。


 立ち込める悪臭はそれだけが理由とは思えなかったが、理由のひとつであることは確かであるようだった。

 ヨーロッパの町並みのような整然としたアルゼキアの一歩外には、雑然とした貧困街があった。いわゆるスラム街というやつだ。端切れの木材を繋ぎあわせた隙間だらけの小屋が、所狭しと立ち並んでおり、そこには道など存在せず、あるのはただ小屋と小屋の隙間だけだ。

 あちらこちらから拒絶と敵意の混じった眼差しを感じる。

 皮の靴を履いて、羊毛の服を着ているだけで、ここの人々とは暮らしぶりが違うとはっきり分かるのだ。まだ着替えずに来たほうが良かったかもしれない。あの襤褸の麻布の服であれば、これほどの敵意を向けられることはなかったんじゃないかと思う。


「兄ちゃん、こっちだよ!」


 こんな場所でどうやってセルルナを探せばいいのかと思っていたところ、セルルナの方から俺たちを見つけ出してくれた。なんでも余所者が入り込んだことはすぐに知れ渡るのだそうで、そう言った情報を元に俺たちの場所を突き止めたらしい。


 セルルナが案内してくれたのは、やはり隙間だらけの掘っ立て小屋だった。

 俺にはこれを家と呼ぶことはできない。

 しかしセルルナは明るくここを自分の家だと言った。口調が明るいのは妹の病気が治るかもしれないからだろう。

 その小屋には扉すら無かった。ただ入り口に板を何枚か立てかけて、外と遮蔽しているにすぎない。セルルナは手慣れた仕草で板をまとめて横にずらすと、小屋の入り口を開けた。促されて中に入ると、そこは二畳ほどのスペースにボロ布を敷いて床にしているだけだった。奥のほうで小さく咳の音がした。


「アルル、魔術士さまを連れてきたよ。すごいぞ。水のレベルが8もあるんだ」


 そこにいたのはやせ衰えた犬耳の少女だった。

 コンコンと空咳が続く。

 正直に言おう。咳が聞こえなければ、茶色のボロ布が転がっているだけだと思った。手入れなど想像もできないほどボサボサの茶色の髪、生気のない顔色、身じろぎすることすら覚束ないような細い手足、生きていることが嘘のようなそんな姿だったからだ。

 俺は自分の考えが甘かったと、この時点で気がついた。

 病気を治すなんて軽々しく口にしたが、ひどい衛生環境の中で、ろくに治療も受けず、食事すらまともに与えられていないであろう病人を想定などしていなかったからだ。


「ユーリア……」

「やってみます」


 しかしユーリアにとってはこれも想定の範囲内だったのだろう。動揺も見せずに杖の先をそっと犬人の少女に触れさせた。治癒魔術の行使は外から見ていると何が起きているのか分からない。当人の体の中で起こる変化でしかないからだ。いや、ステータスが見えれば、体力の値の増減くらいは分かるのだろう。

 なんで俺にはステータスが見えないんだ。

 俺はなにか見えないかじっと少女の様子を窺っていたが、結局は無駄足だった。

 ユーリアが息をついて杖を離す。


「どうだい、姉ちゃん!?」

「体力は、回復させました。でも、治癒魔術は、病気は、治せないのです」


 そう言えばユーリアの母親も流行病に倒れたと聞いた。彼女も高レベルの水魔術士だったはずだ。


「ワン、食事を……」


 そうだった。シャーリエに頼んで野菜と肉のスープを革袋に詰めてきたんだった。熱かったスープもいい具合に温くなっている頃合いだろう。俺はユーリアと場所を代わり、少女に革袋を渡す。中身を説明して、ゆっくり飲むように伝えると、少女は最初は恐る恐ると言った様子で口をつけた。


「美味し……」


 と言ったところで少女はまた咳き込む。


「ゆっくり飲んで。……ユーリア、どう思う?」

「病気が治る、か、どうかは、分かりません」

「でも、ゴッヘンのおっさんは薬があるって言ってたぞ」

「薬も、治癒力を、助けるだけ、です」

「魔法の、じゃない、魔術を込めた薬とかは無いの?」


 そのものじゃなくても、ここは魔術がある世界なのだ。錬金術による万能薬のようなものがあってもおかしくはない。


「薬の、その、薬の効果を、増幅する魔術は、あります。説明が、むずかしい、です」

「例えばなんだけど、抗生物質とか、ペニシリンとかって知らないかな?」

「分からない、です」


 これは後でアレリア先生にも確認したほうがいいかもしれない。

 抗生物質の以前と以後では薬というものの効果はまったく違ってくるはずだ。


「それにしても怪我は治せるのに、病気は治せないっていうのも何か不思議な感じだな」

「怪我は損傷です。肉体の、治ろうとする力を助ければ、治ります。でも、病気は変化です。肉体の、治ろうとする力を助けることは、できます。でも、治ろうとしないと治りません」

「難しいな」

「私も、説明、うまくできません」


 この辺もアレリア先生がいたらさくっと説明してくれそうな気がするが、残念ながら不在だ。とにかく病気を魔術でぱっと治療することはできないということだ。


「そうなると治癒魔術で体力を回復させながら、病気が治るのを待つしかないか」

「でも、私もいつでも、アルゼキア、いるわけじゃないです」

「そっか、依頼があると街を空けることもでてくるよな。他に水魔術士がいてくれたら」


 あるいは俺が水魔術を使えたら。


「ユーリア、俺に水魔術を教えてくれないか? まだレベルも上がってないんだけど、ユーリア、前に聞いただろ。どの系統にするかって。俺も水魔術を使おうと思う。もちろん、魔術士スキルが手に入れば、だけど」

「だいじょうぶ、です。ワンは、才能が、あると、思います」


 ユーリアの言葉がありがたい。簡単な治癒魔術が使えるようになるだけでも、ユーリアがいない間の助けになるはずだ。


「魔力操作の練習、欠かしてません、ですよね?」

「ああ、ちゃんとやってるよ」


 魔術士スキルを得るためには洗礼を受けることが必要だ。そして魔術士スキルを上げるためには魔術の行使が必要だ。そしてアレリア先生の助言で、俺は魔力操作の練習をすることになっていた。というのも、杖のような魔術の発動具無しでできる魔術行為であり、それを繰り返すことで魔術士スキルの習得の助けになるかもしれないからだそうだ。

 それから俺は暇を見つけては、いや、暇でない時でも体の中にある力をあちこちに集めてみたり、動かしてみたりしていた。あくまで感覚的なものではあるのだが、自分ではできていると思う。


「初歩の治癒魔術なら、使えるかも、しれません」

「えっ」

「スキルが無くても、魔術は使えます。ただ普通はほとんど効果がありません」


 それこそ気のせいで済まされるレベルでしか発動しないのだという。


「でも、ワンは、魔力抵抗力高かった、です。治癒魔術も、それなりに使えるかも、しれません」

「って言われても、治癒魔術の使い方なんて分からないんだけど」

「何度もワンに使いました。あの感じ、です」

「あの感じって言われても」


 いや、感じは分かるのだ。ユーリアから治癒魔術を受けるとき、直接魔力を流し込まれた時とは違って、ユーリアの魔術によって体の外側からじんわりと暖かくなるような感覚が生まれるのだ。魔術は被術者を包み込むように発動している。


「試しに、私に、やってみましょう」


 そうユーリアから杖を押し付けられる。

 いや、すんごい軽いノリだな。そんなんでいいのか? そんなんでできてしまうものなのだろうか? そんなものなら世の中に魔術士があふれているのではないだろうか?

 そんな疑問を他所にユーリアはじっと俺が魔術を使うのを待っている。

 セルルナと、いつの間にかスープを飲み終えたアルルも、じっと期待の眼差しで俺のことを見つめていた。

 止めてくれ。できなかった時に恥ずかしいだろ。

 治癒魔術、治癒魔術、俺のイメージする治癒魔術はヒールとかそういう名前で代表されるゲームの回復魔法だ。使用することでヒットポイントをある程度回復すると言った感じ。しかしユーリアがアルルに使ったのは体力を回復させるものだった。どちらかと言うとスタミナを回復させる補助魔法って感じだろうか。

 これまで魔力を操作してきた感覚と、旅の間何度もユーリアから治癒魔術を受けてきた感覚から、自分なりにそれを解釈すると、魔力を体力を回復する力に変えて、体の外側からじんわりと浸透させていくというものだ。力づくで押しこんではいけない。怪我を治すときはまた違う魔力の使い方をするが、今覚えようとしているのは体力を回復させる魔術だ。これでいいはずだ。


 俺はユーリアの杖に魔力を通した。


 杖は魔術の発動具だ。

 ほとんどの魔術が発動具無しには発動できない。何故なら人は魔力を、魔力以外の力に変える器官を持っていないからだ。魔力は魔力のままでは、何をすることも出来ない。せいぜい他人に流し込んで気持ち悪くさせる程度だ。しかし発動具を通じて、それを意味のある力に変換すると魔術が発動できる。

 ユーリアの杖は同調型の発動具だと聞いた。魔力の変換が素直で、初心者から熟練者まで愛用する人の多いタイプの発動具らしい。その代わり術者の地の力に頼る部分が出てくる。俺のようにスキルが無いのに魔術を使おうとしているような人間には向いていない。

 その割りに魔力はすっとユーリアの杖に行き渡った。自分の手足に魔力を移すのと変わらない感じだ。そしてそれをユーリアが使うような柔らかい力に変えて、そっと杖をユーリアに当てる。魔術に変わった魔力は杖から流れだすが、それはまるで体の中で魔力を扱うのと変わらないように動かせる。俺はその力でそっとユーリアを包み込んだ。

 どうだろうか。自分ではできている気がする。気がするが目に見えないから完全に気のせいという可能性もあるのが怖い。


「ワン、ひょっとして、このままアルルや、セルルナにも、かけられる、のでは、ないですか?」


 それはつまりこの魔術の力をさらに範囲を広げろってことだよな。


「ちょっと厳しいかな。一箇所に集まってくれればなんとかできるかも」

「やってみて、ください」


 簡単にそう言ってユーリアはアルルの元に歩み寄る。セルルナも興味津々と言った様子で二人の側に寄った。

 俺は三人の側に立つともう一度魔術を発動させた。必要なだけの魔力を杖に注ぎ込んで、三人を一度に魔術の力で包み込む。これくらいならなんとか制御できるみたいだ。もう少し範囲が広いと厳しいだろう。


「ワン、あなたが使っているのは、範囲魔術、です」

「えっ」

「効果はほんの少し、でも、確かに範囲治癒魔術、です」

「えっ、俺、なんかやり方間違えた?」

「間違えた、というよりは、むずかしい、やり方を、しています」


 そうなのか。しかし魔術が発動したというお墨付きをもらって、俺はじわじわと胸の内に熱くなってくる何かを感じていた。レベル1、しかも上がらないという謎のハンデを持って異世界に召喚されてしまったものの、何もできないわけじゃない。少なくとも魔術を扱えることはこれで確定したわけだ。


「でも問題は、無い、です。ワンだけでも、この子の助けにはなる、でしょう」

「そうか、良かった。セルルナと契約したからな。治療できなかったらどうしようかと思った」


 思っていたより時間はかかりそうだが、アルルの顔色も少しは良くなっている。最初の印象よりも重篤ではないのかもしれない。


「セルルナ、アルル、これからは時間を見つけて訪ねてくるようにするけどいいか?」

「いいも悪いも無いよ。契約したんだからな。来てくれないと駄目なんだぞ!」

「そうだったな。お前も悪いことすんなよ」


 そう言ってセルルナの頭をポンポンと撫でてやる。


「おう!」


 元気のいい返事を聞きながら、俺とユーリアはセルルナとアルルの住む小屋を後にしたのだった。

次回は10月12日0時更新です。

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異世界転移ものの新作を始めました。
ゲーム化した現代日本と、別のゲーム世界とを行き来できるようになった主人公が女の子とイチャイチャしたり、お仕事したり、冒険したり、イチャイチャする話です。
1話1000~2000文字の気軽に読める異世界ファンタジー作品となっております。
どうぞよろしくお願いいたします。

異世界現代あっちこっち
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