第十話 ユーリアと買い物
アルゼキアはアルゼキア王国の首都であり、唯一の都市である。領地に農村はいくつもあるが、都市を形成するほどの大集落は存在しない。ゆえにアルゼキア王国の全ては、このアルゼキアに集まってくる。
そんなわけでアルゼキアの大通りは非常に賑わっていた。
大通りとは言っても、日本人の想像する大通りとは少し違うかもしれない。大きな道があって、その周囲に主要な建物が建っているだけではなく、その道の中にも商店が溢れかえっているのだ。俯瞰してみれば、確かに大通りであるのだろうが、中にいるとお祭りの屋台が立ち並んでいるようにしか見えない。お祭りの屋台と違うのは電飾が使われていないことと、売っているものが日用品寄りなことだろう。
これは俺の知識から来るものだが、いわゆる海外のマーケットが印象に近い。日本で言うなら露天商だろうか。それだとやはり祭りの屋台という感じになってしまうが、売っている食料品も肉を焼いているかと思えば、生肉を取り扱っている店もあるし、フルーツジュースのようなものを提供している店もあれば、フルーツそのものを扱っている店もある。小物から、金物、小麦から釘まで、本当にまとまりなくなんでも売っている感じだ。この辺りはこういう店、という決まりがないのだろう。
ユーリアに聞くと、これらの屋台は夜には撤去しなければならず、朝から早い者勝ちで場所が決まるのだそうだ。なんだか花見の場所取りを思わせる話だ。じゃあ朝のいつからならいいの?と聞くと、ユーリアは多分、朝の鐘が鳴ったらと言った。そう言えば朝から一定時間置きに鐘の音が聞こえる。間隔からするに一時間、この世界の一時間毎に鳴らしているのだろう。夜の間は聞こえなかったから、朝になったら鳴らし始めるんだろう。
とりあえずアルゼキア案内のためにやってきたユーリアが、俺を最初にここに連れてきたのは服を買うためである。
現在俺の所有している衣服は召喚された時に来ていたブレザーの学生服と、アルゼキアへの旅の途中に手に入れた古着しかない。今着ているのは当然ながら後者だ。
染められてもいない麻の布のチュニックとズボンという簡素なもので貧乏っぽいのはなんとなく分かる。
ユーリアがデートの相手にもっとマシな格好をさせたいと思うのは当然のことだろう。なお、アレリア先生宅には当然ながら女性モノしかなく、借りられるような服はなかった。
「ここに、しましょう……」
ユーリアが選んだのは出来合いの衣類を売っている屋台だった。だが素材が明らかに麻とは違って柔らかい。
これはなんだろう?
日本の衣類なら洗濯タグを見れば一目瞭然なのに。
「これは、羊の毛、です」
俺が戸惑っていることに気づいたのだろう。ユーリアが助言をくれる。
そうか、羊毛なのか。
羊毛と言うとフリースや、あるいは毛糸というイメージだったが、よく考えたら繊維なのだから普通に織物にだってなるだろう。布になれば服にもなるわけで、こうしてチュニックやズボンになるわけだ。
「何だお前、毛織物も知らないのか?」
店主と思しきおっさんが現れて、俺に訝しげに目を向ける。と、同時にその目が驚愕に開かれた。
「レベル1!?」
やっぱりそういう反応をされるのか。
半ば予想していたとは言え、尋常ではない反応をされるのは気持ちのいいものではない。
「実はそういう病気で……」
予めアレリア先生と打ち合わせてあった通り、生まれつき謎の奇病に冒されていて、治療法を探すために連れて来られた。という設定で話を進める。衛兵にもそういうことで話をしてあるので今後もこの設定で行くつもりだった。
「なるほどなあ。それでスキルが無いんじゃ何も知らなくても仕方ない。うーん、安くしておいてやるから好きなモノを選びな」
「ありがとうございます」
礼を行ってユーリアと服を選び始める。とは言っても似た作りのものばかりだから、色ということになるのだが。
上着は薄い色のものを何着か、ズボンは濃い目の色にしておいた。なんだかそのほうが落ち着きそうな感じがしたからだ。それから下着も何着か買っておく。今のものは麻布でごわごわしていたからだ。
会計は言われるままに銀貨を差し出したが、ユーリアが何も言わなかったので、ぼったくられたということはないのだろう。
「治療がうまくいくといいな。この先に教会があるから寄って行くといい。天球の導きがあらんことを」
ユーリアに聞いてみると、その教会というのは天球教会のものだそうだ。ユーリアがいる以上、近づかないに越したことはないだろう。
それにしても想像以上の大荷物になってしまった。当たり前だが、買い物袋なんて出てこないので衣類は自前で用意してきた手提げカバンに入れることになるのだが、これまた当然のように入りきらず、それに加え両手に抱えることになった。
ユーリアが手伝おうかと聞いてくれたが、そこは男の子の意地である。自分の買い物を女の子に持たせるわけにはいかない。
そんな風に両手に荷物を抱えながら大通りの人混みを歩いていると、唐突に人にぶつかり一歩よろめく。
「すみません」
思わず謝罪が口をついて出る。
荷物はなんとか落とさなかった。
「ワン」
かと思うと、ユーリアに呼ばれ振り返ると、彼女の手がローブを着た子どもの手を捕まえていた。
「スリ、です」
「えっ」
慌てて荷物を抱え直し、ズボンのポケットをまさぐると、確かに硬貨を入れていた小袋が消えていた。アレリア先生から預かったお小遣いの全額だ。ぞっと背筋が冷たくなるのを感じる。ファンタジー小説なんかでは確かにスリに遭うのがお約束だが、まさか自分が遭うとは思っても見なかった。というかポケットに入れていたのにスれるものなのか。
「離せ、離せよ!」
少年とも少女とも分からない声で子どもは身を捩ってユーリアの手から逃れようとしているが、そこはさすが冒険者というべきなのだろう。ユーリアの手はがっちりと子どもの手を掴んで離さない。
「いいんですか? このまま、衛兵に、突き出しても、いいんですよ」
ユーリアの声は普段の彼女からは想像もできないほど冷たい。
「あなた、亜族でしょう」
声を潜めたユーリアの声に子どもの抵抗がパタリと止む。
「な、なんで」
「臭いで、分かります」
そう言えばウサギの嗅覚は犬並みに鋭いんだっけか。それが兎人のユーリアにも適用できるのはかは分からないが、ユーリアの言葉に嘘は無いようだった。
ローブを着た子どもはじっとユーリアを見ていたが、やがて観念したようにポケットから2つの小袋を取り出した。
「それで見逃してくれよ。弟と妹がいるんだ。俺が捕まっちまったらあいつら餓死しちまう」
「どう、しますか?」
ユーリアが俺に意見を求めてくる。盗まれたのは俺のお金だから、ということだろう。
俺は少年の手から自分の硬貨が入った袋だけを取り上げると、中身が減っていないことを確認した。
さて、どうしたものだろう。
許してしまうのは簡単だ。だがそうするとこの子は同じことを繰り返すだろう。それ自体も罪だし、別の誰かに捕まればこうは行くまい。亜族の子どもが盗みを働いて、それを天球教会の信者が許すとはとても思えない。おそらくは話に聞いたように奴隷にされることになるだろう。
それを心苦しく思うのは、俺が甘いからだろうか。
俺は被害者で、この子どもは加害者だ。そう割り切れれば簡単なのだが、子どもをそんな目にあわせていいものだろうか? それも俺の判断で。
結局はそこなのだろう。
俺はこの子どもが奴隷に落とされることを嫌がっている。
「とりあえずアレリア先生の家に連れて行こう。荷物を置いて、それから話を聞きたい」
「ワンが、そう、言うのでしたら」
それからユーリアはその子に自分のステータスを見るように言い。逃げようとしたら魔術を使いますよ。と脅しを入れた。その子はユーリアほどの高レベルの魔術士を見たことが無かったのか、シュンとおとなしくなると、言われるがままにユーリアに手を引かれて俺たちの後をついてきた。
アレリア先生の家に戻り、俺が服を着替えている間にユーリアはスリの子どもからいくらか話を聞いていたようだった。
彼の名前はセルルナと言い、犬人の少年で、アルゼキアの外周街に住んでいるのだという。父はおらず、母は身を売って金を稼いでいるが、大した収入ではなく生活が苦しいのだそうだ。その上、妹が病気に罹ってしまい、薬を買う金が必要だという。
「こんなお屋敷に住んでるんだ。お金持ちなんだろう! ちょっとくらい恵んでくれたっていいじゃないか!」
「お恵みが欲しいのであれば、病気の妹を連れて物乞いでもするべきでしたね」
辛辣な意見はお茶を用意してきたシャーリエの口から発せられた言葉だった。その上で、犯罪者に出すお茶はありません、と少年の前に一度置いたお茶のカップを取り上げてしまった。
「そんなことしても衛兵に追っ払われちまうよ! なんだよ。同じ亜族のくせに!」
「亜族と自らを貶めている子どもの言葉なんて痛くも痒くもありませんよ。私は自分が猫人であることにも、お館様の奴隷であることにも誇りを持っていますから。それどころかあなたのような短絡者のせいで神人以外の人々の立場がさらに悪くなるのです。その自覚はあるのですか?」
子どもだからと犯罪者を庇い立てする必要はありません。さっさと官憲に引き渡してしまいましょう。と、シャーリエは言う。そもそも犯罪者の言葉を信じる必要はありません。そんな病気の妹なんていないのかもしれません。この場を言い繕うためだけの言い訳に違いありません、と。
ぷんすか怒るシャーリエを横目に、俺は全然別のことを考えていた。
「セルルナ、君はどうやってアルゼキアに入ってきたんだい?」
アルゼキアの門のところには衛兵がいて、出入りする人はみんなチェックされていた。ユーリアも例外ではない。冒険者としての契約が無ければ神人ではない彼女はアルゼキアに立ち入ることすらできないのだ。しかしこのセルルナという少年は神人でないにも関わらず、アルゼキアの中にいた。何かチェックを避ける方法があるんだろうか?
「それは、言えない」
なにか方法があるんだろう。しかしそれを誤魔化すための嘘は用意してなかったようだ。
「それじゃ聞くけど、妹さんの病気さえ治ればこんなことは二度としないと誓えるかい?」
「それは契約するってこと?」
「そうか、この世界じゃそれが普通なのか。そうだな。契約できるかい?」
セルルナはしばらく俯き考えた後で顔を上げた。
「分かった。アルルの病気が治ったら俺は二度と悪いことはしない。兄ちゃんと契約するよ」
「じゃあ契約しよう」
そう言うとセルルナは俺の前にやってきて両手を差し出した。
えっとアレリア先生はどうやっていたっけ?
俺は思い出しながら、契約の宣誓を行う。
「宣言する」
そうは言ったものの、アレリア先生の時のような力の流れは感じない。
あれはどんな感じだっただろうか。確か温かいものがお互いの体を巡るように流れて。
そう思った途端、その力の流れが発生した。
ユーリアに流し込まれた魔力とはまったく違う力の流れ。それをはっきりと感じる。
しかし今度は気持ち悪くなるようなことはなかった。
「ワンはセルルナの妹、アルルの病気を治療する。それに対し、セルルナは以後犯罪に手を染めないと誓う」
「承諾する」
力は霧散する。多分これで契約はちゃんと結ばれたはずだ。自分でステータスを確認できないのがもどかしい。
「それでワン様、どうやってその子の妹を治療するんですか?」
シャーリエが当然のことを聞いてくる。
それに対し、俺は申し訳ないんだけど、と前置きして、
「ユーリア、力を貸してくれる?」
と、言ったのだった。
次回は10月11日0時更新です。




