6節 まずは愛称で呼び合える仲から
傾きかけた陽が、クオレヴィア教会のドームの頂塔を淡赤く染め上げる。
“ランヘル”の街は、既に優しい夕暮の色に彩られつつあった。
教会を中心としたいわゆる「寺下町」であるランヘルも、教会地区から離れれば次第に、教会特有のある種荘厳で装飾的な風景から、漆喰や石造りの、世俗と情緒の中間といった雰囲気の軒並みに融合していく。
中央から十字に伸びる大通りにはちらほらと観光客もいたが、住居地域の、おまけに裏通りに入ればそれも減り、地元の通行人がまばらにいるだけ。
そんな中。
「ねえ、どこ行くの?」
「…………帰る」
かたや、白い神父服姿の男。
神父服だけなら、何も珍しくはない。ランヘルに聖職者や修道者は多いのだから。
しかし、長身にオールバック、その強面と鋭い目つきから放たれる威圧感ゆえか、この男を聖職者と呼ぶにはどうにも躊躇してしまう。
かたや、年若い少女。
シャツにホットパンツの軽装の取り立てて目立った格好ではないにも関わらず、ここランヘルでは珍しい東欧系であるがゆえか、どことなく世間離れした、不思議な印象を受ける。
そんな、明らかに浮いた、ちぐはぐな組み合わせの男女が、追いかけっこをしていた。
「……まだ怒ってたりする?」
「うるせぇ。ついてくンな」
一定の距離を努めて開け、足早に行くアレク。
クオレヴィア教会を出てからずっとその後ろを、大好きなご主人様の後を追う仔犬のように少女はついて来ていた。
「あれくらいで、何もそんなに怒らなくたって……」
「テメェのイった基準と一緒にすンじゃねぇ」
両者の「くらい」には、大気圏とマリアナ海溝の底ほどの差があるようだ。永遠に相容れない。
「またまた~、結構喜んでたくせにー」
「喜んでねぇよ」
「ピッチピチの女の子にキスされて、股間押さえながらハアハア興奮してたのは一体どこの誰ですかー?」
「嘘抜かせ! 読者が真に受けるだろうが!!」
青筋立てて思わず振り返れば、少女がニコリと笑った。やっとこっちを見た、と。そのあまりの邪気のなさに、怒鳴る気も失せる。
眩しいものを見るように目を細めた少女の瞳は、今は金赤色に煌めいていた。この夕焼け空と同じだ。
「……てか何だ、その妙な眼は」
「これ? 生まれつき。見た物によって色が変わるの。『人魚の瞳』は皆こうなんだって。……気に入った?」
「………………………別に」
素直に言うのも癪で、答えあぐね、アレクは明後日の方へ目を逸らす。
「あ! そういえば、まだちゃんと自己紹介してなかった。ちょっと事が前後はしちゃったけど――」
「前後しすぎだ」
「――ワタシの名前は、オペラ。オペラ=シレーネシア=ブラッドウィン V.」
「どうぞよろしく」と握手を求められるが、ミルクのように肌白いしなやかなその手に、アレクは一瞥をくれただけで、そのまま歩みを再開させる。
百歩譲って彼女がアルバス大司教の知り合いだとしても、それで完全に気を許したわけではない。ましてや相手が、混血魔なら。
行き場を失った手をさ迷わせながらも、無視については細い肩をすくめただけで特に文句も言わず、少女――オペラもまた、引き続きアレクの背中を追う。
「じゃあ、これでひとまず知り合いになったということで。ねえ、“アレクシス=グレイ”」
「……」
「何て呼んだらいい?」
「……」
「アレクって呼んでいい?」
「テメェに親しげに呼ばれる筋合いはない」
「……なら、何て呼んだらいいの?」
「知るか」
「それじゃあ、ダーリンとか、マイ・スウィート・ベイビーとか、私の愛しいパンプキンパイちゃんって呼ぶ」
「……アレクでいい」
結局アレクの方が折れた。
「ねえ、アレ――!」
「……!!」
刹那。
タイミングを同じくして、二人ともが反応を示す。
「この気配……悪魔?」
「……ああ」
「エクソシスト教団の本拠地みたいなとこでも、悪魔って出るんだね」
「“戦争”の傷跡が残ってる場所だからな」
「でも何か、変な感じ。こう、ぼわ~として、水の中にいるみたいな」
「狭間のせいだろ」
「プル、ガ……?」
「このランヘルの街全体に、特殊な“結界”の土台が張り巡らされてンだよ。異空間の延長線のモンだ。そこを通ればエクソシストの存在はそこらの奴からは見えねぇし、敵の張った結界にも侵入しやすくなる」
「………………行かなくていいの?」
「ああ?」
アレクの片眉がピクリとはねる。
「近くに悪魔がいるんでしょ? …………いいの?」
いいの、エクソシストさん?と、続けられているような気がした。
「…………俺は、戦闘から外されてる」
「……でも」
「それに、大司教どもが狭間張ったってことは、十中八九他のエクソシストを向かわせたってことだろ。そいつらに任せときゃいい。ランヘルからみすみす逃がすようなヘマはしねぇだろうよ」
随分と淡白な言葉を残して、アレクはその場を離れようとする。
だが、その拳は握り締められていた。爪が食い込み、震えるほどに固く。けれど強情なまでに密かに。
それに気がついていたのはオペラだけ。でも、敢えて言ったりなどはしなかった。
「暫くはランヘルにいるって言ってたか?」
さっさと話を変えるように、この時初めてアレクの方から話しかけた。
「あ、うん……そのつもりだけど」
「どこに泊まるつもりだ」
「泊めてくれるの!?」
「誰がンなこと言った」
「え!? 今! アレクが!」
「宿泊先尋ねただけで何でそうなる」
「アレクが泊めてくれなかったら、路上で寝泊りしなきゃいけなくなっちゃう!!」
「ンで究極の二択しかねぇんだよ!」
「こんな嫁入り前の女の子を野風の下、ううん、変質者たちの下にさらすなんて!」
「ホテルに泊まりゃあいいだろ、ホテルに!!」
「えぇ~~~~~~っ!?」
シリアスな空気なんてなかった。
家にお邪魔したいと、食い下がってついてこようとする混血魔の少女を何とか巻くのに、その後街を一周半回る羽目になろうとは、この時のアレクはまだ予想だにしていなかったのであった。
ちなみに既出の通り、主人公アレクシス=グレイの愛称は「アレク」「アレックス」です。愛称とかミドルネーム大好き。