3節 あるうららかな日のクオレヴィア教団本部の一風景
本日も、“ランヘル”の街は晴天なり。
こんな陽気には、たとえイタリア人でなくとも、小洒落たカフェのテラスで、のんびりとエスプレッソでも飲みたくなる。
そんな、雲ひとつない青空のキャンバスに、きらめく太陽の日差しの絵の具がチューブから零れる、初夏の昼下がり。
「白き心臓」の名を冠する、ここ――“クオレヴィア教団”本部――もとい表向きの“クオレヴィア教会”の一室には、もう一つの日だまりとも比喩すべき、明るいおしゃべり声と無邪気な笑顔が集まっていた。
「はい、皆。席についてくれたまえ」
そこにアルバス大司教がやって来る。体、特に腹まわりの恰幅の良さと見事な白い髭も相まって、聖職者というよりは、まるで季節外れのサンタクロースのようではあるが。
パタパタと慌てて長椅子に座るのは皆、10にも満たない子供たちだ。
「Buon giorno.(こんにちは)」
「Buon giorno、アルバスだいしきょーさま!」
それは、はたから見れば、子供を対象とした教会のワークショップか聖書の勉強会にでも見えるのだろう。
しかしその実、この場にいるのは皆、霊力の高い子供たちである。孤児だったのを教団が引き取った子もいれば、その才能に気づいた親からくれぐれもと預けられた子もいる。
一体この中の何人が、将来退魔師として活躍するのだろうかと、アルバス大司教はそっと目を細めた。
「それでは授業を始めようか……と、その前に。パーシバル、授業中はお菓子は禁止。キャンディは儂が預かっておこう」
「ちぇー」
「Grazie.(ありがとう) えーと、前回どこまでやっていたかな?」
「クレアシオンだよ、だいしきょーさま!」
「おー! そうだったそうだった」
ガラガラと運ばれてきたホワイトボードに、「天地創造」と大司教は単語を書いていく。
「前にもさわりだけやったが、全ての始まりは、遥か遠い昔に起こった、天と魔の戦いじゃ。神に最も愛されていた大天使が、あろうことかその神にとって代わろうとして、戦争を引き起こしたのだ」
「さいごは、神さまの軍が勝ったんだよねー?」
「よく覚えとるな、ジェシー。偉いぞ」
「えへへ~」
「そして、裏切り者とそれに従った者たちは、“悪魔”として地獄に追放され、神は戦場を離れたというわけだ。その“戦場”というのが――?」
「にんげんかい!!」
子供たちの声が、でまかせに吹いたハーモニカの音色のように一斉にハモる。
「その通り! 今儂らが住まうこの世界のことじゃ。そして、この人間界には、神と魔の“戦争”の痕跡が残っておる。悪魔と契約し魔力を得た“黒の一族”と、神の加護を受けた“白の一族”という、特殊な人間たちのことだ」
「いちぞくー?」
「そう。クオレヴィア教会の守護聖人も“白の一族”なんじゃよ」
「えー? そんなのホントにいるのー?」
「まあ、楽しみにしておきなさい。後で良いモノを見せてあげるから」
ニヒヒ、と悪戯っ子のような笑みを浮かべる大司教。
「それでは話を戻そう。こうして、天界、地獄、そして人間界……戦争の後、この3つに世界は分かれた。だが、このように――」
3つの円を横一列に連なるように描くその手は止めずに、説明は続けられる。
「――今尚、この3つの世界は、その境界線が折り重なるようにして存在しているのだ」
「まんなかがにんげんかい?」
「そうじゃよ、トマス」
「てんごくとじごくにはさまれてるじゃん!」
「良い所に気がついた! 今言ってくれたように、天界と地獄と接する人間界には、人間を守るために規則や制約がかかっている。特に悪魔は、今でも、人間界で悪さをしようと企んでいるからな。さて、そんな悪魔にかけられた制約の、最たる3つを言える人は?」
「はい!」
「どうぞ、パーシー」
「えっと……『人間界への不可侵』、『人間界でのあらゆる危害の禁止』……、あとは、『人間界での』………………『人間界での魔力の抑制』!」
「大正解じゃ、パーシー! ご褒美にキャンディをあげよう」
「だいしきょーさま、それもともとボクのじゃん!」
「おお、バレてしまったか」
キャハハハと、あちこちで笑い声がこぼれる。
「パーシーの言う通り、まず原則として、悪魔は人間界には入れない。境界線に防壁のようなものが存在するでな。もしこれがなかったら、今頃人間界は悪魔でウジャウジャじゃ!」
「でも、入ってきてるやつもいるよ?」
「いかにも……。人間界には、“戦争”の傷跡があちこちに残っておるからの。それが極稀に空間に亀裂を起こして、そこから悪魔が入ってくることがあるのだよ。あとは、悪い奴らがこっちの世界に召喚したりしてな」
少しばかり話が複雑だったのか、皆一様に、難しそうな、けれども一生懸命理解しようとする表情を見せる。
「だが、万一悪魔が入り込んだとしても、人間界のルールやリミットがあるせいで、人間に危害を加えることも、真の力を解放することも出来ない。これは“一族”にも言えることではあるが」
「じゃあ、あくまが来てもだいじょうぶなの?」
「ばーか、大丈夫じゃないからエクソシストがいるんだろ!」
「こらこら、『馬鹿』は良くないぞ、トマス。エミリーに謝りなさい」
「……ごめんなさい」
「うむ、そうやって素直に謝れるのは素晴らしい美徳じゃよ。どこかの誰かは、面倒事を起こしたのに『ごめんなさい』のひとつも言えぬのだからな」
「オイ、誰のこと言ってやがる」
「さて。では何で『大丈夫じゃない』かというと……誰か分かる人は?」
「はい!」
「はい、ヴェロニカ」
「『いくうかん』でしょ?」
「まさにその通り!」
「いくうかん?」
「異空間というのは、天界とも地獄とも、もちろん人間界とも違う、どことも接せぬ別の空間のことだ。最も身近なものでいうなら、『精神世界』とか『夢』……もそうかの?」
ボードに「異空間」という文字が足され、その下に番号がふられる。
「その中では、人間界の規則や制約は通用しない。人間界ではないからな。その異空間には2つのタイプがあるわけだが……ヴェロニカ、1つ目を言ってもらってもよいかな?」
「“びると”です!」
「大花丸じゃ!」
「ちゃんと予習してきたんだよ!」
「皆優秀で、儂も鼻が高いのう。さて、今言ってもらった“結界”とは、簡易的に創った異空間のことだ。魔力をもつ者によって創られる“黒の結界”は、魔法陣と祭壇と生贄によって構成される。ちなみに、“白の結界”というものもあってだな。それは――」
キュッと小気味良いマーカーペンの音を立てながら、大司教は「1、結界」の下の“白の結界”から矢印を伸ばして、「霊力をもつ者」「聖陣」「祭壇」「聖典詠唱」と単語を書き足した。
「この3つから構成される。皆ももう少し大きくなったら、この“結界”の訓練を始められるぞ」
興奮して騒ぎ始める子供たち。パイロットやスポーツ選手、はたまた歌手やケーキ屋さんと、将来の夢の話に花を咲かせるように。
「はいはい、静かに。ところで、この“結界”だがな……。知識も時間も労力もかかるわりには、限定的であるし、壊れやすいのが玉にキズじゃ」
「どういうこと?」
「創るのが面倒なわりに3つの支柱の範囲内に限られるし、それらを傷つければ簡単に破れてしまう、ということだ」
「えーーっ!?」
「と、ここで2つ目の異空間の登場」
アルバス大司教によって、「2、」の後に仰々しく太文字で書かれたのは、「イデア界」という言葉であった。
「いであ、かい……?」
「平たく言えば、結界の強化版のことじゃよ」
「びるとはちがうの?」
「大いに違う。“イデア界”には、3つの支柱はいらぬ。膨大な霊力ないし魔力と、精神力だけで創られた異空間だ。勿論、範囲や維持時間は個々で違うが。このイデア界を創れる者を、我々は“支配者”と呼ぶのだが……」
「何なの、だいしきょーさま?」
「残念ながら、この支配者の素質を持つ者は滅多におらんのだよ。儂も、3人しか会ったことがないからなあ」
「すくなーい!」
「なにそれー!」
「だからもっぱら、“結界”が主流だ。そして小賢しいことに、悪魔の中の一部にはこれに通ずる者もおって、人間界に“結界”を張り巡らし、人間をその中に引きずり込んでしまうのだ」
結界では、悪魔は、人に害を成すことも、取り憑くことも、喰い殺すことも可能となる。
実際これまでの、忽然と姿を消した者たちや、謎の変死や狂死を遂げた者たちの内のどれだけが、奴らの犠牲者であったかは知れない。
もし悪魔の中に、結界の上、イデアを創れる者がいれば、そいつがこちらの世界に侵入してきたとしたら……仮定するだけでも恐ろしい話だ。
「でも、前いたところの先生は、あくまなんて、みんなつくり話だって……」
「本当の世界の姿を知らぬ者たちもたくさんおるのだよ、ジェシー」
「そんなひとたちをあくまから守るのが、エクソシストのおしごとなんだよね?」
「そうじゃな、キース。それが、“クオレヴィア教団”、ひいてはエクソシストの役目。悪魔狩り、悪魔祓い、黒の結界の破壊……そうやって我々は影ながら悪魔を監視してきたのだ」
「ねー、だいしきょーさま」
と、ここで一人が手を上げる。
「ん? どうしたのかね?」
「しつもんしてもいいですか?」
「もちろん構わんよ。大歓迎じゃ」
「その人…………だーれ?」
「おお、こやつか?」
それまで仏頂面でホワイトボードの傍に腕組みして佇んでいた男は、今や子供たちの注目の的にすげ替えられて、俄かに顔をしかめた。
「こやつの名は、アレクシス=グレイ。アレクでもアレックスでも、好きに呼んでくれたまえ」
「アレクー!!」
「ねー、アレク!――」
「テメェら順応力高すぎだろ!」
「――アレクのそれ、教団服?」
「もしかして……エクソシストなの!?」
「そうじゃよ」
「なんでエクソシストさまがここにいるのー?」
「こやつはある罪を犯してな。今日はここで社会奉仕をしてもらうことになっておる」
「つみー?」
「激昂と苛立ちに任せて、教会の懺悔室のドアを蹴り壊した罪ぞ」
「かみさまの家のものこわしたら、じごくのごーかでえいえんに焼かれつづけるんだよー?」
「オイ、ガキ。何つー恐ろしい台詞さらりと言ってやがんだ」
一体、誰に何を吹き込まれた。
「ちなみに先程も話したが、アレクは、白の一族“白騎士”の直系の子孫なのだよ」
「ええぇぇーーっ!?」
「すごーーーーいっ!!」
爆発的に沸き上がった、子供特有の甲高い声に、アレクは軽い頭痛を覚えずにはいられない。
「皆も今の内からしっかり勉強して、しっかり鍛練を積めば、立派なエクソシストになれるかもしれんぞー!」
「…………俺はその正規ルートから入ってねぇけどな」
「でもこんな可愛げのない大人にはなるんじゃないぞー?」
「はーい!」
「余計な世話だ」
「はい、それでは! 残りの時間は、このアレクと触れ合い放題の、スペシャル自習時間にしまーす!」
「…………!?」
「ほんとにーーっ!?」
「いいのーー!?」
「ちょっと待てジジイ! ンなこと聞いてねぇぞ!?」
「儂が何のために今日ここにお主を連れてきたと思っておる?」
「端からそれが狙いか!?」
「これで子供たちの儂への人気もうなぎ登り!!」
「ホント最っ悪だな、テメェは!!」
「これにて儂はドロン」
「バックレる気か!?」
「ちなみに次週は、『アレク、子供たちに囲まれる』、『アレク、子供たちのオモチャにされる』『アレク、解剖される』の3本立てでーす!」
「クソジジイ、コラ、待ちやが――」
アレクアレクアレクと反響する大合唱と、キャーー!という意味不明の喚声とともに憧れのエクソシストに飛びつきにいく子供たちを尻目に、アルバス大司教は裏Vサインなぞを決めながら颯爽と講堂から出ていくのであった。
子供たちの名前のほとんどは、聖人や守護聖人の名前を参考にさせてもらっています。