1節 エクソシスト・ラプソディー
つけっぱなしの胸鎧に手甲、おまけに赤黒い血飛沫を浴びた白教団服の男がいたところで、見咎める者は誰一人としていなかった。
表向きの“クオレヴィア教会”はとうに閉まっていたし、何よりここは懺悔室なのだから。
狭っ苦しい密室の中で、男はさも居心地悪そうに腰かけていた。男からすれば、四方が格調高い紫檀の壁に差し変わっただけの尋問室に等しい。落ち着かなくなるのも、さもあらん。
ただでさえ戦闘の後であるし、ティボルド神父のことがあって気も立っていた。香木の芳しい香りすらも今は鼻について、イラついて仕方がない。
「待たせてすまぬ、アレク」
静寂の中、不意に声がかかる。
壁一枚を隔てた向こう側の小部屋から。
仕切りに設けられた小窓の網越しに、司教姿の老人が姿を覗かせた。
「…………アルバス大司教」
「話は既に聞いておるぞ」
「……どうせろくでもねぇ話なんだろ」
“アレク”。
そう名を呼ばれた男は、砂糖を溶かした砂利水を飲まされたかのような嫌色を示した。
「お主の言う通りだが、まあひとまずは……お主らの帰還と悪魔退治の任の遂行を神に感謝するとしよう」
そう言うとアルバス大司教は、厳粛に胸元で十字を切る。
「ときにお主、傷を負っているのか?」
「俺ンじゃねぇよ」
アレクは顔をしかめ、一層目つきを鋭くした。
そうするとますます堅気の人間には見えなくなる。
ただでさえ、オールバックに撫で付けられた暗褐色の髪は乱れ落ち、頬や教団服にはどす黒く乾いた悪魔の血痕が飛び散っているのだ。聖戦から帰還した聖騎士と形容するにしても、あまりにも禍々しすぎるし、俗っぽかった。
「悪魔の、返り血だ」
「そのような不浄の物を聖なる神の家に持ち込むとは……。あまり感心できたものではないぞ」
「知るか。早々に懺悔室に放り込まれたんだからな」
「もう良い。その教団服については、清めの儀式の手配を至急しておく」
「……清めの儀式?」
アレクがこの“クオレヴィア教団”に属して実質2年になるが、そんな儀式があるなど初耳である。
「いかにも。検品して前処理をしてだな、それから洗浄して乾燥させシミ落としを――」
「ただのクリーニングじゃねぇか!」
「そうとも言う」
「素直にそう言え」
「まったく……。白はシミ抜きが大変だというのに」
「テメェは俺のお袋かよ」
「と、この件はこれくらいにしておいてじゃな――」
真面目なのか冗談なのか分からないひとしきりのやり取りの後、アルバス大司教が、その恰幅の良い居住まいを正した。
「――して、悪魔の正体は?」
「“暴食”だ」
「ほお……、中級悪魔とはな」
「ああ」
「奴、か?」
「…………いや、違った」
苦虫を噛み潰したような、もれなく舌打ちのひとつかふたつ聞こえてきそうな渋面で、アレクはその問いを否定する。
「『あらゆる人間に擬態する』って聞いてたが……実際は単に化けてたって話だ。殺した人間の皮を被ってな」
「悪魔の所業の、なんとむごたらしいことよ……。 哀れな犠牲者たちが、神の御元に迎え入れられんことを……」
お世辞にも敬虔な信徒とは言えないアレクも、この時は大司教の祈りに続いて小さく十字を切った。
「誠、嘆かわしいことだ……。しかし、これで件の大量食人殺人事件はようやく終息を得た。ともあれ、よくやった」
「よくやった?」
アレクの片眉がはね上がる。
「よくもどうもねぇよ。テオが――」
「そのことじゃが……先程知らせが入った」
「……無事か?」
「手術こそ終わってはおらんが、十中八九、命に別状はないそうだ」
「………………そうか」
ティボルド神父のひとまずの朗報に、ようやくアレクの肩から少しばかり力が抜けた。
それに名をつけるとしたら、その感情はまさしく「安堵」だ。
「こんな時に言いたくはないが、かの者の損失は我が教団にとっても痛手……。お主も十分分かっておるな? そのこともあって、大司教どもに尋問されておったのじゃろう」
「……ああ」
「本件の任務報告と経緯は伝え聞いておる。上を無視したことも」
「いちいち奴らの指示だの許可だの待ってたら――」
「敵は当然取り逃がしておったし、今回も犠牲者が出ていたじゃろうな。そして次の犠牲者もいずれ……」
「……」
「だが、大司教どもは何と言ったか……当ててみせようか? 『命令不遵守で突っ走った上に、標的の破壊と引きかえに教団の切り込み隊長が負傷』」
「……」
「『それに、どう少なく見積もっても十数人の一般人にエクソシストという存在は目撃されておる。我々は悪魔退治と悪魔祓いの密命を負った、あくまでも歴史の影の監視者。いらぬ混乱を招きおって』」
「……」
「『それもこれも、教団の増援や狭間の設置を待たなかったお主に責任がある』」
「………………ああ」
「そう、答えたのか?」
「ああ。テオが怪我をしたのは事実俺のせいだ」
「アレク、お主……――」
「――このぶぅぅうああああああああああかああああああああああっっつ!!!!」
馬鹿。
馬鹿。
馬鹿。
教会内にこだまする、大司教の怒声。
広々とした大聖堂の、まあ響くこと響くこと。
「お主が馬っ鹿真面目に肯定するから、大司教どもにつけ入る隙を与えたんじゃろうがっ!!」
「あ゛あ?!」
「あ奴らの、鬼の首とったかのような顔がありありと目に浮かぶわ! ただでさえお主は良くも悪くも他とは違う! 上から快く思われておらんというに! 処罰の口実をみすみす与えてやったようなもんじゃろうがこの馬鹿者が! よりにもよって元帥卿が長期不在の時に!!」
「テメェ、黙って聞いてりゃさっきから! 馬鹿馬鹿言ってんじゃねぇよ!!」
「馬鹿を馬鹿と呼んでなああああにが悪い!? あ゛あ゛~~~~も゛~~~~っ! 『これも神のお導きです』とか『元はといえば悪魔が全部悪いです』とか、儂が来るまでに気のきいたことひとつも言って場を繋げんのかこの不肖の弟子がっ! それが無理なら永遠に口を閉ざしておれ!!」
「その方がよっぽどタチ悪いだろうが、このクソジジイ!!」
責任転嫁も甚だしい。
「何という口のきき方じゃ、命の恩人に対して!? まったく! この仕切りがなかったらそのど頭叩いてやるのにのう!!」
「そりゃあこっちの台詞だ! 命拾いしたな、ジジイ!!」
「儂を見くびるでないぞ! この金網の隙間から! 目潰しするくらいは出来るんじゃからな!!」
そう言って、2本の指を突き出して威嚇してくる大司教。
ちなみに教団での地位は、上から2番目。結構偉い。
「ともかく!」
犬も食わない、というより神も見るに耐えない口喧嘩の果てに、アルバス大司教が困り果てたといわんばかりのあけすけな態度で、後ろの壁にもたれかかった。
「大司教どもの決定はもう下っておる!」
「決定……?」
その不穏な単語を訝しんで、アレクは俄かに眉をひそめた。
「……今回の一連の責任を取る形で、『アレクシス=グレイに無期限の半謹慎処分を下す』ことと相成った」
「……………………ハア?!」
「流石にこれは理不尽すぎると儂も抗議したわい! だが……仕方なかろう!」
「『儂には大天使・ミカエルの御加護がある! 大船に乗ったつもりでついてこい!!』とか普段散々ほざいときながらそのザマか!?」
「やむおえん、多数決じゃぞ!?」
「随分弱えー大天使様だな!?」
多数決で負けたのか。
「む……とにかく、儂でも今回ばかりは庇いきれんかったのだ! 毎度お馴染みアレクいびりの集大成ぞこれは!!」
そう言い終わるや、壁の向こう側でアルバス大司教は大仰に頭を抱えている。
頭を抱えたいのはこちらも同じだ。
アレクは言葉も出ずに、肩をすくめて両手を上げて薄黒い天井を仰いだ。
「…………半謹慎って? 俺を神の監禁室にでも放り込もうってのか?」
「惜しいが違う」
顔を上げる大司教。
「正確には『あらゆる悪魔退治、及び悪魔祓いの無期限禁止』だ」
「なっ……!?」
こちらも同様、弾かれたように顔を戻すアレク。
「更に上に掛け合ってみるが……。それまでは一切の悪魔の事件や戦闘から、お主は外されることになる。バックアップ要員ということじゃな」
「何だよそれ!?」
いきりたつアレクを、大司教がまあまあ、とたしなめる。
「まあこれも、ものは考えよう。お主は、悪魔悪魔悪魔……働きすぎ、というか思い詰めすぎだ。例の悪魔の手がかりを探し出したい、その気持ちは理解できるが。どうだ? ここはひとつ、しばらくは休養と鍛錬の期間だと思って――」
「ふざけるな!!」
堪えきれず、アレクは椅子を蹴らんばかりの勢いで立ち上がる。
悪魔を探すには悪魔の中を――そこから遠ざけられるなど……。これでは、あらゆる意を圧してエクソシスト教団に入った意味が皆無である。
「忍耐だ、アレク」
これ以上は聞くに耐えないと、席を立ち踵を返そうとしたアレクの背に、うってかわって重々しい声音のアルバス大司教の声が投げかけられる。
「今は、時を待つのだ」
「俺はもう5年も奴に費やしてる――」
「――これ以上何を待てというんだ」
そう吐き捨てると、行き場のない怒りや葛藤をぶつけるように懺悔室の扉を蹴り開けて、アレクはその場を後にした。
エクソシストなのにエクソシストたるカッコイイ場面が根こそぎなくなってしまった主人公ではありますが、宜しければまた遊びに来て下さいませ!
戦闘シーンもいつか!いつかは入れたい!