11節 初回もそうだが、2回目の駆け引きもなかなかどうして難しい
「帰れ」
『ち、ちょっと!? 誰なのか確認してから、ううん、せめてノックくらいし終わってからでもいいんじゃない!?』
間髪入れずに拒否すれば、負けじとあちらも間髪入れずに返してくる。
「テメェの気配は嫌でももう覚えてんだよ。ンなだりぃことしなくても」
人魔。その気配をそう一言で片付けるには、この少女は些か複雑すぎる。それこそ、人間と吸血鬼と人魚の血がさながら墨流しのように入り混じった、とでも言い表すべき、この招かれざる来訪者の奇妙な気配を察知した瞬間から、アレクは既に思っていた。「ああ、また来やがった……」と。
『あらやだ、熱烈な言葉♡』
「そういう意味じゃない」
『それを言うならワタシだって! アナタの血の匂いはもう完璧に覚えたから、どこにいても見つけ出せる自信があります!』
『左様。吸血鬼の五感の鋭さは、人間の比ではないぞ!』
「軽いホラーじゃねぇかよ」
フェンリルなる使い魔も加勢してきた。
勘弁してほしい。ただでさえこの混血魔に十二分に手を焼いているというのに。2倍疲れる。
「で、今日は何の糞つまんねぇ伝言持ってきやがった?」
『え? いや、今日は純粋に遊びに来ただけなんだけど♪』
「俺は今死ぬほど忙しい。じゃあな」
『えーーっ!? いやいやただご飯食べてるだけでしょ!? あと、せめてちょっとくらいこっちを見て言って下さい!』
ソファから腰を上げるどころかドアの方には一瞥もくれず、ただひたすら黙々と遅めの夕食をとっていたアレクの手が、刹那、ピタリと停止する。
「テメェはいつからエスパーになった」
『そのようなこと、吸血鬼の力をもってすれば造作もなきこと!』
「吸血鬼関係ねぇだろ」
『もしくは愛の力かな♡』
「もっと関係ねぇよ」
『むー……つれないなあ。にしてもそれ、何食べてるの? そのミミズみたいなの』
冗談抜きで部屋に盗撮カメラでも仕込まれているのではないかという疑惑故か、はたまた食事中の他人様の食欲を削ぐような表現をされたからか、アレクは露骨に渋面を作った。
ゲテモノを食していると勘違いされるのも癪だ。
「……カップラーメン」と、アレクは渋々といった面持ちで、小さくボソリと呟いた。
クオレヴィア教団に入ってからはずっと仕事優先で、プライベートにまで労力を割こうとは思わず、必然、日常的に外食が多くなっていた。今日は今日で、朝からアルバス大司教にティボルドにと何かと忙しかったせいで、外に食べに行く気も起こらず、こうして適当に夕食を済ませていたわけなのだが。
『ちょ、ちょっと何それ!? カップ!? インスタント!?』
と、何故か予想以上の慌てた反応が向こうから返ってきた。
「何食おうが俺の勝手だ」
『仮にも勤勉と忍耐を説く聖職者が、そんなお手軽で怠惰なもの食べてていいの!? そんな不健康なものを!?』
「即席麺だって神の創り給うた立派な創造物の一つだろうが」
『そんなジャンクフード、後味最悪でしょ!? 丁度良かった、食後のデザートに実はケーキとコーヒーを買ってき』
「いらねぇ」
『断るの早っ!? 大丈夫。ケーキって言ってもティラミスだから! 甘いの苦手な人にも人気のある、ほら、広場通りのいっつもすごい行列が出来てるとこの! 今話題なんでしょ? 今日3時間も並んだんだよ!?――』
「必死すぎだろ。どれだけ家に上がり込みてぇンだ」
『――フェンリルが!』
「人任せじゃねぇか!?」
いくら今は封印のせいでポメラニアンの姿になってしまっているとはいえ、曲がりなりにもそこそこ高位であろう悪魔がケーキ屋の前で並ばされている様を思い浮かべると、なかなかにシュールな光景である。
『今ならエスプレッソもついてくるよ! ネットで作り方調べて作ってみたの! アレクの好物だよね?』
「……………………テオ、か」
『…………………………な――』
静寂が二人の間を横切った。
『――ん、のことかな?』
「明らかに図星じゃねぇか」
甘い物が嫌いなことも。コーヒーはいつもエスプレッソを頼むことも。
情報漏洩先くらい、アレクにはとうの昔に見当がついていた。
「だーれが、俺の妻だって? 吹聴して回ってるらしいな」
『ハッ!?』
オペラの息をのむ音が、ドア越しでもはっきりと聞こえてくる。
「『ハッ!?』じゃねぇよ。バレねぇと思ってたのか」
『ちょっとした冗談だってばー。アナタとワタシの関係じゃない~』
「笑わせんな。テメェと俺は、一介のエクソシストと、ジジイの知人の娘ってだけの関係だ」
『うう……、限りなく赤の他人の関係ジャナイデスカ……』
「だからそう言ってんだろうが」
『でも、テオおじ様は、素敵な新妻を迎えれてあいつは幸せ者だな~って。何か困ったことがあったらいつでも連絡してきていいし、また遊びに来てね~って』
「テメェらはいつから友達になったんだ」
本格的に外堀から埋めにこられている。
『それと、あいつは変に律儀というか義理固いところがあるから利用しない手はないって、テオおじ様が!』
「……」
『今ここでいたいけな少女が手土産まで持って訪ねて来てるっていうのに、アレクはそんな相手を追い返すような不人情で礼を失した人になってしまうんでしょうか!? さあ、ファイナルアンサーは!?』
「……」
アレクは努めて沈黙と平静を保ちつつ、その実、怒りにこめかみを引き攣らせていた。
脳内でティボルドに首締めをかましている真っ最中だ。余計なことまでペラペラ喋りやがって、と内心毒づきながら。
ティボルドの性格からして絶対、おせっかい半分、面白半分でやっているに違いなかった。
黙り込んだアレクに対して、オペラがさらに畳み掛けてくる。
『お願いー! こんな真冬の中フェンリルとワタシ、憧れだった大聖堂の絵を見ながら凍死しちゃうし、マッチも最後の1本なのーー!!」
「なんか物語が混じってるぞ」
あと今は初夏だ。
腹立たしいがティボルドが言った通り、このまま追い返すのも、それはそれで何だか靄が残る。
最後のヌードルの塊を、いつもの倍以上時間をかけて啜った後、はあ、と腹の底からの深い溜息を吐き出して、アレクは鉄の塊を埋め込まれたかのように重い腰を上げ、玄関へと歩を向ける。
キーロックに手をかけた。
するとたちまち、隔たりの向こう側の相手の、ワクワクと嬉し気にはしゃぐ雰囲気が、ドアのか細い隙間から流れ込んでくる。
もう一度溜息をついてから、アレクは静かにドアノブを引いた。
不可思議にも自身と同じ琥珀色に色彩を変える、無邪気にきらめく少女のあの双眸を、己でも気づかぬ内に脳裏に思い浮かべながら。
久々に登場したヒロインが、声だけの出演って……(汗)
アルバス大司教やティボルドにとって、オペラは孫や年の離れた姪っ子に近い感覚。つい甘やかしてしまいます。