甘味に舌鼓、その裏で
甘味には、疲れを癒す効果がある。人を笑顔にする力がある。
それを知ったのは小さい頃。母に作ってもらったガトーショコラがきっかけだった。
最初にあのケーキを見た時はいくら料理が上手な母でも焦がすことはあるのだと思った。
それをそのまま笑顔で差し出した母に疑問すらもったものだ。
でも、母のためと一口食べた瞬間に、自分の間違いに気がついた。
これは失敗なんかじゃない。そういうケーキなのだと。
今まで食べてきた甘味の中で一番の衝撃を受けた。それは雷がクリーンヒットしたような高電圧の衝撃だった。死んでしまってもおかしくないと感じるほどに。
濃厚なチョコレートの味、匂い…大好きなチョコレートが自身を食べてもらうために自分磨きをして魅力を増して出てきたような…とにかく感動した。
今でもそのケーキは俺の大好物であり、他のどのスイーツを食べてもあの時と同じ衝撃を受けることはなかった。
……いや、嘘は良くないな。
母の作ったガトーショコラを超えた衝撃はあった。それは、俺の親友である人が、俺の為に作ってくれたーー。
それも、ガトーショコラだった。
「美味しい〜!」
さっきまで暴れていた女の声がして、回想が止まる。
あと少し静かにしていてくれたなら、もう一度あの感動を味わえたかもしれない。
そう考えるとちょっと腹が立つ。
腹が立つのはそれだけが理由ではない。今、俺たちの前で延々と食事をとるこの女のせいで、俺たちは振り回されへとへとだったからだ。
「お疲れ様、えっと…紫綺くん、だったかな?」
そういいながら机の下に潜みずっと文字を書いていた自分に手を差し伸べ引き上げてくれたのは、さっきまで共に戦っていた転入生である栞だ。
「ありがとう。そっちもお疲れ様。」
俺が書いたシナリオは、なんとかあの雨のようなフォークが掃除班に当たらぬよう、店の外に出ないよう妨害したり避けたりしながら戦う自分たちと、彼女を抑えるために奮闘する調理班のものだけ。
彼女がこれからどうなっていくのかは、俺の管轄外だ。
そういえば、俺のこの技能には穴がある。それは、自分の知らない事は書けないこと。空想し執筆することは可能だけれど、それだとそのあとの展開が思い通りにならなくなる可能性がある。
もしイレギュラーな出来事があったらすぐに修正かつ続きを書くことでカバーは出来るが、俺の腕が暫く使い物にならなくなるのは分かる。
武器なのは、このノートだけであって自分の体は対象外。つまりただの一般人。筋肉痛だってなるし、疲れだってする。
だからこの状況にイライラだってする。
「はぁ…俺だってガトーショコラ食べたいよ…。璢夷が作ったやつ。」
「そういえばガトーショコラらしきケーキが出されていたね。自分も…お腹が空いてきたな。ずっと運動していたしね。」
栞はそう言って笑うけれど、その微妙な笑みに反応する程の余裕がなくそのままため息をつく。
「少しもらうことは出来ないかな?」
「出来ないと思うよ。もしバレたらまた暴れそうだし、やめておこう。」
「でも、食べたいんでしょ?ガトーショコラ。」
そりゃ食べたいさ、食べられるなら。でも今の状況を考えるに、おすそ分けを狙ったら間違いなく失敗するだろう。何も手に入れられずに更に疲れる羽目になる。そんなの絶対に嫌だ。それだったら……
「……仕方ない。材料買ってきて自分で作るか。」
「今から買いにいくのかい?」
「あぁ、気分転換も兼ねて。それくらいなら大丈夫だろうし、厨房で隠れて食べる分には問題ないでしょ。」
だといいけどね。と言いながら栞があとをついてくる。
ガラスまみれの道を慎重に歩いて行く。入り口に近くなったところで政宗に呼び止められた。
嘘を言っても仕方がないので政宗を近くに呼び小さな声で包み隠さずに話すと、快く道を譲ってくれた。
そんなこんなであの店を出て、近くのスーパーへ向かう。
店の周りには人が集まってきていた。
大半はここの従業員らしく制服を着ている。騒ぎが収まったと思い戻ってきたのだろうか。
しかし店の中を見る目は怯えきっていて、まだ店に入る勇気はないらしい。
俺は近くにいた一人に中の状態を話す事にした。
「あの、ここの店の従業員さんですよね。」
「はい。あの騒ぎで慌てて飛び出してきてしまったのですが、他の人が心配で…。」
「さっきまで暴れていた子は今は落ち着いています。でもまたいつ暴れ出すか分からないので、もう少し待機をお願いしたいのですが。」
「あの、中はどうなっているんでしょうか…?」
「簡単にいえば、大地震が起きたあとみたいになっています。」
そうですか…としょんぼりとする従業員。オーナーか?
「連絡先を教えてくだされば、後ほど被害報告を…安全が確認された時点で連絡しますが。」
栞がそう付け加える。
従業員…もといオーナーは、少し考えるような間を置いてから連絡先を渡してくれた。
メールアドレスと電話番号をもらったので、戻ったら中の写真等で報告するとしよう。
「ところで、お二方はどこに?」
「ちょっと買い出しに。」
「そうでしたか。それは邪魔をしました。」
オーナーと別れ先ほどの目的地を目指す。
信号を渡って店の入り口に入ると耳に入ってきたのは人々の声と音楽。カートを転がす音とレジ袋のこすれる音。それはごく普通の……日常で耳にする音ばかり。
さっきまで皿やフォークが宙を舞いガチャガチャと激しい音を立てていたというのに、少し場所が変わっただけでこんなにも平和なのか。ここにいる人たちの殆どは、さっきの出来事を全く知らないんだ。
そう考えると怖くなった。
もしここで突然武器の暴走があったら?俺たちは防ぐことができても一般人にそれはできない。
一方的な力の差をもって、勝負は決するだろう。
「紫綺?ガトーショコラの材料は…」
「あぁ、確かこっちにあったはず。」
チョコレートや卵、砂糖にバター、薄力粉。ガトーショコラは基本的な材料で作ることができる。
だからこそアレンジをしたり出来るし、初心者でも作ることができるってわけ。
まぁ、俺はシンプルなやつが好きなんだけどさ。
さっと材料を集めてレジへ足を進める。
「うわぁぁぁああん。チョコレート食べたいよぉぉっ!!」
レジ前の列の隣から、女の子が泣く声がする。母親にねだってみたものの、買ってもらえなかったのだろう。そう思ったのだが辺りに母親らしき人はいない。ましてや父親も、祖母や祖父らしき人の姿もなかった。そこにいたのはその女の子とレジの担当者、そして女の子より少し大きな男の子だった。
「そんなこと言ったって…僕たちお金持ってないから買えないよ…。」
男の子の手には板チョコレートが握られており、そのチョコレートを奪い返す為に女の子は涙を流し叫び、そして男の子の洋服の裾を引っ張っているのだった。
母親にお使いでも頼まれたのか?だとしたらお金は持っているはず。
男の子と女の子はチョコレート以外には何も持ってはない事から、他の商品を購入したためにお金がないわけではなさそうだ。
「母親…どこいってるんだろ。」
「…ん?あの兄妹らしき子たちの?」
「そう。」
栞も気づいているみたいだ。
「もしかして、母親はいないなんて事はない…よね?」
「それは分からない。…聞いてみようか。」
栞がゆっくりと近づいて行く。二人に心配そうな目線を送っていた人たちは兄役の登場で落ち着いたらしく、日常に戻って行った。ただ、それでも気になる人達はチラチラとこちらを見ている。
「こんにちは。」
二人の前でしゃがんで挨拶する栞。男の子と女の子は突然話しかけられ戸惑っていたが、小さな声で挨拶を返した。
「こ、こんにちは。」
「君はどうして泣いているのかな?」
「お、お兄ちゃんが…チョコレートをくれないの…!」
ひっく、ひっくと泣きながらも少しづつ話す女の子。
男の子はそんな女の子の様子を伺いながら、栞を警戒しているように見えた。
服を握っていた女の子の手を優しく握ったのが見える。
「知らない人に話しかけられても無視しなさいってお母さんに言われただろっ。」
妹に注意するその姿は立派なお兄ちゃんだった。
母親がいない訳ではなさそうだ、とホッとしたのは束の間。栞が母親の居場所を聞くと二人は揃って分からないと返す。
一緒に来たものの、はぐれてしまったらしい。
自分達が来てから店内の迷子アナウンスは無かったし、母親は自ら子を探して彷徨っているんじゃないかと二人を連れて店内を探してみたが、見つからなかった。
「おかしくない?母親は見つからないし、アナウンスもされない。」
「じゃあ、アナウンスをかけてみるかい?」
かからないならかければいい。そう考えてアナウンスをしてもらい、待ってみたが一向に現れなかった。
「どうしようか…。」
迷子二人を保護してしまい、このまま迷子センターに預けて戻るのもなぁと考え始めた頃、ぼそっと妹の方がつぶやく。
「えんじぇるとぐれぇる…。」
「天使と…違うね、ヘンゼルとグレーテルかな?」
森に置き去りにされたヘンゼルとグレーテルに自分を重ねているみたいだ。
ヘンゼルとグレーテルは一日目は無事帰れたものの、二日目は迷いやがて魔女の家に。
だとすれば、俺たちの役はまさか?
「僕たち悪い人なんかじゃないよ。」
「お菓子が食べたいんだよね。」
俺と栞が言葉を発したのは同時だった。けど、二人が食いついたのは栞の言葉だった。
「魔女…魔法使いさんだ!お兄ちゃん!!この人について行こうよ!」
「だから、知らない人についてっちゃ駄目だって。」
そう言ってるけど、兄の目もキラキラと輝いている。これは駄目だ。
この子達の今後も心配だ…どこかの悪い人に連れ去られないだろうか。
「よし、決定。さぁおいで。」
素直についてくる二人に不安感は増していく。それと栞、一体どこに案内するつもりなんだよ。
「お客様、その子はー。」
当然アナウンスしてくれた人が聞いてくる。人様の子を一体どこに連れて行くのかと。
「どこって…母親の元ですよ。」
…は?
俺は耳を疑った。これだけ探してもいなかったのに、どうしてそんなことを。
栞は店員と少しやりとりをすると、あっさりと二人を連れ歩く了承を…もとい信頼を得た。
どんな技を使ったらそうなるんだか。
そのまま栞はお菓子を購入し、二人を引き連れてスーパー内をうろつく。
「君たちの家はどこかな?」
「わかんない…車で来たから、どっちだか…。」
「そっか。じゃあ向こうに行こう。」
二人を誘導し向かったのは屋上の駐車場。
二人は栞から貰ったお菓子を開けて食べ始めた。
妹はキャンディを、兄はチョコレートを食べている。妹の方は棒付きのキャンディじゃないかと心配したが、どうやら個装型のキャンディだったみたいだ。
「紫綺、ここだとアナウンスが聞こえないな。」
アナウンスどころか、店内の音楽も全く聞こえない。
じゃあ、母親はもしかしてここに?
「車の色は分かるかな?」
「ピンク。」
随分派手な色だなぁなんて思っている内に早速ピンクの車を発見した。
近づくと女の人があたりを見回しては移動している。彼女で間違いはないだろう。
「あっ。おかーさんだ!」
「歩いて行こうね。」
走り出しそうになった二人を引き止め、周りを注意しながら向かう。
視界に俺らが映ると二人の母親は飛んでやってきた。
「徒夢、衣舞!!どこにいってたの!?心配したじゃない!」
「おかーさんが先に行っちゃうから…。」
「駄目よ、そういう時はごめんなさいでしょ!それにこのお菓子は何!?ほんともう…ごめんなさいね、迷惑かけちゃったみたいで。」
母親はそう言いつつそそくさと二人を車へ乗せて逃げるように去って行った。
そんな彼女らを見送り何とも言えない気持ちになる。良かった、のかな。正直に喜べなかった。
「あの二人からしたら、母親の方が魔女かもね。」
「いや、母親は鬼でしょ。優しい時も、怖い時もあるからね。」
「鬼、ね。何気に栞も酷いこと言ってる。」
そうだね、と彼は苦笑いをした。
「で、ガトーショコラ作るんだっけ。あのファミレスに戻ろうか。」
「うん。」
栞はよく分からない奴だな、と改めて思い俺は笑った。




