最善の選択
好きになった人ーー鮮血の翼さんの名前が分からないと明かすイア姫の瞳には涙が溜まり、堪えきれなくなったのかポロポロと頬を伝っていく。
あまりにも繊細で、触れたら壊れてしまいそうな存在に、流石のティさんもたじたじになっているようだ。
涙を流す程、彼に恋をしている。それは紛れもない事実だということが分かる。
「名前が分からなくたって、見た目なんかは分かるでしょ?」
宥めるようにイア姫に問うティさんは、彼女の額に自身の額を付けるように(丁度親が子の熱を測る時にする姿勢を)して何やら小声で呟き始める。言葉は聞き取れなかったし、何語かも分からない。周りに現れだした光から察するに、魔法の類なのではないかと推測する。
「あぁ。彼ね。」
そうポツリと呟くと、ティさんはイア姫から離れた。
「鮮血の翼だね。知ってるよ、彼のことは。」
「本当!?」
バッと勢いよく顔を上げたせいで髪が乱れているが、そんな事は御構い無しにティさんに質問を投げかける。
「彼は今、何処にいるの?」
「君だって魔法が使えるだろうに、何でいつも使わないの?ミステリアみたいに魔法が使えない人が大半を占めている訳でもないしさ。」
不思議そうに聞いたティさんに、彼女は微笑みながら、今は力を蓄えているのだと説明をした。この先、大きな魔法を使うことになるだろうから、と。
彼は納得し頷くと、彼女の問いに渋々といった様子で答える。
「彼は元々東の国の出身でね、赤を司る翼なんだよ。各地を転々としてるから探りにくいけれどーー今は・・・ってミステリアにいるだと!?」
ミステリアに鮮血の翼がいると知ると、彼は酷く狼狽え出す。確かに危険分子とされている彼が近くの国にいると知れば、誰だってこうなるだろう。
「ミステリアにいるのっ!?」
つられてイア姫も驚きの声をあげる。
ティさんが詠唱を始めると、まるでプロジェクターでスクリーンに映像を映し出しているかのように、何もない空間にパッと緋色の翼が映される。
表情は確認出来ない。唯一分かるのは、かれが今上空にいる事だ。特に何かを探しているようでもなく、一直線に空を進んでいる。よく見てみると、以前見た時のような痛々しさはなく、翼が回復している事も分かった。
彼はあの後死神達に捕まる事はなく、逃げることが出来たようだ。
「良かった、無事でーーー。」
安堵のためか、収まりつつあったイア姫の涙が再度流れた。
翼の様子を確認しつつ、遥か下に見える景色をじっと見つめているティさんは、何かに気がついたようでゴクリと喉を鳴らした。緊張が走る。一筋の冷や汗がゆっくりと伝った。
「彼、こっちに来てる気がする。」
えっ、どれって一体どういう事?彼の行先が、二人のいる場所だという事?
「セミリア・ファルへと向かっているの!?前にあんな事があったばかりなのに!」
また住民等に恐れられ騒ぎに発展することを恐れたイア姫の顔が引きつる。彼と会いたい気持ちと、そううまくはいかない現実の狭間で葛藤している。先程までのゆったりとした時の流れが急激に変わっていく。
「こうしてはいられない。迎え撃つ!」
「ちょっと待って彼は悪い人ではないの!」
「彼は私の―――いや、今する話ではない。一刻も早く向かわなくては。君の為にも。」
「ティ?様子がおかしいよ、一体何があったの!?」
「君に話している時間はない。このままだと彼はこの国で捕まってしまうだろう。君の目の前で。そうして処刑されるさ。彼にはそれだけの前科がある。だったらこちらから行って撃退という名の逃亡の手伝いをしようじゃないか。」
一瞬にしてティの態度がキリリとしたものになる。先程までの親密な口調は跡形もなく消え、まるで一国を有する者のように堂々としたものになった。彼は本当に何者なんだろう。知れば知るほどに分からなくなる。
「ほら、魔法力を溜めておくなんて言って居られないだろう?行くぞ!」
「ちょっと待って私には場所が分からない。どこへ向かえばいいの?ティみたいに翼があるわけじゃないし・・・。」
「片方の翼だけで飛べると思ってるならそれは間違いさ。どうして氷結の片翼なんて言われているのか君は知らないのか。見てると良い。こうして―――」
片方の翼を露わにし、そうして彼は呪文を唱える。すると、欠けた翼の部分に力が吸い込まれていくのが分かる。その力は徐々に姿を変えてき、次第に翼を形成していった。冷たい空気が部屋を満たしていく。これはもしかして、氷?綺麗な透明の結晶で造られた翼は、周りの空気に反応して冷気を発生させ続けている。
「氷を形成しているのね。それで、氷結の片翼と。」
「ちゃんと摑まっていてね。」
その言葉の時だけは、先ほどまでの柔らかな雰囲気で溢す。
イア姫を抱えて彼は飛び立った。即行で魔法陣を作成すると、それに向かって突き進んだ。ふわりと不思議な風を感じると、すぐさま視界が広がる。ここは上空。先程魔力でできたスクリーンで見ていたあの景色。彼は近くにいる。そう感じる。
「彼の反応が近いわ。」
「そうだね。向うか。」
言うが早いか、先ほどとは比較できない素早さで滑空していく。激しい風を感じつつ、イア姫は彼によりしっかりと摑まった。
早く、会いたい。でも、それが正しい判断なのかは分からない・・・。複雑な感情が彼女を支配していた。
「・・・捉えた。イア姫、後は君に任せる。もし暴れだすようなら、その時は僕の力でどうにかする。君の国に被害が及ばないよう、警戒しておくから。」
「ありがとう、ティ。私の我儘に付き合ってくれて。」
「君は恩人であり、親友だからね。」
イア姫が力を解放する。すると、彼女は綺麗な虹色のオーラに包まれる。そのオーラを背中に集約し、簡易的な翼を生成した。ティが氷結の片翼という名前なら、彼女は雨上がりの翼?光を浴びて七色に輝く翼に、ティさんも感嘆の声を漏らす。
「君の七色の翼はいつ見ても綺麗だ。僕達よりもよっぽど強い力を持っていながら、君は素直ないい子のまま。その純真さは、羨ましいよ。」
イア姫の目の前に滞空している一つの存在。真っ赤な翼を広げた彼。確かにその翼は血塗られたように赤いけれど、彼女はそれを恐れたりはしない。だって彼は、彼女の思い人なのだから。
彼女は声にならない叫びで、知らない彼の名を呼ぶ。それに呼応するかのように、彼は彼女の名前を叫んだ。
「イア姫!」
彼がこちらに近づいてくる。見れば見る程、彼は緋威翔さんにそっくりで。私まで赤面してしまいそうだ。彼はイア姫をしっかりと視界に捉えられる距離まで来ると、そこで進むのをやめた。躊躇うその姿に、イア姫の方から近寄ろうとする。
だけど、彼の様子が可笑しくなった事に気が付き、警戒の体制を整えた。
明らかに変化していく彼の姿。翼が更に肥大していく――――
「名前なんて聞いている状況じゃないね・・・!」
彼が、鮮血の翼がまるで痛みを感じているかのように呻き、喉元に手を置き自らの首を絞め上げようとする。抵抗しているのか絞めることまではせず、苦しみにもがくかのように喉元を掻きむしる。痛々しい彼の姿を見て、イア姫が何もしない訳がない。先程までの警戒心はどこかに投げ飛ばし、即座に駆けつけようとする。それを見ていたティさんが慌ててそれを制止した。
「今は近づいちゃ駄目だ。彼は今葛藤している。間違って君を傷つけようものなら、抵抗すらできなくなる。彼を信じて。」
何もかも知っているかのような瞳に説得され、駆け寄りたい衝動をグッと押さえて、彼女は固唾を飲んで彼を見守った。彼は苦しんでいる。その苦しみを共有するかのように、胸が締め付けられる。こんなに近くにいるのに助けてあげられない事が、彼女にとって何より辛い事だった。
暫く葛藤したのち、彼は漸く大人しくなる。どうにか抑え込んだと、やれやれといった様子で彼は頭を押さえていた。どうやら理性を取り戻せたようだ。
「―――――ッ!!」
我慢していた分、イア姫の行動は早かった。それは、一国の姫としてはあまりにも軽い行動だったけれど、幸いこの場所には彼とティさんしかいない。誰にも見られる事はない。こんな上空に彼女らがいるなんて、誰も思わないだろう。
彼女は彼に駆け寄ると、柔らかく抱きしめた。慈愛に満ちたその抱擁は、彼の心を揺さぶる。いけない、これ以上はとやんわりと解くと、それでも尚愛しいというように名残惜しそうな瞳で彼女を見つめた。
彼女も分かっている。この身では簡単に恋などしてはいけないということ。それが指名手配された人ならば、尚の事だ。
「あぁ・・・逢いたかった。貴方の事を何度想った事か・・・。」
どちらの言葉だったのかは分からない。でも、それはどちらも抱えた感情で。
「貴方の事をもっと知りたい・・・。」
それは、どちらも有した欲求で。全ては恋情に繋がっていて。
「でも、それは叶わない願い・・・。」
理解はしている、でも。
「今更何を気にする必要がある?事実は変わりはしない。大事なのは、これから先。違うかい、ねぇ?鮮血の翼・・・いや、ヒイト君?」
彼の名前もヒイト――どうしてこんなにも彼にそっくりなの?
「どうして僕の名を。」
冷静に、そして何故か寂しそうな瞳で二人を見つめていたティさんから紡がれた言葉。それは、二人を応援するものだった。危険因子である彼と、彼に恋してしまった一国の姫。他の人ならば断固反対しただろうに、ティさんはしなかった。彼女をよく知る人物だからだろうか。
彼女の想いに勝るものはないと思ったからだろうか?
「君は抗い続けてる。彼女がいれば、少しはその力を緩和できるかもしれない。」
「貴方は一体何者なのです?どうしてそこまで知っているのです?」
「さぁ、どうしてだろうね?」
こんな真剣な空気のなか一人お道化て見せるティさんの姿を少し怖く感じてしまい、静かに体を震わす。彼は一体どこまで知っているのだろう。そして全ての解を隠すのは何故なのだろう。
不思議さと不気味さが入り混じるその人は、それが不服とでも言うかのように頬を膨らませた。
「ちょっとした力のせいさ。僕が自ら望んでそうしている訳じゃない。強大な力を持つとこういったところで困ってしまうね・・・。」
目を伏せ、申し訳なさそうに呟く彼を見て、彼女は慌てて頭を下げる。ティさんはそこまでする必要はないとやんわりと断った後、話を戻した。
「ヒイト君、君の力は凶悪だという事は自覚しているね?」
「はい。自分自身でギリギリ抑え込んでいるからいいものの、この先どうなるかが心配でなりません。」
彼は死神と対峙していた時と違い、優し気な雰囲気を纏っていた。本来の彼はこちらなのかもしれない。世界を呪っていたとは到底思えないから。けれど、彼の口からその言葉が出ていたのは事実だ。もしかすると彼には別の人格があるのかもしれない。
「主は一体誰なんだい?」
聞きなれない単語がティさんの口から飛び出した。イア姫もその言葉に首を傾げている。
ヒイトさんは、それは言えないというかのように首を横に振った。
「質問を変えよう。主との契約は済んでいるね?」
今度の質問には、首を縦に振った。
「これは魔法・・・いや違う。呪いの一種かな。」
「私には全く想像がつきません。彼に掛かっている呪いとは一体どんなものなのですか。」
「主の事を話せないようにしているのは間違いない。それと、凶悪な力は恐らく、主によるものだと思う。」
「僕も、そう思っています。お話をしたくない訳ではなく、伝えようとする度に声が出なくなってしまうのです。」
「そうだろうね。僕には鎖が見えるよ。がっちりと絡まっている重そうな鎖が。」
「外す事は出来ないのですか?ティ?」
見る事は出来ないけれど、薄々感じ取っているらしい。イア姫はティに助言を求める。
しかし、彼は残念そうに首を横に振った。
「出来そうな人物は思い当たるけれど、事情が事情でね。やってもらえそうにはない。」
「そこまでしてもらっては申し訳ないです。ただでさえこうして助けてもらっているのですから。どうか、お気になさらず。」
「でもその鎖が、貴方の自由を奪っているのでしょう?貴方の為ならば私は力を惜しみません。」
「イア。君は大国の姫なんだよ。もっと自覚を持たなくちゃ。それにこの鎖は特殊だ。簡単には解除できないだろう。解除する為には、掛けた本人か関わっている人から情報を引き出すしかない。」
「そ、そんな・・・。」
イア姫が頭に手を当てたまま、立ちくらんだかのようにバランスを崩す。慌ててティさん・ヒイトさんが支えたから良かったものの、彼女の背中にあった虹色の翼は姿を消していた。彼女はそのまま気を失ってしまったようだ。
彼女の中にいる私の意識もフェードアウトするかと思われたが、そのまま継続しているようだ。ただし、視界は真っ暗になってしまった。彼らが一体どんな表情で会話をしているのかは分からない。
「流石に維持するのには力を使うか。ヒイト君、君はその翼をしまう事は出来るかい?」
「一応、あちらに意識を奪われない限りは出来ます。」
「定期的に乗っ取られそうになるのかい?それとも、何か条件が?」
「分かりません。発作のようにいつ来るか分かったものではないのです。ただ、あちらの僕も彼女に対しては少し反応を見せるようです。どうしてなのかはわかりませんが・・・。」
ヒイトさんの意識が奪われると、鮮血の翼としての力に目覚めてしまうという事だろうか。人々に騒がれ続けているその存在は、ヒイトさんの別の面であって、彼が望んでしている事ではない。
それを聞いて少しだけ安堵する。殺戮を好む人には、どうしても思えなかったから。
翼は常に血に濡れているかのように赤い事でついたその名は、彼にとって悲しいものだろう。知らぬ間に人々を手にかけ、意識を取り戻したかと思えば追われる身になっている。そんなの理不尽だ。
「それだけ理解しているのなら十分だ。とりあえず、場所を移動しよう。君はこの国にいるべきではない。かといって、僕の国に行くわけにもいかない。それには理由がある。どうか誤解しないでほしい。」
やっぱりティさんは只者ではなかった。彼もまたイア姫と同じように一国を有する人物だったのだ。歴史の授業で習った事を元に考えるならば、彼はミステリアの王子だろうか。言われてみればそんな雰囲気ではある気がする。
「えぇ、承知しています。」
「この手段はとりたくは無かったけれど、仕方がない。キルシャにいる友人に助けてもらおう。」
「分かりました。貴方を信じ、ついていきましょう。どうか、僕が暴走しそうになったら、遠慮なく僕を始末してください。くれぐれも彼女に見られないようにお願いします。それだけが、僕からのお願いです。」
「言われなくてもそうするさ。」
その言葉には、彼らなりの優しさが込められていた。
きっと、ヒイトさんだってこの世界から消えたい訳ではないだろう。ティさんだって、イア姫の愛する人を自分の手で消してしまうなんて事はしたくないのは当然だ。
でも、彼らにとってそれは最善の答え。彼女にだけは見られてはいけない。知られてはいけない。きっと彼女は悲しむから。
そこまで想われている彼女は果たして幸せなのだろうか?
世界一幸せの国の、幸せなはずのお姫様の心の中は、本当に満たされていたのだろうか・・・?




