7.月下の告白、銀の温もり
耳も尻尾も、想像以上に温かかった。
柔らかな毛並みの奥には、確かな力強さが宿っている。
もし逃げようとすれば容易く引き寄せられるだろう──けれど、その力は荒々しさとは無縁で、ただ静かに私を繋ぎ止めているだけだった。
「……環」
再び呼ばれた名は、先ほどより低く、ためらいを含んでいた。
私は顔を上げ、月明かりに金色を宿した瞳をまっすぐに見つめ返す。
「何ですか、旦那様」
しばしの沈黙。
夜風がふたりの間を抜け、銀の毛並みをそよがせた。
「……お前は、本当に……」
「何ですか?」
「普通なら……俺に近づこうとはしない。ましてや、耳や尾に触れるなど……」
その声には、幾度も同じ拒絶を受けた痛みが滲んでいた。
その過去を思うと、胸の奥で小さな怒りが燃える。
どうして、この人がそんなふうに思わされなければならなかったのだろう。
私は首を小さく横に振った。
「だって、旦那様は──」
息を吸い、胸の底から言葉を押し出す。
「優しい人ですから」
蓮様の瞳が、かすかに揺れた。
その変化を逃さず、私はもう一歩だけ近づく。
「だから、恐くなんてありません」
恐いどころか──あたたかくて、美しくて、そして……かわいくて。
もし私の言葉で旦那様の不安をほんの少しでも減らせるのなら、何度でも伝えたい。
何回でも、何度でも。
旦那様は黙ったままだったが、銀の尻尾がふわりと揺れ、そっと私の手首に巻きついた。
その温もりが、無言の「離れるな」に感じられる。
蓮様はしばらく黙して私を見ていたが、やがて低く口を開いた。
「……これは、先祖返りだ」
「先祖……返り?」
「母方の家系に……狼男がいたらしい。何代も前の話だ」
その声は淡々としていたが、奥には重い影が潜んでいる。
「その血が、突然俺に現れた。夜になると……目と髪の色が変わり、この耳と尻尾が生える」
言葉の端に、かすかな嫌悪が滲む。
それは、まるで自分自身を否定する響きだった。
「……醜いだろう」
そう呟く声は、風に紛れそうなほど小さく、脆かった。
胸が痛む。
私は静かに首を振った。
「……醜くなんて、ありません」
蓮様はわずかに目を細める。
夜風がふたりの間を通り抜け、銀毛をやさしく揺らした。
「そう言ってくれたのは……お前が初めてだ」
その声は安堵にも似ていたが、長い孤独の重みをも帯びていた。
私は巻きついた尻尾にそっと手を添える。
「じゃあ、これからは……何度でも言います」
「……何度でも?」
「はい。何度でも」
蓮様の唇が、ほんのわずかに動いた。
それが笑みかどうかはわからない。
けれど、月明かりを受けた金色の瞳は、少しだけやわらかく見えた。
すると──尻尾がぱたぱたと揺れ始める。
表情は相変わらず冷静なのに、これでは台無しだ。
そう思ったら、もう我慢できなかった。
「……ふふっ!」
「……何が、おかしいんだ?」
不思議そうに首を傾げる旦那様。
怒っているわけでもなく、ただ理由を知りたそうにしている。
……だめだ。
今の旦那様が、全部、愛おしくて仕方ない。
「ご、ごめんなさい。旦那様が……かわいくて、つい……」
金色の瞳が驚いたように丸くなる。
「……か、可愛い……?」
「はい。とても」
わずかに瞳が揺れる。
きっと、こんなふうに言われたことはなかったのだろう。
だからこそ、守りたくなる。
何度でも、可愛いって言ってあげたくなる。
耳も尻尾も、ぜんぶ。
そして、そこに隠れている本当の旦那様の心ごと──。
夜風が銀色の毛並みを揺らす。
その光景を胸に刻みながら、私は静かに目を閉じた。




