4.優しさの残響
食事を終え、自室に戻った途端──胸の奥が、じわりと重くなる。
さっきまで必死に押し込めていた感情が、一気に押し寄せてきた。
うまく言えなかったこと。
ひどい言葉を投げたのは私なのに、謝ってくれたのは蓮様の方だったこと。
そう──食事を終える間際、蓮様はこう言ったのだ。
「私の異様な姿を見て……恐ろしかっただろう。すまなかった」
……と。
それだけじゃない。あの人は、終始私を気にかけてくれていた。
食事を一緒にとろうと言ったのも、きっと私の顔色を見てのことだったのだろう。
……冷たい人だと思っていた。
無表情で、何を考えているのか分からなくて、私のことなど興味もないのだと。
でも──違ったのかもしれない。
あの時の微笑みを思い出す。
あれは、作り物の笑みなんかじゃなかった。
どこか、胸の奥に届くような温かさがあった。
「……優しい人、なのかな……」
ぽつりと呟くと、胸の奥がじんわり熱くなった。
昨日の夜に見た金色の瞳と、今朝の琥珀色の瞳が重なり、頭の中でゆらゆらと揺れる。
──あの耳と尻尾は、何だったのだろう。
そして、どうしてあんな寂しそうに笑ったのだろう。
知りたい。
けれど、どうやって……?
私はベッドの上に腰を下ろし、ため息をひとつ落とした。
窓の外では、春の陽光が淡く揺れている。
それなのに、胸の中は、昨夜から続く金色の残像でいっぱいだった。
side 蓮
同じ頃──蓮は執務室の窓辺に立ち、庭を見下ろしていた。
外は春の光に満ちているのに、胸の奥には冷たい澱のような重さが沈んでいる。
「……人間、か」
環の問いが、何度も頭の中で反響する。
責めるような響きではなかった。ただ、純粋に知りたいと願う声。
それなのに、自分の奥底──触れてほしくなかった場所を確かに抉られた。
窓から差し込む陽光が、机の上のカップを照らす。
まだ冷めきらぬ茶の香りが漂うが、口にする気にはなれなかった。
獣の姿は──忌まれる。
子どものころから、それは骨の髄まで叩き込まれてきた。
耳も尾も、力も、人より鋭い感覚も──人はそれを畏れ、時に蔑む。
だからこそ、ずっと隠してきた。
隠すことでしか、人の中に立っていられなかった。
だが──。
「環は、逃げなかった」
昨夜の光景が脳裏に蘇る。
あの金色の瞳を見ても、彼女は後ずさりすらしなかった。
むしろ、あの時の視線には……怯えよりも、別の何かが宿っていたように思える。
長く続く沈黙を、庭の枝を揺らす春風の音が切り裂いた。
その柔らかな響きが、張りつめた胸をほんの少し緩める。
……隠す理由は、もう薄れつつある。
少なくとも、彼女に対しては。
蓮は小さく息を吐いた。
「君は──」
「蓮!!」
パンッ、と大きな音を立てて襖が開いた。
この家の主である蓮の部屋に、確認もなく踏み込む人物──しかも呼び捨てにする者など、今や一人しかいない。
「……彩芽……」
蓮は頭痛をこらえるように眉間を押さえ、入ってきた人物の名を呼んだ。
だが、呼ばれた彩芽は気にすることなく、開口一番問いただす。
「朝食! 環ちゃんと一緒に食べてきたんでしょ? どうだったの? 彼女の反応は!?」
「……ああ」
「“……ああ”って何よ?」
彩芽はわざと低い声で蓮の口調を真似したあと、ぽんっと手を叩いた。
「ってことは、ちゃんと誤魔化せたのね!?」
「銀の耳と尾の人物は自分だ、と伝えた」
「……はぁぁっ!?」
彩芽の声が離れの空気を震わせた。
どうやら蓮の告白は、彼女にとって想定外だったらしい。
「あんた正気なの!?」
彩芽は勢いよく蓮の机に手をついた。
書類の端がふわりと浮き上がる。
「何であっさり正体をバラすわけ!? 絶対、時間をかけて少しずつ慣れさせるべきでしょ! 環ちゃんがどういう子か分かってから伝えるか考えようって話したよね!?」
「……隠しておく理由も、もう薄い」
「薄いとかじゃなくて! 女の子ってのはね、びっくりする出来事を一気に詰め込まれたら──」
「驚いていたが、逃げなかった」
その言葉に、彩芽の口が一瞬止まる。
蓮の声音には、わずかな安堵が混じっていた。
「……ふぅん」
彩芽は腕を組み、じろりと蓮を見た。
「で、本音は? あんたはあの子のこと、どう思ってるわけ?」
「……さあな」
「ごまかしてる」
「別に……」と視線を逸らす蓮。
その仕草を見て、彩芽は小さく鼻を鳴らした。
「……あんた」
「……」
「環ちゃんのこと気に入ったんでしょ?」
彩芽は真っ直ぐに言い切った。
じっと見てくる彩芽から、蓮は視線を逸らす。
それに対し、彩芽はにやりと笑う。
「うふふ……あの子、可愛いもんねぇ?」
「……別に」
「それに……おっぱいも大きいし」
「──なっ! お前はどこを見てるんだ!?」
眉を釣り上げるその様子を見て、彩芽は笑顔を深めた。
「いいじゃない。女同士なんだから、別にー? 見るだけなら減るもんじゃないし」
ずいっと蓮に近寄り、彼を覗き込むように見る彩芽。
「女同士であっても、許せないんだぁ?」
そこまで言うと、からかうような顔から穏やかに笑い続けた。
「まだ第一印象だけだけど……私も環ちゃん、今までの嫁の中で一番なんじゃないかと思ってるよ」
そんな彩芽にしては珍しく落ち着いたトーンに、蓮は「……そうか」とだけ答えた。




