第9話 冷徹貴公子は静かに倫理を失う
リオンは『国とかどうでもい』になった。
ガレスは『敵全部殺す』になった。
そして私は今、三人目がどう壊れるのかを考えていた。
「嫌だなぁ……」
「完全に他人事ですね」
ノアが呆れた声を出す。
私は客室のベッドに寝転がりながら、ぼんやりと天井を見上げた。
「だってアシュレイだけは比較的まともじゃん」
「比較対象が終わってるんですよ」
それは、確かに。
だがアシュレイは元々、攻略対象の中でも圧倒的に理性的なタイプだった。常識人枠、ツッコミ役。
だから多分、大丈夫。
……そんな甘いことを考えていた。
◇
その日の夜。
「リゼ、お茶をお持ちしました」
アシュレイがいつもの完璧な微笑みを浮かべて部屋へ入ってきた。
陶器のティーセットを運ぶ綺麗な所作。どこからどう見ても、完璧で気品溢れる公爵子息である。
「お、ありがと」
私は何も考えずに、差し出されたカップを受け取った。
ちなみにノアは部屋の隅のソファで本を読んでいる。最近普通に居着いてるな、こいつ。
「今日はずいぶん静かだね」
「ええ。殿下は政務で拘束していますし、ガレスは魔物討伐へ向かいましたので」
「拘束?」
「執務室に閉じ込めました」
「何してんの???」
アシュレイはにこやかに紅茶を注いだ。
「リゼのそばに四六時中まとわりついて仕事をしやしないので、少しばかり強制力を行使しまして。まぁ、執務机に物理的に縛り付け、ドアの外から厳重に鍵をかけただけですから、ご安心ください」
安心できる要素が微塵もない。
部屋の隅から、ノアがぼそっと呟いた。
「……静かなインテリタイプが一番危険ですね」
わかる。
アシュレイは感情を爆発させない。
だからこそ、淡々とやる行動のバグり方が一番怖い。
「はい、どうぞ」
差し出された紅茶を飲もうとして、
私はふと手を止めた。
「……ん?」
「どうしました?」
「なんかいつもと匂い違くない?」
「リゼのために用意した、特別な茶葉ですから」
「へぇ」
私は一口、喉に流し込んだ。
確かに美味しい。コクがあって、少し甘くて――そして、猛烈に眠い。
「……え?」
ガクン、と視界が大きく揺れる。
その異変に、ノアが本を投げ捨てて勢いよく立ち上がった。
「リゼ!?」
「え、なにこれ、急に……」
体に力が入らない。
異常なレベルの睡眠誘発。
「……アシュレイ様」
ノアの声が努めて冷静な声で聞く。
「その紅茶に、何を入れました?」
「特製の睡眠薬ですが?」
さらっと答えた。
私は重い瞼を無理やり持ち上げ、アシュレイを睨む。
「は、ぁ!? あんた何して──」
「最近のリゼは無防備すぎます。今の世界は危険なんですよ。外の魔物も、周囲の男たちも、全部」
アシュレイは穏やかに微笑んでいた。
なのに、眼鏡の奥の目だけが笑っていない。
「ですから、世界の混乱が収まるまで――少しの間、リゼをこの部屋から出さない方が安全だと思いまして」
「監禁じゃねぇか!!」
「保護です」
ノアがドン引きして一歩下がった。
「……倫理観が死滅している」
「失礼ですね」
アシュレイは笑顔のままだ。
「私はただ、リゼに安全でいてほしいだけですよ」
「睡眠薬盛るやつの台詞じゃないんだよなぁ」
私はふらつきながら立ち上がろうとした。
だが力が入らない。
くそ、眠気が限界だ。
「ちょ、これ強すぎ……」
「安心してください。ちゃんと体に害のないものです」
「そういう問題じゃ――」
ぐらり、と視界が傾いた。
床に倒れ伏す前に、アシュレイが自然に私を抱き留める。
「危ないですよ、リゼ」
「お前のせいだろ……」
「はい、私のせいです」
笑顔で肯定した。こっわ。
アシュレイは私を軽々と抱き上げ、そのままベッドへ運ぼうとした。
そして耳元で、ひんやりと囁く。
「このまま……私のものにしてしまいましょうか」
いや待て!!
せめて意識ある時にしてください!!
「ちょっと待ってください」
ノアが珍しく強い口調で、アシュレイの前に立ちはだかった。
「それ以上は本当にダメです」
「何がです?私は合理的に行動しているだけですが?」
アシュレイは小さく首を傾げた。
「合理性で監禁を正当化しないでください」
「監禁ではありません。自主的軟禁です」
「同じです」
眠気で意識が飛びそうな中、私はぼんやり思った。
……これ、攻略対象全員壊れたらどうなるんだ?
リオンは国家放棄。
ガレスは殺戮マシーン。
アシュレイは監禁系ヤンデレ。
終わりでは?
「リゼ」
アシュレイの綺麗な指先が、愛おしそうに私の髪を何度も撫でる。
「大丈夫ですよ。私は、あなたの嫌がることはしませんから」
いや、今してる。
そのツッコミを口にする前に、
私の意識は暗闇へ沈んだ。
《対象:アシュレイ・グランディス》
《警告》
《感情増幅:制御不能》
《独占欲――増幅中》




