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婚約破棄された悪役令嬢は聖女様の手を取らない

作者: モコナッツ
掲載日:2026/05/05

 卒業記念の舞踏会は、王城の大広間で開かれていた。

 魔石のシャンデリアが輝き、磨かれた床には楽の音と笑い声が満ちている。


 その中心で、王太子レオンハルトは私に告げた。


「エレオノーラ・フォン・グランベル。私はこの場をもって、君との婚約を破棄する」


 沈黙が落ちた大広間で、私は薄く笑いを浮かべる。


「理由を、お聞かせいただけますか」


 声は思ったより落ち着いていた。


 思った反応と違ったのか、殿下は苦い顔をした。

 怒り。

 失望。

 そして困惑と悲しみ。

 貴方は昔から変わりませんのね。


「君は聖女リリアに対し、度重なる嫌がらせを行った。神殿からリリアへ宛てられた召喚状を破棄し、社交界に悪意ある噂を流し、神殿への出入りまで妨害した」


 私は何も言わなかった。


「それだけではない。辺境の疫病救済に向かうはずだった神官団の手配を遅らせた。聖女リリアを貶めるためだけに」


 一つ一つ、罪状を確かめるように続ける。

 ただ残念ながら、殿下の思うようにはならない。


「そのせいで、薬と祈りが間に合わなかった村がある。……死者も出た。何か申し開きはあるか」


 できるだけ笑みを、余裕を崩さぬように静かに答える。


「そこまでの被害とは思わなかった。……と言えば、少しはマシに聞こえますか?」


 周囲から小さな悲鳴が上がる。


 聖女の評判に傷がつけばいいと思った。彼女が少しでも疑われて、殿下が私のもとへ帰ってくればいいと思った。


 その結果、遠い村で誰かが死んだ。

 それだけのことだ。


 私は殿下の隣の女に目をやった。

 純白のドレスを着た、聖女リリアが青ざめた顔で立っている。

 平民の出でありながら神殿に選ばれ、癒やしの力を授かった娘。


「エレオノーラ様……本当なのですか」


 綺麗な声。

 柔らかくて。

 震えていて。

 心から私の身を案じているような声。


 忌々しい。


「ええ」


 女に向かって微笑んだ。


「すべて、わたくしがいたしました」


 ざわめきが広がる。

 リリアの瞳から一雫の涙がこぼれた。


「どうして……」

「勿論、あなたが憎いからですわ」


 周囲の困惑が怒りに変わる。


「そんな理由で……」

「ええ、満足いただけたかしら?」


「エラ!」


 殿下の怒声が響いた。


 思わず体が強張る。

 震える指先を悟られぬよう、拳を握った。


 この方に怒鳴られたのは、初めてだった。


「そんな理由で、民まで巻き込んだのか」

「……その通りですわ」


 昔の私なら泣いていた。今でも油断すると泣きそうだった。

 許してほしいと縋りたい。今まで殿下の隣に立つために、どれほど努力してきたかを聞いてほしい。


 だが、それを言ってどうなる。


 幼い頃から王妃になるために育てられ、泣くな、怒るな、欲しがるな、嫉妬など醜いと教え込まれた。


 その教えのおかげで、私はまだ微笑んでいられる。


「なぜだ」


 答えなら、いくらでもあった。


 殿下が私を見なかったから。

 そこの村娘が聖女だったから。

 貴方がリリアに惹かれたから。

 彼女が私のすべてを持っていったから。

 これまでの努力も、我慢も、研鑽も、全部が無駄になってしまったから。

 私が弱かったから。


 でも言葉を並べても、もう結末は変わらないのです。


「……この期に及んで、その質問は意味がありませんわ」


 殿下は目を閉じた。

 私はドレスをつまみ、深く礼をする。


「どのような処分も、お受けいたします」


 最後まで美しく。

 そう思った自分に、うっかり表情を崩しそうになった。

 美しくなど、あるはずがない。


 私はただの悪女なのだから。


     ◇


 処分が決まるまでの数日、私は王城の北塔に置かれた。


 机の上には紙とペンがある。

 謝罪文を書け、ということなのだろう。


 王家へ。

 神殿へ。

 リリアへ。

 そして、私のせいで家族を失った者たちへ。


 私はペンを取った。

 申し訳ございません。

 そう書けばいい。

 たったそれだけのことが、できなかった。


 涙ながらに謝れば、リリアはきっと許すだろう。


 殿下は『君も苦しんでいたのだな』と言ってくださるかもしれない。


 悪女にも人の心があったのだと、誰かが勝手に私を薄めてくれるかもしれない。


 だからといって失ったものはもう、戻らない。


 私は紙に一行だけ書いた。


 その時、扉が叩かれた。


「エレオノーラ様」


 リリアだった。


 白い外套をまとった彼女は、一人で私の前に立つ。顔色は悪い。それでも真っ直ぐに私を見ていた。


「ごきげんよう。よく一人で顔を出せたものね」


 リリアの肩が揺れた。

 私は笑った。

 少しだけ愉快だった。


「何かしら? こっそりここから出してくださるの?」


「私は……あなたを許します」


 その瞬間。

 作り笑いが崩れ、胸の奥が冷える。


「生きてください。罪は償えます。神殿で働くこともできます。私から殿下にお願いしました。エレオノーラ様を助けてほしいと」


 立派なことだ。

 美しいことだ。

 隣の衛兵すら、聖女を見る目をしている。


 冗談じゃない。


「控えなさい、村娘風情が」


 リリアの顔がこわばる。


「罪は償える? 殿下にお願いした? 勘違いも甚だしい。平民の分際で聖女に選ばれて、神様にでもなったおつもりかしら」

「そんなつもりじゃありません」

「なら出てお行きなさい。これ以上、貴女と話すことはありませんわ」


 震える体を無理やり押さえつけて村娘を見た。

 こんな女に負けた。どうしようもない惨めさが胸を刺す。


「なぜですか! 私はエレオノーラ様を助けたいだけなのです」


 リリアの瞳が揺れた。

 傷ついた顔だった。

 それを見て、少しだけ平静を取り戻す。


「貴女が私を助けようと思うのが、そもそも烏滸がましいと言っているの。わたくしは全てを受け入れる。誰に赦しを乞う必要もありませんわ」


「そんな……!」

「何を言っているのか分からない、といった顔ね。結構。さて……そろそろご退室願おうかしら。衛兵、この田舎者を連れて行きなさい」

「貴様!」


 激昂した衛兵が鉄格子越しに凄む。

 実にくだらない。

 平民同士で好き合っていればいいものを。


「あなたが死んだら、私はきっと一生忘れられません」


 去り際にリリアが振り返って、言った。


「死ね」

 

 間髪入れずに返す。

 どうせもうすぐ死ぬんですもの。

 淑女としては最低ですが、これくらいの悪態は許されますよね。


 机の上の紙には、たった一行だけ。


 ——すべて、わたくしがやったことです。


 それで十分だった。


     ◇


 翌朝、処分が下された。

 公爵家の名誉を守るため、表向きは病による急死。


 実際には、毒杯。


 最後の支度をする間、手が震えた。

 死にたくない。

 ここから逃げ出したい。

 誰でもいいから助けてほしい。


 リリアを呼んで、赦しを乞えばまだ助かるかもしれない。

 けれど、その道の先で、私はきっと何度も思う。


 許されてよかった。

 生きていてよかった。

 聖女様は優しい方だった。


 そして少しずつ、殿下への想いも解けていくのだろう。


 そんなの、私は許さない。

 銀の杯が置かれた机の前に座る。


 部屋には何人かの執行官の他、レオンハルト殿下もいた。

 数日前より、ずっと疲れた顔をしている。


「最後に、言うことはないか」


「わざわざ私の最期に立ち会ってくださり、ありがとうございます」


「……謝罪、弁明はないかと訊いている」


「そういうことでしたら、ございません」


 殿下は答えなかった。


「……リリアは泣いていた」


「そうですか」


「君は彼女に残酷なことをした。今もだ」


「そうらしいですね」


 殿下の拳が震えていた。


「なぜ最後までそうなんだ。君はそんなことをする人ではなかったはずだ」


 その声は怒りではなかった。

 痛みだった。


 本当は聞きたかった。


 一度でも、私を好きだったことはありますか。


 私が隣に立とうとしていたことを、少しでも嬉しいと思ったことはありますか。


「わたくしを、可哀想な女にしないでくださいませ」


 殿下の表情が歪む。


「わたくしはリリア様に負けました。ですが、自分の気持ちと最期くらいは誰の好きにもさせませんわ。殿下、ずっとお慕いしていました。愛しています。そして、さようなら。どうかお元気で」


 殿下の答えを聞く前に杯を持ち上げ、一息に飲み干した。


 苦くはなかった。


 ただ、喉の奥が焼けるように熱い

 息が詰まり視界が揺れる

 綺麗になど死ねるはずがない


 怖い


 怖い


 殿下が駆け寄る気配がした。

 誰かが体を受け止めたが、もう何も見えなかった。


 気配の方に顔を向ける。

 きっと今、ひどい顔をしている。

 それでも笑った。


「レオン」


 声はかすれていた。


「どうか、よい王に」


 遠くからレオンの声が響いた。それは王太子のものではなく、幼い日の彼の声のように聞こえた。


 私が悪かった。


 私が間違った。


 でも、私は最後まで抗った。


 最後に胸に残ったのは勝利でも、救いでもない。


 ただずっと必死で守ってきた、ほんの小さな意地だけだった。

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― 新着の感想 ―
王子と聖女の偽善行為が流石です。 後の歴史書にこう書き込まれているといいですね。「一人の女性を罪人に貶めた偽善者」と。
王子がなぁ、精神的浮気で自殺に追い込んだみたいなものだよ。もちろんエレオノーラは王妃失格な悪いことをしたし死で償ったけど、王子や聖女の罪はいつ誰が償うんだろ。
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