第八話 師匠、紹介される
グレンの剣が床に落ちてから、しばらくの間、冒険者ギルドの中には奇妙な静けさが流れていた。
ついさっきまで酒を飲んで騒いでいた連中も、椅子を引いて様子を見ていた冒険者たちも、全員が同じ方向を見ている。もちろん、その視線の先にいるのは俺だった。
俺は肩に乗せていた棒を軽く振ってから、元の場所へ戻しておく。
こんなものを武器にして戦うつもりは本来ないのだが、ああいう状況になると、どうしても目についた物で済ませてしまう癖がある。
村の道場でも似たようなことはよくあった。
木剣が足りないときには枝を拾ったり、棒を使ったりして稽古をすることもあったからだ。
そんなことを思い出していると、後ろから盛大な笑い声が聞こえてきた。
「はははは!」
カイルだった。
腹を抱えて笑っている。
「だから言っただろ!俺の師匠だって!」
その言葉を聞いた途端、周囲の冒険者たちのざわめきが一気に広がった。
「今の見たか?」
「剣弾いたぞ」
「しかも棒で」
「いや、速すぎて見えなかったんだが」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
グレンはまだ少し呆然としていたが、やがて床に落ちた自分の剣を拾い上げると、俺の前まで歩いてきた。
そして深く頭を下げる。
「……参った」
その言葉には、さっきまでの余裕はほとんど残っていなかった。
「正直、ここまで差があるとは思わなかった」
俺は軽く首を振る。
「気にするな。いい踏み込みだった」
それは本心だった。
最初の一撃は、普通の相手なら反応する前に斬られているだろう。Aランクという肩書きは伊達ではない。
グレンは少し苦笑する。
「褒められてもな……」
それから一歩下がると、改めてカイルを見る。
「お前の言ってたこと、本当だったんだな」
カイルは腕を組み、満足そうに頷いた。
「だから言ったろ。俺の師匠はやばいって」
周囲の冒険者たちの視線が、また俺へ向く。
さっきまでとは違う。
疑いよりも、純粋な興味と警戒が混ざった目だった。
そんな中、カイルが手を叩いた。
「よし!じゃあ改めて紹介するか!」
そう言って俺の肩を軽く叩く。
「師匠、こいつら俺の仲間」
最初に立ち上がったのは、細身の剣士だった。
黒髪を後ろで結び、鋭い目をしている。
「リオだ」
短く名乗る。
「前衛の剣士」
それから軽く頭を下げた。
「さっきの動き、正直ほとんど見えなかった。カイルがあれだけ尊敬してる理由、少し分かった気がする」
次に立ち上がったのは、弓を背負った女だった。
肩までの茶色い髪を揺らしながら、じっとこちらを見る。
「私はマリア。弓と斥候担当」
腕を組んだまま、少し眉を上げる。
「正直、最初は信じてなかったけど、今の見たら文句言えないわね」
最後に、大柄な男が立ち上がる。
身長はカイルより少し高いくらいで、体格もかなりがっしりしている。背中には大きな盾が背負われていた。
「ドラン」
低い声で名乗る。
「盾役だ」
それからゆっくり頷いた。
「さっきの一撃、すごかった」
そして最後に、ローブ姿の男が立ち上がる。
丸眼鏡をかけた、少し落ち着いた雰囲気の男だった。
「私はユージン。魔術師です」
穏やかな口調で言う。
「剣のことは詳しくありませんが……」
そこで一度言葉を切り、俺を見る。
「今のは、おそらく相手の力を利用した技ですね」
俺は少しだけ笑う。
「よく見てるな」
ユージンは肩をすくめた。
「観察するのが仕事なので」
カイルが満足そうに頷く。
「これが俺のパーティ。まあまあ強いぞ」
マリアがすぐ突っ込む。
「まあまあじゃないでしょ。王都でも上位のパーティよ」
カイルは笑う。
「それはそうだけどな」
それから改めて俺を見る。
「師匠、どうです?俺の仲間」
俺は四人を見回した。
動き、装備、立ち方。
それだけでも、実力はだいたい分かる。
「いい連中だ」
そう言うと、カイルが嬉しそうに笑った。
そのとき、リオがふと口を開いた。
「一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「さっきカイルが言ってた」
少しだけ間を置く。
「八傑って話」
その言葉に、周囲の空気がわずかに変わった。
ギルドの何人かがこちらを見ている。
どうやら、王国でその名前はかなり知られているらしい。
リオは真面目な顔で続ける。
「本当に」
「八傑全員の師匠なんですか?」
俺は少し考えた。そして肩をすくめる。
「昔、村で剣を教えてただけだ」
カイルが横から口を挟む。
「それが師匠なんだよ」
マリアが小さく息を吐く。
「騎士団長に、S級冒険者に……」
「それ全員弟子って、普通じゃないわよ」
俺は苦笑する。
「俺はただ教えてただけだ」
「強くなったのはあいつらだ」
その言葉を聞いて、カイルが笑った。
「師匠、昔からそれ言うよな。でも」
そこで少し真面目な顔になる。
「俺ら全員思ってる」
カイルはゆっくり言った。
「強くなれたのは、師匠のおかげだって」
ギルドの空気が、少しだけ静かになった。
俺は小さく頭をかいた。
こういう話は、どうも苦手だ。
「……とりあえず」
俺は言う。
「座らないか。立ち話もなんだ」
カイルが笑う。
「そうだな!」
そして椅子を引き寄せる。
冒険者たちの視線がまだ残る中で、俺たちは再びテーブルに座った。
だがそのときにはもう、さっきまでとは明らかに違う空気がギルドの中に広がっていた。
どうやら――
「カイルの師匠」という噂は、もうこのギルド中に広まってしまったらしい。
俺は小さくため息をついた。
王都で静かに過ごすのは、思っていたより難しそうだった。
その日の夜。
王都の中心部から少し離れた、石造りの建物の中。
薄暗い部屋の机の上には、いくつもの書類が積み上げられていた。
灯されたランプの光が、紙の端を淡く照らしている。
その机の前に座っているのは、一人の女だった。
長い黒髪を後ろで束ね、鋭い目をしている。
静かな表情だが、その瞳には常に周囲を観察する癖のような鋭さが宿っていた。
彼女は一枚の報告書を手に取り、目を通す。
そこに書かれていたのは、今日の王都で起きた小さな出来事だった。
王都中央ギルドにて、Aランク冒険者グレンが模擬戦を行い、完敗。
相手は、カイル・レイグが「師匠」と呼ぶ男。
武器は木の棒。
それだけの短い報告。
しかし、その内容は明らかに普通ではない。
女はしばらく黙ってその紙を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まさか」
その声は、ほんのわずかに震えていた。
紙を机に置き、指で軽く叩く。
カイル・レイグ。
その名前を知らない者は、この王国にはほとんどいない。
S級冒険者であり、王国でも指折りの剣士だからだ。
そして――
彼には師がいる。
女は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
静かな部屋の中で、ぽつりと呟く。
「師匠……ですか」
その言葉には、どこか懐かしさが混じっていた。
机の上に置かれた報告書を、もう一度見る。
そして小さく笑う。
「……間違いありませんね」
女はゆっくりと立ち上がった。
黒い外套を羽織り、部屋を出る。
廊下には夜の静けさが広がっていた。
歩きながら、女は静かに呟く。
「久しぶりですね」
その名を。
「師匠」
王国諜報部隊長。
セリス・ナイトレア。
彼女は今、確信していた。
――アルト・レイヴァルが王都に来ている。




