第十話 師匠、驚かれる
「ずっと、お会いしたかったんです」
セリスはそう言ったあと、ほんのわずかに表情を緩めたが、すぐにいつもの冷静な顔へ戻った。
王都の通りは相変わらず騒がしい。荷馬車の音、商人の呼び込み、通りを歩く人々の話し声。それらが混ざり合い、街全体が常に動いているような空気があった。
その中でセリスは周囲を一度軽く見回す。
通りを歩く人々、屋台の客、遠くで立ち話をしている商人たち。誰かに聞かれていないか確認するように視線を巡らせてから、小さく頷いた。
「ここで長く話すのはよくありません。少し場所を移しましょう」
「場所?」
俺が聞くと、セリスは落ち着いた声で答える。
「近くに店があります。そこは静かな場所です」
横で聞いていたレオンが、少しだけ口元を緩めた。
「店、か」
その言い方で、どういう意味か察したらしい。
俺は肩をすくめる。
「まあいい。案内してくれ」
セリスは静かに頷き、歩き出した。
俺とレオンはその後をついていく。
王都の大通りから少し離れると、街の雰囲気は少し変わっていく。華やかな商店街を抜け、職人の工房や小さな店が並ぶ区域へ入ると、人通りもやや落ち着いてきた。
さらに細い路地をいくつか曲がる。
やがてセリスは、一軒の小さな店の前で足を止めた。
古びた木の看板がぶら下がっている。
そこにはこう書かれていた。
「古書店 エルディア」
窓の奥には本棚が並び、古い本や巻物がぎっしりと詰まっている。
どう見ても、普通の古本屋だった。
「ここか?」
俺が聞くと、セリスは頷いた。
「ええ」
そして扉を開ける。
店の中へ入ると、紙とインクの匂いがふわりと漂った。壁一面の本棚には古い本がぎっしり詰まっていて、机の上にもいくつかの本が積み上がっている。
カウンターの奥には、一人の男が座っていた。
四十代くらいの男で、丸眼鏡をかけている。いかにも本屋の店主といった雰囲気だった。
男は顔を上げる。
そしてセリスを見ると、すぐに立ち上がった。
「お帰りなさい。隊長」
その呼び方を聞いて、俺は少しだけ笑う。
やっぱりただの店ではないらしい。
セリスは軽く頷いた。
「客人です」
男は俺とレオンを見る。
そしてレオンを見た瞬間、目を見開いた。
「……騎士団長?」
レオンは軽く会釈した。
「久しいな」
男は慌てて姿勢を正す。
「失礼しました」
それから視線が俺に向いた。
「そちらの方は……?」
セリスは短く言った。
「私の師です」
男は完全に固まった。
「……え?」
だがセリスはそれ以上説明せず、店の奥へ歩いていく。
本棚の間を抜けると、小さな扉があった。
セリスがそれを開く。
中は、外の店とはまったく違う空間だった。
広めの部屋に机が並び、壁には王都の地図や書類が貼られている。どう見ても古書店の倉庫ではなく、仕事用の部屋だった。
そこには三人の男女がいた。
全員、資料を読んだり地図を見たりしている。
扉が開いた音で、全員がこちらを見た。
「隊長」
一人が言いかける。
「戻られ……」
そして言葉が止まった。
レオンを見たからだ。
「騎士団長……?」
次に俺を見る。
だが反応は明らかに違った。
「……誰?」
そんな顔だった。
セリスは静かに言う。
「紹介します」
部屋の空気が少しだけ引き締まる。
セリスは俺の方を見てから言った。
「私の剣の師匠です」
一瞬。
完全な沈黙が落ちた。
三人が同時に俺を見る。
そして。
「……え?」
「師匠?」
「この人が?」
疑いの視線だった。
まあ無理もない。
どう見てもただのおっさんだからだ。
俺は頭をかいた。
「まあ、昔少し剣を教えてただけだ」
その言葉を聞いても、三人の顔はまったく納得していなかった。
その中の一人、短髪の青年が腕を組んだ。
「隊長、失礼ですが本当にですか?」
セリスは平然としている。
「ええ」
青年は俺を見る。
そして少しだけ笑った。
「……正直、強そうには見えません」
レオンが横で小さくため息をついた。
俺は苦笑する。
まあ、よくある反応だ。
「別に構わん」
俺は部屋の端に置かれていた木の棒を手に取る。
どうやら訓練用のものらしい。
「少し見るか?」
青年は一瞬戸惑ったが、すぐ頷いた。
「お願いします」
青年は短剣を抜く。
構えは悪くない。
俺は軽く棒を握る。
次の瞬間。
――カン。
短い音が部屋に響いた。
それだけだった。
青年の短剣は、床に落ちていた。
「……え?」
青年は自分の手を見る。
剣はない。
床を見る。
落ちている。
部屋の空気が凍りついた。
「今……何が……?」
もう一人の部下が呟く。
レオンは腕を組んだまま言う。
「見えなかったか?」
三人は何も言えない。
セリスだけが静かに言った。
「言ったでしょう。私の師匠です」
部屋の中で、三人の顔がゆっくり青ざめていく。
そしてようやく理解したようだった。
――とんでもない人物を疑っていたことに。
俺は棒を元の場所に戻しながら、小さく息を吐いた。
「だから言っただろ。ただの田舎のおっさんだって」
だがその言葉を、もう誰も信じていなかった。




