主命達成
「オレの勝ちだな」
暴君と呼ばれつつも腐っていくこの国を見捨てることはできず愚図どもの粛正に腐心した。
だが、粛正を重ねるごとに、彼の胸には次第に空虚な感情が渦巻いていった。
国のため、民のためと信じて行動しているはずなのに、彼を囲む視線は日に日に冷たさを増し、忠誠を誓った者たちでさえ、その目に恐怖を宿すようになった。「我が手は血に塗れすぎたのか……?」ふと、そう自問する夜もあったが、彼は決して歩みを止めることはなかった。なぜなら、彼が目指す「新しい国」を築くためには、今ある腐敗を完全に焼き払わねばならなかったからだ。
しかし、その道は想像以上に険しかった。反抗勢力の謀略はますます巧妙になり、粛正の手を伸ばす先に裏切り者を見つけることも増えた。そのたびに苛烈やな方策で捻じ伏せてきた。彼の中に募る疑心暗鬼は、臣下たちへの信頼をも侵食していった。そして、いつか致命的な誤りをする予感がある。そんな時に止めるような存在が必要かもしれないと感じている。
そんなある日、一人の少年が彼のもとへ現れた。
「お願いがあります」
その小さな声に振り向いた彼の前に立っていたのは、歳の頃は十にも満たぬであろう少年だった。目には怯えの色もなく、まっすぐに彼を見据えていた。
「願いだと?」
「はい。この国の外れに住む病弱の母を助けてほしいのです。村が飢饉で苦しんでいます」
思いがけない訴えに、彼の眉が僅かに動く。自分の目指す国のためには、こうした飢饉も克服しなければならない。しかし――少年の言葉の奥に、なにか別の意図が隠されているような気がした。
「お前の名は?」
「リュカと申します」
少年の瞳は揺るぎない意志をたたえていた。
リュカの訴えに耳を傾けた暴君は、ひとつ大きく息をついた後、傍らの臣下に命じた。
「リュカの母を治療する医師を派遣せよ。そしてその村で飢餓が蔓延している原因を調べろ」
リュカは目を見開き、思わず膝をついて礼を言った。
「ありがとうございます!」
だが、少年を一瞥し、冷たい声で告げた。
「忘れるな、これは私の気まぐれに過ぎぬ。次に私のもとを訪れるときも、その命があるとは限らぬぞ」
リュカはその言葉に怯むことなく頷いた。心に強く「恩義を返そう」と誓いながら。
* * *
数週間後、村からの報告を受けた暴君は、飢餓の原因が干ばつによる農作物の壊滅と、隣国との交易が途絶えたことにあると知った。彼はすぐに命じた。
「国庫から穀物を提供し、村の人々に配れ。農地の再生に必要な支援も行うのだ。さらに、飢餓がほかの地域に及んでいないか国全土を調査せよ。飢える者が出ぬよう根本的な対策を講じる。」
その指示は国中に広まり、やがて各地で飢餓対策が行われ始めた。最初は「暴君の気まぐれ」と侮られたが、徐々に人々は変化を感じ取り、評価を改めていった。
* * *
村が救われた後、リュカは再び暴君のもとを訪れた。飢えと病で弱っていた母も回復し、村に平穏が戻ったことを感謝し、彼の前に膝をついた。
「どうか私をお側に置いてください。この命を賭けて、あなたに尽くしたいのです」
暴君は少しの間、リュカを見つめた。そして口元に僅かな微笑を浮かべ、信じられぬ言葉を告げた。
「よかろう。だが、お前には私に逆らう権利を3度だけ与えよう。私が道を誤ったとき、それを正すために使え」
リュカは驚きの表情を見せたが、すぐに真剣な眼差しで頷いた。
「承知しました。必ずやその信頼を裏切りません」
リュカが忠誠を誓ったその日から、暴君の行動には少しずつ変化が生まれた。彼が全てを独裁的に決めるのではなく、リュカを含む数名の忠臣たちが慎重に意見を述べ合う場が設けられるようになった。
一方で、暴君の冷酷な一面は変わらなかった。愚かな者や反逆者への粛正は容赦なく行われ、その恐ろしさは広く知られていた。しかし、彼の周囲には確かに忠義を持つ者たちが集まりつつあり、国は少しずつ安定を取り戻していった。
* * *
リュカが初めて逆らう権利を行使したのは、暴君が反乱軍の首領とその家族を一族郎党に至るまで粛正しようとしたときだった。リュカは宮殿の広間で膝をつき、声を張り上げた。
「その命令には従えません!」
「首領以外は罪なき者たちです。そんな行為は国をさらに憎しみに沈めるだけです!」
その言葉に広間の空気が凍りついた。周囲の廷臣たちが慌てて視線を交わし、暴君を止めようとする者は誰もいない。だが暴君は微動だにせず、冷ややかな声で答えた。
「よかろう。だがリュカ、これで一度目の権利を失ったことを忘れるな」
その日以降、暴君はリュカに対してより深い信頼を抱くようになった。だが、それは同時に彼の内に秘めた呪いを加速させる結果ともなっていた。
* * *
暴君の身体に宿る呪い――それは、宰相がかつて密かに施したものだった。呪いは暴君の意志を捻じ曲げ、必要以上の冷酷さと暴力衝動をもたらしていた。リュカはその事実を探り当てたが、呪いを解く方法はただ一つ、暴君を一度「死」へと至らしめることだった。
「許して下さい、暴君様……これは、あなたを救うためです。」
暴君が倒した敵の屍の山の前で、リュカは震える手で剣を握りしめた。そして彼が振り返った刹那、その胸に鋭く剣を突き立てた。
暴君は血を吐きながら、微笑んで言った。
「お前が……これほどの決断をするとはな。これで二度目か。……よくやった、リュカ」
そう告げると、暴君の身体は力なく崩れ落ちた。
暴君が死んだ瞬間、宰相は満面の笑みを浮かべた。彼が長年にわたり築き上げた計画は、ついに完成したかのようだった。宰相はリュカに告げる。
「これで契約は成立だ。暴君の血筋を断ったお前には、私が与える褒美を一つ願う権利がある」
リュカは迷うことなく答えた。
「私の願いは呪いの解呪だ。暴君様と母をこれ以上、苦しめるな」
宰相は一瞬たじろぎながらも笑みを浮かべた。
「愚か者め。よかろう、ただしお前は二度と私に逆らうことはできぬぞ」
リュカの願いによって呪いは解呪された。その目に浮かぶのは憤怒だった。
「宰相、貴様の手のひらで踊るほど、私は愚かではない」
暴君の呪いが解呪されたと同時に剣に仕込んでいた蘇生の力を発動する。呪いから解放されたため治癒により瀕死の状態を脱する。そして己の手で宰相の喉元に刃を突き立てると、低く囁いた。
「貴様こそが、この国を腐らせた諸悪の根源だ。消えろ」
宰相が息絶えたとき、国の闇は一つ晴れた。
* * *
だが、暴君の生命力は呪いと契約の影響で大きく消耗していた。彼は宮廷の医師たちにより懸命に治療を受けたが、完全な回復は望めなかった。それでも、暴君は自らの弱さを受け入れ、リュカや他の忠臣たちと共に国を運営していくことを選んだ。
「この国は、まだマシとは言えぬ。だが、我々が歩み続ける限り、いずれ変わるはずだ」
リュカはその言葉に深く頷き、暴君と共に新たな時代を築くために歩み出した。
深い闇の中を進む道の先に、まだ見えぬ光があるのだと信じて――その一筋の希望だけが、彼らの歩みを支えていた。
いつか夢で見た朧げな記憶をもとに制作してみました。主への裏切りと見せかけて、圧倒的な劣勢からの起死回生。死は終わりではなく先へ繋ぐための通過儀礼。ただし今回は例外で、今までやってきた行いがだった一度の奇跡を呼ぶ。
一生に一度きりの奇跡が、遥か先で静かに輝きますように。