80.〈砂痒〉星系外縁部―18『Ghost In The Realm―4』
「うぅ……」
アタシは呻いた。
思い出したくもないことを思い出してしまったから。
あ~、後味ワリぃ。
記憶がぜんぜん色あせない。
二日たった今でもこうだから、運悪く現場に居合わせてしまったあの時はホント最悪だった。
目が離せないじゃないけど、よそに行くとか現場から距離をとるといった知恵もはたらかず、頭も身体も凍りついたようになって、なかば痺れた意識で目の前で繰り広げられてる惨劇をずっと眺めてた。
もしかすると半分気を失ってたのかも知れない。
そんなアタシをその場から連れ出してくれたのは、確か……、
「身動きできないでいた深雪ちゃんを隣の部屋に担ぎ込んだのがやよいのヤツでさ」
ちょうどのタイミング、アタシの心を読んだかのような感じで実村曹長が言った。
「それで、なにか思うところがあったんだろうね。以来、影からコッソリ深雪ちゃんのこと見守ってんの」
最後の方は、くくく……ッと喉を鳴らすような笑い声。そして、やにわに両腕をのばしてくるとアタシの頬をはさみこみ、とある向きにグリンとまわした。
「ほら、チ~ズ♡」
みずからもアタシと顔の向きを合わせ、二人して天井部のカメラに目線をあてると、実村曹長自身はレンズの向こうにむけてピースサインなど繰り出している。
を~い、見てるぅ?――そんな感じ。
見てるのが誰かは多分わかっての事。
笑顔でペロリと舌など出してたから。
そっか、なるほど、そういう事かぁ。
つかず離れずでいてくれたんですね。
実村曹長はそっちが心配、と、でも、
アタシをだしにしないで欲しいなぁ。
同期で、同じ階級で、ライバル同士。
軽口を叩き、からかいあう喧嘩友達。
でも、こういう時は気をくばる、か。
羨ましい? ウン。まぁ、そうだね。
と、
半分、他人事気分でほっこりしてると、隣室との境の壁に割れ目が生じた。
天井から床まで真っ二つに割れて、見る間に割れ目の幅がひろがっていく。
スライド扉――誰かが可動間仕切りのスイッチを入れたんだろう。
まぁ、今さら、『誰か』もないけどね。
で、
「余計なお世話だ、こんチクショウ!」
思った通りに、顔を真っ赤に染めた御宅曹長が、ひとつながりに繋がった隣室からこちらを睨み、ズンズンやって来たのだった。
そして、
「うぅ……」
アタシは再び呻くハメになっている。
あともう少しで給努員の役を終え、懇話室から離れられるというのに、すぐ目の前で先輩ふたりがケンカ(?)してる、そのせいだ。
職務上、なだめる、諫める、仲裁する――しなくちゃいけないんだろうけれども、このケンカ(?)、なんか痴話喧嘩のようにも感じられて、そんなの野暮だよねぇとも思えて口をはさめない。
砂糖を吐くほどじゃないけど、他人が見ている前でいちゃつくのは、ホント、やめてほしいなぁ……。
とまれ、
「部下を心配してワリぃかよ!?」
酒酒酒――酒をくれ! と言われてだしたグラスを片手に御宅曹長が実村曹長に食ってかかる。
「いや、別に悪くはないわよ? だって深雪ちゃん、かわいいものね~♡」
「ば……ッ! ば、馬鹿! かわいかろうがかわいくなかろうが、い、いや、もちろん深雪は可愛いが、そんな理由で心配してたんじゃねぇ! ちゅ、中尉殿が忙しいから、手がまわらない分、せめてものって手伝いだ!」
「そうでしょうとも」
「ウソじゃねぇぞ……!」
――と、まぁ、こんな調子。
二人してカウンター席に居座っちゃったから、必然的にアタシも動けなくなっちゃった。
もうね、聞いてる……、聞かされてる側もけっこう恥ずかしい&居たたまれない気分になるんですけど……。
というワケ(?)で、補足というか状況の補完をしましょうか。
まず中尉殿ね。
このフネにおいて、中尉殿には席が三つある。
主計科室と、艦橋と、それから医務室。
『席』イコール『持ち場』イコール『仕事』だから、そりゃ忙しいっていうか、やっぱり中尉殿は大変だよ、ウン。
それで、その上、人生初の恒星間移動――それもとりわけキッツイ遷移で新兵が変調をきたしたってなったら、その心配にまでは手がまわらないよね。
更にわるいことには、加えてフネ上層部内で大事件が起こったとなるとサ。
一般の兵は手持ちぶさたでヒマしてても、上のひとたちはそうはいかない。むしろ、逆に忙しい。
『トンデモ』としか形容しようのないトラブルにフネが陥っちゃったから、その解決に全力をもってあたらないといけなくなったので。
でねぇ……、
トラブルを引き起こした犯人って言うか張本人を締め上げて解決法をなんとか聞き出そうとした、のまでは当然なんだけど、まぁ、その、日頃からの恨みつらみに鬱憤やらが鬱積してたんだね。軍士官といっても、そりゃ人間だもの。
それで、やりすぎちゃった。
尋問のつもりが拷問になっちゃった。
トラブルをおこした張本人――我らが子供艦長は、なんでも実家が和菓子屋なんだって。
それも皇国と同じか、もしかするとそれより以前からある伝統、格式も高き超・名店。
そこに生を受けたからには、代々受け継がれてきたお菓子の味は絶えることなく継承しなければならず、しかし、伝統を墨守するだけでは飽きられ客が離れてしまうから、なにか新しい工夫もしなけりゃならないって店。
というワケで、そこの子供の食べ物は朝昼晩と三度三度のご飯は餡子。
子供艦長の名前も、そんな餡子から取られたって言うんだから、どうにも徹底してるよね。
そりゃアレルギーってか、物心ついてからそれなら心に傷も負っちゃうわ。
結果、子供艦長は心神喪失、人事不省、意識不明で昏倒中。
懇話室の隣でこの二日間、集中治療の処置槽に入りつづけてる。
とてもじゃないけど、問題解決の方法を聞き出すどころじゃなくなっちゃった。
なんかもぉ、どっちもどっちな自業自得状態になっちゃったワケ。
深層催眠をもちいて子供艦長の無意識にアプローチしてるとか怖い噂も耳にするけど、状況に変化がないって事は、噂が事実としても成果があがってないんだろうな。
――という次第で、だから、中尉殿は超・忙しいんだと思うのね。御宅曹長がお手伝いをかってでるくらい。
ただでさえ、モノが二重写しにままブレて見えたり、さっきも言った『幽霊』の影に怯えたりしがちなのが、現状のようなナルフィールドの展帳下。
艦乗員のすべての心身双方の健常状態に目を配り、なかでもとりわけ敏感な新兵を気に掛け、フネの最上位者兼トラブルをおこした張本人の治療ならびに尋問をこころみる。
列挙するだけでも、その忙しさが伝わってくるわ。
「で、だ。初陣どころか星から星へ渡るのもはじめてなおぼこい娘がカテゴリ7。しかも、遷移法が新考案のぶっつけ本番ときた。ンな悪条件をなんとか乗り切り、本人は、『もう何ともありません。大丈夫です』なんて顔をしてやがるが、そこにこのナルフィールドの超。長期展帳だぜ?」
御宅曹長が弁をふるってる。
「この懇話室室長にしたって、本来、それは当番制だ。フィールド展帳開始時に当番だったなら、順番が一巡するまで役をこなす必要は無ぇ。
そこで、こちらの方をちらと見た。
「だのに、こうしてホステスやってるってのは、だ。元々、当番だった誰かと代わってるのに違いないんだ。それも向こうから押しつけられたんじゃない――新米なので仕事に慣れたいからとか何とか言ってな」
「要するに――」と言って、またこっちをちらと見る。
「強がっちゃいるが、何かしらまだ後遺症ってか問題をかかえこんでいるんだよ。とにかく身体を動かしてれば気がまぎれる。そしたら、余計なことに気を取られることもないだろう。
「要は、正直に言ったら、こっちに迷惑がかかるとかいらない遠慮をしちゃっての結果だ――なぁ、そうだろう? 深雪ぃ」
最後は、カウンター越しにアタシの頭のてっぺんを、グワシと握ってウリウリしながらそう言ってきたのだった。
「え……、あ、わぅ……」
当然、アタシはまともに答をかえすことが出来ない。
御宅曹長の手が揺するのにつれ、右に左に振れて定まらない視界のなかで口ごもるしかなかった。
「お酒……」
かすかな……、ほとんど呟きか囁きレベルの注文が耳に届いたのはその時だった。
幽霊のよう……。
いや、そんな異界の存在ではない。
ちゃんと常空間の『人間』だ。
背中まで垂らした長い黒髪。いっそ病的なまでにしろい肌。唇だけが血のように紅い、まるでつくりもののような美少女。
「お、おう、みこみこ、お前が懇話室まで来るとは珍しいな。メシか?」
アタシの頭から手を離した御宅曹長が言った。
みこみことアダ名? で呼ばれた美少女は、でも、フルフルと頭を振った。
つややかな髪がさらさらとそれにつられて左右に舞う。
「ちがう。なんだか落ち着かないから、お酒でも飲んだら良くなるかなって思った」
さっきと同じ、かすかな、鈴をころがすような綺麗な声で美少女は答えた。
そして、あらためてアタシの方に向き直ると、
「あの……、エッグノッグを」と注文の途中で凍りつく。
見る間に表情が抜け落ち、それどころか面立ちさえもが変わって、
「おんな殺し、油地獄……」
据わった目、殷々と響く男の声でアタシに向かってそう言ってきたのだった。




