64.〈砂痒〉星系外縁部―2『臨場―2』
今、〈あやせ〉の艦橋は、天井直下のほぼ全面を映像野とし、そこに巨大な星系略図が映しだされた状態となっていた。
ひときわ大きな光点と、その光点を中心とする、大小サイズの異なる幾つもの楕円形で構成された絵図である。
中央の光点が恒星〈砂痒〉
それを取り巻く複数の楕円が、恒星〈砂痒〉の周囲をめぐる惑星群の軌道をあらわしている。
それは、〈砂痒〉星系全体をいくつかの要素に絞って簡略表示した立体投影星図なのだった。
よく見れば、それら白線で描かれた複数の公転軌道の上に、それぞれポツンと惑星が赤い光点として表示されているのがわかるだろう。そして、そうした立体投影星図の上に、更に星系外縁部から中心の恒星〈砂痒〉めがけてはしる一筋の線が緩やかに明滅しているのが見てとれた筈である。
なだらかにカーブしているその線こそが、〈幌筵〉星系から遙々ここまで急行してきた〈あやせ〉の予定針路を示すものだった。
「第八次減速航程、間もなく終了。終了告知後三〇〇秒経過をもって、本艦は旋回頭機動にはいる。総員、気をゆるめることなく艦姿勢の揺動に備えよ」
艦橋内においては要員席それぞれに備わる〈纏輪機〉から、そして、他の科室や諸々の部屋、施設、通路においては、艦内いたる所に設置されてある令達機から若い女性の声が流れる。
航法科次席指揮官の声。
現在、配置からはずれ、休養に入っている埴生航法長の交代要員――能代少尉が発した声だ。
減速と観測。
一路〈砂痒〉星系を目差し、幾度も実施してきた遷移が最終的に完了して、裏宇宙から常空間へ復帰した〈あやせ〉は、これまでずっと、そのふたつの作業を交互に繰り返している。
能代少尉が今おこなったのは、ワンセットであるそれの八回目の終わりと九回目のはじまりを告げる通達だった。
〈あやせ〉の今の船速は、毎秒約五万km――〇.一七光速といったところ。
位置は、〈砂痒〉星系恒星圏界面から少し入りこんだあたり――星系主権領域内部へ入ったばかりの空域にある。
視点を〈砂痒〉星系の主星〈砂痒〉から測ったものに置き換えたなら、それは星系中心部からおよそ二〇〇億キロほど離れた彼方ということになる。
星系外から寄り来る者にとっては星系のとば口、星系内部に住まう者からすると地の果てだ。
〈あやせ〉が、そこから押し出されるようにして裏宇宙から常空間に復帰したのは、恒星〈砂痒〉より約四〇〇億キロほど離れたあたり。
航宙船が超光速航行状態を維持しつづけることが困難となるディープスペースと恒星系領域の境目とされる空域だった。
ヘリオポーズよりも更に外側にひろがる弧状衝撃波面と呼ばれる領域に達する直前である。
その時点での速度は、ほぼ光速。
言うまでもなく、司令部から命令された〈砂痒〉星系内部の状況調査をおこなうのには速すぎる。
そのため、以来このかた〈あやせ〉はずっと自艦の速度をころす減速噴射に時間を割いているのだが、現在に至るも船速を適当なレベルにまで削りきれていないのだった。
なお、船速はともかくとして、革命的と評してよい画期的な操艦手法、航路設定の案出、実行により、〈幌筵〉星系から〈砂痒〉星系――途中あまたの恒星系をまたいだ長駆移動、それに要した筈の所要時間を大幅に短縮するを実現したのに、にもかかわらず、目的地から不要とも思えるくらいに離れた遠隔地で最後の遷移を終えてしまったのには理由がある。
と言うより、それは、人為、有意の結果でなく、裏宇宙航法の法則面からくる制約が因でそうなっていた。
〈ホロカ=ウェル〉銀河系において使用されている超光速航行技術のうちの一つ、スペースワープ航法が、星々が綾なす重力場紋様によりその使用に制限を受けるのと同様、裏宇宙航法は、〈世界〉の〈場〉を支配する秩序形成流の影響から逃れられない故、そうならざるを得なかったのだ。
秩序形成流。
目には見えない、しかし確かに存在している〈無〉から〈有〉を生じせしめるこの流れこそ、〈虚無〉から〈エネルギー〉を引き出し、〈物質〉を生み、〈生命〉を育んで、ついには〈知性〉を顕現せしめるに至るモノ。
宇宙の始原、〈神〉から発し、窮極、〈神〉へと還るとされる進化の力――その〈濃度〉の濃淡は常軌密度と呼ばれ、裏宇宙航法の実行効率は、否応なくそれに左右されるからだった。
アストロナビゲーションの講義において、よく用いられる喩えをここに引用するならば、航宙船が超光速航行状態――遷移から脱し、異空間から常空間へ回帰する様は、遠浅の砂浜海岸めがけ沖合から泳ぎ来たった潜水夫のようだとされている。
すなわち、異空間経由で恒星系に接近中の航宙船は、恒星系までの距離に反比例して高まっていく常軌密度(あるいは重力場圧力)によって、ダイバーが海岸線に近づくにしたがいどんどん浅くなっていく海底に、やがて足が着き、水中に居つづけることが出来なくなって、ついには上陸を強要される――それとよく似た状態となると説明されている。
航宙船は、超光速航行状態のままでは恒星系にある一定の距離までしか接近できず、どこかで必ず異空間内から追い出されてしまうこととなるのだ、と。
そうした海と陸との限界線、異空間と常空間の波打ち際に相当するのが、つまりは恒星系の主星から噴き出す恒星風が銀河系内をただよう恒星間物質と衝突する境界面――ヘリオポーズというわけだった。
ただし、その境界線ギリギリの距離まで艦を超光速航行状態においた場合、砂浜に打ち上げられるまで上陸を引き延ばしたダイバーが、浅すぎる水深ゆえにその腹を海底に擦ってしまうのにも似て、異空間からの離脱に支障をきたす危険性が高くなる。恒星系への進入をめざす航宙船は、だから、航行所要時間の短縮と安全マージンを天秤にかけ、比較的早めに超光速航行状態を解くのが常だった。
〈あやせ〉が、バウショックよりも更に外側で裏宇宙から離脱したのも、それが理由のひとつであったが、それはともかく、
能代少尉の通達に、それまで淡々と自らに与えられてある勤めをこなしていた艦橋要員たちは、そろって新たな動きを見せはじめた。
〈纏輪機〉を使い、コンソール上に計器を呼び出して、それぞれの管轄下にある部署、科員たちの状態を問い合わせ、確認作業をすすめてゆく。
要員同士も情報交換や擦り合わせ等おこなっているのか、其方此方で会話している声が艦橋内を潮騒のようにさわさわと満たした。
とはいえ、それは、なにか特別なイベントに備えようとする慌ただしさの感じられるものではない。どこまでも日常業務の中の一コマといった風景であり、従前の静かで落ち着いた雰囲気が乱れる程のものではなかった。
今や〈あやせ〉は、戦地に等しい危険が待ち受けている可能性の高い領域に本格的な進入を開始した段階にあり、艦橋内――いや、艦内の何処にあっても、そこでたち働く乗員たちの顔には、いくばくかの不安や緊張が見うけられるようになっていた。
が、その乗員たちが着用しているのは、依然として(簡易宇宙服としても使用可能ではあれ)船内服にすぎず、艦内の空気もそこまでピリピリ尖っているわけでもない。
大倭皇国連邦の東の国境であり、国内最有力レベルの力を有する辺塞、そして、にもかかわらず突然音信不通となった地――〈砂痒〉星系に、ただの一隻で乗り込み、現地調査を開始しようとしている。……最悪の場合、自らの死をも覚悟しなければならない状況が旦夕に迫ったという風には、およそ見えない。乗員たちの物腰は、あくまで平常運航状態の域にとどまりつづけており、戦時、非常時に置かれた者のそれのようでは決してなかった。
これは奇妙に感じられると同時に、ある意味、当然のことでもあったろう。
いよいよ、これからが本番だとはいえ、そもそも〈砂痒〉星系内部の状況精査に関し、作業の遂行には、ほぼ一ヶ月という時間が考えられているからだ。
事実上、まだ何も始まっていないというのに、今から気を張り詰めているようでは、とてもではないが身がもたない。
それに加えて現実的なはなしをすれば、戦闘航宙艦が戦う空間戦闘は、不意をつかれて奇襲攻撃をくらうといった危険は皆無にちかい。
敵の発見から交戦にいたるまで、『日』単位の時間経過を要するのが大半という経験則があるからだった。
そこまでの余裕があれば、ほとんどの場合、会敵予想時刻までに態勢をととのえておくことは十分に可能だ。
だからこそ、現時点において、いまだ艦内の勤務態勢は平常時とかわらず、指令センターたる艦橋もまた、村雨艦長、難波副長、稲村船務長を筆頭者とする勤務割りで運営され続けているのでもあった。
ちなみに、輪番それぞれの筆頭指揮官と各科長の組み合わせは、
艦長/砲雷長、飛行長
副長/情務長、主計長、
船務長/航法長、機関長、
――と(〈あやせ〉においては)定められていた。
時間的に科長が不在となるセクションについては、代行要員をその任にあて、以て艦橋機能は維持をされている。
そうして、今は、難波副長を筆頭とする要員たちが、当直者として艦橋内部に詰める刻限にあたっているのだった。




