48.超光速航行―1『遷移準備―1』
「裏宇宙……航法、ですか……?」
中尉殿に言われて、アタシは首をかしげた。
場所は主計科室の中。
ようやく慣れた課業をこなしていると、中尉殿に話しかけられたんだ。
昨日、副長サンから全艦に、このフネが明日……、だから今日だよね――いよいよ本格的な恒星間航行に移行する旨、通達があった。
その開始刻限に、そろそろ差し掛かろうかってタイミングのことだった。
本格的な恒星間航行。
つまりは光の速さを超えた超光速航行――遷移の開始。
一度の実行で数光年から数十光年……、条件が良ければ数百光年の距離を一気に跳び越え移動する。
アタシたちが住まいしているこの宇宙(常空間)と、異なる物理法則が支配している違う宇宙(異空間)――その二つの宇宙を往来しながら遙か彼方へと渡って行く航程がついに始まろうとしてるんだ。
一応、と言うか、今日この日までに、艦船勤務者としての訓練を満了することは(なんとか)出来たと思う。
まだまだ途惑うことはあるけれど、失敗はしなくなった……筈。
でも、当然と言うか、それは『日常面』に限ってのはなし。
宇宙での生活――なかんずく、航宙船に限定の光の速さを超越した移動だなんて、当たり前に暮らしていたら絶対ありえないイベントは当然、未経験。だって、アタシ、田舎者ですし。
それで、やっぱりどこか、そわそわ不安そうにしてたんだと思う。
そりゃ、自分で予習と思って調べたり、まわりから色々レクチャーされたりはしたけど、どうしたって知識と体験は違うからね。
「そう――裏宇宙航法」
オウム返ししたアタシの言葉に中尉殿はうなずいた。
「我が国――大倭皇国連邦が、連邦となる以前に開発した超光速航行技術ね。利用しているのは我が国と、我が国の友好国のみにほぼ限られている。では、この〈ホロカ=ウェル〉銀河系で、裏宇宙航法に対する、そして、もっと普遍的な超光速航行技術がなにか、深雪ちゃんは知ってる?」
「は、はい。空間歪曲航法、です」
その昔(?)、宙免取得の際の座学でならった記憶を総ざらえしてアタシは答えた。
少々、といわず、自信なさげな口調だったと思う。
正直なとこ、中尉殿に言われて『裏宇宙航法』のことも、ああ、そういえば……と思ったくらいだから記憶は朧だ。
白状しちゃえば、『スペースワープ航法』のことも『裏宇宙航法じゃない方』って感じでおぼえてた。
だって、宙免取得は、あくまで自分に対する箔付けと将来の選択肢を増やすことが目的だったし、海外旅行だなんて農家やってりゃなかなかそんな時間はないからサ。
どこまでいっても他人事。
自分とは無縁なはなしと思って、だから、興味も持てなかったんだ。哀しいね。
と、
「ハイ、正解」
中尉殿はニッコリわらうと頷いた。
「スペースワープ航法は、〈古代・銀河帝国〉の往古から使われつづけている超光速航行技術ね。〈ホロカ=ウェル〉銀河系のほとんどの国――お金持ちの国と、事実上その傘下にある国々は、皆これを使ってる」
ん……?
今の中尉殿の言葉は、どこかトゲがなかった?
『お金持ちの国』ってところと、『その傘下にある国』ってあたりに、そんな印象をもったんだけど……。
気のせいかな?
「スペースワープ航法は、その名の通り特異点を利用、制御して、もって時空を歪め、跳空間へフネを導くことで光の速さを超越する技術」
中尉殿はつづけた。
「優れている点は、開発、そして使用開始より長い年月を閲しているので技術的に完成の域にあること。
「欠点は、特異点を利用するというのが根幹であるため、超光速航行用の機関が巨大かつ複雑なものとならざるをえないこと、かな。建造はもちろん、維持するのにも、とかくお金がかかる方式なのよ」
「なるほど」
「なにせワープ機関がバカでかいせいで、軍艦でいったら駆逐艦クラス以上の艦体サイズ、ジェネレータ出力がないと搭載できない。一人乗りの小型宇宙機までも遷移可能にする皇国の常軌機関とは大違いさね。マイナーなのは確かだけども、利便性やら運用コストを較べりゃ圧倒的な優位に立っているのはコッチ側さぁ」
中尉殿の言葉に相づちをうったら、そこに被せるように更なる声が。
「御宅曹長……」
ウン。そうなんだ。遷移も間近ってことでシフト度外視で今は科室に科員全員集合してるの。
他の部署はいざ知らず、主計科には遷移に備えての作業はほとんど無い。でも、だからって、たとえば通常のローテのままで自分は今は非番だよって、一人ベッドにいるのも寂しいじゃない?
ってか、ハッキリ言えば怖いじゃない?
だから、仲間の傍にいて、安心したい――そういう心理がはたらいて、ことさら指示をされなくたって、自分の持ち場についてしまう。そういう事なんだと思う。
少なくともアタシはそうだし。
で、
「なんだぁ? そのイヤそうな声はぁ」
アタシが声の主の名を呼んだら相手はむくれた。
知らず、眉根が寄っていたから、まぁ仕方ない。
「愛しの中尉殿との会話にジャマがはいったってか、ヲイ」
ただ、まぁ、そうして、むくれながらも邪推をかましてくるのが御宅曹長のブレないところ。
「違います」
そうして吐かれた戯言をアタシは言下に切り捨てた。
「緊急遷移訓練の時の出来事をまだ忘れてないだけです」
感情ののらない声で言い返してやった。
そうだよチクショウ! 本物ではなかったとはいえ、あ、アタシのファースト・キスを……!
「……ねぇ、あなた達、なにかあったの? このあいだから様子がすこし変だけど」
勤務中のものではない――素の口調で中尉殿が訊いてきた。
アタシは、(そして多分は御宅曹長も)ハッと我に返って、いやいやいや……! と、両方の手をワタワタと振る。
「なにもありませんよ。ねぇ、曹長殿?」
「そ、そうですよ! 仲良し、仲良し♡」
「そぅお?」
「そうです」
重ねられる中尉殿の問いに、アタシたちの返事はきれいにハモった。
アタシはあんな事いいたくないし、曹長は中尉殿に怒られたくない。
そういう、おたがいの利害(?)が一致した結果のことだって思う。
で、まぁ仕切り直しだよ。ウン。
「……それで、わたしたちが使用している超光速航行技術だけれど、これが『裏宇宙航法』」
チョッとの間、曹長とアタシの顔を凝視した後、まぁいいわ、と言って、中尉殿は説明を再会した。
「我が国を知ろし召す女皇陛下の初代様――神君が、わたしたち民草に下賜された技術と伝えられているわ。嘘か本当かはわからない。なにしろ二千数百年以上も昔のことだから。歴史的事実か、それとも建国神話にすぎないのか、今となっては真実を知るすべは無い」
「でもね」と言って、
「わたしは……、いいえ、我が国宇宙軍の将兵たちは、多分、ほぼ全員が、このはなしを事実なのだと信じている。もちろん、経緯その他については相違や脚色もあるでしょう。でもね、大筋においては実際に伝えられている通りのことが起きたのだって、誰もが信じているの」
「ああ。これについては冗談抜きで、その通り。もちろん、アタシ自身もだ」
他ならぬ中尉殿がおっしゃることだ――ウソや冗談なんかだとは思わない。
でも、ホントにそうなの?――つい曹長の方にアタシは目を向けちゃった。
それに対して、曹長は(柄でもない真顔で)コクリとアタシに頷いたんだ。
アタシはゴクリと唾を飲み込んだ。
「どうしてですか?」
質問をする。
遷移開始も間近な今、ただの雑学、豆知識なんかで時間をムダにする筈がない。
だから、これはアタシが事前に知っておかなきゃいけない何かなのに違いない。
初代の女皇陛下が、裏宇宙航法なる技術を開発し、使用に供した――荒唐無稽とも思えるけれど、でも、その技術を実際につかっている人間の大多数がそのはなしを信じているというのなら、根拠となる何かがあるはずだ。
「光の速さを超越する――そのための技術を構築するには、まずもってこの『宇宙』の構造、『世界観』を確定させる必要があるわ」
中尉殿は言った。
「スペースワープ航法においては、超時空宇宙論がそれね。この理論的背景をもとに技術的な基盤は整備され、スペースワープ航法は光速度を超越するための手段として成立している。
「一方、我が国の裏宇宙航法が拠って立つのは〈授学〉――他国での通称を〈MAD仮学〉とされている理論体系だわ」
「〈授学〉、〈MAD仮学〉……」
はじめて耳にする言葉をアタシは呟いた。
「そう。神君がわたし達に授けられた恩恵であり、他の国々からは、『Malediction Aberrant Delusions Psy-ence』――『まやかしく、あやふやで、デタラメな』『科学もどき』と蔑まれている理論体系」




