42.恒星系離脱―11『デブリーフィング―1』
「というワケで、そろそろかしらね。ねぇ、難波ちゃん?」
「何が『というワケで』なのかは存じませんが質問はしませんええそうですね自分もそう思います艦長」
例によって例の如くと言うか、いつも通りにモグモグくぐもった呼びかけと、熱意も誠意も感じられない応答が、〈あやせ〉の艦橋内部で交わされる。
会話しているのは、村雨艦長と難波副長の二人。
主に劣勢な交戦状況下において実行される戦闘空域離脱のための超光速航行急速移行対処訓練――緊急遷移訓練が、無事、かつ満足な結果で終わった直後のことである。
艦内の誰もがホッと一息ついている時間であった。
が、しかし、ここ――艦橋内部は、他の部署とは少し様子が異なっている。
村雨艦長はいつも通りなのだが、一方の難波副長が憮然としている。
有り体にいえばご機嫌ななめ――すこぶるつきで機嫌が悪い。
それは謹厳でならす難波副長らしくもない――棒読み口調で単語を区切ることなく、だらだら垂れ流すような返事の仕方からも明らかだった。
言うまでもなく不敬――階級的にも役割的にも礼を欠いていて、およそあり得ない態度だ。
しかし、ここ――〈あやせ〉の艦橋に(村雨艦長当人を含め)それを咎める者はいなかった。
軍人として、士官として……、いやそれ以前に一人の大人として、場の空気を悪くする、ありえない態度なことは間違いないが、この場合、そうしている当人の側に理があると周囲も認めていたからだ。(村雨艦長は、どうだかわからないが)
正当な(?)理由があっての事ならば、それを見ない振りして諫言などできないし、なにより普通の感性の持ち主は、いたずらに藪をつついて蛇を出すような真似はしない――相手が上役であれば、なおの事。
そういう事だ。
なのに、
「なぁによぉ」
世の中にはことさら平地に波乱を起こす、と言うか、とにかく空気の読めない、読もうとしない人種がいる。
「ノリが悪いわねぇ、巨乳のくせに。もしかして不感症?」
これまでの間、ずっとモグモグやっていた頬をぷぅっと膨らませると、村雨艦長は噛んでいたガムでそれは見事な風船を作りあげた。
別に気分を害した、そのお返しといった風でもなかったから、だったら黙っていればいいものを要らざる物言いを難波副長につけたりするから事態は更に拗れていくのだ。
部下ではあるが、機嫌が悪い相手をさらに煽るような文句を一体どうして口にするのだろう。
『巨乳』、そして『不感症』
心中に思う。一人で、あるいは気心の知れた仲間内でのみ口にする――そこまでであればまだ許容範囲であるだろう。
しかし、人に――特に、その対象者に面と向かって言ってしまえば、それは立派な(?)セクハラである。
とりわけ、目で見てわかる体形ネタはまだしも、持病(?)を揶揄する言動は厳に慎まなければならないものの一つである筈だ。
更には、そんな禁忌に触れる発言を階級社会、縦社会の極地たる軍隊で、自分より階級の低い人間にやってしまえば、パワハラの罪状までもが加算されてしまう。(いや、もちろん、『〈連帯機〉越しにだけれど、直でO・S・A・W・A・R・Iしたから嘘じゃないもん♡』などと被告は抗弁するかも知れないが、それとこれとは話がまったく別である)
腐っても(?)〈リピーター〉なのだ――実質的な年齢を考えれば、その程度の事はわかっていないとおかしい。
おかしいのだが、むしろ気安い感じで村雨艦長が発した一言に、コマンドスタッフ達は表情を、そして、難波副長本人はこめかみを、微かにではあるが確かに引きつらせる事となったのだった。
深呼吸をするように、難波副長がスゥッと息を吸いこんだ。
「……ノリの良し悪しとバストサイズは関係ないと思います。ましてや不感症との因果関係を論じるのは、論拠が不明であるとしか申し上げようがありません」
理路整然と言い返しながらも、明らかにそういう言葉の温度が一段と下がっている。
言葉遣いこそいつものそれに戻ったものの、口調ときたら、まるで氷の刃のようだ。
つい今の今まで不機嫌、不敬であった雰囲気が更に悪化し、忿怒、敵意へとネガティブの度合いを増している。
艦橋内の空気も重苦しさを増し、現実には存在し得るはずがない――錯覚であるのは間違いのないおどろ線が、宙にどよどよ蟠っているとコマンドスタッフ達に確信させるまでになっていた。
いや、なんだか息苦しくもあるし、もしかしたら空調にトラブルか、もしくはいっそ、どこかで気密破壊でもおこったのかも知れない――そう思うほどに。
「だいたいですね……!」
よほど腹に据えかねたのか、艦長の戯言を否定するだけでは済まさず、難波副長は追い打ちの言葉を後につづける。
「だいたいですね……! こうした各種訓練の開始と終了、それから結果に対する講評をするのは艦長のお役目ではないですか」
ちゃんと仕事をしてください! と艦長を叱る。
普段から怜悧な口調が一段と鋭利さ、冷酷さを増し、かつ非常に(非情に?)刺々しい。
まぁ、もとより難波副長の機嫌が悪いのも、それが原因だから当然ではある。
フネ全体のイベントとして、全乗員参加で実施された訓練であるのに、その結果発表を代表者がおこなわずして部下に丸投げとは何事か!? というわけだ。
褒めるにしても叱るにしても、こういうことはトップの人間がやってこそ意味がある。
組織の序列についてマトモな感覚のある人間ならば、誰しもがそう考えて、難波副長の意見に同意するに違いない。
が、
ここ〈あやせ〉にあっては、そうは思わない人間がトップの座についているのが、余の者たちにとっての不幸なのだった。
「状況をお考えください!」
ギリギリと食いしばった歯の隙間から、シュウと高圧の蒸気が噴き出す音にも似た声で難波副長は村雨艦長を難詰する。
「本艦は、もう間もなくこの星系の恒星圏を抜け、深宇宙領域へと入ります――遷移可能領域に達するのです。今しがた無事終了をした遷移訓練ですが、所詮は訓練。ただでさえ作戦行動予定地には何が待ち構えているかわからない。最悪、敵対勢力との交戦すら起こりうるかも知れない。
「にもかかわらず、本艦状況は、行動開始日程の遅れ、乗員定数恢復のため帳尻合わせに乗せた新兵――仕方なかったとはいえ問題点が多すぎます。
「口にこそ出してはいませんが、兵たちも不安に思っているんです。もう少し……、もう少し、なんとかお考えいただけませんか!?」
まるで立て板に水だった。
日頃から内心に鬱屈していたものがあったのだろう。
機関銃を掃射するのにも似た難波副長の言葉の弾丸は止まらなかった。
正論の嵐。
だが、
(はぁ……)と、万が一にもマイクに拾われたりしないよう、声にならない溜め息をコマンドスタッフ達は漏らしてしまう。
訓練は終わったのだ。
コマンドスタッフ達――〈あやせ〉各部署の科長達それぞれが率いる部下たちは、休憩したり通常の業務にもどっているのだ。
部下たちの習熟度の確認、評価、問題点の洗い出し等々々を進めていれば、おのずとフネ全体の空気は知れてくる。
となると、コマンドスタッフ達も人間だ。
緊張から解き放たれ、ホッと安堵し、寛いで、楽しげでさえある部下たちの様子に、うらやましさと嫉ましさなどを感じてしまうのは仕方がない。
立場的に自分たちには対処しようもない上官同士の角逐――それも煎じ詰めれば感情面、気質の違いに起因する諍いである。
関わり合いになどなりたくない。が、これまた立場的にそうもいかない。
指揮系統上でも物理的な距離の面でも、間近に接してなければならない。
逃げることは出来ず、せいぜい可能なのは一秒でも早く嵐が過ぎ去るのを願うだけ。
くだらない。馬鹿馬鹿しい――いっそ、そう吐き捨てられたらどんなにいいだろう。
無関係な立ち位置に自分を置くことも出来ず、さりとて二人を仲裁することもムリ。
ただひたすらに、首をすくめて己を無感情な機械と化さしめ、耐えるしかないのだ。
繰り返しになるが、訓練は既に終了したのである。
であれば、各級の指揮官である自分たちが次におこなうべきは反省会の筈。
それがこうして息をひそめ、難波副長のお説教と、村雨艦長の屁理屈の応酬が小やみになる――ピークを越えるのがいつかとビクビク様子うかがいしているしかないとは、なんと情けない。
溜め息するしかない状況ではないか。
逓察艦隊って精鋭と目されている部隊じゃなかったっけ……?
いやいや、そもそも我が国において、〈リピーター〉とは『英雄』の同義語だった筈、などという思いがグルグルグル……頭の中で渦巻いて、『やってられるか!』気味な、なんともやるせない気分になってしまうのだった。
難波副長がマジメに過ぎて融通が利かない傾向にあるのは、まぁ事実ではある。
しかし、それを勘案してなお村雨艦長はスチャラカすぎた。
戦闘組織でなくとも、ここまで最高責任者とその補佐の反りが合わないというのは珍しいのではないか。
諍いあう、と言うより、とことん歯車が噛み合わない人間同士をよくもまぁペアリングなどしたものだ。
長期にわたって戦闘航宙艦という閉鎖環境に同居させるには、およそ最悪な組合せとしか言いようがない。
どうせ、世評や風聞、考課表をしか判断材料としなかった結果の決定だろう。
一言でいえば職務怠慢だ。
(人事の)責任者出てこい!――憤懣をぶつける先のないコマンドスタッフ達が、いつか、このトップ二人の組合せを決めた人事の人間を張り倒してやる! そう心に決めていたとしても、まったく無理からぬことではあったのだった。




