41.恒星系離脱―10『月月火水木金金―6』
『遷移実行、Tマイナス六〇! 総員、遷移ショックに備えよ! 繰り返す! 遷移実行、Tマイナス六〇! 総員、遷移ショックに……』
「なるほど、コレが、さっき曹長の言ってた『三つ目』なんですね」
BGM代わり(?)に副長サンが発する通告を聞きながら、すぐ隣に存在している御宅曹長と、アタシは会話していた。
が、
「あ~そーさ~。コレが我が国宇宙軍、戦闘航宙艦に標準実装の裏宇宙航行時乗員疎通システム――〈連帯機〉接続の最終段階な~」
聞かされ続けてるのは投げやりな口調。
どうにもしょぼくれていて元気がない。
今しがた喰らった『罰』が相当堪えているんだろう。ま、ムリもないけど。
アタシは脇腹に触れてる肱から、この辺かなと思えるあたりに手を伸ばした。
ドンピシャで探り当てた曹長の腕を慰める感じにポンポン優しく叩いてあげる。
掌に感じた感触から、曹長が、腕のみならず、多分は全身が脱力状態で、ぐんにゃり弛緩しているのがわかった。
いやいや、どンだけショックを受けてンですか。
不謹慎だけども笑っちゃいますよ? いいんですか? もぉ、シャンとしてくださいよ。
そんなにダメージ受けるくらいなら、ふざけてないでマジメにやればよかったのに、と、ついつい溜息が出そうになった。
中尉殿が命じた『レンズ磨き』――それは、艦外に露出している光学系のセンサーや通信装置類のメンテナンスのこと。
丁寧さはモチロン、精度が要求される作業なので、実行するのはロボノイドだけど、監督官をやるのも結構しんどいって言うか、本来おやすみだった筈の時間にそんな事しなきゃならないってなったらガックリきても仕方ないかな。
アタシに言わせりゃ、自業自得じゃないんスか? な展開って事実は変わらないけどね。イッヒッヒ……。
と、
「コラ……!」
相も変わらずHMDアイコンの他に見えるモノもなく、凝ったような闇のなかで、一転、どすのきいた口調になった曹長が凄んできた。
「ついさっきまで半べそかいてたクセして、あんま、調子にのってンじゃねぇぞ?」
キュッと二の腕をつねられた。
「あれ~? あれ~? そぉんな強がり口にしちゃって良いんですかぁ? 中尉殿から言いつかったお仕事を手伝ってあげようかな~なんて、アタシ考えてたんですけどぉ?」
ことさら意地悪な口調で切り返したら、曹長の調子がまたまた一転。
「神様仏様深雪様!」
正面からガバッと抱きついてきた。
アタシの胸元でムニュッと潰れる二つのふくらみ、すこし汗ばんだ肌、自分のよりも高めの体温が、これでもかとばかり、グリグリ押しつけられてくる。
「まぢか!? まぢなんだよな!? 今更、『ウッソぴょ~ん!」とかフザケたことを吐かすなよ!?」
必死ささえ感じさせる声が耳許で響く。
「や! い、いや……ッ! い、言いませんよ、そんな事! 日頃お世話になってるお礼にお手伝いしますから、だ、だから、ち、ちょっと離れて……!」
ほんのチョピッとからかうつもりが、御宅曹長に、ひし、と縋りつかれて、ワタワタ身をもがかせるハメになっちゃった。
いや、実にリアル……ってか、リアルすぎるわ!
アタシも真っ裸、曹長も真っ裸――いっしょにお風呂に入る(時もある)仲といっても、さすがに着衣一切ナシでのハグはない。
これは現実の出来事ではない――そうと頭で承知していても、身体が感じる(女体の)感覚が、あまりに生々しくて心底焦る。
「そ、それよりも、失見当識障害でしたっけ?――それについて、もっと詳しく教えてくださいよ。曹長のさっきの説明じゃ、遷移中に目が見えなくなる症状だって事でしたけど、それって、あくまで一時的なものなんでしょう? だったら、いくら事前準備や対策が必要だとしても艦内全部の灯りを消してしまうというのは、ちょっと短絡的って言うか、やり過ぎなんじゃないかなって」思うんですけど……と、頬どころか、耳朶、首筋までもが熱くなっているのを自覚して、アタシは話を逸らそうとした……ってか、新たに振った。
だって免疫ないんだもん!
性格はがさつで、乱暴&だらしないのに、なんでか身体つきの方はやたらと女らしい。
曹長に(そして、もちろんアタシにも)その気が無いのはわかってるけど、それでも全裸で密着されるとか、恋愛未経験者にはハードル高すぎだって!
って、違う!
そうじゃないのよ!
違う! 違うの! ぜんぜん違う!
そりゃ、イキナリ(真っ裸の)御宅曹長に抱きつかれたりしたから、恥ずかしくって恥ずか死くって、今にもプシューーッとか湯気が音たてて噴き出しそうだけれども、本来のアタシはベリー・クール!
レッドカードを喰らってこの方、異常事態の連続に、ジタバタドギマギし続けてる『今』が普通じゃないのよ、本当よ!?
それが証拠に、平常心が危ういこんな時でも大事なことをちゃんと訊いてるもん。
『失見当識障害』
中尉殿に叱られ……と言うより、喰らった罰の重みにすっかりしょげてしまった曹長が、まるで犯した罪を懺悔するみたいなしおらしい口調で教えてくれたこと。
まずは、一段階目、二段階目、三段階目――指折るように曹長がカウントしていた変事は、すべからく遷移にともない艦乗員に生じる状態異常への対処だったという意外な事実。
ホンマかいな、と思いはしたけど、それはともかく――
航宙船が超光速航行状態へ移行――遷移にはいると、船内にいる人間は全員が失見当識障害なる知覚障害を発症する……らしい。
一言でいえば盲目状態に陥ってしまう……そうだ。
そして、その症状発症は、フネが再び元の通常航行状態に復帰するまで続く。
だから、そうした不自由な時間を可能な限り支障なく過ごし、切り抜けられるよう備えられた装備、また対応が、すなわち〈連帯機〉、そして、それへのリンク。
曹長が明かしてくれたのは、要するにそういう事だった。
で、
障害への具体的な対応策として用意されてあるのが、『触感像』――人体投影像をもちいた(疑似)接触型コミュニケーション。
本体は自席に居ながらにして、離れた場所に存在している他の乗員と肌身で触れ合う体験を互いに共有しあう幻想疎通。
船内服――その内奥層がセンサーとなって、頭のてっぺんから足の爪先に至るまで、着用者の体性情報を余すことなく拾い、首に巻いているチョーカーがそれを〈連帯機〉へ送る。
〈連帯機〉は、みずからにリンクしている端末器たちから送られてきた情報を言うならばネットワークの集線装置として管理し、統合する。
具体的には、『乗員A→〈連帯機〉→乗員B→〈連帯機〉→乗員A』というかたちで、乗員AとBの間に連続的、かつ即時的な情報共有体を形成する。
こうした情報共有を〈連帯機〉にリンクしている者は、触感像として――自分が触れることのできる近さに相手がいるかのように認識するのだという。
そして、もちろん、この情報共有は、参加可能人数、お二人様限定とかショボいものなワケがなく、〈連帯機〉の能力、余力しだいでは、極論、フネ一隻をまるごとカバーするのも(理屈の上では)可能であるとのことだった。
要するに、アタシがこれは曹長のイタズラか? と疑っていたのはすべて、視覚、そして、そこから得られる筈の情報が、完全に失われてしまう期間、乗員に提供されるサポートシステムの働きだったってこと。
いや、スゴい。
正直、説明を受けてなお半信半疑だったけど、実物としか思えない虚像のさわり心地、また、さわられ心地に『マヂか!? ホントにマヂなのか!?』と否応なしに納得するよりなかった。
というワケ(?)で問題は、『どうして、そこまでする必要があるの?』――コレに尽きる。
だって、目が見えなくなるとか知覚に異常をきたすというのは確かに大ごとだけど、でも、あくまで一時的な症状だそうだし? 曹長の口ぶりからしても、何日もその状態異常が持続するって風にはとれなかった。
だったら、不自由な時間を我慢もしようし、我慢させようかって考える方が普通じゃないかな。
ぜんたい、技術的にスゴい! と感心はするけど、視覚の代わりが『触覚』なんだよ?
真っ暗ななかで触れあえる相手がいるというのは確かに安心できる――それは認める。
でもサ、たとえば光が届かない水中でもちいる音波探信儀みたいに、視覚の代替手段って何か他に用意ができなかったのかしらん――そう思ってしまうんだよね。
カウントダウンが進むなか、時間は限られてるし、焦る気持ちも抑えきれないし、で、曹長がしてくれた説明の理解が不十分なだけかも知れない。
でも、やっぱ、どうにもそこが引っ掛かってしまうんだ。
「う~~ん。失見当識障害について詳しく教えてくれ、かぁ……」
御宅曹長が、首をひねってるみたいな口調で言った。
「そりゃチョッとばかし、難しいかもなぁ」
「そうなんですか?」
「ああ。症状そのものについて言うことはできるよ。でも、深雪が本当に知りたく思ってるのは、対応策が現在のそれで落ち着いた理由なんだろ? だったら――」
クスッと曹長のちいさな笑い声。
そして、頤をかるく持ち上げられたと思う間もなく唇に、あたたかで、柔らかな何かがフワッと触れてきた感触が。
「一度、遷移を体験し、〈独立自我管制共有結合システム〉が〈連帯機〉の他に、何故〈メロメロ〉と呼ばれているかを実感しないことには本当のところは理解できないだろうな」
わざとらしく、『チュッ♡』なんて音をたてながら、そう言ってよこしやがったのだった。
『……四、三、二、一、ゼロ――緊急遷移! 緊急遷移!』
ちょうどその時、機械音声が警鳴音と共にそう告げた。
アタシの悲鳴が、その音にかき消されたのか否かは知る由もない。
「ふぁ、ファーストキスが……、あ、アタシのはじめてが……」
そして、一拍おいた後、
『緊急遷移訓練終了。緊急遷移訓練終了。艦長より、総員、よくやったとのお褒めの言葉をいただいた。今回の訓練における欠格者はゼロ。以上だ』
副長サンのアナウンスが響くなか、頭の中を真っ白に染めた衝撃が、声となって外にこぼれたかどうかはもっとわからない事だった……。




