15.巡洋艦〈あやせ〉―5『出頭―3』
「田仲一等兵は、銀河天球図は読めるかな?」
副長サンからアタシに二度目の問いが向けられた。
「は、はい……、なんとか」
自信を持って肯定できずに少したじろぐ。
正直なところ、宙免取得時にほんのさわりを習った程度なんだよね。で、でも、嘘は言ってないですよ?
「よろしい」
そんなアタシの葛藤にまでは気づかなかったか、副長サンはひとつ頷くと、丸めていたタブレットを板状に戻して、その上で指を滑らせた。
「見なさい」
言葉と同時にタブレットの上方、すこし離れた空間に闇色の球体があらわれる。
実体ではない。
宙空に結ばれた投影図。
タブレットが形づくった立体虚像。
ビーチボールかバランスボールか――いずれ大人が一抱えするくらいのサイズの球だ。
でもって、副長サンが距離を詰めてきたせいで、目と鼻の先にその球を突きつけられた格好のアタシには、内部までもがよく見えた。
感じとしては、占いなんかで定番備品のオーブ? モリオン? オニキス?――詳しくないから何と呼ぶのか知らないけれど、とにかく、あの水晶玉を覗いた時と似た感じ。
実体をもたない虚像だからだろう、球の内部はガラスとか結晶とかより透明……だけれど真っ黒。
宇宙空間をまんま再現したような、視界をまったく阻害することのない『闇』で満たされている。
そこをジャングルジムみたいな白色の立体格子――xyzの三軸からなる座標表示枠が提灯の骨組みよろしく区切ってて、ビジュアルとしては惑星儀のスケルトンモデルのよう。
違っているのは、グリッドの更に内側、闇の中に図示されているモノ。
惑星儀だったらマントルだとかコアだとかのところが、しろっぽく、淡く、輪郭も朧な……、捻れたヒトデのようにも見える平べったい渦巻きに置き換わってること。
星図のベースたる球本体のサイズに従って、直径一メートル前後にまで圧縮され、ホワイトからダークグレーに至る濃淡様々な無彩色の輝点の集合体としてかたどられた星々――渦状銀河の像が収められてることだった。
久しぶりに見た――アタシは思う。
低圧・低重力環境作業技能者免許――宙免を取得するついでに、当時のアタシは小型宇宙機の操縦免許にも興味をもった。
自分自身の身体操作―― 宇宙空間作業者として研鑽を積むだけでなく、それに加えて空間施設まわりを行き来する雑役船の操艇資格まで持っていたなら手に職的に無敵じゃない?
そう考えて、一般教養の講座を受講してみたんだ。
結局、実技修了までに要する時間と陸上競技その他のスケジュールを摺り合わせる事がどうにも無理で諦めたけど、いずれにしても、試しで受けた座学の時間以来かな……。
ま、それはともかく、
これが銀河天球図。
銀河中心核を極点とし、そこと古代・銀河帝国の旧・帝都を結んだ線を本初子午線と定める〈ホロカ=ウェル〉銀河系全図――星界の世界地図なのだった。
「本艦現在位置をx-y座標平面中心として表示」
感慨に耽るアタシをよそに、銀河天球図――タブレットに向かって副長サンが、音声命令を発した。
すると、グリッド内部に浮かんでいるミニチュア銀河が、すぅッと動く。
それまで天球図のセンターにあった銀河中心核が端部へとずれ、かわりに複数ある渦状肢のひとつ――その半ばほどの一点が真ん中にきた。
続いてピンチアウトかなにか、口頭によらない操作を副長サンはしたみたい。
見る間に銀河系の映像がズームアップして、爆発する勢いで膨れあがった。
新たに天球図中心に置かれた渦状肢の一点――副長サンが口にした『本艦の現在位置』だろう所を基点として、まるで風船が膨張していくように表示がグングン拡大していったんだ。
なにしろ巨大な銀河系の全景をたかだか一メートルかそこらのサイズで図示してる。
縮尺的にも内包されている星々に個々の見分けなどつけられよう筈もなく、雲のような塊としてそれらは表示をされていた。
それが星図のズームが進むにつれて、みるみるうちに集団がバラけ、弾けるようにほどけていって、ひとかたまりに纏められていた状態からそれぞれの存在を主張するように……、無限に湧き出すように、星々がその姿を現しつづける。
間近で見ているアタシからすると、一人称視点で星叢の中へ自分から突っ込んで行ってるような錯覚さえおぼえる光景だった。
「本艦現在位置を曝露処理。視認可能域まで現表示をx-y座標平面水平方向に開削処理」
そうして、ある段階にまで星図がズームアップされた時点で、副長サンが、またコマンドワードを口にする。
途端、アタシが見ていた銀河系の上側表面が、ある深さまでスゥッと溶けるように消え失せた。
完全に消えたわけじゃないけど、限りなく透明にちかい表示状態となることで、自らが視認を阻害していた、より下層の部分を露出させた。
ちょうど表土がとりはらわれ、地中に秘められていた化石がその姿をあらわしたみたいに、それまで見えなかった、見づらかった星々がハッキリ見えるようになったのだった。
図の中心部には赤く瞬く輝点がある。
このフネ――〈幌筵〉星系を意味するしるし。
(ちいさいな……)
表示が拡大されてなお針の先で突いたくらいしかない輝点に、そう思う。
〈ホロカ=ウェル〉銀河系は――宇宙は、それ程までに広大無辺なのだと。
これからアタシは、こんな途方もないひろがりの中に出て行くのか……。
家族や友だち――故郷からどんどん遠くへ遠くへ切り離されていく。たった一人で。
そう思うと、スゥッと足許がゆらいで奈落の底へ落ちていくような不安に襲われた。
アスリートとして外国にだって行く気でいたけど、今じゃない。まだ一八歳なのに。
と、
「本艦予定針路をプロット」
副長サンの声に、ハッと我にかえる。
いけない。またもや物思いにふけってボゥッとしてたみたいだ。集中集中!
気合いを入れ直し、目を見ひらくと、星図の上には〈幌筵〉星系から発して何処かへと伸びるクッキリしたブルーのラインが新たに姿を現していた。
曲率の異なる複数のカーブが連続した、うねるようなライン。
始点と、それから終点だろう場所が、それぞれチカチカ光って自らの在処をアピールしている。
予定針路……。
これからこのフネが――アタシが、進んでいくことになる道筋、か。
〈ホロカ=ウェル〉銀河系は、直径およそ一五万光年だと教わったから、それからするとラインの総延長は一万光年弱ほどだろうか。
正確な数字はわからないけど、曲線をざっと目でなぞって実際の距離を推測してみた。
なんとも途方もない距離で、数字としてはともかく、感覚としては全然ピンとこない。
自慢じゃないけど生まれてこの方、〈幌筵〉星系から外に出た経験なんて無いもんね。
だから、今更ながら、こうして見るとこの国も広い――広かったんだと、そう思った。
だって、一万光年もの超長距離を移動するのに、スタートもゴールも自国に属する星系なのよ? たとえ国土の端っこ同士にしたってサ。
で、
そこでアタシが気になったのは、それだけの移動をいったいどれだけの時間をかけてやるのかって事と、どれくらいの頻度でおこなわれるのか、の二点。
距離に見合って拘束時間も長期となれば、豪華客船でのクルーズじゃないんだ、ストレスもたまるだろうし、
もしも、こうした任務が日常茶飯なようなら、ろくに家族へ手紙を出すのもままならないんじゃなかろうか。
どちらが現実だってもイヤすぎる。アタシが引っ掛かるのも当然だよね。
「本艦航行予定をシミュレート」
思わず眉をしかめそうになってると、続くコマンドワードに始点側の点滅光が輝度を増し、ゆっくり予定針路の上を動きはじめた。
〈幌筵〉星系を離れ、一路、渦状肢と渦状肢の間、星もまばらな……、暗い河か溝のように見える領域へ。
「現在停泊中である、ここ――〈幌筵〉星系から進発し、〈ベーリング〉空隙へと抜け、ギャップ内部を東進しつつ……」
移動をつづける輝点に、都度都度、副長サンの解説がくわえられる。
えぇっと、確か……、
渦状銀河にあっては、恒星密度が稠密で明るい部分を〈○○〉肢)、空疎で暗い部分を〈○○〉空隙と呼称してるんだったっけ。
でもって、このフネは航程のほとんどをギャップの中にもとめて進むつもりでいるワケか。
コース的には迂回気味になるんだけれど、渦状肢内部を突っ切る直線路を選ばない理由は何なんだろう?
なにか任務があるのか、作戦上の秘密保持か、それとも遠回りに見えて実はそっちの方がはやいのか……。
ともあれ、副長サンが、〈ベーリング〉ギャップと呼んだ領域を輝点はひたすら進んでいっている。
そして、ある場所にまで到達すると、信地転回よろしくクルリと短いターンをキめ、そのすぐ後にゴール地点へ到達、動きを止めた。
完了を告げる表示を輝点の脇に浮き上がらせながら、ブルーのラインの末端――ギャップのなかにポツンと浮かぶ恒星に重なり静止した。
「本艦の目的地――〈砂痒〉星系だ」
副長サンが恒星系の名を告げる。
見るからに寂しい空間。
辺境、皇国の北の果て等と言われていても、アタシの故郷、〈幌筵〉星系は、大倭皇国連邦を構成している星系群とおなじ渦状肢内部に立地していた。
でも、このフネがこれから赴く星系は、ギャップの内部に取り残された、ほとんど絶海の孤島のような感さえある地。
そんな星系に、いったい何の用事があるのだろう?
「彼の地は我が国の最東端だが、突然、音信途絶の状態となった」
副長サンが淡々と言った。
え……?
「原因は不明。大規模な天災事象の発生も考えられるが、敵性存在による攻撃をうけた可能性がより高い。いずれにしても、その原因究明のため、当該星系到達後、本艦は約二ヶ月余の時間をかけ、偵察・情報収集活動を実施することとなる」
は……?