101.〈砂痒〉星系外惑星系―8『未来のプロフィル―1』
「発着艦管制室より報告アリ。随偵全機の発艦作業完了との事です」
「報告します」と難波副長に呼びかけた飛行科次席指揮官、野越中尉がそう言った。
〈あやせ〉艦橋内部である。
「了解」
難波副長は頷いてみせると、一拍おいて、ふぅと小さく息をつく。
(いよいよか……)
今更なようだが、そう思っていた。
搭載していた随偵を全力出撃させた事で、司令部より達せられてある命令――〈砂痒〉星系調査の任は、ようやくその端緒についたことになる。
自艦に先行させた随偵三機に、進路前方の哨戒はもちろんのこと、次なる偵察指定ポイントである惑星〈交遭〉近傍まで進出させる計画である。
星系主権領域境界域における機雷堰をめぐる一件、
防空部隊の司令部が置かれていた〈香浦〉の惨状、
それらを勘案すれば……、いや、するまでもなく、敵――まず間違いなく〈USSR〉宇宙軍の侵攻を受けた結果が〈砂痒〉星系の現状なのだと推断できる。
だが、この〈砂痒〉星系は、皇国が今日あるを睨んで超長期にわたる計画をたて、要塞化をした一大軍事拠点である。それを短期間で陥とせるものなのか。
経過時間を思えばほぼ一戦一撃か。いかな〈ホロカ=ウェル〉銀河系最大最強とうたわれる〈USSR〉であっても、そこまでのことが可能であるのか……。
わからない……。だから、これより以降は本腰を入れてその点を探り調べて、逓察艦隊司令部――本国にまで収集した情報を持ち帰らなければならない。
(言うは易し、だけれどね。達成するのにクリアするべきハードルが、現時点でさえ少々と言わず高い気がしてならないし、どうにも先が思いやられるわ)
また吐息――いや溜息をついてしまいそうになる。
困難だろう任務遂行と意図また思惑の読めぬ艦長。
この状況を一語で表すのなら、それは外憂内患か。
自分の置かれた環境に、正直頭を抱えたくもなる。
本来ならば一致団結して難局に立ち向かうべき所。
なのに、その実行が強く困難――いっそ不可能事。
すべて……、いや、その過半は艦長の責に依る所。
村雨艦長――このフネの指揮官にして皇国の英雄。
能力は自分より遙かに上、階級的にも自分の上位。
なのに最高責任者たる艦長は責務を放棄している。
職務の遂行――やって当然の事をやろうとしない。
自分は部下でいい――なのに、それが許されない。
否応なしに、自艦の命運を担わなければならない。
理不尽に、全力でもってあたれと定められたのだ。
能力の程は見せつけられた。心底感服させられた。
見切りをつけかけていたが、心得違いを理解した。
しかし、前段からの流れの故に頭は下げられない。
危機を脱した手並みに圧倒されても負けられない。
だが……、だからと言って、どうすれば良いのか?
これまでの事から敵の周到さ、徹底ぶりは明らか。
その敵に、自分などが相対してかなうものなのか。
士官学校での席次は良かった。出世頭と囃された。
しかし、実際はこの程度。新兵と何ら変わらない。
誰かの下につくことは出来ても、頂には立てない。
(それが私だ。到底、艦長職がつとまる器ではない)
対策を考えようとしているのにそう思ってしまう。
そう思ってしまうのに、現状、どうしようもない。
どうにも己の慢心と艦長の怠惰とが恨めしかった。
同じフネに乗っている以上、艦長も立場は同じ筈。
(自分自身の生命もかかっているというのにな……)
一体なぜ?――返すがえすも、そう思ってしまう。
艦長の考えや意図する所が、まったくわからない。
八方塞がり――難波副長の今は正しくそれだった。
…………。
…………。
難波副長は頭を振る。それで、やりきれなさをナシとした。
思考がネガティブな向きに傾きがちなのを強引にリセット。
不平不満で時間はムダに出来ない。問題は何も解決しない。
自艦が抱えている問題点をとりあえず程度にでもまとめ、検証してみよう――そう思ってのことだった。
もちろん、それは既に何度となくやっている事。答も対策も思いつかず、明確な方針を出せてもいない。
だが、現状、ほかにするべき何かがあるわけでなく、極論すれば、ルーチンワークをこなしているだけ。
無為に時間を浪費するのであれば、たとえ徒労に終わろうと前向きな対応をすべき――そう考えたのだ。
ふぅ、と再びちいさく息を吐く。
(……まず、〈砂痒〉星系が『敵』の侵攻を受けたという点。これは、もはや疑う余地がない)
指折り数えるようにして、そう思った。
その事は、星系主権領域境界空域に敷設されていた機雷堰の配置位置異常と、このフネに対する〈LEGIS〉の反応の双方からも明らかだ。
『敵』……、おそらくは艦隊規模の『敵』の侵攻を受け、〈LEGIS〉は邀撃戦闘をおこなった。その結果、機雷堰の展開位置がズレたのだ。
そして、侵攻してきた『敵』は、しかし、機雷堰によっては進撃を阻止することはかなわなかった。そして、〈香浦〉は陥落してしまう。
(その後にこのフネ――私たちがやって来た。私たちに先行して派遣された他艦は、おそらく移動経路に皇国主権領域内のみを通ったろうから、私たちとは真逆――恒星〈砂痒〉をはさんで反対側にエントリーしたに違いない)
外宇宙側――〈USSR〉宇宙軍の艦隊が侵攻してきたのであろう側から入域したのは、皇国艦船ではこのフネがはじめて。故に〈LEGIS〉は、二次侵攻、先行艦への補給、戦果確認――そうした事どもを目的としているものと、このフネのことをみたのではないか。
すくなくとも、このフネの身許がハッキリ確認できるまではそうだった筈。
もしも対応にあたっていたのが人間だったら、問答無用で攻撃されていたかも知れない。
感情を有さない機械を主役として、星系防衛のシステムを組んでいたから助かったのだ。
(BADGEシステム、か……)
難波副長は胸中につぶやいた。
人的資源をふくめ、軍備にまわせるリソースの最適化をひとつの動機として考案、実用化された星系防衛システム。
それについての知見を得たときには、なるほどと思ったものだが、そこはやはり、『戦争』には常に『敵』がある。
こちらの一手に対して有効な応じ手をかえしてきたという事だろう。
機雷堰。
〈LEGIS〉によって、自律的に運用される皇国宇宙軍最新の防衛兵備。
AWACS。
早期警戒の要であり、堰を構成する機雷の保守整備を任とするフネ。
それらを根幹として、皇国は己の主権領域をまもり、維持すべく中期防衛計画をさだめ、現在もその整備を継続、拡充中だ。
(……欠点などないように思えた。しかし、現実はちがった。〈USSR〉の侵攻が、完全に奇襲だったのだとしても、〈交遭〉泊地は外地においては皇国宇宙軍最大規模。それが手も無くやられた? 〈砂痒〉星系への敵の襲来、被害状況――それらを一報する余裕さえ無く……?)
(そもそも、機雷堰を管制するAWACSは〈しきしま〉――元をただせば戦艦だった筈。建艦は、たしか四〇〇年ほども過去だったか。……それにしても、〈香浦〉、それから〈交遭〉に警報を発することは出来たろう)
(であるのに、〈香浦〉はまだしも、〈交遭〉までもが沈黙しているのは何故なのか……? あそこに置かれてあったのは、皇国でも有数の規模の艦隊だ)
それなのに、何故、戦闘航宙艦の動静はおろか通信の一本もひろえないのだろう……。
そのあたりまで考察を進め、しかし、今回もまた、そのあたりで思考が堂々巡りにおちいって、難波副長は唇をきゅと噛みしめた。
「情務長」
滅入りかけた気分を振り払うように、羽立情務長に呼びかけた。
「〈運気予報図〉を出してくれないかしら」
座席の背もたれをおおきく後傾させながらそう指示をする。
自分の指示が反映されるまでの手待ちの間に、身体を仰向けにし、伸びをするようにくつろげた。
オットマン付きの座席の上、背中から脚にかけてが一直線にのび、おおきな胸――村雨艦長が常々からかいのタネとする豊かな二つのふくらみが、一旦たわみ、すぐに元に復してその存在を主張した。
難波副長は、天井――正しくは、その直下の空間に目をやりながら深く呼吸する。
(自分が置かれた環境、定められた状況のもと、手持ちの札をもちいて自分がするべき事をする)
信条――軍人としての心得だと常々おもっている事を心に唱えつつ、シーリングスクリーンが形成されるのを待った。
「あ、あの……」
ためらいがちな声が、ほそく小さく聞こえてきたのはその時である。
「わ、わた、しも〈運気予報図〉の検証、をご一、緒させても、らってよ、よろし、いですか?」
たどたどしい口調、ためらいがちな物腰であったが、羽立情務長が難波副長にお伺いをたててきたのだった。
「え? ええ、もちろん。もちろん、いいわよ」
難波副長はうなずいた。
頷きながらも、心の内には、ほんの僅かに驚きがある。
羽立情務長は吃音で、コミュ障である。
吃音だからコミュ障なのか、それともコミュ障だから吃音なのか――それはわからない。
それはわからないのだが、いずれ幼少期――子供の時分の人格形成期において、自分が吃音であることはネガティブな要素でしかなかったろう。
なにをするにつけ他人と交流をもつ上で、劣等感を刺激される可能性があるとなれば、おのずと人付き合いを避けようとしてもムリはない。
そして、故にか、これまで任務をふくむ種々の局面において、彼女には、ややもすると積極性に欠けるきらいが見てとれた。
能力的には優秀なのだ。
戦略級、もしくはそれ以上のレベルの情報を取得し管理するのが情務科員の任であるから、当然ではある。
現に、大倭皇国連邦宇宙軍、その艦隊実働戦力において、情務科員が配備されているのは、聯合艦隊の艦隊旗艦、それから逓察艦隊の諸艦のみ。
しかし、羽立大尉は、そこまでだった。
個人としては優秀。だが、そこ止まり。
いずれ昇進していけば、一艦から艦隊、果ては大艦隊、軍令部の参謀へクラスチェンジしていくのが情務科員の軍人としての一生である。
そのルートに羽立大尉は乗れない。
自分の下に部下をもつ――他人と関わることが苦手であるからだ。
自分ひとりで任務にあたることなら出来る。
しかし、部下であっても他人と組んで、チームで事にあたれない。
正直、情務科の長に任じられたのもどうかと(時に)思える彼女だったのだ。
そんな羽立情務長が、今回はだれに促されるでなく、すすんで発言してきた。
まず間違いなく自分と同様、先の一件がこたえての事なのであろうが、動機が何であるにせよ、そうした変化が好ましいものであるのは変わらない。
「うん、情務長。ぜひ、あなたの見解をきかせてほしい。そして――」
「はい」
『次』は艦長の鼻を明かしてやろう――その一語を難波副長が口にするまでもなく、言わんとするところを汲み取った羽立情務長がコクリとうなずく。
〈纏輪機〉越しにふたりは顔を見合わせると、それぞれに後傾させた椅子に身体をあずけ、頭上にひろがる〈運気予報図〉の仔細をチェックしはじめた。
そして……、




